2006年12月24日
モロッコ入国
不思議なスイス人との出会い
スペインのアルヘシラスからフェリーでモロッコへ入国。タンジェに着いたのは夜中の11時半。
( 2006.12.25のブログ参照 「モロッコのタンジェへ 」)
正直、スペイン南端の港町アルヘシラスに着いたとき、このままモロッコに向かうかかなり悩んだ。こんなにうろたえるのは何年ぶりだろう、というぐらい焦っていた。なぜって初めての国(しかもアフリカ大陸は初めて)に真夜中に入国するのはかなり心配だったから。
「モロッコ人はいい人なんだろうか」「ひったくりとかにあったらどうしよう」「ぼられるのかなあ」・・・
考え出せば出すほどますます心配になってきた。
アルヘシラスで泊まれば一泊3000円、モロッコのタンジェのユースなら一泊700円。う~ん。貧乏旅の私はできることならモロッコ入りをしたかった。
近くのモロッコ人に英語と手振り身振りで話しかけた。
「モロッコって夜中に入っても安全ですか?」
自分の国を安全か?と聞かれるほど迷惑な質問はなかったんじゃないかと思う。10数人に聞いてまわったが、英語を理解できるモロッコ人なんていなかった。中には
「モロッコに行くの?チケット買わなきゃだめよ。あそこあそこ。」
ってアラビア語で親切にしてくれたおばさん。
意味もわからず、うんうんとうなずく少女達。
そこに現れたモロッコ人男性の1人が“英語わかります”と言わんばかりに私に話しかけ、チケット売り場に私を連れて行った。おじさんの片言の英語に従っていたら、片手に片道のフェリーチケットを握りしめている自分がいた。言われるがままにチケットを買ってしまったのだ。そのおじさん忙しそうだったのに、あれやこれやとよく面倒をみてくれた。最後に
「タンジェに着いたらこれを人に見せなさい」
と言ってくれた紙にはアラビア語で“彼女は宿を探しています。助けてあげて欲しい”という旨が書かれていた。
おじさんと別れた私。どうしたものか、と思っていると乗船口ですごい量の荷物を持ったおばさんに遭遇。英語で話しかけると流暢な英語が返ってきた。スパニッシュとアラビア語しか聞こえない中で英語が通じるおばさんに会えてなんだかほっとした。結局このスイス人のおばさんとはフェリーで時間を供にし、おばさんの荷物運びを手伝ってあげた。本当に不思議なおばさんだった。
おばさんの話によると、娘がモロッコの刑務所にいるらしい。娘にこの大量の荷物を渡すためと、弁護士に会って話をするためにモロッコに行くらしい。
おばさんの持ってた荷物:2つの紙袋(中には苗木とタオルが入っていた。)、段ボール1つ(隙間からマカロニが見えた。)、肩掛けのボストンバッグ2つ。
刑務所にいる娘にマカロニと苗木?? 他にどんな荷物を持ってきているのか気になるところではあった。
このおばさんが歩くだけで通路が埋まってしまうくらいの荷物の量であった。話し方も笑い方も服装もすべてが不思議な人ではあったが、モロッコのことをいろいろ教えてくれたりと良いおばさんだったように思う。
タンジェでスイス人のおばさんと別れ、暗い道をひたすら歩いた。途中でユースホステルへの道をモロッコ人に尋ねると親切にも連れていってくれた。ユースに着いたのは真夜中の12時近く。予想外にもモロッコは安全そうだった。
2006年12月25日 タンジェ(Tanger)→フェズ(Fes) ハンサムなスウェーデン人
午前中はタンジェを観光し、午後はバスでフェズに向かった。バスの中は5人(私を含む)の外国人にあとは席一杯のモロッコ人。長いバス旅の中で一人かっこいいスウェーデン人を見つけた。かっこいい人はいつも私には縁がなかったものなのだが・・・ひょんなきっかけから少しずつ会話を交わすようになり、一緒にその日の宿探しを始めた。バスが予定よりかなり遅れて、フェズに着いたのは夜の9時近かった。そんな時間に一緒に宿を探す仲間がいたのは心強かった。フェズのメディナ(旧市街)を歩くと、次から次へとモロッコ人が声をかけてきて彼らの都合の良いホテルへ我々を連れて行こうとした。この客引きから逃げるように歩き、そしてみつけたのがホテルDu Parc( 泊まったお宿参照
)。典型的な安宿で、とてもきれいとは言い難かったが、夜も遅かったのでここに決めた。80DHといいはる宿主と値段交渉して50DHに。後から来た日本人は70DHを払っていた。つまり人によって払う額が違うわけだ。私はスウェーデン人の隣の部屋を割り当てられた。
その後そのスウェーデン人と一緒に夕食を食べに旧市街へ。モロッコ料理クスクスを食べて楽しい一時を過ごした。ちなみにそのスウェーデン人は今スペイン北部に留学をしていて、薬を勉強しているとのこと。もうすぐで学校を卒業するのでスウェーデンに帰って医者になるとか。薬の勉強をかねてインドへは4回も行っており、他にもいろいろな国を旅行しているワールドトラベラーだった。いつもカメラを持ち歩かず、現地人との交流や現地文化を大事にするその姿勢に共感できた。
2006年12月26日
フェズ(Fes) 迷路のようなメディナ

