子宝兄妹&音楽を奏でて♪

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次男・しゅんの出産話~34週の早産・転院



陣痛も軽く安産で、母体の回復は早かったのですが、
しゅんの出生体重は2046グラム、体にむくみもあったので、
出産後すぐに別の病院へ搬送され、24日間の入院生活を送ることになりました・・・。

出産予定日:平成16年6月30日
しゅん・誕生!:5月19日1時5分


[5月12日(水) 33週0日・妊婦健診]

内診のとき、「また産道(子宮頚管)が短くなってますね・・・。今24ミリです。お腹の張り止め薬を処方しますね。家でもなるべく安静に。」と言われてしまいました・・・(-_-;)。
(でも持病のため、薬は服用できませんでした。)

4月末にも産道が短いといわれて、その次の週にはもとに戻っていたのに、また短くなっていたようです。
先日の破水しやすいかどうかの検査は、異常なしでした。

里帰り前の21日(金)に、赤ちゃんの心音検査等をする予約を取り、その時に紹介状を書いてもらってから里帰り(転院)する・・・つもりでした(^_^;)


[5月17日(月)]

ママさんコーラスの練習へ行っていました。
今週末に里帰りする予定だったので、皆さんに挨拶をし、「予定日は6月末だっけ?一人目が予定日より早いのなら、今回も早いかもね~!」なんて笑って話しておりました^^。

帰宅後、何だかお腹が重い・・・??
夕食も、お腹が重くって、座椅子にもたれかかって(コタツなので)ゆっくりと食べました(^_^;)

今から思えば、赤ちゃんが下がってきていたのかも知れません・・・。


[5月18日(火)11時・妊娠33週6日]

朝から少し、お腹をこわした様な痛みが時々ありました・・・。
でも、事実少し下痢気味で、痛みも不規則だったので、「昨夜布団を被らずに寝ちゃったから、お腹が冷えたのかなあ~(>_<)」位に思っていました。

11時頃、私の父母が、来てくれました。
出産すれば家の外の用事・片付けは出来ないだろうと思ったので、里帰り前に片づけておきたいと思っていたのです。

買って来てくれた昼食を食べた後、私の父母に手伝ってもらって、車庫の後ろにある古いタンスや割れた食器棚・自動車の古タイヤ(主人の両親が住んでおられた頃の物が置きっぱなしだったの)等を、クリーンセンター等に持っていって処分してもらいました。

母は妊婦の私を気遣って、家の中で休んでおくように言ってくれましたが、父が「これはどうするんだ~?こっちもいらないのか~?」等と呼び出すので結局じっとはしておれず、歩き回っておりました(^_^;)


[5月18日(火)19時]

父母は家の周りの草引き・枝打ちまでしてくれたので、すっかり遅くなってしまいました。

夕食のシチューとサラダを多めに作ったので、父母にも食べてもらい、20時頃父母は帰っていきました。
家の周りはすっかり片付いて一安心!父母に感謝です^^。


[5月18日(火)20時過ぎ]

主人が帰ってくるまでにはるをお風呂に入れておこうと思い、はると一緒にお風呂へ入りました。
お腹の方は、時々下腹が下痢痛のようにキュ~っと痛みます。
下痢だったら早く治って欲しいなあと思って、湯船につかってゆっくり温まってしまいました・・・。
(陣痛だったら、お風呂入ったら早まっちゃうんだよね(>_<)。このときはまだ、陣痛だなんて思わなかったから・・・。)


[5月18日(火)21時過ぎ・陣痛?]

主人が帰宅。私とはるはお風呂から上がり、着替え・主人の夕食・片付け等・・・。
はるが眠そうに「ママ、足をさすって~!」(←さすってやると眠りやすいらしい)と言うので、寝付くまでさすってやっていました。

23時頃にやっとはるが眠ったので、夕食の後片付けをしていると・・・どうも、下腹の痛みが7分おき位にキュ~っと痛む・・・。痛みも1分くらい続いている・・・。

痛いといっても、台所で立ち仕事をしていて痛みの間だけ少し寄りかかっていれば我慢できる程度の痛さ。
でも7分おきという事は、もしかして陣痛・・・!?まだ33週なのに??

でも一人目の時は腰が砕けるかと思うほど痛い陣痛だったので、この程度の痛さだったら本当に陣痛なのかな??なんて、まだ余裕でした・・・この時は。


[5月18日(火)23時30分 病院にTEL]

念のため、病院に電話。一応受診に来て下さいとの事。
入院荷物はもうまとめていたけれど、もし入院となった場合にはるを預けないといけないと思い、はるのお泊りセットも準備。
主人に荷物を車に積んでもらっていたその時・・・。


[5月18日(火)23時50分 破水]

立ち上がった瞬間、「パシャ~~!!」
私「あ!!」
主人「どうした!?」
私「破水した!!どうしよう・・・。タオル・・・タオル持ってきて・・・!!」

はっきりと、破水と分かりました。
やっぱり陣痛だったんだ・・・。
家で破水しちゃうなんてどうしよう・・・。
もっと早く病院に行っておけばよかった・・・。
赤ちゃん、ごめんね・・・。

