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呼吸器専門外来に行って来ました。 呼吸器科は内科と外科に分かれていて、「気胸」は、外科なんですって。(呼吸器「内」と「外」、どう違う?どこで線引き?) 吸って吐いて、2パターンのレントゲンを撮りましたよ。そうしたところ 「気胸の形は見えませんね。肋骨まで肺は膨らんでいます。症状は軽いですよ。でも、水がたまってますね。これは気胸のためなのかどうかはわかりません。少し経過をみましょう」と、ドクターは言うじゃありませんか。 ーーーえ、2,3日で元に戻る場合もあるんだ。これはけっこういけるんじゃない? 「吹奏楽部でホルンを吹いています。近々定期演奏会があるんですけど・・・」 「んん…、それはやっぱり許可できませんね。一週間は様子をみたいなー。何か違う形で参加を考えたらどうでしょう」 だって、やっぱり。 特に「安静に」、ということもなく「経過観察」で、ほっとしましたが、ホルンがだめなのは、かわりませんでした。 診察の後、終了式の学校にぶうと行ってみましたら、会う先生、会う先生、みな同じように「気胸?ああ、毎年1,2人出るんですよ。だいたい男子ですね。入院しなくてすんだんですか?それはよかったですねー」と言うんです。一ヶ月ほども入院した生徒さんもいたとか。 そうかー、「肺に穴が開く」なんて、もうぶうはどれだけついてないのさ、と思ったけど、けっこうあるケースなんですねー。 なんといっても何千人に一人の障害を持つぶう。百人に一人や二人に起きる「気胸」なんて、なんでもないさ。 で、顧問の先生は、「考えたんですけど、吹き真似で出ましょう。舞台に出るのは、別に大丈夫なんでしょ?それなら、出ましょう」と言ってくださいました。 一部、マーチングドリルはパーカッションを担当するので、それはまったく差し障りなく参加。ほかは楽器を抱えて演奏してる振りでいくことにしました。 周りは厳しく練習した結果を力いっぱい表現するのに、ぶうはスカスカとホルンをかかえて指を押さえるだけ・・・。許されるのかなと思ったら、部員さんたちはぶうの「参加できないかも」というニュースにびっくりして、先生に「どうなりますか?何とか参加させて」と随分心配してくれてたそうです。本当にありがたいのだわー。 でも、やっぱりぶうの体は本調子でなく、「日常生活は差し障りない」と言われながらも、「胸が重い」のだそうで、朝、起きられません。朝7時半集合・・・無理無理。はあ、定期演奏会直前、急ブレーキなのにはかわりません。 気胸と診断されてから、授業、終了式、部活、定演、あと何日でもないし、車で送迎することにしました。最初のドクターから「肺が傷ついてるんだから、風邪は絶対だめですよ」と言われたので、怖いし。 年末に来て、クリスマスどころでなく、よたよたの生活になってしまいました・・・。
2009年12月25日
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なんで! あんなに一生懸命やってきたのに、定期演奏会は出られないかも。 仕上げの練習中、突然目の前が真っ暗になって、一瞬気が遠くなったそうです。息苦しくなって、曲の途中で「すみません」とリタイア。 周りも、自分も、ずっと一日練習していたから「酸欠かも」と思ったそうです。「顔が青い」と仲間に言われ、鈍く胸が痛んだと言うのです。 先生は、「肋骨痛めたかもしれない」と思ったとか。 帰りは、同じ線を使う部員はみな、ぶうに付き添ってくれました。帰ってきたぶうを見て、その顔色の白さにちょっとびっくり。 でも、ぶうはしょっちゅう「肩が痛い、背中が痛い、脇腹が痛い」と訴えて、湿布を貼っています。病院に連れて行っても、いつも「レントゲンには何も出ないね」と言われるのです。 今回もそんなところじゃろう、どうするか、整形に行くか、様子を見るか・・・迷って、まあ大きな湿布でももらってこようと、行ってみましたら、レントゲンの結果を診て、ドクターが 「肺だね。原因は肺」 エーーーー!!!! 「肺」って何? 肺って、空気すう器官のこと? ぶうも、私も声も出ずぼーっとしてますと、 「気胸というやつ。聞いたことない? 肺に穴があくの」 「き・きょ・う・・・」(知り合いがなったことがあって、肺に穴があいて肺がしぼんじゃう、痩せた男子に多い、ことくらいは知ってました) 健康な人の肺と、ぶうの肺のレントゲンを見せて、説明してくれました。 「健康な肺は、きれいに肋骨にそって膨らんでます。