どうも、子どもの成長にとって、阻害要因は、
理性と知性じゃないか????
用語に問題があるとすれば、理性と知性に関わる「意識の部分」が
必要以上に刺激され続けることです。
現代の学校教育を中心とした、日本の教育界が
自信をもって育てた「よい子」たちが、
多かれ少なかれ、挫折しているのを見ると、
どこか線路が脱線していると疑わざるをえないでしょう。
シュタイナー教育でも7歳までは夢の世界、
14歳までは、感情を育てる時期と
言っているのを思い出しました。
人間が生きるということは、99%無意識の力に依存しています。
目に見えるものだけでも、心臓を動かし、血液で栄養を運び、
免疫の働きをし、・・・・・
生きるということは、無意識の舟に乗っていることです。
こことの関連を考えない、顕在意識の教育は、
全体の機能不全をおこしてしまいます。
知性や理性は、人間が生きる上の、極小さい部分なんだということ
これを思い起こして、全人的な教育をターゲットにすべきです。
科学史の歴史も、もう一度、学び直してみようと思います。
何が、科学を推進してきたのか?
常識的には、人間の理性の勝利とみなされていますね。
科学の歴史は、宗教の迷信に打ち勝ってきた歴史だと。
しかし、近代科学の誕生も、
そのエネルギーの元は、実は、宗教エネルギーでした。
ある意味、魔術的だとも言えます。
その情熱がなければ、人類は、法則を発見しようとさえしなかったでしょう。
理性が先にあったのではないのです。
じゃあ、何と戦ってきたのか?
それは、人間のちっぽけな理性に結びついた、「こだわり」ではなかったか??
私は、科学教室を通して、考える楽しみを味合わせてやろうと
思ってきました。
でも、何が楽しかったのか?
何が子どもたちを惹きつけてきたのか?
とふり返ると、理性や知性が打ち負かされる瞬間だったのではないでしょうか?
ないでしょうか?って皆さんに聞いてもしかたがないのですが。
いろんな考えがありえて、どれも単純には否定できないこと。
この世の真実は、私たちの理性の常識を越えたことが多いこと。
だから、狭い知識にとらわれないで、
のびのびといろんな想像をしてみることこそ、マジメなことなんだ、
何でも考えて(思いめぐらして)いいんだ、っていう解放感。
これは、普通言われている、理科の力とか、考える力というものとも
違うと思います。
さらに、ふり返って、現代社会で活躍してきた人。
企業戦士でもいいでしょう。
そういう人が、知性や理性で、勝負をしてきたのか?
違うでしょう!
逆に、理性や知性を働かせないで(コントロールして)
感情や感性を活き活きと働かせた人が、活躍できている。
この事実に、教育関係者は、まっすぐに向き合う必要があると思います。
もちろん、バランスの問題です。
しかし、どちらが土台か、ということをわきまえれば、
授業方法も、教員の適性も、全然変わってきちゃいますよね。
ターゲットは、無意識と感情なのです。
知識は、それにオマケでついていくだけです。
豊かな潜在意識的なイメージの世界を創るのが、教育です。
この「豊かな」という意味には、宇宙全体の無限の豊かさが含まれます。
そもそも、理性の最前線の量子物理学では、
因果律が(常識的なレベルでは)通用しないことが、わかっているのです。
この宇宙の根本原理が、理性的でない(狭い意味で)可能性が高いのです。
昨日の日記にも書きましたが、
保護者・教育者が、わくわく・夢中になって生きている必要性が、
はっきりしてきましたね。
すべての授業が、ワンダーランド。
学校もワンダーランド。
とすると、会社も社会も、人生そのものワンダーランド。
どんどん、ドンドン、イメージを膨らませよう。
すべてのものと対話ができるまで。
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