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家族戦隊ゴニンジャー
沈丁花
僕は、その香で春を知り、また一年巡ったのに気付くのだった。
僕がこの花の名前を知ったのは、大学時代の生物学の授業のときだ。
「花、と一口に言っても、花びらを持たない花がいくつかある。
その花は、一般の人から見れば花なのだが、
厳密に言うと花は咲かないのだ。
萼(がく)という部分が大きくなって、花のように見えるだけだ。
そういう花の例は、沈丁花などである」
と言いつつ、教授が沈丁花の枝を皆に見せてくれた。
花の咲かない花。
そんなものが存在する不思議さと、あの一度嗅いだら忘れられない強い香が、
花の名を焼き付けるきっかけになったのだ。
そして、この花が永久に忘れられない思い出になったのは、
五年前、沈丁花の前で出会った女性のためである。
僕はその日、風邪をひいて、会社を休んで医者に行くところだった。
何処からか匂う沈丁花の香にひかれて、医者への道を一本それると、古びた豪邸の前に出た。
そこで彼女は、この季節には不似合いなブラウス一枚の薄着で、
沈丁花の花を摘んでいたのだ。
幻想的な光景だった。
長い髪が、時折吹く風に揺れる。
白いブラウスが、日の光に透けて、天女の羽衣のように滲む。
その横顔は、十代のようにも、三十代のようにも見えた。
沈丁花の甘酸っぱい香が、辺り一面に広がって、
彼女は、さながら沈丁花の妖精のようだった。
ぼおっと見つめていた僕に気付いたのだろう。
彼女はいきなり手に載せていた沈丁花の花を、僕に向かって投げた。
もちろん、庭の中と外のこと。
届くはずもなく、地面に降った沈丁花のじゅうたんの上を、
すべるように歩き去った彼女は、本当に儚い肩をしていた。
それから暫く、医者に通うときはもちろん、
通勤の途中でも、日曜は散歩と称して、
僕は彼女の姿を求めて豪邸の前を行き来した。
しかしそれっきり、彼女の姿を見ることはなかった。
やがて一週間、一ヶ月と過ぎ、
僕の風邪は完治し、豪邸の前を通るのも止めた。
僕の中で、彼女の面影は薄れ、消えていったのも、
当然の成り行きだろう。
二年が、瞬く間に過ぎた。
僕は、大学の後輩となんとなく付き合い、結婚した。
ありきたりの幸せに満足し、平凡な毎日が続いた。
そんな或る日、僕は会社の同僚と、夜遅くまで飲み、
終電に乗って帰ってきた。
何処をどう通ったのだろうか。
いつの間にかあの豪邸の前で、僕は眠りに落ちていたらしい。
目が覚めると沈丁花の妖精が、僕を見つめていた。
驚き、非礼を詫びる僕に、彼女は微笑みながら、
この屋敷には自分一人しか住んでいないので、なにも気にする必要はない。
ゆっくり眠ったようだから、お茶でも淹れてあげましょうと言って、部屋を出て行った。
その部屋には、なにも家具らしいものはなく、
僕が眠るベッドが一つあるっきりの殺風景さで、
彼女には、およそ似つかわしくないところだった。
しばらくして、小さなお盆にティーカップを一つ載せて、彼女がもどってきた。
朝日の中で見る彼女は、少しやつれて、年老いていた。
熱い紅茶を僕に勧めながら彼女は、
貴方は以前に、私を見つめていた方でしょうと切り出した。
ええ、と僕が小さくうなずくと、彼女は寂しそうに話を始めた。
あのとき彼女には、親が決めた許婚者がいた。
しかし、どうしてもその男を好きになれなかった彼女は、
思い余ってあの夜、家を出たのだという。
だがそれから相次いで父母が亡くなり、
彼女が戻ってきたときには、この屋敷には誰もいなかったのだ。
思えば私のわがままからこんなことになってしまって、
今まで大事に育ててきてくれた両親の死水も取れず、
本当に申し訳ないと思っているのです、
といいながら、目に大粒の涙をためた彼女を、
僕はどうやって慰めたものか見当も付かず、ただ見つめているだけだった。
いつしか、紅茶は冷めてしまっていた。
彼女はハンカチを取り出して涙を拭うと、微笑を取り戻して、
こんな話をして御免なさい、もうおうちにお戻りにならないと、
奥様が心配なさいますからと、僕を送り出してくれた。
家に戻り、妻にその話をすると、妻は首をかしげた。
そんなところに豪邸なんてあったかしら。
確か今、マンションを作ろうと、整地しているところじゃないかしら。
でも、もしご迷惑をおかけしてきたのなら、
私がお菓子を持って、お話し相手になりに行きましょうと、
明るく言ってくれたので、僕は妻に任せて、日曜の午後を眠って過ごした。夕方、僕は妻に揺り起こされた。
貴方の言っていた家は、もう二十年も前になくなったところで、
でも確かに沈丁花が沢山植わっていた家だと聞いて来たの。
もしかして貴方、幽霊に会ったのではないの?
彼女の許婚者は、貴方に似ているみたいなのよ。
僕は、彼女が幽霊なんかではないと思った。
確かに存在していたのだ。
大体、幽霊に紅茶が淹れられるだろうか。
あの紅茶の沈丁花のようないい香・・・
沈丁花。
あの花は、紅茶に混ぜることが出来るのか?
花びらのない花など、どうやって混ぜるのだろう?
妻も僕も、二度と豪邸の話は口にしなかった。
だが、僕は一週間後に、豪邸のあった場所を通ってみた。
そこには、マンション建設中の看板が掲げられた塀が廻らされ、
屋敷の面影は残っていなかった。
ただ、風の中に、僕は沈丁花の香を嗅ぎ取った。
それは、確かに彼女の香だった。
咲くことの出来なかった花の、この世への思いを託した香だった。
《花言葉》 永遠
言葉を持たない花だって
愛する心は知っている
優しい声を糧にして
ひときわ華美な花が咲く
ああ わたくしの胸に咲く
あなたに秘めたこの愛も
僅かな笑みを受けたなら
きっと大きく実るでしょう
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