陽だまりブログ  

陽だまりブログ  

9回目の流産



8回目の流産の時、お腹の子の染色体の検査をした。
染色体に異常は無く、男の子だったと聞かされた。
あの子は、生きて私のお腹の中で、ちゃんと存在していたんだ・・・
あの子の命のぬくもりさえ感じられる様だった。
もう、いないのだと思うと、
辛さ、悲しさが倍増し、現実に押し潰されそうだった。
でも、この人(主治医)の前では絶対に泣かないと思った。
あんなに助けて欲しいと頼んだのに・・・
泣いてしまうと、負ける様な気になっていた。

主治医は、次回は、もう少し詳しく調べてみると言った。
「当たり前だろ!!」私は怒鳴りたかった。

妊娠反応が出て、再度、大学病院で管理入院となった。
今度は、ちゃんと見てくれるだろう。
前回、あの子を犠牲にしたのだから、きちんと見てくれる。
次は、ちゃんと見ると約束もしたし・・・そう思っていた。
そうでないと、あの子の命が無駄になってしまう・・・

タイノウを確認し、6週で心拍も順調に確認出来た。
問題は今の所無かった。
しかし、これからが難関の時期だ。私も気を引き締めた。

そんな矢先、主治医に個室に呼ばれた。
「急を要する患者を入院受け入れしないといけず、
 ベットが満床の為、今、退院させて問題の無い人という事で、
 はなももさんを退院させる事になった。」と言うのだ。
私は、耳を疑った。
今回は、ちゃんと見ると言った約束はどうなったのか?
前回、あの子の命を犠牲にしてまで、流産の経緯を確かめたではないか・・・
私は、これからが危ないと言う事を知っているではないか・・・
どうなっているの??どうして私なの??
当時、私は、4人部屋にいた。退院したがっている人は沢山いたし、
外泊で、ベットを開けっ放しにしている人もいるのに、
どうして私なの・・・

断る事は、出来なかった。
その話を聞いた直後に、退院の手続きが始まり、
私は、すがる様に主治医に、どうにかして欲しいと言った。
主治医は、家に帰るのが不安なら、
紹介を受けたKクリニックに一時入院しておき、
ベットが開き次第、呼び戻すと言った。
その言葉を信じ、大学病院を退院した足で、Kクリニックに入院した。

Kクリニックには、大学病院の主治医から8回目の流産の経緯が報告されていた。
大学病院では、今回の入院も問題が無いと言う事で、
治療と称するものは、何もして貰っていなかった。
Kクリニックに着くと、院長から、
「大学病院では、何もして貰っていなかったんだね・・・
 そのままだと、またダメになるのを待つだけだから、
 ヘパリンが効くかどうか解らないけど、使って見ようか。」と言われた。
私も、同じ様に考えていたので、一も二も無く賛成した。
良かった・・・今度は本当に大丈夫かも・・・安堵した。

大学病院の主治医に、検査結果「原因不明」となった時に、
治療方法は無いと言われ、
私は、ネットで色々調べ、現在の不育症の治療には、
ヘパリン、夫リンパ球の移植が治療としてされている事を調べた。
何もしない訳にはいかない、どうにかして貰わなければと思っていた。
ヘパリンを使ってくれないか、夫リンパ球の移植はして貰えないのかと、
主治医に頼んだが、どちらの治療方法も私の検査結果では対象ではないと、
強く却下されたいた。

Kクリニックで、入院と共に、
24時間の持続点滴で、ヘパリンを落とす事となった。
私の血管は、細く、探しにくい上に真っ直ぐなのがなかなか無く、
点滴の針を入れるのに、看護士は苦労していた。
私は、何度も針を刺され、間違うたびに痛い思いを余儀なくされたが、
この点滴をやればきっと大丈夫!痛い事さえ嬉しかった。

毎日の様にエコーで、お腹の子と対面し、
あ~今日も生きていてくれた・・・と安堵する日々だった。
そんな中、今までの下腹部痛が無い事に気づいた。
お腹も痛く無いし、きっと、今度は大丈夫!
私は、この下腹部痛に何か意味があると考えていた。

順調に大きくなっていた。標準より大きく心拍もしっかりしていた。
夫も毎日病院に来てくれ、今回は大丈夫そうだと思っていた。

14週になった。順調だった。
Kクリニックは、当時3Dのエコーを使用していて、
それで我が子を見ようと、地域でも人気のクリニックであった。
私も、日に日に大きくなる我が子をそのエコーで確認していた。
エコーの画面に正面を向いて、手を振る姿が映し出された。
動いているのを見たのは、初めてだった。
嬉しかった・・・あ~~生きている。手を振っている・・涙が溢れた。
その夜、夫が病室に来た時に、そのエコーの映像を見せた。
夫も涙ぐみ喜んでいた。
3Dのエコーでは、手を振る姿だけではなく、
映像を良く見ると、顔さえもぼんやりであるが見えていた。
ここまで来たら大丈夫だろうと思っていた。

その日、夫と、近くのショッピングセンターへ行き、
妊婦用の下着とスカートを買った。
やっと、こういう日が来たのだと嬉しかった。
夫も嬉しそうに、買い物かごを持ってくれた。
買い物を終え、病室に戻った夜、下腹部痛があった。

翌日のエコーで、心拍が停止していた。
訳が、分からなかった。
昨日は、あんなに元気で、手を振る姿を見せてくれたではないか・・・
心拍も異常なかったし、所見は全て順調だったのに・・・
エコーを眺めながら、院長も言葉を失っていた。
泣く事も忘れていた・・・

夫に電話をした。夫も言葉を失った。
仕事中であったにも係わらず、夫は直ぐに来てくれた。
夫の顔を見たら、止め処も無い涙が溢れてきた。夫も泣いていた。

ベットが開いたら呼び戻すと言った大学病院からの連絡は、
Kクリニックに入院中、一度も無かった。
Kクリニックの院長から、大学病院の主治医にダメになったと連絡が行き、
染色体の検査をした方がいい為、手術は、大学病院でする事となった。
しかし、ベットが空かないと言う事で、1週間も待たされた挙句、
Kクリニックで、手術をし、胎盤の一部を検査用に保存して貰い、
それを、私が大学病院に持って行く事となった。
術後の麻酔がまだ完全に切れない朦朧とした状態で、
私は、我が子の一部をバックに入れ大学病院へ行った。

ヘパリンを落として貰い、ここまで大きくなったのに・・・と主治医に言った。
ヘパリンを使う事を否定した主治医に対するあてつけでもあった。
しかし、主治医は、
「ヘパリンは効かないと、あんなに言ったのに聞かなかったのか?!
 貴方には、100%ヘパリンは効きません!
 言う事を聞かないからこういう結果になったのだ。」
と言われた。
しかし、何もしないままダメにさせられるより、まだましだと心で思ったが、
結果、こうなった事に対しては何も言えなかった。
ヘパリンは、やはり私には効かないんだ・・・
それならもう、こんな思いはこれで終わりにしよう・・・

3Dエコーで、手を振っていた我が子の映像が頭から離れなかった。
毎日、その映像を思い出し涙した。
あの時振っていた手は、さ・よ・な・ら・・・だったのか・・・
考えれば考えるほど、不憫でならなかった。
この子が、鼓動を止めた時、私は何をしていたのだろう。
どうして気づいてあげられなかったのだろう・・・
自分を責める事しか出来なかった。
誰のせいでもないと、何度言われ、頭で理解していても、
自分を責める事しか出来なかった。


© Rakuten Group, Inc.
X

Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: