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読書日和 ~Topo di biblioteca~
2006年3月~4月に観た映画
2006年3月~4月に観た映画
ナルニア国物語 ライオンと魔女
イーオン・フラックス
エミリー・ローズ
ブロークバック・マウンテン
リバティーン
ナニー・マクフィーの魔法の杖
プロデューサーズ
Vフォー・ヴェンデッタ
ナルニア国物語 第一章 ライオンと魔女
闇の匂いが色濃いほど、ファンタジーは面白みを増す…と思い込んでました。
ナルニアに限っていえば、そんな先入観はいらないみたい。
想像を促す種があちこちに散りばめられていて、とにかく楽しい
この章では、白い冬から色とりどりの春へと季節が移り変わっていきますが
そんな、心の浮き立っていく感じがそのままファンタジーになってますよね。
春の喜びで気持ちが満たされていく。
それがそのままナルニアのイメージに繋がっているみたい。
この映画の公開を三月に持ってきたのは大正解!って気がします。
*「ナルニア国物語 第一章 ライオンと魔女」公式HPは→
こちら
ディズニーの配給ということで、あまりに子供っぽく作られすぎていたら
嫌だなあ…と思ってました。
(比較してはいかん、と思うのですが「ロード・オブ・ザ・リング」三部作を
堪能してきた身としては、それに劣らぬ作品に仕上げて欲しい~なんて
願ってしまうんですー☆)
うん、でも物語の質感なんかを考えるとディズニー配給で良かったなあと
思います。
無難におさめてしまう印象もあるけど、目をつぶりたくなるようなシーンは
このお話には似合わないもの。
四兄妹の中ではルーシイがとにかく可愛かったです
彼女の名前には“光”をいう意味が込められているそうで、
その存在感に納得します。
とても表情が愛くるしい♪
そして、お菓子の誘惑に負けちゃうエドマンド。
小学生のお年頃には、一番感情移入しちゃう役どころだと思うんですが
柊も彼がお気に入り(笑)
白い魔女になって、誘惑したくなりますー
今回は字幕版を柊一人で観に行きました。
家族で観に行く約束してますが、そうなると吹き替え版を観ることになるので
その前に~(笑)
このことは、ひ・み・つですよ。もちろん。
えーん、だってだって、どーしてもアスラン王の声はリーアム・ニーソンで
聞きたかったんだもーん!!
(吹き替え版を誰が担当しているか知りませんが)←…って開き直り
指導者、導き手という役柄はリーアム・ニーソンのはまり役って気がするのです。
後日、吹き替え版で二回目を観に行く予定してます。
それもまた楽しみですが、子供たち…二時間半を超える上映に
集中していられるかな?? と、ちょっと心配。
*
design by
sa-ku-ra*
イーオン・フラックス
たとえば「モンスター」のように、観てて胸が痛くなるようなんじゃなくて。
美しく、かつ逞しいシャーリーズ・セロンが観たい…と思いました。
金髪のイメージが強い彼女が、黒髪のショートカットで登場。
それだけでまったく“別人”のように見えてしまう…すごい。
印象に残っているのはアクションシーン以上に
その何気ない立ち姿、歩き方、うしろ姿。
凛として、上体が揺れない…その姿勢の良さ
美しい人って…独特のオーラがありますね。
見惚れてしまうな~。
…が、物語の方は今ひとつ…。
物足りなさが残ります。勿体無いことです。
近未来。終末を予感させる世界観。閉ざされた社会。
こういったモチーフからオリジナリティのある新しい物語を作り出すのが
困難に陥ってきたのかな…なんて思ってしまう。
或いは自分がみたりてしまったのかしらん?
映像で描き出す未来世界も、細かい所では「あ!面白い」と思わせる
演出があるんだけれど、全体として統一感がないような。
所々日本を思わせる小道具が用いられてるのが不思議です(笑)
うーん、うーん、例えば。
シャーリーズ・セロン演じる刺客がこんなに美しいんだから、
狙われる相手も物凄い美丈夫であって欲しかった…なんて。
ははは。そんな希望はいくら出してもキリがないんですけどね
*「イーオン・フラックス」公式HPは→
こちら
エミリー・ローズ
悪魔は実在するのか?
(あるいは悪魔の存在を公の場で立証することが出来るのか?)
