演劇空間のことを書こうと思ってましたが、
ハタと気づいたことがあります。
子どもっていうのは、大人の作品なんだろうか?って。
大人がいろんな刺激を与えて、
子どもという作品を作り上げていくものなんだろうか?
教師は、そのための職人なんだろうか?
昔、子どもは授かり物でした。
しかし、今では、作品です。
そこには、すべて「大人が主導である」
という原則が流れています。
え? 当たり前じゃないの?
だって、子どもは大人が守らなければならいし、
子どもは、大人や環境から与えられる刺激によって
反射が起き、その相互作用が、意図を生み、成長するんじゃないの?
かのピアジェも、
子どもは環境から刺激を受けて
反応したり学習することによって
周囲と相互作用し、
その結果発達すると主張してるよ!
今日の教育の土台は、
「子どもは、外から受けた刺激や学習によって成熟する。」
「子どもは、白紙のキャンパスだ。
刺激を与えればどんどん吸収する。」
というものじゃないでしょうか。
そうではないのではないか?
って研究が積み重ねられています。
子どもは、「自発的に」成長する面がある、
ということが、わかってきています。
そして、自然な発達を無視した
過度な刺激は危険だということも。
今まで、子どもの能力を伸ばすために、
多くの刺激を与えることが豊かな育児環境であると
疑いもなく唱えられてきました。
刺激や学習をどんどん与えることで
新しい神経回路が作られる、ということで。
ところが、刺激が強すぎると
本来バランスよく行われるはずの
シナプスの「刈り込み」に支障をきたし
子どもの脳に悪い結果をもたらすのではないか
との懸念が、専門家の間で広がっています。
たとえば、ADHD児のシナプスは、
健常児よりも多いのではないか、と
シナプスの研究をしているハッテンロッカーは
考えています。
そのために情報処理に混乱が起きているのではないか
というのです。
近代は、成長発展はすべて良いものと信じられてきました。
だから、学習という「良い」刺激が、
マイナスの要素をもっているなんて
受け入れられなかっただけなのかもしれません。
そもそも大人の考える「学習」とは何でしょう。
大人が好ましいと考える規準に、子どもを合わせることです。
そこに合わさせようと、叱咤激励を日夜しています。
もう一度、そもそも、子どもは、大人の作品なんでしょうか?
そもそも、大人の私たちは、誰かの作品なんでしょうか?
人生は、私たちが作るものなんでしょうか?
それとも、与えられたものなんでしょうか?
どう思います?
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