救急車で運ばれるっ!


作業を早退して、アコモデーションに帰ることに。
薬を飲むも効かず、叫びながらのたうちまわる私を見て
まわりは「盲腸に違いない」と思ったらしい。

真ん中で眠る私を囲み、そこには人の波が。
苦しむ私の手を握ってくれるアメリカ人や、
汗を拭いてくれるドイツ人、
歌を歌ってくれるプロのボーカルのスイス人など、
とてもグローバルな図がそこには出来上がっていた。

ドイツ人の医者の卵の女の子が
「この薬は万能薬だから、とにかく飲んで!」
と薬をくれ、
「ドイツの薬って効きそう・・・」
と思った私は薬をちゃんぽんし、
その結果、吐き気にまで見舞われる結果に。
意識を失い、気がつくとそこには救急隊員が。

ビニール手袋で手首をぎゅっと締められ、採血が行われた。
しかし、ビニール手袋で止血ができるわけもなく、激痛が私を襲う。
しかも、隊員失敗。
私の手の甲には、無残にも開けられた無数の穴。
泣き叫ぶ私の横で、再び唄を奏でるスイス人。
検査のため、と嫌がる私を乗せ
救急車はエリコ病院へ。

と、そのエリコ病院は、日本のODAで建てられたもので、
建物も設備もたいしたもの。
現地の人には「Japanese Hospital」と呼ばれているらしい。
キャンプの前に訪れた、ヒブロンという地でもよく、ODAという文字を見る事ができた。
その他エリコ内にも、日本のODAで建てられた道路や建物があり、
日本のODAというものになじみがなかった私は、日本ってすごい、と心から感心した。

日本ではODA批判ばかり聞いていたので、ODAに関して良いイメージはなかった。
「お金だけ出していても」
と批判されているけれど、だからどうしたっ!!!
お金さえ満足に出さないで他国を攻撃し、人々を困らせている国に比べて
どれだけ貢献してると思ってるんだ!!
お金を出すのも、立派な国際協力だということを目の当たりにした。

実際に日本のODAは現地の人々の役に立っており、
「国際社会に忘れさられているのではないか」と
感じているパレスチナ人にとって
「日本が応援してくれている」という励ましにもなっている。
ODAの批判ばかりがなされている中で
もちろん、無駄はなくしていくべきであるが、
もっと「ある部分」を見てもいいのでは?

少なくとも、私の見た中で、日本のODAは国際貢献を果たしていたし、
実際に現地の人々にも喜ばれていた。
そして、病院に関しては、私も心から喜んだ・・・。

病院では、「栄養足りてるんで!!!」と主張したにも関わらず
「You should」と計4箇所も注射され。
日本のODAには非常にお世話になりました。

初めて、日本政府に感謝をしたかも・・・。


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