鈍感プレパラート



知果(三二)女性。大学助教。

陸斗(二四)男性。大学院生。





●荒野
   火星風景のごとき不毛の荒野。
   峨々たる岩山の斜面に一人の人影。
   半ば転がるように滑り降りる陸斗。
   衣服は汚れ破けてぼろぎれ状態。
   大地に倒れ伏し、暫く動けない。
   やがてよろよろと立ち上がって。
   未決囚の表情で歩き出す。
   陸斗を嘲笑うような紺青の空。

●大学・カフェテリア・昼
   学生や教員で賑わうお洒落空間。
   トレイを持って陸斗うろうろ。
   奥の二人席に知果の姿を見つける。
   陸斗の視界でその一隅だけが輝いて。
   近づいて声をかけようとする陸斗。
   その前に邪魔者が入る。
   二人連れの女子学生。
   テーブルの傍に立って知果に挨拶。
   そのまま長々と話し込む。
   離れた所でぽつねんと佇む陸斗。
   通る学生たちに邪魔がられながら。
   視線の先、面倒くさげに微笑む知果。

●荒野
   灼熱の太陽が追いかけてくる。
   重油色の汗を滴らせて進む陸斗。
   見えない鉄球を引きずるような歩み。
   血走った眼が何かを認めて見開く。
   揺らめくオアシスの遠景。
   土を蹴る足が俄かに力を増す。
   *****
   荒野の只中で跪く陸斗。
   眼前の地面には擂鉢状の窪み。
   今しも最後の水分が地中に吸われて。
   泉の名残は僅かに湿った土のみ。
   狂乱の形相で地面を掻き掘る陸斗。
   無情にも一滴の水も湧き出さない。
   泥と血に塗れた手で顔を覆う。
   枯死した樹木を吹き過ぎる熱風。

●大学・図書館・午後
   閲覧机に専門書を積み上げた知果。
   一秒一頁ペースで精確に繰り続ける。
   近くの本棚から視線を送る陸斗。
   決意して、足音を殺すように接近。
   向かいの椅子に座るも気づかれず。
   陸斗、顕微鏡写真集を捲り始める。
   目に入る色彩やパターンの洪水。
   しかし目の前の知果の姿には負けて。
   いつの間にか見つめてしまっている。
   知果は顔を上げようともしない。
   読書する女と窃視する男の静物画。

●荒野
   当てもなく歩を進める陸斗。
   節くれだった枝を杖がわりに。
   焦点の合わない瞳を横切る小さな影。
   目の前の地面で様子を窺う野兎。
   生気の無い陸斗に警戒を緩める。
   じりじりと地面を離れる杖。
   赤く燃える空に振り上げられて。
   *****
   座り込んで兎の皮を剥ぐ陸斗。
   石の剝片を不器用に操って。
   両手の間に現れる桃色の肉塊。
   血のついたままかぶりつこうとする。
   陸斗の手の中で崩れ落ちる兎肉。
   指から零れる灰を見つめる絶望の眼。
   前触れもなく翳る地面。
   力なく空を見上げる陸斗。
   赤黒い太陽を隠した奇妙な叢雲。
   蠢きながら急速に広がり始める。
   地上に投げられた投網のように。
   それは数万の肉蠅の群れ。
   陸斗にも容赦なく襲いかかる。
   杖を振り回して必死に応戦。
   それでも体表を覆いつくす蠅。
   陸斗、両手で蟲をむしり取って。
   そのまま夢中で口内に掻き込む。

●大学・小講義室・夕
   コンパの出欠を採る男性教授。
   パラパラと挙手する学生たち。
   余り気乗りしていなさそうな者。
   周りの様子を見て後出しする者。
   友達に巻き込まれる者。
   うやうやしくクーポンを献上する者。
   教壇の周りで教授を囲んで店選び。
   黙って立ち上がる知果。
   誰にも告げずに部屋から出て行く。
   陸斗のかけた声にも足を止めず。

●荒野
   薄暮の大地に遺跡のシルエット。
   稚拙な彫刻が施された岩柱の迷路。
   その中に囚われて迷い続ける陸斗。
   不規則に動いて、行く手を阻む柱。
   先ほどまでの道が次の瞬間には壁。
   陸斗、何度も撥ね返されて。
   ついには疲労と絶望で座り込む。
   それと同時に妨害を止める柱。
   地面についた手が何かを押し潰す。
   慌てて除けた手の下。
   風化しかけた男性のミイラ。
   よく見ると迷路のあちこちに屍や骨。