ぶうくんの肺は、ほら、こんなに肋骨から離れてるでしょ。隙間があるでしょ。これが気胸です。整形ではすべきことは何もないです。急いで呼吸器科の病院に行きなさい。この子は側彎の手術をしてるでしょ。あそこがいいでしょう。小児医療センター?だめです。あそこには『呼吸器専門外来』はないですからね」 「この子は、吹奏でホルンを一生懸命やってて、もうすぐ定期演奏会なんです」と私。 「2,3日で治りますか?」とぶう。 「吹奏やってる人は、肋骨疲労骨折もあるんだよ。今回の気胸は、たぶん一週間はかかると思う。他のことはできると思うけど、ホルンはだめ。それははっきりしてるよ」 ぶうも私も、声も出ず。ドクターは、男子は気胸はけっこういるのだ、ついこの間もいた、と慰めのように話すけど、「ホルンは無理」。 なんでー。 「心配してるおとうに電話してくる」と言いながら外に出て、私は泣いてしまった。なんであんなに一生懸命やって、結果がこれなの? ホルンパートは、部の中であんまり出来が良くなくて、朝練の始まる時間より前に集まって、練習をしてきたのに。中学の時は、パーカッションだったので、管楽器がうらやましくて、高校でホルンになったとき、本当にうれしかったと、ぶうは言ってたんです。 つくづく、ついてないやつ。 とにかく、呼吸器外来に行かなければ!
2009年12月23日
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わーい、ダイコンができました!! 9月25日に植えた大根、2ヶ月半です。小振りですが、十分「ダイコン」です。 大根は、何度も失敗を重ねて、初めての収穫です。 やっぱり適期に種蒔く、これが一番。それと草を抜く、虫を見てやる、間引きかな・・・・。 十分面倒みたわけではないのですが、間引きは4回くらいしましたね。 自分で種蒔いて育てたので、かわいさひとしお。さっそくおでんで食べました。 とろとろ。おいしい!! でも、これって水っぽいってことかなあ・・・。 全部で12~5本できる予定です。せりあがってきたのだけ抜いてみました。初めてに付きいつが収穫適期か、実はわからない・・けど、食べられる大きさになればいいのよね・・・。 この大根ができるあいだに、ぶうはインフルエンザになり、家をリフォームし、私はパートに出てクビになり。なかなか短期間にいろんなことがあった「大根」でした・・・。
2009年12月22日
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ぶうが参加している吹奏楽部の、定期演奏会のポスターができました。 これは、その写真の部分です。ひだりはじがぶう。 こういう時、「どこにいるかなー」と探さなくて良いのが、「車イス」のおいしいところですよ。必ず前に来ますから(^o^)。 日時は、12月も押し迫って、「誰も来ないだろうよ」と思われる時。 それでも、ぶうが聞いてきたところによると、新しい顧問の先生がなにしろ有名なので、中学の吹部が先生引率で来るとか、他高校の吹部全員で来るとか、けっこうにぎわうらしいです。 今年まで、吹奏楽部に「器楽」の特別推薦で入る生徒はいなかったけど、来年は今の3倍くらいの一年生が「吹奏楽部」推薦で入ってくるかもしれません。 (いろいろ入試の仕組みは変わるのですが、今のところうちの県の公立には、高校の求める特別な才能、スポーツとか成績とか、で入る推薦枠が募集人数の50%まで認められています。ぶうの高校は、進学高ではないので、スポーツなどの特技が有利です) そんなことなので、練習は冬に入ってますます厳しい! 定演準備の合間に、ショッピングモールにおよばれの「吹奏楽の仲間たちのクリスマスコンサート」なんてのもあって、大忙しです。 この写真は、「クリコン」当日、登校するため乗る電車を待つ駅です。 うっすら東の空に夜明けの気配。 学校には7時集合。登校途中で夜明けですね。 4時半に起きた時は、全くの「夜」。お星様キラキラでした。 眠いんだけど、気持ちは必死だし、楽しいらいです。 「クリコン」は、マーチする高校、熱唱(演歌だった!)入れる高校、ぶうたちも楽しいクリスマスソングメドレーなどで、拍手喝采、いただきました。 大変なんだけど、それがおもしろいのでしょう。けっしてうまくないどころか、すごく下手なのですが、「お前だよ」と言われることもなく、「一緒にがんばろう」で、参加してます。 もうすぐ、定期演奏会。ますます「がんば!」です。寒いけど。
