方程式と聞いただけで、「ごめんなさい」という人も多いです。
逆に、方程式の問題なら、お客さんだ、という人もいるでしょう。
また、数学以外にも、科学の方程式があります。
また、社会科や、経済学にもありますね。
スポーツの世界でも、「フルタの方程式」みたいな
勝利の方程式もあります。
でも、学校で、この方程式というものの本質の楽しさを
どのくらい伝えているだろうか?
って、ときどき疑問し、私自身、反省しています。
方程式は、ご存じの通り、等号「=」で結ばれています。
左辺と右辺が同じということです。
簡単に言うと、「AはBである」ということです。
だけれども、そもそも 「 A=B
」
つまり「 AはBである 」というのは一体どういうことなのでしょう?
学校で、方程式の問題が出されると、
「等しいから等しいんだ」ということになるんですが、
何をもって、AとBが等しい、同じなんだ、と言ってるんだろう?
この世の中で、「等しいものは等しい」と言ったって
何にもなりません。
「リンゴ1個は、リンゴ1個と等しい」と言ったって、
「だから?」と言われるだけです。
意味がある方程式は、
「リンゴ1個はミカン2個と等しい」と
一見違うものを結びつけなければ、意味がないのです。
リンゴ1個だって、あのリンゴと、このリンゴは違いますよね。
同じ値段をつけて、本当に良いのかどうかわからない。
結局、人間は、混沌としている世の中のものの中で、
抽象的な価値を勝手に決めて、
その勝手な価値観の中では、一見違うものが同じだと言えるよ
と、独断しているわけです。
とにかく、右辺と左辺は違うから意味があるのです。
一見、結びつきそうもないものを、エイヤっと、結びつけるところに
驚きと面白さがあるわけです。
昔、お弁当の時間に、
自分のおかずと、友達のお菓子を交換したことがあるでしょう?
これは、立派な方程式なのです。
子どもたちが、熱中しているカード交換、あれも
すんごい方程式が子どもたちの中で渦巻いています。
そんなの思いつきで、方程式と言えるもんじゃないとおっしゃるかもしれません。
どんなに当たり前だと思われる方程式だって、
そこには、決めつけがあります。
たとえば、入学試験は、5教科の点数を足して
その総点が高い人から合格する仕組みですが、
英語と数学の点数って、本当に、足し算ができるのでしょうか?
英語の能力と、数学の能力って、本来、関係ないでしょう?
マルクスの資本論の中の、大きな議論は、
「なぜ、ミカン10個と、リンゴ5個は等しいか」
ということなんです。
これを延々と論じているわけです。
もっと、教科書で誰でも習う、
ニュートンの第二法則「f=ma」だって
学生は、「これは当たり前なのだから
これを使って計算しなさい、」
って感じで覚えこまされますが、
本当に力は運動に転化するの?
本当に運動が力に転化するの?
しかも、それを等しいと置けるの?
これは、大問題なんです。
ニュートン自身さえ、この方程式は書けなかったのですから。
難しいことは置いといて、
人間がつくる意味ある方程式には、
どこかに、飛躍した決めつけがあります。
そして、この決めつけ「こそ」が、意味であり、価値をもっているのです。
(話はちょっと深入りしますが、)
そもそも、「言葉」、そのものが、どこまで行っても
客観的な根拠をもっていないのですから。
これは、最近、本屋で頻繁にお目にかかっている
言語哲学者であるウィトゲンシュタインの
言わんとしているところでもあるでしょう。
(もとに戻って、)ですから、方程式の楽しみは
「違うものが同じなんだ、」
また、
「同じものが、違うんだ」
という新しいものの見方を遊ぶことなのです。
さらに、私が言いたいのは、私たちの物事の判断の裏には、
無意識にしてしまっている、ある仮定や前提があるということです。
それを浮き上がらせてくれるのが、方程式でもあるのです。
書いて見て、はじめて見えてくるのです。
私たちは、よく、「こうすべきだ」と言います。
この「べき」の裏には、必ず仮説があります。
それも、限られた根拠に基づいた、
とっても不安定な。
それを意識するトレーニングが
上にたつ人こそ、必要です。
私は、科学や数学を学ぶ意義の大きなものは、
自分の思考を自由にすることだと思います。
人間は、自分の思考の前提条件を意識することができて
はじめて、自由を得るのですから。
さあ、今日も、新しい方程式を見つけるぞ!
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