
サハラ砂漠の中のブラック砂漠で初日の出を見た。なんにもない大地にぽつんとある木を見つけた。そこに立って初日の出をぼんやり見つめていた。太陽が本当に美しかった。考えてみたら、ここまで来るまでにいろんな出来事があったなあ。旅を始めた当初はサハラ砂漠の中で初日の出を見られるなんて、考えてもいなかった。いろいろな方にお世話になりながらここまできた。なんだか見えない何かに導かれてここまで来れたような気すらした。無事に、そして楽しい思い出を作りながらここまでこれたことに感謝の気持ちで一杯になった。
朝ご飯を食べてからスハイラに別れをつげ、ブラック砂漠を後にした。3時間あまりのラクダの旅をへて、宿に戻った。宿に住むみんなに会えたとき、とても嬉しかった。みんなとはラクダツアーに参加するまでの半日しか話したことないのに、私にはもう大切な仲間になっていた。ただいま~!!
2007年1月2日 KHAMLIA ~自転車遠足、そしてギナワ音楽との出会い~
朝になると女性達がパンを焼き始める。このパンはモロッコではどんな料理にも必ず、といっていいほどついてくる。やっぱり焼きたては美味しかった!!!

この日はラクダ引きのヨセフと宿で出会った日本人と一緒に自転車遠足。自転車は近くのお店でレンタルした。
ヨセフのおかげで、近道をしながらいろんな景色を見ることができた。まず行ったのは湖。ここでフラミンゴを見ることができるらしいのだが、この日はダメだった。他の湖に行ってしまったらしい。

次に行ったのはハミリア(KHAMLIA)という黒人さんの村。とりわけ何もない村に見えたけど・・・ありました!!ギナワ音楽が♪手に金属の楽器を持ってカチャカチャ言わせながら、踊って歌う。その歌は今までに聴いたことのないものだった。力強く、魂がこもってた。最後の一曲はみんな座っての演奏だった。なんとも言えないやさしいメロディーに美しい声。故郷を思わせるような、ずっと聴いていたいような、そんな音楽だった。



お土産を売っているところにこの村KHAMLIAのことが書かれた掲示板があった。英語を話せる現地人に訳してもらったところ・・・
KHAMLIAに住んでいる人 250人
ここに住んでいる家族 37世帯
女性 62人
子供 84人
女の子で学校行っていない人 35人
この村では、女の子で学校に行けるのはまれ、だそうだ。
ちょっぴり淋しくなった。みんな学校に行けるようになるといいな、心の底からそう思った。
2007年1月3日
メルズーガ
~バイクで砂漠一周~
6年間バイクで世界一周旅行を続けている、という人のバイクの後ろに乗せてもらい、赤砂漠の周りを一周した。生まれて初めてのバイクだった。初バイクにして砂漠とは!途中、砂漠にタイヤが埋まって走りにくかったりもしたが、すごい楽しかった。バイクってこんなに面白いのね~。



上の真ん中の写真だが、砂漠の向こうに岩が見えるだろうか?これがアルジェリアとモロッコの国境なのだ。まるで作ったのか、と思わせるようなきれいな岩だった。
砂漠一周から帰って来た時には満月が見えた(上の写真右)。
2007年1月4日
移動日
~メルズーガからザゴラへ~
9日にメルズーガを通過するパリ・ダカールを見ることに決めたのだが、それまで暇なのでもう一度マラケシュに行くことにした。今回の一番の目的はマラケシュではなく、アトラス越え。バスでアトラス山脈を超えてみたかった。そして今回は現地でできた日本人友達と一緒に旅行♪
この日は移動だけで終わってしまった。しかもアトラス越えはまだ。次の日のお楽しみ!下の写真はザゴラの宿から撮った景色。夕日が沈む時の空の色がとてもきれいだった。

2007年1月5日
移動日
~待ちに待ったアトラス越え~
この日はザゴラからワルザザード経由でマラケシュへ。ザゴラからワルザザードへ行く途中にバスが故障。ぼろいバスだったから故障してもおかしくあるまい。40分近くバスは停車し、修理に入った。ドライバーのおじちゃん、道行く車を止め、修理道具をゲットすると、車の下に入って修理しだした。見事おんぼろバスを直したからすごい。下の写真はザゴラ~ワルザザード間にバスの窓から見えた景色。