2009年12月22日
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格差って、目の当たりにした。 今は、どこの職場も、派遣とパートばかりで、「社員」って本当に少ないとは聞いていたけど。 一ヶ月だけ覗いた会社も、社員は、有名大学出身者がずらり。開発部門も海外との交渉部門もある。だけど、その製品製作工程、発送工程は、全部パート。 小さな会社で、小さなオーダーに対応するため、最後の出荷は、「人力」頼み。女性も男性も待遇は同じ。男性は、定年後の人が多いけど、倒産、リストラ、大学出て職がなかった、等々20~50代まで、働き盛りもけっこういるのに驚き。女性は、離婚組も。 ベテランさんは、けっこう責任持たされるんです。リーダーも決められてるし。こういうところが、すべてパート身分で押さえてるってことは、本当に高卒やハンディーのある人たちには、正社員はまわってこないと思いましたね。 工場部門にも社員はいるけど、どうも「使い物にならん」と「降りてきた」人たちらしくて、それこそ国立大学院卒とか混じっている。あいつから「パート以下だ。身分をパートにするぞ」などと怒られてるおじさんは、胸が痛い、けど、その人が今度はパートに意地悪したりするので、なんとも複雑。 労働組合があるから、身分は保障されてるそうだけど、つらい勤めじゃのー。(おとうに「『君の働きは、パート以下だ。迷惑だ』って言われてない? 」と思わず聞いたら、「そこまでのことはない」と言うので、ひと安心。でも、このくらいのことは、どこでも言われてるのかなあ) 一部のエリートと働きアリの図。なるほどね。 パートの時給で、しゃかりき残業して働いても月15、6万円。家族は養えないよ。大黒柱組は、早く正社員の口、見つけたいだろうな。本当にはたながら、「いいとこあるといいね」と祈ってしまう。 そんなだってなんだって私は、割り切って続けたかったんだけど、「迷惑」で、ああ残念。むこうは、「扶養の範囲内」のパートは切っていく方針、というのもあったし、この会社、分かってみれば合併したばかりで すったもんだの最中。パートの条件なんて、あいつの気まぐれでころころ変わる。 年に150万円以上じゃないと、扶養から外れた意味がないそう。でも、今忙しいから7時8時まで仕事して欲しいと言うけど、暇になったら3時間で帰って、と平気で言うのだそうだ。1才のベビーを預けて働く若いママが、「がんばる」と外したら(健康保険等は入れてくれる)、「彼女は、もうどんなに遅くなっても文句は言わないぞ」と社員に伝えたというのだから、この先どうなるのやらだ。 自分の力とか、努力じゃどうにもならないこと、たくさんあるさ。みんなつらいぞ。 だけど、そんなだってこんなだって生きていくのさー。
2009年12月17日
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ぱっさりクビを切られたワタクシですが、結局同時期4人続けられなかったのだと分かりました。30代の女性と50才の男性です。 男性は、リストラで失職。長男の結婚が決まったとかで、パートとはいえなんとか収入の道ができてとても喜んでいる、と聞いていた人でした。面接の後、目に涙が溜まっていたそうです。次の日には、もう来なかったそうです。 女性の一人は、かなり生活が大変なのでは、と感じられてしまう人でした。子供さんを保育所に預けて来る、というのですが、彼女は朝食を食べてないようでした。お昼も小さなおむすび一個か、カップラーメンです。痩せて顔色がさえない彼女を心配して、世話好きおばさん達は、「ここのお弁当は300円なんだから、オーダーしなさい」と言ったくらいです。朝、駐車場に車を止めてエンジンかけたまま寝てたこともありました。気を失ったように寝てるので、体に変調があったのでは、とびっくりしましたが、「つい寝てしまっただけ」と言います。 面接のあった日、「仕事は続けられませんでした。泣いてしまって、もう職場に戻らないで、このまま帰るように言われたので、お礼も言えません。いろいろお世話になりました。ありがとうございました」と、メモがパートのリーダーさんのところに入っていたので、かなりひどいことを言われたのだろうと想像されます。 もう一人の女性も、そのまま姿を消しました。職場には理由も告げず挨拶もなかったそうです。 あらら、「迷惑」と言われながら、契約の日までずうずうしく働いたのは、私だけ!でした。 