「ドラゴン桜」で、なぜ、勉強するのか?という問いに
主人公の弁護士は、
「だまされないため」とスピーチをしています。
「頭のいいやつが、自分たちに都合の良い法律を作って、
考えるのを面倒くさがっている連中から、巻き上げている。」
ということです。
確かに、そういう面はあります。
でも、この論理には、落とし穴があります。
勉強すると、だまされないようになるのか?
ということです。
私は、今の受験勉強は、「考えないノーミソ」養成コースだと思います。
ですから、かえって、だまされやすい人間になってしまうでしょう。
でも、大学に入ってから、考えるノーミソをつくればいい?
一度失われたものを、取り返すのは、困難ですよ。
使わない脳細胞は死滅してしまうのです。
とすると、受験勉強の以前に、
考えるノーミソを育てていなければなりません。
でも、ちょっと待てよ。
自分で考えるノーミソをもっているなら、
「騙されないために」
何も、大学に入る必要はないじゃないですか。
じゃあ、何で勉強するんだ?
それは、決まってますよ。
楽しいからです。
学問がどのように生まれたか。
研究することが楽しくて仕方がない人間が、切り開いてきたのです。
しかも、その楽しさというのは、孤独な楽しさではなくて、
周囲のみんなに、吹聴したくて、
楽しさを分かち合いたくて、
それを原動力に頑張って、研究してきたのです。
その学問を、しかめっ面をして、
これを覚えなくちゃ、落第だ!
中学生失格だ!人間失格だ!
人間のクズだ!
みたいなことを言われて、勉強するなんぞ
先人に対して、大変な失礼です。
学問に対する冒涜です。
損か得か、というのは、学問とは関係ない。
これは、釣りは損か得か?
野球は損か得か?
将棋は損か得か?
と全く同じです。
こういう発想しかできない教師は、
自分が、楽しい勉強をしてこなかったから
仕返しのつもりで、子どもにお仕置きをしているのと同じです。
イジメの世代間の連鎖ですね。
そろそろ、こんなアホなことヤメにしましょう。
全然、科学的でも何でもない。
私は、もし、おもしろくない学問だったら、
する必要がないと思います。
学問は、おもしろいから発展したのです。
楽しくないものは、もともと研究者も研究しないのです。
学問が楽しいというのは、実は、論理が逆で
楽しいことを選んで研究したから、
学問は楽しいのです。
楽しくないものは、研究されないのです。
だから、研究者の能力というのは、
楽しいことを見つける能力でもあるのです。
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