急いでバスタオルを当てて車に乗り、病院へ。
車の中から病院へ再度電話をし、破水したことを伝えました。

車中では下腹の痛みが増してくる・・・間隔は?と腕時計を見ると、時計が止まってる~~!!
主人に車の時計で計ってもらうと、5分間隔の陣痛。

病院までは夜でも30分余りかかる。その間、私はお腹の赤ちゃんに、「大丈夫だよ、パパもママもついているからね・・・」と、自分に言い聞かせるように語りかけ、なるべく深呼吸して落ち着くように心がけていました・・・。


[5月19日0時30分 病院到着]

病院に着き、私は先に降りて、主人は車を止めに行きました。
夜間入り口はどこだろう・・・??とりあえず明かりのついている方から病院の中へ入ったが、誰もいない・・・??
産婦人科の外来窓口まで階段を上って行ってみた・・・あれ?誰もいない?どこ~!?(陣痛の合間に歩き回っている私って・・・(-_-;))

再度外に出てみると、主人と看護婦さんが車椅子を押して、別の入り口からやってきました。
やっと車椅子に乗せてもらって、夜間受付から産婦人科外来へ連れて行かれました。
主人も寝ているはるを抱っこして、後についてきました。


[5月19日0時45分 診察]

診察台の上にあがろうとすると、破水だけかと思ったら・・・出血してる!!
診察を受け、先生が「ずっとうちで診ていたわけだけど・・・もうすぐ里帰りだったのよね?今何分間隔?まだ陣痛の波は続いてる?」と聞かれたので、「陣痛は5分間隔位で・・・あ、また波がきた~!!」と私。

内診を受けていると・・・え、いきみそうな感覚!!(多分、間隔はすでに1~2分・・・)
私「あ、でそうっ~!どうしよ~~!!」
先生「え・・・(汗)」

「でそう」とか「どうしよう」とか、出産する時に言う事じゃないと思うんですが(普通、生まれそう、よね^^;。)この時は正直、まだ33週(日付が変わったので34週になったばかり)なのにもう生まれちゃったら、保育器に入ったりしないといけないんじゃないの!?どうしてこんなに早く生まれてくるの??でも破水しちゃったから、もう産むしかないんだよね??でもまだ、診察台の上だよ~!!ちょっと待って~!!・・・って気持ちでした(^_^;)


[5月19日0時55分位? 分娩室へ]

私が「でそうっ~!」と言ったので、先生もびっくりして、傍にいた助産師さんが、出てきそうな赤ちゃんの頭を手で押さえ、「落ち着いて、はい、深呼吸~。ス~、ハ~。」と語り掛けて下さって、何とか波は治まりました。

陣痛の波が治まっている間に、私は急いでストレッチャーに乗せられ、「ご主人!ついて来て下さい!」と廊下~エレベーター~廊下を走って分娩室へ!
(この時主人は、あまりの速さに見失いそうになったそうです(-_-;))

分娩台に乗せられて、何度かいきみを逃し、周りではバタバタと準備!
「もう頭見えてますよ~。上を向いていきんでください~ !」
あれ?もういきんでもいいの??あ、私横を向いてた(汗)。

呼吸法とか考える暇もなく、2・3度いきむとスル~っと・・・生まれた~~!!


[5月19日 1時5分 しゅん・誕生!]

「んぎゃ~!!」元気な産声が、すぐに聞こえました。
「ああ、生まれたんだ~~。」
ホッとすると同時に、早く赤ちゃんの顔が見たい・・・。

赤ちゃんは足元のほうの台に寝かせられて、小児科の先生が診て何か話をされています。
私は1時9分に胎盤が出て、先生が「切ったので縫いますね~」と・・・。

ああ、会陰切開しちゃったのね・・・。
私、本当は里帰り先の病院で、バースプランを提出してなるべく会陰切開しない方向で、自然な体位で出産したかったのにな・・・。

立会い出産もかなわなかったな・・・。この病院では両親学級を受けていないと、立会い出産が出来なかったんだっけ・・・。まあ、こんな急なお産じゃ、立会いも無理かあ・・・。
(主人は分娩室の外にいて、産声も聞こえなかったそうです・・・。)


ようやく、赤ちゃんがタオルに包まれて、私の横に寝かせて下さいました。
「5月19日1時5分。2046gの元気な男の子ですよ。」
・・・すごく小さくて、可愛くて、さっきまであなたが私のお腹にいたんだね・・・と感動~~~(*^_^*)

看護師さんが、赤ちゃんと一緒の写真を撮って下さり、とても嬉しかった(^^♪
だけど、タオルに包まれて手と顔しか見えない・・・。
本当は、生まれてすぐに私の体に乗せてもらって、そのまま母乳も飲ませたかったのにな・・・。生まれたまま抱っこして、ゆっくり時を過ごす カンガルーケア もしたかったのにな・・・。
だけどせめて・・・。