なぜかというと、一緒に働いた「できる」パートのAさんは、仕事の注意ははっきりバシバシしたけど、一度たりとも「迷惑」という態度はとりませんでした。Aさんは「大丈夫。できてる」と言ってくれたくらいです。「あなたを入れて、Aさんにもっと仕事を任せたかった」とあいつが言ったとおり、ものすごく仕事が増えました。Aさんが言うには、後のものは、あいつの「ひらめき、きまぐれ」で、「上に良いかっこしたいだけのものだ」、と言いました。ここで、私が急に姿を消したら、Aさんにそれこそ、よけいな仕事が降りかかることが目に見えていました。ぎりぎりまで、支えてあげたかったんです。 私に仕事が遅い、遅いと言って、あいつが「このくらいは常識でしょ」と示す量は、私が現役OLでも無理、「できる」Aさんにも無理と思えました。でも、ぎりぎりまで、脇目もふらず、頭も上げず、やりましたよ。 結局、一部の仕事は、ある部署に引き継がれたのですが、「あの人達は、これから『女性のパートさえできた仕事を、お前達はできない、遅い!』って叱られるのでしょうかね」「知らないわ。社員さん達のことを心配する余裕はないの」「ごもっとも」でした。 私も、もっと若かったら、泣いてその場で帰っていたでしょう。でも、自分の強い者の立場で、ばっさり他を切り捨てる、切り捨てられるって、初めてじゃないし。 面接の時は、あいつはものすごく愛想が良かったです。その態度が、去年、私がのたうち回って苦しんだ、ぶうの中学の教師の物言いにそっくりでした。いやな予感は的中。 態度が豹変。『自分はここまでできる、こんなことは当たり前だ。○○さんも□□さんも、できるじゃないか。できないのは、本人の努力が足りないだけだ』という強い者の理論です。これが身に染みついている人が結構いるんです。 ぶうやその友達を「クズ、将来への道はない」などと言った中学教師とあいつの共通点。有名国立大学卒。あいつは大学院まで出てるんだとさ。 クビの理由の一つに、「勝手に早く帰る」がありました。Aさんが「いいよいいよ、行ってあげて」と言ってくれることをいいことに、雨の日、ぶいうを高校まで迎えてに行ったり、早帰りに合わせて帰ったりしてしまいました。事情は、Aさんには伝えましたが、あいつに言うわけにはいきませんし、言ったらもっと早くクビになっていたかもしれません。(早退は、あいつに届ける必要はありません。規定は守りましたよ) 社員の間で、会社の取引先の人の家族が長く入院してるということが、話題になったことがありました。聞こえてきたんです 。あいつの「そういう人って、悪いことをしたからそうなたんだよ」という無邪気な声が。 まわりの人は、二の句が継げず、会話は解散でした。こんな人に、ぶうのことを言うわけにはいきません。 人はいろいろ、あるですよ。スポーツも勉強も仕事もがつがつ行ける人もいるでしょう。でこぼこしてる人も、のんびりの人も、あんまりうまくやれない人もいるですよ。お金をもらう「仕事」なんだから、『能力』をきっちり出さないといけない、そうですけどね。 自分ができることは、全員できなきゃ困る、これは大変ですね。周りもですけど、結局自分が大変になるようにも思います。だって誰も付いてこないから。 「理不尽」と感じても、「今に見てろ!」などと燃えることもなく、「ちぇー、呪われろ」と心の中で思いつつ薄ら笑いで引く手口は、おばさんの『場数』の差かな。どうしようもないことは、いっぱいあるあさ。 ま、くびになったおばさんの勝手な愚痴です。ちょっとのぞいた「今時会社事情」 ですね。
2009年12月16日
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パート、首になりました! あははー。 試用期間後の面談で、「退職届」をつきつけられました。 仕事が「遅い」「マイペース」で、迷惑という理由でした。 私はパートに採用された、なんて運が良いんだと、張り切って通いましたよ。もう必死で、言われたことを覚えて間違えないよう努力しましたよ。周りの空気の流れがものすごく早くて、わたしなりに走り回りました。どんな人にも、にっこり笑って元気に挨拶しました。 「試用期間一ヶ月」と契約書にあるのなんて、すっかり忘れていました。で、7日、呼び出されて職場を統括するリーダと面接。 「どうですか」 私「ぜひ、続けたいともいます」(超にっこり) 不機嫌にのけぞり「あなた、仕事が遅い! Aさん(仕事を教えてくれた女性)だってここに入って一年。ベテランというわけではないんですよ。でも、一ヶ月もたてば、今のように仕事してましたよ。