不思議な形をした山々が連なっていた。肝心のアトラス越え(ワルザザード~マラケシュ間)の時には日が暮れてしまい、窓から景色をみることができなかった。それにしてもこの間のバス移動は大変。揺れるし、山の間を縫うようにして進むので、酔ってしまうのだ。隣に座っていた友人はひたすら寝ていた。
メルズーガに戻る際にアトラス越えを再度したので、アトラス越えの写真は1月7日の旅日記を見て欲しい。
2007年1月6日
マラケシュ
~再び大都会へ~
朝、フナ広場を一人でぷらぷらしていると、一人の日本人女性を見つけた。大きな荷物を背負い、まさにバックパッカーという身なりだった。
「こんにちは~」
なんとなく声をかけたら
「あ~!こんにちは。日本人ですか~?嬉しいわあ。モロッコに来て日本人にめっきり会わなくて、日本語が恋しかったんですよ。もし時間があれば、お茶でもどうです?」
ってな具合で、近くのお店に入った。お店の中を見ると、モロッコ人が皆同じ物をおいしそうに食べているではないか。なんだこれは?
モロッコ人に「これは何か?」と尋ねたが、アラビア語なのでさっぱりわからない。すでに朝ご飯をすませていた私はお腹いっぱいだったのだが、好奇心の強い私は注文せずにはいられなかった。味は豆をすりつぶしたスープで、まずくはないが、おいしくもない、という感じ。豆の他に何が入っているのかわからないが、独特な味がした。
日本人の彼女と1時間くらい話しただろうか。彼女も旅が大好きで、今まで行った国の中では中国が思い出に残っていると話し、中国のトイレ事情について語り出した。そこから発展して、現地で出会った日本人との恋愛話、日本で待っているアメリカ人の彼氏の話。。。彼女の話は途切れなかった。初めて会ったばかりなのに、恋愛話で盛り上がるとは・・・(笑)これだから一人旅はおもしろい。日本では会えないような人と会い、いろんな話が聞けるから。そんなとき、人生いろいろだなあ~って感じる。
これからカサブランカへ行き、日本へ帰るという彼女をバス停まで送ってあげた。ひょんな短い出会いだったけど、おもしろい一時であった。彼女は
「実はカサブランカで一泊したときに、モロッコ人の警察官とちょっぴり恋に落ちちゃったの。これからカサブランカに戻ったら彼に会う予定なんだ^^」
とバス停で話してくれた。そして、また世界のどこかで会えることを願って
「またね~」
と手を振って別れた。私の旅が充実しているように、彼女もまた旅をエンジョイしているようで、それが嬉しかった。
田舎のメルズーガにはこれといって刺激的な物は何もなかったので、再び訪れた大都会のマラケシュは魅力的で、とてもワクワクした。前回フェズからマラケシュに入った時は
「人が多すぎ。フェズのような少しのんびりしたところの方が私には合ってる」
なんて思ったものだけれども、何もない田舎からマラケシュに入った私は
「やっぱり都会(マラケシュ)は良い!!おいしいものはあるし、欲しい物は何でも手に入るし」
と、前回よりマラケシュが好きになっていた。
何が言いたいか、というと人間は無い物を求めるんだなあ、ってこと。
その証拠に2日後、マラケシュを満足しつくした私は再びメルズーガが恋しくなっていた。
「人の優しい、そして仲間たちのいるメルズーガに帰りたい。メルズーガでゆったりしたい。ゆっくりいろんな人と話をしたい・・・」
何とも我が儘な私だ(笑)
マラケシュで一番良かったところ、それは夜のフナ広場。夜になるとずらーっと屋台が並ぶ。チャルメラのようなモロッコ独特の音楽がなり響き、太鼓の音もまた違うところから聞こえる。そしてすごい人の数!この活気づいた夜が私は好きだった。もちろん、おいしい物も一杯食べられるしね♪


この屋台でいろんなものをお腹が一杯になるまで食べた。最後にチャレンジしたのがエスカルゴ。そう、かたつむり・・・。エスカルゴは現地の人には人気があるらしく、何件かエスカルゴの屋台が出ていた。このエスカルゴ、楊枝で中身を出して食べるのだが、味は・・・正直、おいしくなかった。スープの味も・・・。とても口では表現できない味だった。私には合わなかったが、モロッコ人はおいしそうに食べていた。
口直しに飲んだグレープジュースは、絞り立て!これは美味しかった。


