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私は白亜の城のガラスケースの中で眠っている。何かがそばで動いているのに気がついて目をさます。白いタキシードがその中に子供くらいの人をいれて歩いている。だぼだぼの姿が面白くて一体何が起きるのだろうと思っているとその人は私の姿に気づいて その大きさを大人の大きさに引き伸ばした。『どうも~』と笑っているその人を私は 微笑んで見ている。『いやあ、時空の裂け目から落っこちてきちゃって 大きさがどれくらいにしたらいいのか判らなかったから どうも手間取ってしまって。』その人はニコニコ笑いながら照れている。その人の胸には美しいハートの形をしたガラスのなかに これまた美しい緑の液が入っていて その美しさといったら 美しいという言葉さえまだるっこしいくらい美しかった。『ここに一人でいるのも退屈するでしょう。 ですから ちょっとダンスでも踊りませんか?』「ダンス? あの、 踊れるかどうかわからないんですけれども、、。」『大丈夫ですよ。 この世界では 踊れると思えば踊れるんですから。』「私はこのガラスケースのなかで 静かに眠っていなければいけないのです。」『はい。 わかっています。私がこの城に来てから このハートの緑の液がすこしづつ減ってきています。私はこの城をいつかは去らなければいけない定め。貴女はこの城にずっと居なければいけない定め。ただ 今ここにこうして 共に居られるならば 残された時間に 二人で踊りましょう。』見ると確かに ハートの緑の液が少し減っている。彼が私を引き寄せると 音楽が始まった。そうしてくるくるくるくる クルクルクルクル回る回る 二人が回る何時しか時がすぎて 彼の体の動きが止まった。『見て御覧なさい。』「うわ~~~~~~っ!」私たちが踊りまわった白亜の城のホールにそれはそれは色とりどりの美しい小さなかたまりが浮んでいる。ブリリアントカットかれたダイヤモンドのように小さいけれども素晴らしい輝きを放って 浮んでいた。「うわ~~~っ!」私たちはあまりの感動に 言葉も無く立ち尽くしていた。私が昨年見た夢の中で一番美しくて ロマンチックで ずっとずっと大切にしたい夢です。あの空中に浮かんださまざまな色の美しい輝きを私は忘れることはないでしょう。新しい年 それぞれの魂の色の輝きを慈しみ心から愛し それがゆえに違いを尊重しあって さらに互いの輝きを増していけるような年にしたいと思います。どうぞ皆様 今年もよろしくお願いいたします。
2007年12月31日
先週書きましたいくつかのブログの反響が思っていたよりも大きくて その後 人と会う事になったりまた メールでの新たな交流が始まったりして すこし忙しい日々をすごしています。現在このブログにはコメントが入れられない設定を選んでいますが もともと私はどなたとでもオープンに交流したいと思っておりますのでメールを頂いた場合は時間がかかっても返信させていただいています。人というものは 私はこう思っていますということを勇気をだして言って初めてそれと同じ事を考えている人々との接点ができ 新しい交流が始まるものだとつくづく思いました。また 今ある意味、時間がないとなれば 必要なことは 常に起き続けるし また必要な人とは会えるようになっているようです。さて アトランティス、ムー、レムリアの転生を持つ魂のことを書いた26日ニーナカロライに 長年クリスタルにかかわるお仕事をされている方が来られました。ずっと潜んで活動されていますので 皆の知らない方です。其の方にブログに載せた記事を読んでいただきました。其の方は こうおっしゃいました。『貴女の書いておられることは 其の通りです。本当に其の部分を担っている人々は表にでないで 其の時期が来るのを待っています。まず 私達は自分自身を救わないといけないのです。そうしないと アトランティスのカルマと向き合おうとした時に 自分の闇によって消されてしまうのです。そうやって 何人もの仲間が消されました。』消された? それはどういうことなのだろう と思いました。