子どもの心に、火をつけることを思いめぐらしていたら、
ふと、ひらめいたことがあります。
一昨日の日記に、森の声さんが、コメントで
「閉ざされた系の中の論理を、
系の外側の論理で論破することは出来ません。」
とおっしゃってくださいました。
そうなんです。
私は、昔、ある伝統的宗教の信者でした。
親・兄弟から、しきりに抜けることを説得され、
青春の輝きだった部活の部員たちにも、ストライキをされ、
最後には、隔離・軟禁までされてしまいました。
それでも、信仰は、微動だにしませんでした。
まさに、完璧な閉ざされた系だったのです。
その私が、いともあっさり? (とても苦しみましたが)
組織を離れたのは、組織内の子どもへの教育方針に疑問をもったのが、
発端でした。
つまり、内部での一言でした。
一つ疑問を持ち始めると、もうドミノ倒しです。
逆にどんなに説得されても、行く気にならなくなるんですから、
ものすごく不思議なことです。
その後、今度は、うちの娘が
はまりまして、何とか、常識を取り戻してやりたいと
夫婦そろって、工作をし続けているのですが、
これだけは、やはり、外部から説得できるものではありません。
一種の弱い洗脳なんでしょうが、
この解き方は、どうすればいいんだろう?
ぜひ、学びたいと思っています。
勉強がトラウマになった子や、教師や親に反抗するしか
思いつかない子がいます。
そんな子の世界も、一種、閉じていることを感じます。
教師の説得で、改心なんて、夢のまた夢だってこと感じませんか?
外見上は、わかったように見せておいて、
実は、中身は、全然変わっていないのです。
じゃあ、その閉ざされた系とコミュニケーションをして、
影響を与える方法は無いのか?
よく、数学的、論理的に考えれば、正しい答えが見つかったり、
人を説得できたり
新しいものが創造できるように言う人がいます。
確かに、論理は、人と論争をするための重要なツールでした。
しかし、論理がしてくれる仕事って、
自分の系の論理や仮説が
正しいかどうかを検証したり、
自分の正しさを立証することくらいなのです。
論理によって、別の系の間違いを指摘し、改心させたり、
さらには、新しいものを創造したりはできないのです。
だから、論理を超えるものが必要です。
ありました。
「感情」です。
どんなに冷静な戦略家も、
一瞬の「感情」が、そのセオリーを放り出して
禁断の核ミサイルのボタンを押してしまうことは
よくあることです。
感情こそが、完璧な秩序の平面に歪みをもたらし、
その均衡を破壊します。
でも、こんなことを言うと、
すぐスピリチュアルの世界に、引用されてしまうので、
用心・用心。
論理的な人ほど、神経症」やノイローゼになりやすいようです。
人生の恐怖を論理的に、解決しようと
何事についても、納得してから、行動をしたいと思ってしまうようです。
ところが、頭では納得出来ても、感情が納得出来なくて、
やっぱり行動できなくなるのです。
中学生も後半になると急に、平気で出来なくなる事があります。
今まで出来た事が、在るときを境に「身構えてしまって」出来なくなってしまうのです。
論理的に生きようとしだすからです。
感情というものは、論理ではどうする事も出来ません。
論理を超えた論理が必要になってきます。
それで、禅の教えの「分別を捨てろ」は、
このことと関係しているのでしょう。
論理の脳ミソでは解決する能力がないのです。
解決能力のない脳で問題を抱えているのが「ノイローゼ」「悩み、不安」なのです。
子どもの論理の世界をみくびってはいけません。
それはそれで、立派な、ほぼ閉じられた論理体系なのです。
教師は、押し付けではなく、
地道な、論理を超える論理で
子どもの内部変革を促さなければなりません。
その一つが、良質な問題に、真正面からぶつかる機会を増やすことであり、
また、もう一つが、教師の感情そのものなのだと思います。
ワクワク・ドキドキ・活き活きした教師の感情が、
閉ざされた系の扉を開いていくのだと、再び感じました。
また、系を飛び越え、打ち破り、新しい理論を創造するエネルギーも
感情こそにあるのではないでしょうか?
鳩山首相が窮地に陥っているのも、
感情・魂が、前面に出ていないからではないのかな?
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