不自由な思考と言えば、天動説と地動説の衝突で有名な、ガリレオ裁判がありますね。
私は、当然、カトリックは根っからの天動説だったと思ってました。
しかし、ガリレオの時代の約半世紀も前、
コペルニクスの著書『天体軌道の回転について』は、
不思議なことにカトリック教会から温かく迎えられていたのです。
あれほど明確に地動説を書いたのに、どうして?
実は、コペルニクスは、1543年に著書『天体軌道の回転について』を公刊しましたが、
それはトレント公会議が開かれる2年前のことであったことが
キーポイントのようです。
トレント公会議、それは、
ルターによっておこされた宗教改革に対処するための
反宗教改革会議です。
その中で、カトリック教会の中で従来明確でなかった
多くの教義上の諸点を明らかにし、ローマ教皇の権威を確立しようとしたのです。
トレント公会議の以前には、カトリック教会は、太陽中心説が
必ずしもキリスト教の教義に反するという意識はなかったようです。
当時、自然現象と、信仰の問題を論じている「聖書」とは、
視点がズレているということで真正面からぶつかることはなかったのです。
事実、教会では、熱心にコペルニクスの著書を読んで勉強していたのです。
彼の主著は、教皇パウロ3世にも献辞されています。
しかし、この本来衝突することがないところに、亀裂を作ったのが、
実は、宗教改革を断行してきたマルティン・ルターだったのです。
ルターといえば、カトリックの人間的な堕落・退廃を非難したはずですが、
すべてを聖書とのズレで判断していた彼は、
何と、自然現象の解釈にまで、聖書とのズレに焦点を合わせてしまったのです。
実は、ルターこそ、コペルニクスの太陽中心説に
最初に、そして最も激しい非難を浴びせていた人物なのです。
ルター対カトリック教会の論争は、
本来、宗教的・人間的な頽廃に対するものだったはずです。
しかし、「教義の争い」は、よくあるように
その周辺のどうでも良いことにまで及びだし、
シロクロをつけさせるように圧力をかけてしまうものなのでしょう。
そして、お互いに自らが示す教義の強化を計り、
異論やそれを唱える者への矯正を強めることとなったのです。
もともと、ガリレオの支持・不支持も、単純に個人的なものだったようです。
支持者は、カトリックの中にも、プロテスタントの中にもいました。
性格的にも、思いやりがあり、礼儀もわきまえていました。
しかし、どんなにえらい人が相手でも、はっきりと自分に意見を言う性格が、
ファンと同時に、敵も作っていったようです。
ガリレオが異端尋問所に召喚を命じられたのも
「教義の解釈」が「告発者」と異なるからであり
宗教組織がからんだものではなかったようです。
しかも、ガリレオの友人にプロテスタントがいたことから、
プロテスタントに憎しみが高まっていた折、
非難の対象になってしまいます。
さらに、もともと、ガリレオの擁護者であった教皇が、
政治情勢から、コロっと、ガリレオを裏切り、
ガリレオ裁判をカードとして使ってしまいます。
だから、単純な宗教対科学という問題だけではないようなのです。
でも、どんなに不利な状況、分裂させられる状況にあっても、
カトリック・プロテスタントを問わず、
ガリレオの魅力は、多くのファンを持ち続けてきました。
それは、ガリレオの性格そのままの、
物事や現象への明確さ、率直さではないかと思います。
そして、それで多くの人が惹きつけられたということは、
それまでの学問は、スッキリしていなかったということです。
もちろん、誰もが、スッキリしたわけではありません。
スッキリした!と思える人の条件がありました。
それは、神学や、スコラ哲学に、とらわれない物の見方ができる人という条件です。
ガリレオ自身、自分の支持者の特徴をわきまえていたのでしょう。
彼は、著書を学問の常道の、ラテン語では書かず、
庶民の言葉、イタリア語で書いているのです。
もちろん、どの組織に所属しているか、「教義の解釈」の違いからも
ガリレオをめぐって支持・不支持の人々が分かれました。
しかし、その組織の中にあっても、人々は何らかの個人的解釈を持っていたようです。
ガリレオの率直な考えを聞いて、考え方を改める人々がいたわけです。
いつの時代にも、思想が統制されている時代にも、
人々の思考の自由だけは、縛ることはできないものです。
たとえ表面的に、統制がどんなにとれているように思えても、
思考の流れは、どんどん発展進化していきます。
軍国主義の日本にも、思索を発展させた人がいました。
きっと、北朝鮮内部でもそうでしょう。
学校教育でがんじがらめになっている人々の心もそうでしょう。
その大きな流れを信じて、活動していきたいと思います。
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