●大学・教員室・夜
   一箇所だけ点った灯り。
   デスクに俯せて眠る知果。
   散らばった実験結果のペーパー。
   投げ出された細縁の眼鏡。
   陸斗、知果の肩に毛布を掛ける。
   畳んで体から遠ざけられる眼鏡。
   空いた場所に置かれるエナドリ缶。
   少し未練げに知果の寝顔を見つめて。
   閉じるドア、去る陸斗。
   *****
   戻って来た陸斗。
   知果の姿は荷物と共に消えている。
   背もたれに無造作に掛けられた毛布。
   触れた形跡もないエナドリ缶。
   やけくそになって飲み干す陸斗。

●荒野
   重く垂れこめた夜の闇。
   微かに判別できる陸斗の輪郭。
   その姿が唐突に薄明に浮かび上がる。
   振り返る陸斗。
   山際が不自然に明るく輝いている。
   恐怖の面持ちで走り出す陸斗。
   山の向こうから光の尾を引く飛行体。
   無数の雨となって地に降り注ぐ。
   着弾を縫って駆ける半裸の陸斗。
   あちこちで爆発に巻き上がる砂礫。
   陸斗の上半身をじわじわと傷つける。
   それでも足を動かし続ける生存本能。
   殉教者のような、終わりなき疾走。

●大学・廊下・朝
   とぼとぼと歩む白衣姿の陸斗。
   爪先が赤い小片を蹴飛ばす。
   廊下の先まで点々と続く落とし物。
   カラフルなプラスチックの部品。
   陸斗、拾いながら進む。

●同・エレベーターホール・朝
   段ボール箱を抱えた白衣姿の知果。
   エレベーターが着いて乗り込む。
   扉が閉まる寸前、駆け込む陸斗。

●同・エレベーター・朝
   密室、二人きり。
   パネルの前で背を見せる知果。
   時折、段ボールを抱え直す。
   その都度、底から部品が零れ落ちる。
   知果の後ろから伸びる陸斗の手。
   箱の中に拾った部品を戻す。
   チラ見えする組み立てかけのDNA。
   知果、振り向かず微かに会釈。
   底に開いた穴を手で押さえ直して。
   運搬を代わろうとする陸斗。
   扉が開き、躱すように出る知果。
   そのまま早足で廊下の先へ。
   かご内に取り残された陸斗、悄然。

●荒野
   荒野に降り積む非情の雪。
   瘦せ衰え、ほぼ全裸の陸斗。
   凍えながらよろめき歩いた果てに。
   とうとう地に膝をついて天を仰ぐ。
   灰色の空に一瞬だけ浮かぶ巨大な瞳。
   陸斗の口が大きく開かれて。
   神を呪うような声なき慟哭。
   陸斗を見下ろすカメラが上昇。

●カメラの視点
   ぐんぐん遠ざかる陸斗の姿。
   荒野も小さくなって灰色の一点に。
   それは、プレパラート上の検体。

●大学・実験室・午前
   接眼レンズから目を離す白衣の知果。
   傍らの作業台には無数のシャーレ。
   それぞれ違った状態の培地。
   いずれもコロニーの形成は不十分。
   *****
   シャーレ群の傍にはレポート用紙。
   癖のある筆跡で書き殴られた文字。
   『新種細菌の環境適応力!』
   『外因負荷』『耐性獲得で進化』
   『熱?低温?乾燥?酸?アルカリ?』
   『人為的なContami?』
   *****
   再度、接眼レンズを覗く知果。
   口が動いてマスクに皺が寄る。
   声なき囁きが漏れる。
   ほんのりと紅潮した目元。
   その瞳は確かに微笑んでいる。
   背後で試薬の箱を抱えた陸斗。
   視線の先、知果の超然とした後ろ姿。
   まるで天地創造に熱中する子ども。
   人知れず溜息をつく陸斗。
   知果に背を向けて薬品整理を始める。
   *****
   レポート用紙の余白。
   少し柔らかい筆致で描かれた文字。
   『イジメられるほどに強くなる!』
   『がんばれ がんばれ』

●タイトル
   『鈍感プレパラート』





                   了


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