9.お誕生日会


 話をアトピーに戻して。
 アトピーの状態がとてもひどかったので、何度か温泉に通った。行くとそのときはいいのだが家に戻るとまたひどくなった。子供にあった温泉に入ればそれなりに効果があったが、合わないところに入ってしまったときはようなるどころか、温泉に入ったらとてもひどくなってしまった。1回目ひどくなったのを気のせいだと思い、もう一度いれたらさらに悪化。あわない温泉があるということに初めて気づいた。病院の先生には海水の入っている温泉がいいよ。と薦められた。海に行き、潮風に吹かれ、そのあと温泉に入った時はとてもよい状態になった。そして、9月頃にはとてもきれいになり、「なおった」と私は思った。が、一時的なものだった。11月に入ると少しずつ顔が赤くなり、汁が少しずつでるようになった。春の悪夢がよみがえってきた。アーひどくなる。母の勘でわかった。春から夏にかけて顔が最もひどかった。かさぶたができるとそれを掻いてしまう。という話は前にかいたが、状態は単純なものではない。かさぶたといっても、全部ぐちゃぐちゃのところに少しずつ、魚のうろこがくっつくような感じで何十もの層になってできていく。そして、魚のくさったような異臭を放っていた。もちろん、自分の子の匂いだし、私はまったく気にならなかった。だが、かなりくさかった。そしてかさぶたができると私は条件反射でその皮をめくっていた。気づくと手が動いている。そしてそこにひいたテイッシュには、かなりの量のかさぶたがあった。かさぶたをとったらなおらないからとってはいけない。ごくごく基礎的な考えればだれでもわかるようなことも私は気づかなかった。かさぶたをとればつるりとした、きれいな肌だった。ただし、それは一皮めくった下の皮膚であったから、ぬれていてかわくことはなかった。下着類には黄色の汁が体から染み出た。上にきている衣類も首のまわりはきいろく色がついた。数年後、次男が生まれたがあまりのひどい状態でお下がりはまったく使用できなかった。
 1歳のお誕生日。彼のために店で売っている一番小さな円いケーキを買い、ろうそくをたてた。だが、彼の口にケーキがはいることはなかった。小麦に生クリームそんなものを食べさせることはできなかった。仕方なく主人と2人、子供が眠ってから寂しく食べた。
 春先から半年以上週2回ずつ半日以上かけて病院に通っていた。まだ小さかったので抱っこひもでくくりつけ往復していた。そろそろ体重も増え、前に抱えているには危険が伴うようになった。かゆみがとまるということでレーザー治療を続けていたが、掻くのは相変わらずだった。レーザーをあてるときにいつも叫び泣き騒ぎ動くのでどうしても看護婦さん2人で押さえ、私も押さえ、もう一人の看護婦さんがレーザーをあてていた。終わると一汗かくという感じだったがこれでかゆみが止まるなら頑張ろうと通っていた。だが年末年始の長期休暇に病院がなったため、初めて2週間ほど間があくことになった。とても不安だったが、レーザーに行かなくても痒がり方はあまりかわらなかった。そのため、年明けの診察で先生にそのことを告げると「騒いで泣いてということで、もしかするとあまり効果がでていないのかもしれない。」といわれた。そのため、1週間に2度のペースで病院に通う生活には終止符を打った。それからは週一回土曜日に父親の車で通うに用になりずいぶん通院という点では楽になった。そのころになると、飲み薬と入浴剤、酸性水をもらうのが常であり、時々紫雲膏をもらうという感じだった。予防接種もいろいろ打つ時期であった。麻疹については、「卵」ということでパッチテストをおこなった。その結果遅らせることにした。その後半年に一度ずつパッチテストを行い、その結果予防接種OKの結果がでるまで1年半以上かかった。
 冬の間はかさかさで、指はしもやけになっていた。あまり外にでなかったが、いつも機嫌がわるく一人遊びはできない。料理をつくる時間もないため、料理は一日に一品。それを多めに作りおきし、毎日小出しにした。私は子供から離れたいばかりの育児ノイローゼになっていた。




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