ゆかママンのハッピーな毎日

ゆかママンのハッピーな毎日

突然の悲しみ



まだまだ気持ちも不安定ではあるけれど、せっかくお腹に宿ってくれた命のことを

せめて記録に残したいと思い、少しずつ書いています。


心拍確認もでき、今までの不安から解放され、少しずつ周囲にも妊娠報告をしていた矢先だった。
3月23日 その日の検診で予定日が決まるはずだった。分娩予約をし、母子手帳をもらう予定だった。
病室のパソコンには、空欄の予定日を入力するだけになっている画面がうつっている。
うわぁ、いよいよだー とドキドキしていた私。まさかしゃー(赤ちゃん)の心拍が止まっていたなんて・・・。

稽留流産といって、胎児が死亡しても、子宮内に留まっている状態だった。
初めての妊娠で流産経験をした私、その時と違い出血や痛み等の自覚症状もなく
つわりもあるし、心拍だってちゃんと見えたのに。どうして?なんで?なんで?
淡々と告げられる事実を受け入れることもできず、でももうダメなんだと絶望だけが広がる。

病室を出れば待合室に大勢の妊婦さん。泣き顔をなるべく見せないよう、マスクとメガネで武装し
必死の思いで家まで帰り、到着と同時に張りつめた思いが爆発し、思い切り泣いた。

一体どうしてこんなことになっちゃったんだろう?何が起こったのだろう?何がいけなかったのだろう?
しゃーは2週間で、1週間分しか大きくなっていなかった。ということは1週間前に死んでしまったということなの?
ちょうどその頃、つわりがしんどくて実家で静養し、だいぶラクになり自宅に戻った頃だった。
それはつわりのピークが過ぎたのではなく、しゃーがさよならを言っていた証拠だったのだろうか?
そんな時に自分は母親なのに、つわりが軽くなってきてよかったと思うだけで何もしてあげられなかった。
誰にも気づかれず、一人でひっそりと死んでしまったしゃー。母親なのに気づいてあげられなかった。
今回はつわりが辛く、これは手ごわいベビーになりそうだ、ということからつけた胎児名「しゃー」。
でも実は最初から、いつもどこか不安な自分がいた。初診で胎芽が確認できなかった時からおかしいと感じていた。
もう確認できていい頃まで待って病院に行ったのだから不安はなおさらだった。
翔たんの時には考えもしなかった様々な不安がよぎった。稽留流産という言葉が引っかかって仕方がなかった。
今までちゃんと意味もわからなかったのに、調べれば調べるほど嫌な予感が広がってしまった。
心拍確認でき、ようやくその不安から解放されたと思ったのに、まさかこんなことになってしまうなんて・・・。

不安ばかりで、もっとしゃーの生命力を信じてあげてたらこんなことにならなかったのではないか。
つわりが軽くなった時点で、すぐに病院に行っていればこんなことにはならかったのではないか。
もっとしゃーに話しかけたり、沢山しゃーのことを考えてあげればこんなことにはならなかったのではないか。
ママがあまりに赤ちゃんを欲しいと思うあまり、まだ産まれる準備ができてないのに無理して来てくれたの?
だとしたら、ママのせいだね。せっかく来てくれたのに、何もしてあげられなかった・・・。


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