質問したい気持ちを抑えて 私は黙って其の方の話を聴いていました。『よほど慎重に動かなければ 闇の勢力に妨害され時期を間違って世にでれば 人々をまき沿いにしてしまうのでどうしても慎重にならざるを得ないのです。今は私は動けません。 自分自身の中に封印された大きなエネルギーをどうだすかを 見極めなければ 自分自身を救わなければアトランティスの課題に向き合うところまではいかないのです。私はクリスタルを愛しています。その愛によって この課題を乗り越える道を探していきたいと思います。』「貴方と同じ事をおっしゃった方が 今月半ばにニーナに来られました。彼女もまた 今まで潜っていた人です。 彼女はレムリアの末裔ですが アトランティスの人々がテクニックによってクリスタルの力を間違って使うのを阻止できなかったことに自責の念を強く頂いていて 今度こそはその部分を修正したいのだとおっしゃっていました。彼女もまた 私はクリスタルが大好きなのだと。」この日私は 彼が帰っていかれる姿を見送りながら 彼が彼自身を救える日が早くおとづれるように祈りました。自分を救うためには 自分を解放しなければならない。 けれどもそれは 諸刃の剣で本来の自分を解放すると 封印して押し込めていたネガティブな自分もでてきてしまう。それに打ち勝つことが 先決なのでしょう。彼らはニーナに集まってくるサンカのブループとはまた違います。サンカの人々も心傷ついている人が多いですが 同じ鉱物を扱っていても より自然の中に解けこんでいるような感じがするのに対して彼をはじめとしたアトランティスで神官、政治の高官をしていたような人たちは石という魔術的な力を出すツールを扱うことによって力を得たのですが ある意味ではそれが 自分ではハンドルできなくなった時に 恐れが生まれるように見受けられます。また サンカの人々には空海や役小角や丹生都比売(にうつひめ)等のサポートがついていて常に導いているように感じますが この海に沈んだといわれている大陸の人々を当時守護した神の存在をあまり感じないのは私だけでしょうか?また サンカは山の民ですから 身ひとつで動きます。仮に鉱物からまた自然からの恩恵を引き出すようなことを行ったとしても 其の必要がなくなれば また身一つになって何も所有しないようです。それに対してこの失われた文明の影響を受ける人々は 必ずといっていいほどクリスタルをはじめ さまざまな魔法のツールを手元においています。アセンションにおいてはそれらは必要の無いものです。彼らのさらなる魂の向上のためには このニーナに来られた方のように心からクリスタルに対する執着を手放した心境の上に やはり自分はクリスタルをかけがえなく愛おしく思い それと共に生きていくという境地が生まれてくるのでしょう。もちろん それに至る段階には それぞれのパビリオンがあって最初のパビリオンでは はじめてクリスタルに出会い、わあ 楽しい楽しいと喜んでいる人々のパビリオンもあれば 体の治療などのためにそれを一生懸命役立てることに意欲をもやしている人たちのパビリオンもあり また 音楽として素晴しいクリスタルミュージックを奏で 観客と喜びの波動を分かち合っているパビリオンもありますので これはそれらの人々やパビリオンを否定するブログではありません。今お話しているのは クリスタルをあつかうテーマパークのなかのある一つのパビリオンの話で そのパビリオンは宇宙が収束の時代を向かえ 過去のカルマの解消を一気におこなっている段階でクリスタルが大きな原因となって 非常にネガティブな波動をつくりだしたままになっており それがこの今の3次元社会に暗い影をなげかけているのをなんとかしたいと 取り組む人たちのパビリオンのお話です。あの時代の転生で苦しんでいる人たちは 私には理解できないような重い苦しみを抱えているのだなあと 半ば見守る気持ちでその夜は眠りました。翌朝 (今は其のエネルギーはぬけているので こうやってのほほんとブログを書いていますが)あの朝は物凄く力強い口調で メッセージを伝えてくる存在がありました。『其の時代に起きた問題は 其の当時の人々が知恵を集めても上手くいかなかった課題なのだ。 