経過は、ぶっ飛ばしますが、
大学入試の受験勉強をするに当たって、
私は、エゴイズムの極地、すなわち、
すべては、私のための「遊び」という見方から、行動し、
そのおかげで、奇跡的に合格しました。
しかし、そんな寅さんでも、フト、
「遊びでは済まされない」ことに
ぶち当たります。
ある恩師を深く傷つけてしまう事態が発生し、
それで、大きく落ち込みます。
しばらく引きこもりのようになってしまったことがあります。
この寅さんが。
人間の能力を最高に生かすのは、
遊びの精神であることは、間違いないと思っています。
大義をもたない、ある意味、ニヒリズムの方が、
のびのびと活動でき、現世の御利益から言っても、
願望実現がしやすいと、体験的に思います。
「絶対、~~しなければいけない!」
と力むと、かえって、遠のいてしまうものです。
力まずに図々しく、手をだす、というのが、
この世のポイントかもしれません。
でも、でも、人間、力むときが、きっと来ます。
それは、多くの場合、
人の想いとつながっているように私には感じられます。
人と幸せを分かち合いたい、という共感への渇望。
この共感性には、人間、意義を感じてしまうのだと思います。
でも、そのように、共感する人間集団も、
やっぱり、「私」の意識の中の存在であることも
間違いないのです。
だから、共感性を遊べればいいのでしょう。
共感のハーモニーを一歩外から眺めてみて、
全体を手のひらに乗せ、より美しいものを創っていこうとすること。
この創造活動としての遊びが、いい感じじゃないでしょうか。
でも、やっぱり、この美しいものに、意義を置いてしまうのが人間。
どっちが卵か鶏か?
いずれにせよ、本当に大切なことは、
とってもとっても少ないことは、間違いない。
日常、僕たちは、大切でない、どうでもよいことのために、
四苦八苦しているんだ。
そんなものは、遊びのニヒリズムで、ぶっ飛ばすのが、ふさわしい。
無意味だと笑いとばして、いいのです。
本質でないことを、遊びのふるいにかけて、吹き飛ばしていくと
最後に、本質だけが残ってきます。
それこそが、本当のお宝なんでしょう。
楽しさの伝染病 2009.08.06
自分を好きになる難しさ 2009.07.21 コメント(4)
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