そんな問いかけには何の意味もない、どうでもいい、と柊は思いました。
重要なのは自分がそれを信じるのか、否か。
自分は“何を”信じるのか、ということ。
それだけだという気がしました。
*「エミリー・ローズ」公式HPは→
こちら
神(と悪魔)の存在を信じる人、信仰を持つ人とそうでない人とでは
この映画(実話だけど)から得る感想はまったく違うものになるのではないかな。
柊はどちらかというと後者。
自分の外側に、第三者的な存在として(つまり明確な意思を持つ存在としては)
神も悪魔も存在しないと思ってます。
けれど自分の内側にはどちらも存在している(…内包している)と思う。
上手く言えないけれど。
映画を観ていて思ったこと…。
エミリーに対し、悪魔祓いを行ったムーア神父。
彼女に医療的治療を行わず、信仰によって救おうとするその行為こそが
柊には“悪魔”的に見えました。
神父の、エミリーに対する愛を疑うか、と弁護士は言ったけれど…。
その愛は信仰に対する“過信”でしかない、と思いました。
悪魔祓いに随行した医師は、彼女は欠神障害でも、精神障害でもなかったと
証言しようとしてました。
でも…それが神や悪魔の存在を狂信していた結果だったら?
信じるという行為は病気じゃなくて意思です。
でも、時に暴走する…と思う。
柊がこんな感想を抱くのは、悪魔の存在を信じていないから。
信じたり、疑ったりした瞬間にそれは自分に住み着くものだと思うから。
エミリーやその家族、神父はその存在を自分の内側に引き入れ、
認めてしまったのだな、と思います。
彼女や家族が神父ではなく、医師の診断の方を強く信じていたなら、
きっと違った結果を生んでいたのではないかなあ…。
(これも想像の域は出ないけど)
柊にはどうしても信じる方向を誤ったのだとしか思えないんです…。
そしてエミリー自身が、いずれ悪魔に憑かれた自分の存在が
キリスト教の広い信仰に繋がると信じていたことが、
責めるわけにもいかなくて、割り切れない…。
悪魔という言葉を用いるから惑わされてしまうけれど、
この内容と同じような裁判が日本でも行われていませんか。
病気や悩みが、医療機関では解決されない(と信じ)
宗教に救いを見出す人…。
信じすぎて、無理な信仰行為を行ったために命を落としてしまった人。
信じる宗教(あるいは対象)が違えど、柊にはこれらの裁判が、
エミリーの裁判ととてもよく似ているように思えてきました。
悪魔祓いという行為、もしかしたら
「自分は悪魔に憑かれている」と信じている人のマインドコントロールを
解く行為なのではないかしら。
信じるという行為…それはとても素晴らしい行為のように思うけれど
その対象をよく見極めなければならないのでは、と思います。
自分にとっては神に等しい存在かもしれなくても、
他者からみれば悪魔かもしれない。
神も悪魔も、結局は自分の内なる目が見せるもので、
自分の行為を正当化するための都合のいい道具なのではないかしら。
この映画、予告を観る限り
「ホラーだ!!」と思わせるものだったので、
実は観る予定はありませんでした。
でも、リンクさせて頂いている
哲0701さん
の日記を読ませていただいたら
俄然興味が湧いてきてしまいました!
観た甲斐ありました~。
哲0701さんの感想がなかったら観逃していました。
ありがとうございます
映画のほとんどが法廷シーン。
自分が陪審員の一人にでもなったかのような緊張感が続きます。
検事も、弁護士も、内に野心を抱えつつ言葉巧みに誘惑してきます。
あなたはどちらを信じるのか、と。
あなたなら、どんな結論を導き出すでしょうね…?