この日は一人でフェズ観光。入り組んだ迷路のような道を歩いていたら本当に迷子になった。
「一人じゃこのメディナ(旧市街)は大変だよ。こっち、こっち」
と邪魔してくる客引きにうんざりしながらも、本当に道に迷った時には焦った。ただでさえ方向音痴な私にはこのメディナは少々難関だった。やっと客引きを払いよけたと思いきや、30分後にまた同じ客引きに
「やっぱり一人じゃ大変でしょ」
と声をかけられた時にはぞっとした。


そんな私も一回だけ客引きについていったことがある。どの客引きも大抵最初に言うのが、
「屋上につれていってあげる。景色が素晴らしい。タダだよ。タダ。」
連れられてのぼった屋上からの景色は家々が見えるだけでたいしたものではなかった。
それから絨毯のお店や、香辛料のお店などいろんなお店に連れて行かれたが、何ひとつ買わなかった。しかし、かつてから一度はやってみたいと思っていたヘナ(手に模様をかくもの)の話が出た時には乗り気になった。
「ここの女性はヘナのコンテストで一番だったんだ。250DHでどうか。安いよ~」
という青年に
「30DHならやる」
と答えた私。結局交渉の末40DHに。その後、おつりがないと言ってきて、50DH(700円)になってしまった。絶対ぼられているな、と思ったのだが、この客引きには多少なりともお世話になったので、まあいいか、とそれで手を打った。

夜は宿でスウェーデン人の彼と会って、一緒に外を散歩した。宿に帰るとオーナーのモロッコ人がモロッコ式パスタをご馳走してくれた。スウェーデン人の彼、モロッコ人2人と食べた。モロッコ特有のミントティーがまたおいしかった。そしてその後はスウェーデン人にチェスを教えてもらった。
この日の夜は寒くてよく眠れなかった。安宿だからしょうがないか。
2006年12月27日
バス移動 フェズからマラケシュへ
この日の朝はちょっとショッキングな出来事が!スウェーデン人の彼とマラケシュに一緒に行く約束をしていたのに、彼は連日の疲れがたまって行けない、とのことだった。う~ん。ハートブレイクか??





2006年12月29日
マラケシュ & バス移動
2006.12.29のブログ参照 「モロッコ、砂漠に向けて! 」
この日に観光したのはアグノウ門(写真左下)、バイア宮殿(写真真ん中)。宮殿の内部は華やかで、建築様式がすばらしかった。
お昼に食べたモロッコ料理のタジン(写真右下)はおいしかった~。







サハラ砂漠に日が昇った。昼は暖かく、夜は冷える砂漠。太陽が昇った瞬間、少しずつ体が温まるのを感じた。太陽のありがたさを強く感じた時であった。
私たちが泊まったテントのあたりにはたった2家族しか住んでいなかった。前日の夜に、家族の住むテント(写真左下の真ん中に見える四角いテント)には大人4人に子供5人が住んでいた。こんな狭いテントに9人??とビックリした。テントの近くには羊やヤギなどの家畜、そして犬がいた。ちなみに私たちの泊まったテントは、奥に見える茶色の三角テント。下の写真真ん中の写真は、そこに住んでいた子供達。この子供達は学校には行かないんだと、そこに住むお父さんが教えてくれた。こんな砂漠の真ん中に住む生活なんて、想像できないや・・・。驚くことばかりだった。
この日はイスラム教の犠牲祭にあたる日。犠牲祭の日にはほとんどのお店がしまるそうだ。そして1家族1匹の家畜を犠牲にして神アッラーに捧げる、という儀式を行う。この砂漠に住む人も、その儀式を行っていたので一緒に見せてもらった。動物を殺す様を普段見ない私には、痛々しく感じられた。





