お陰様で、起き出すことができました。
風邪は、固い体を柔らかくする効果もあるようですが、
同じく、固いアタマも柔らかくしてくるんじゃないかなあ。
思い浮かんだことを書きます。
学校の教師業で悩んでおられる先生、
教師というイメージを疑ってみては、どうでしょうか?
崩してみてはどうでしょうか?
たとえば
教師は、利口にならなくてもいい。
教師は優等生になる必要はない。
教師は、完璧にやろうとしないで、
がんばるのではなく、
生徒を含めたチームの一員として、
生徒をサポートするコミュニケーションを
タイミング良くすればいいんだ、って。
普通、教師は生徒よりも良い情報を出して、
生徒より目立って、
自分がいかにすばらしいかを、
生徒に見せつけなければならない、
と考える先生、多いんじゃないでしょうか?
これは、客観的に見ると、不健康な精神状態ですよね。
なぜ?
こういう人は、自分のことしか考えられていないからです。
パートナーとしての生徒を見失い、
生徒も仲間の教師も、敵や批評家に見えてくるのです。
そうすると教育活動が、「恐怖の場」になります。
当然ですが、恐れは教育の障害です。
そういう人は、現在を見ないで、未来ばかり見ています。
未来・失敗・人の目を「恐れる」→ クリエイティブな発想はできないのです。
自分で自分にプレッシャーを与えすぎないようにすることが肝心です。
つまり、ガンバリすぎないことです。
生徒と一緒の場で、今の瞬間に「出会う」ことができるようにするんです。
生徒は、良きにしろ悪しきにしろ、いろんなメッセージを発しています。
反抗的な態度もメッセージなのです。
生徒に立場で見ると
自分のメッセージを無視する人とは、
誰だって、一緒にやるのは難しいと感じますよね。
人は、恐怖があると、相手をコントロールしたいと本能的に感じてしまいます。
相手のメッセージを邪魔したり、無視したりします。
繰り返しになりますが、
教育現場では、ガンバルのではなく、
むしろクリエイティブであろうとすることが大事だと思います。
いろいろな先生がいらっしゃいます。(善し悪しは別として)
がんばることが生き甲斐の張り切り先生
自分だけが正しいと思っている自信満々先生
自分の考えを自分で否定・批評・評価してしまい
自分に自信がもてない先生
生徒をコントロールして、すべてを自分の思い通りにしたい
演出家のような先生
ただただ目立ちたいだけの先生
生徒が創ったアイデアをぶち壊してしまう先生
協調性はあるが、自分の意見が無い、もしくは表現できない先生
考えすぎて行動ができない先生
ネガティブな発想ばかりする先生
逆に、ポジティブな発信ができる先生
いつもユーモアを失わない先生
生徒の世界に飛び込んでいく先生
コミュニケーション論から考えると、
良いコミュニケーターは、相手が必要とするメッセージを発して、
「相手」を素敵に見せる人です。
授業をするときは、生徒を「天才」だと思いましょう。
「天才」から出てくるメッセージは、
自分が考えもつかなかった素晴らしいものだと、思いましょう。
「天才」に興味を持ち、「天才」のアイデアを尊重することです。
天才の皆さんにアイデアが無かったら、
そのとき初めて、教師が自分のメッセージを発することができるのです。
これから、教育をコミュニケーション活動だと見た場合の
演劇空間としての授業論を考えてみたいと思います。
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