「そろそろいいですか?」とおっしゃる看護士さんに、私はせめてもの一つのお願いを言いました。
「あの・・・、おっぱいくわえさせてあげてもいいですか?」
看護師さんはちょっと相談してから、
「じゃあ、少しだけね・・・。」
と、赤ちゃんの口を私のおっぱいの上にもっていってくれました。だけど・・・
「ん~、ちょっとおっぱいが大きくて、くわえられないかな??」

早産で生まれちゃったから・・・未熟児だったから、おっぱいも上手く飲めないの??
はるが赤ちゃんの頃、なかなかおっぱいがくわえられなくて、すぐにミルクを勧められてしまった事が頭をよぎりました。
今度こそ、生まれてすぐにおっぱいを飲ませてあげたかったのに・・・。


[5月19日1時30分過ぎ しゅん・転院]

出生体重は2000gはあったものの、34週0日という早産だったため、この病院では診きれないからと、しゅんは保育器に入って他のT病院へ搬送されることになりました。
(この病院から車で30分くらいのT総合病院へ。後から聞いた話では、出産した病院ではこの3月に、4人いた小児科医のうち3人が辞めてしまって、今1人では回らないからすぐに紹介状を書いているのだとか・・・。でも、転院した病院のほうがきちんと診て貰えたので、転院して正解だったのでしょう・・・。)

「赤ちゃんを見送られますか?」と促され、私は車椅子に乗って見送りに出ました。
保育器に入れられた私の赤ちゃん。・・・顔がよく見えないよ~~(>_<)

主人に出会い、「赤ちゃん、見た?はるは?見てた??」
主人「赤ちゃん、見たよ。はるは、一瞬起きたけどまたすぐに寝ちゃって、赤ちゃん見てないよ。」
そうなのかあ・・・。はるも出産に立ち会って、生まれたばかりの赤ちゃんを見せてあげたかったのにな・・・。
新しい家族が生まれたよ、って、一緒に喜びたかったのにな・・・。

私と主人に見送られて、赤ちゃんは保育器のまま救急車に乗せられて、T病院へ搬送されていきました・・・。


[その後]

私は陣痛室のベッドで2時間余り横になり、隣のベッドにはるを寝かせて、主人と話しをしていました。
主人は一度、T病院へ行って赤ちゃんの状態を聞いてこなければいけないそうです。
T病院は、主人の勤め先の近く(と言っても車で20分)なので、まず主人は自宅に帰り、はるの荷物を持って主人の実家へ行ってはるを預け、それからT病院へ行って話しを聞き、その足で勤め先へ向かうことになりました。
(この日、主人は徹夜です・・・(^_^;))

私は4時頃主人と分かれ、病室へ歩いて戻りましたが、せっかくの母子同室の病院なのに、同室どころか同じ病院内にもいられない淋しさで心がいっぱいで、なかなか寝付けませんでした・・・。


[私の入院生活]

私の方は、陣痛があまりひどくない上にスピード出産だったので、体の負担も軽く、出産後すぐに歩いてトイレへ行けました。

でも、他のお母さん方は母子同室で、赤ちゃんと一緒に過ごされているのが、とても羨ましかったです・・・。

私はただひたすら、3時間おきに母乳を搾って母乳バックに入れ、面会に行く日の為に冷凍保存していました。

一人目は母子別室の病院だったから、母乳育児の為に今度こそ母子同室で、出産後30分以内の授乳・24時間以内に7回以上の授乳をしたかったのに、それも叶わなくて・・・それどころか、病院まで別になっちゃって・・・。

搾乳する度に、早く赤ちゃんに逢いたい、直接母乳を飲ませてやりたい思いでいっぱいでした・・・。

病院食で一度、「ご出産おめでとう」食が出たけれど(赤飯や鯛の尾頭付き!)、赤ちゃんは今ここにいないのに・・・と思うと淋しくて。
どうして早産になっちゃったんだろう・・・。私のお腹、居心地が悪くて早く出てきちゃったのかな・・・なんて考えてしまったり。

でも赤ちゃんは、出生時に体が浮腫んでいて呼吸困難に陥っていたそうなので、むくみの原因は不明だけど、もしかしたら体が浮腫んで苦しくて、早く出てきて処置して欲しいと思って、早産になったのかも・・・と思ったり。

そして赤ちゃんも、一人での入院、淋しいだろうな・・・。
お腹にいる時、「生まれてきたらいっぱい抱っこしてあげるね」って言っていたのに、出来なくてごめんね・・・。
そんな思いで、いっぱいで、出産後は涙もろくなるのか、ちょっとしたことですぐに泣けてきてしまったものでした・・・。

詳細は・・・

2004年5月の日記

2004年6月の日記

を、ご覧下さいね^^。
(携帯電話から書いているので、読みにくいかもしれませんが^^;)






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