2007年1月7日
アイト・ベン・ハッドゥ
アトラス山脈越え、そして世界文化遺産
朝9:30発の民営バスに乗り、マラケシュを後にした。前日に買ったお土産を手にし、再びメルズーガに向かうことがとても嬉しかった。メルズーガの仲間達に買ったお土産はチョコレートだったり、カップラーメンだったりと、たいしたものではなかったのだが、メルズーガではたいした物だったのだ。メルズーガにもチョコレートは売っていたけれども、シンプルで洒落たものなどなかった。味も日本人の私からすればイマイチ・・・というものが多かった。マラケシュで買ったチョコレートは美味しかった!
「やっぱ都会のチョコレートは味が違うよね~」
と言いながらみんなで食べたチョコレート(笑)。今となっては良い思い出だ。
話が反れてしまった。元に戻そう。
念願のアトラス山脈越えの景色をバスの窓から眺めた。山脈のてっぺんには雪が積もっており、それがとても美しかった。景色の美しさに酔いしれたいところではあったのだが、これまたバス酔い。日があたり、バスの中に熱がこもりはじめていた。そんな中、上下左右に揺れながらの山越え。こりゃたまらんなぁ~。例のごとく隣に座っている友人は外の景色どころではなく、ひたすら寝ていた。今はまだ冬だからいいけど、夏に来たら大変だろうなあ。
それにしてもよくこんな所に道を作ったなあ。



バスは午後2:00にアイト・ベン・ハッドゥへ向かう道の入口に到着した。そこからグラン・タクシーをフランス人のおばあさんと相乗りして世界遺産に登録されているアイト・ベン・ハッドゥへ。ここアイト・ベン・ハッドゥは地球の歩き方によると“日干しレンガ造りの古い「クサル(要塞化された村)」のひとつ。現在ここに住んでいるのはベルベル人5~6家族だけ。土造りの家々はかなり傷みが進んでいて、かつての移住者たちは、ほとんどが小川の対岸に作られた新しい村のほうに移り住んでいる”とのことだ。アイト・ベン・ハッドゥを外から眺めるだけでもすばらしいが、アイト・ベン・ハッドゥの頂上から眺めた景色はもっと素晴らしかった。


上の真ん中の写真はアイト・ベン・ハッドゥの中にあるおみやげ屋さんが並ぶ通り。そこでロバに乗った少女とすれ違った。
下の写真はアイト・ベン・ハッドゥの頂上から撮った写真。広大な大自然の大地が美しかった。正直、ここまで感動するとは自分では予想もしていなかった。ここで日が沈むまで時をのんびり過ごした。


アイト・ベン・ハッドゥに泊まる観光客は少ないようで、この日の夜はレストランを貸し切り状態だった。2人の陽気なモロッコ人が話しかけてきて、いろんなことを話した。中でも印象に残ったことは。
モロッコ人A:モロッコ人Bはねえ、日本人のお嫁さんが欲しいんだよ。
モロッコ人B:日本人女性はいいよね。かわいいし。
モロッコ人A:ねえねえ、モロッコ好き?
私 :好きだよ。モロッコ好き?
モロッコ人A:う~ん、好きじゃないよ。政治がよくない。お金全然たまらないし。
外(モロッコ国外)に出たい、って思ってるモロッコ人はたくさんいるよ。
モロッコでもカサブランカとか大都市に住めたら違うだろうけどね。ここはダメだよ。
でも僕は1ヶ月後にスペインに行くんだ。スペイン人と結婚するんだよ。
私 :そうなんだ~。おめでとう!それは楽しみだね。
モロッコ人A:そうさあ!楽しみで仕方がないよ。
私 :でもさ、ここ(モロッコ)良いところだと思うけどなあ。自然も美しいし。
モロッコ人B:そりゃあ、たまにだったらいいよ。僕だって好きさぁ。でも住むとなったらね。
モロッコ人A:うん、うん。生活するのは大変だよ。
このレストランによく日本人の団体の昼食の予約が入るんだよ。
日本人の客が入るとおいしいよ。だって一人70DH(980円)は払ってくれるんだもん。
なんだか淋しくなった。自分の国が好きじゃない人もいるんだな、ってことが。こうやってツアー客相手に仕事をしていると、お客さんを通じて外の生活、外の世界を知ってしまい、そして今よりももっともっと便利な生活に憧れるんだろうなあ。確かにモロッコではお金を貯めて豊かに暮らす、というのは難しいかもしれない。メルズーガに住む人に聞いたことがある。メルズーガで工事が行われる時には抽選で日雇いの人が選ばれるらしい。そして一日働いてもらえる額は50DH(700円)。50DHと言ったら私の宿一泊代の値段ではないか。汗水流して働いた一日のお給料がたった50DHとは・・・。私たち日本人の生活はなんて豊かなんだろう。そう思わずにはいられなかった。
2007年1月8日
移動日
ただいま~!再びメルズーガへ

この太鼓が2つくっついているものがタムタム。
他にもアフリカンの太鼓などもある。それらの太鼓の融合は何とも言えずスバラシイ!