あなたはどうですか。パソコンもろくに触れないじゃないですか。次の契約は6月までになります。これしか仕事のできないあなたをこれ以上、見てるわけにはいかない。違う職場もありますが、(組み立て加工のようなとこ)あなたのようにマイペースでは、ここも無理でしょう。迷惑です。それに、ここは、7時、8時までやっていただかないと。Aさんは、自分の仕事の後、加工も手伝うんですよ。あなたよりずっと遠くから通ってるのに。Aさんは、的確にすばやく仕事ができる。もっといろいろやってほしい。あなたを加えて、もっと仕事が任せられると思ったのに、それどころか仕事が停滞してるんですよ。あなたの遅い仕事のおかげで苦情がきてますよ。一人でできた量がどうして二人で減ってるんですか。Aさんは、特別ではないですよ。あなたも知ってるBさんはさらにもっとできる。Aさんは、それを目指して一生懸命努力してる。年齢だってあなたより上だ。6ヵ月後、あなたはAさん、Bさんのようになれますか。無理ですね。それで、あなたの選択肢は二つ。7時8時まで仕事がある加工部門か、退職かです」 「すぐ、今ここで決断するのでしょうか?」 「こういうことで、もめるのはごめんです。すぐ、遅くとも明日には書類を提出して下さい」 「Aさんに、相談します」 「それはやめてください。Aさんは、私に情で訴えてくるでしょう。Aさんは、大切にしたい働き手です。そういうことで、こちらと関係が悪くなるのはこまるんです」 「わかりました」 というわけで、こいつの顔は二度と見たくない、と仕方なく「退職届」を、次の日の早朝、パートさんがまだ来ない、社員だけの時間にこいつに提出。私としては、考えられる限りの慇懃さで「力不足で、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。契約は、10日ですので、10日までお手伝いさせていただきます」と言いましたよ。 そしたら、昨日悪魔の権化のような顔だったやつが、天使のような晴れやかな顔して「そうですか」と「退職届」を受け取りましたよ。 と、こんなことで、「くび」でした。 悪意むき出しで責められたのは、初めての体験でした。 あーあ、私としては、少ない脳みそかき集めて一生懸命やったんだけど。 それはショックで一晩眠れなかったです。 せめてもの慰めは、教えてくれたAさんが「こんなことになるなんて。すごくよくやってたよ、本当よ」と、泣いてくれたこと。 私は、Aさんには涙を少し見せたけど、ほかは一滴も涙をこぼさんかったぞ。 あっけなく終わった、パート大冒険の巻でした。あはは・・・。 すっかり主婦ボケしてたんだなー、と超反省です。
2009年12月13日
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なんとかおばさんパート、してますよー。 やはり、思ったとおりというか、昔のようにはいかないというか、いっぱい失敗はしてますが。コピーを2枚のところ20枚とってしまったり、パソコンをできる振りして入ったのに、実は、文字打ちしかできず、エクセルはまったく理解してないのがばれた!「ここ、半角入力って言いましたよね」なんてことも言われてるしー。 この間は、実績入力してあるエクセルの表を、どうも壊してしまったらしい・・・。自覚はゼロ。でも、最後に入力したのは確かにわたし。半分寝てたし・・・。 なんて状態さ。 でも、ずうずうしく行ってやる、おばさんだから。 パートでも、仕事にありついたのがうれしくて、会う人ごとに言っちゃうんだけど、昨日、近所に住む障害児ママの先輩が、「お祝いだよ」って、クッキー持ってきてくれました。「仕事してるって聞いて、ものすごくうれしくなったの。まったく別のところに身を置くのって、ちょっとうれしいでしょ」って。 随分前から、「なんか仕事ないかなー」と愚痴ってたの知ってるし、私がどうしてもぶうのことばかりになるのを気にしてくれていたんだと思うんです。 彼女は、障害児の権利を守る運動をしながら、看護士さんしてるんです。 涙が出るほどうれしかった!! だがしかし、今まで家にいた生活から、毎日家を空ける生活、まだ慣れません! 応援、ありがと、みなさん! いっぱい書きたいこと、たまってるんだけど、ちょっと今は時間がないわあぁ。も少し、時間がうまく使えたら、いっぱい書くでーす。
2009年12月06日
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