<まったく、おまけの感想>
悪魔に憑かれたエミリー…こ、怖かったです。
キアヌ・リーブス演じる「コンスタンティン」に登場してもらって、
彼に御祓いしてもらいたい!と心底思いました。
きっと彼ならば一発で祓えたと思います。
↑なんか、感想と矛盾しているなあ(笑)
ブロークバック・マウンテン
何処にもたどり着けない、気持ちの持って行き場がない。
行き止まりの場所…そんな印象でした。
*「ブロークバック・マウンテン」公式HPは→
こちら
どうして友情じゃ駄目なんだろうなあ、と思います。
(それは相手が同性でも、異性でも)
なんで恋愛感情とか肉体関係とか、ややこしいものを持ち込んじゃうんだろう、と。
その感情は友情の延長線上にあるようなのに、でも友情とは違う。
気持ちに枷を付けられちゃうのが苦手な柊には、
とても辿り着けない領域の問題です。
欲しいものはひとつだけ。
だから周りが目に入らなくなって、それ以外のものには無頓着になってしまう。
自分自身だけじゃなく、周りの人もみんなみんな傷つけてしまう。
それは幸せな“愛”じゃなくて、寂しい“愛”のように思います。
彼ら二人に関わった女性たちがとても可哀想に思えました。
周囲の偏見の目を恐れたのだとしても、
彼らは結婚なんてするべきじゃなかった…と思う。
妻のことを一番に愛していないのに、気持ちを裏切っているのに、
子供を欲しがるのは許せない気がしたんです。
(女は子供を生む道具じゃないぞ!!…そう思わせる台詞が許せんかった)
子供を欲しいと思う気持ちは、愛する人に対する一番の裏切りじゃないの…?
(こう思っちゃうのは中山可穂さんの小説を読んだ影響でしょうか?)
うーん、あの台詞がなければ二人の行き場のない思いも理解できる、と
思ったんだけどなあ…。
あ、そうか。
ああいうことが言えちゃうのはやっぱり彼女のことを愛していないから、か?
*****
すごーく仲の良い男の人同士の間には、
何だか女が入って行ってはいけないような空気を感じること、あります。
お互い「あ、うん」の呼吸で理解を示しあっていて、
「なんだ、なんだこの雰囲気は」と嫉妬したくなったりして。
肉体関係なぞなくたって、「アヤシイ」いや、憎たらしくなるほど
男同士の絆って深いんだなあ、と思うことがあります。
だからこの二人の感情も理解できなくはない…です。(←なんか違う?)
でも、気持ちの持って行き場がないというのは見守る方も苦しいです…。
*****
壮大な山や自然の風景や、画面いっぱいの羊羊羊の群れなど
ロケーションが見事でした。
アカデミー作品賞を有力視されていながら、受賞ならず。
「クラッシュ」に持っていかれてしまった…!って印象だったかな?
柊は「クラッシュ」を見逃してしまったので、どちらが好みかなんて
単純に比較は出来ないんだけども、
自分の内にある意識してなかった偏見とか、
或いは日常から離れて秘密の場所を持ちたいといった願望なんかを
静かに見つめなおす映画ではないかなあ、と思いました。
リバティーン
詩人が後世に遺せるものは言葉のみで、
その生き方ではないのかも…なんて思ってしまいました。
もちろんそうでない詩人もいると思いますが。
生き方、考え方がそのまま言葉に反映されるものなのでしょうが、
その人生をまざまざと画面いっぱいに見せられるのは
何だかとても痛々しすぎました。
*「リバティーン」公式HPは→
こちら
よく「才能が人を食い潰す」なんて表現を聞くけれど…
彼の場合そうは思わなかったな。
むしろ自業自得、当然の結末のように感じられたし。
でも、こういう映画は主人公が傷つくのと同じくらい、
観客も傷つけられるような気がします。
同情したり、感情移入して欲しいなんて端から望んでいない人に対し、
どう接すればいいというんだろう。
どんな思いを持って接しても拒絶されるのがわかってるんだから。
17世紀イギリスの放蕩詩人、ジョン・ウィルモット(第二代ロチェスター伯爵)の
人生を綴った映画なのだけど、猥雑で破天荒な所業が目に付いて、
どうして今評価されなおされてきているのかとか、そんな肝心な部分が
垣間見れなかったのが残念な気がしました。
(遺された作品を読んでも惹かれなさそう~な印象なのが、どうも…××)
この映画を観ながら、以前L・ディカプリオが出演した「太陽と月に背いて」という
映画を思い出しました。
こちらではディカプリオが詩人ランボーを演じてました。
自分自身傷つけずにはいられない、どうしてもそれを止められない、
そんな衝動に突き動かされてしまう人物像が何だか重なって見えました。
ジョニー・デップ観たさに映画館に足を運んだ柊ですが、
例えば「チャーリーとチョコレート工場」で観た役柄より、ずっとずっと
彼らしい気がしました(笑)
痛々しい。とても観ていられないという役柄なんだけどそれがぴったりくる感じ。
サマンサ・モートン演じる女優との台詞のやり取りが一番印象強かったなあ。
ピアノのサントラの雰囲気がいいな、と思ったらマイケル・ナイマンでした。
やっぱり…。
次にジョニー・デップを観る時は「パイレーツ…」のジャック・スパロウ船長だ!
