エピキュリアン=快楽主義者と訳されています。
そして、ストア学派のストイックさ(禁欲主義)と対比されています。
でも、これは、大きな誤解です。
古代ギリシアの哲学者、エピクロス
彼の思想は、近代科学にも通じる、原子論を基本としていたので、
その底には、無神論があったと言えるでしょう。
だから、神仏を大事にする人からすれば、
この世は偶然の産物だ、なんて考えは、
放蕩生活に流れていく元だと非難しただけです。
そうじゃなく、実は、エピクロス学派は、
何でも、神様のせいにしないで、
感情に動かされることなく、
冷静に、物事の因果を考える姿勢を大切にしたんです。
世間への大見得を切ることに血道をあげるんじゃなく、
「隠れて生きる」ことを勧めたのです。
学問や道楽が、本当に好きな人は、
実は、地味なのです。
学問は、遊びだと思ってる人は、
不真面目なことをするか、というと逆なのです。
遊びだからこそ、手を抜けないのです。
仕事だったら、効率を考えて、手を抜くのが、かえって褒められるのです。
しかし、道楽者は、効率度外視です。
自分以外の他人の基準で動いてしまう人は、
人の評価が気になります。
だから、大義名分が必要です。
「盛り上がり」が必要です。
人生そのものを本当に楽しんでいる人は、
きっと地味なのだと思います。
学問は、やっぱり、遊びにすぎませんし、
科学は、イタズラが本質だと思います。
科学は、世のため、人のためというのは、オマケ。
副産物であり、
まずは、面白いから、やってるってのが、最も健全だと思います。
でも、今は、企業内科学は、金や名声のため。
そして、教育も、大義名分の世界。
立派なことを言う人の声が大きい。
人間の判断は、ほとんどが、錯誤です。錯覚です。
だから、いつでも、判断を変えられる立場でいたい。
自分自身を疑い続けたい。
そんな中、土台となるのは、それを面白がってやってるか、
楽しんでいるか、ということ。
それを唯一の土台とすれば、
大義名分にとらわれることも無い。
柔軟に物事に対処できるというものです。
そんな風に、私は考えます。
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