ナニー・マクフィーの魔法の杖
子供たちの「観に行きたいっ!」との熱い要望にお答えして、
皆で学校が終わった後に観に行ってきました。
(…って嘘、嘘。本当は柊が一番観に行きたかったのさっ
)
だって、エマ・トンプソンとコリン・ファースが出るなら観たい…!
加えてサイモン役を演じたトーマス・サングスター君が可愛い…
七人のいたずら好きの子供たちと乳母(ナニー)との組み合わせは
メアリー・ポピンズの物語を彷彿とさせてくれます。
これはミュージカルではないけれど、すごくテンポが良くて
観ていて楽しい映画でした(*^^*)
子供と一緒に観るのに最適(笑)
*「ナニー・マクフィーの魔法の杖」公式HPは→
こちら
魔法使いの乳母を演じたエマ・トンプソンはなかなかの怪演ぶり(笑)。
「ハリー・ポッターとアズガバンの囚人」のトレローニー先生役に
勝るとも劣らない存在感のある人物でした。
うーん、すごいメイクでしたっ!
コリン・ファースが七人の子持ち、という設定に驚いたりして。
気持ちの優しい、どたばたぶり満載のお父さん…こういう役柄も嵌りますね
アンジェラ・ランズベリーが意地悪な叔母さん役で出演しているのにも
笑ってしまったし。
ああ、でもでも一番はサイモン役のトーマス君でしょうか。
「ラブ・アクチュアリー」でリーアム・ニーソン演じるお父さんの息子役で
出演していた、とても目が印象的な男の子。
最初は無茶苦茶悪態ついたりして、「ううううっ!」と唸らせるんだけど
後半にいくにしたがって可愛さ倍増~です。
気持ちがほっとしたいとき、何度も見たくなりそうです。
でも、その時は吹き替え版じゃなく字幕で観たいなぁ!
「何故、字幕版の上映は行われないんだ~っ!!」と叫びたくなった柊です。
プロデューサーズ
出てくる人、出てくる人、皆なんでこんなに変…!
いや、個性的なんでしょうー
ミュージカル…なんだけど…すごくコメディ!でした。
柊より年上のお客さんたちが無茶苦茶受けていたのが印象的でした
*「プロデューサーズ」公式HPは→
こちら
出演者、特に主役の二人はもう「あ、うん」の呼吸と言うのでしょうか。
絶妙のタイミングで台詞とギャグを飛ばすので、
見ていて気分爽快です。
それでいてラスト近くのナンバーではしっとりした気分にさせてくれるのだから
不思議です…
音楽、歌の力はすごい
映画→ブロードウェーで舞台化→再び映画化…となったようですが
こういうミュージカルはやっぱり舞台で観てみたくなりますね。
Vフォー・ヴェンデッタ
まったく架空の物語、フィクションとして楽しめるか、
(もしくは過去の出来事を風刺した物語として眺めるか)
或いは現在への警告を多分に含んだ作品として観るかでは
随分と印象が違ってきそうだなあ…と思います。
『マトリックス』三部作のクリエイターたちによる作品、ってことで
『マトリックス』のような“映像”を期待して観に行くと
「あれ?」と思ってしまうかもしれない。
…ちなみにこれは前者の観方ですね。
Vという存在が“正義の味方”ふうには描かれていなかったのが意味深かも。
独裁国家に対してその転覆を望む姿勢は“正義”を思わせるけど、
やっていることはテロ行為と変わらない。
観る人によっては充分“悪役”にも見えてくるところがむしろ好感を抱かせます。
観ていて何故か、伊坂幸太郎さんの『魔王』を読んだときの印象が甦りました。
目に見えない、人の心の中にある恐怖を操ろうとする“誰か”。
扇動されることに対する怯え、恐れ、陶酔。
漠然とした不安を抱え込むことへの落ち着かない気持ちがふつふつと
湧いてきてしまいました。
*「Vフォー・ヴェンデッタ」公式HPは→
こちら
それにしても仮面をつけたままの演技、というのは難しそうです。
感情を抱いていても、それを表情として見せる事が出来ないから。
この仮面、すごく印象深い。象徴的です。
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