今 貴方達はその課題に向かおうとしているが 大半の人たちは皆がいる3次元の自分の目線と この3次元の頭が想像できるであろうアトランティスの時代の目線でモノを見て感じて ああ難しいとあきらめているのだ。宇宙空間の中では 更に上の存在たちが常に見守っているということを忘れてはならない。 意識を課題のある次元に持っていかないで その更に上にある次元に働かせよりそれらを包括したエネルギーを出している存在たちとの共同のワークを感じてみなさい。自分よりもさらに進んだ古い魂たちに 心をフォーカスすることによって心のなかに 今までにない新しい叡智が生まれることを信じて欲しい。また 一方で 「我は宇宙の古い魂である」と自覚のあるものは 今よりもさらに次元をさかのぼって 自らの魂のカルマの修正をおこなう必要があることも強く提示するものである。なにゆえ この3次元世界での人々の救済にその労力を使っておるのか。自らがもっと上の次元で犯したカルマを修正することに当たるほうが よほどこの次元の波動を軽くすることができるというのに。3次元のスピリチュアルワーカーとして甘んじることなく 更なる高い次元での自らの負のエネルギーの解除をおこなうことこそ大切である。』この地球で起きていること、 この世界で探求するべき魂の課題の原型はずっとずっとさかのぼっていくと 宇宙の琴座の辺りで起きた出来事の投影であるという人たちも沢山います。もし それが本当であるとすれば 気がついた人から更に上の次元での自らのカルマの修正に向かうことが大切なのでしょう。そして それは苦しい試みではなく 最終的には大いなる光の中に帰還する喜びの旅であり その旅がそのように設定されている以上は また宇宙の動きも今はそのように波動を上げる動きとしてサポート体制に入っているからにはあっさりと 負の波動を手放して皆で うれしうれしの喜びの交響曲を奏でるほうに心を向けたほうが良いような気がします。さらなる高みに皆が向かうことができるよう 心から祈念いたします。といっても 人それぞれですが私は来年は そういうパビリオンを作ろうと思っています。
2007年12月29日
宇宙が外に向かって膨張するなかで さまざまな魂の探求がおこなわれる段階が長い長い悠久の年月の中で試行されてきたのが 今 宇宙が次の段階に突入し これまで外へ外へと出したエネルギーを 今度は内へ内へと収束する動きに入っているように感じます。其の動きの中では 個人的な学びからより集団意識を浄化する動きに入っているようですがこの頃 私に寄せられるメールなどから察するに その引きのエネルギーが丁度今アトランティス、ムー、レムリアでの転生に関係する人々にその学びと修正の波動を強く送っているように感じます。この地球上にいるそれらの人々が 彼らのこれらの次元にかかわりのある霊集団を背後にくっつけながら一緒になって 彼らのカルマの最後の修正と気づきを行っているようです。先日 日本神界で私が強く感じたテーマは 民族による争いと支配から生まれた憎しみ、悲しみのエネルギーをどう解き放って 互いに相手を理解しあう方向に和合していくかということでした。しかし このアトランティス、ムー、レムリアの転生を持つ人たちに関しては民族の争いというよりも 幸せを何によって求めるか それが物質によるパワーか?それとも自然との調和の中で愛によって求めるか? というテーマであるようです。それは今日の物質文明にも大きな影響を与えている過去から引きずっているテーマです。しかも 彼らのほとんどが悲劇的な結末を過去に体験していることから それが彼らの魂の深い傷となり封印され、なかなか 自己を解き放つことが難しいようです。そうやって おそらくはスピリチュアルといわれる分野にいながらも どうしても解放できないでいたものをこの度は いやおうなく開いていかないといけなくなっているようです。今、おそらくはスピリチュアルといわれる分野にいながらと書いたのですが 実際、クリスタルを使う人々は過去にこれらの大陸に生きた記憶を持っている方が多いようです。彼らは専門家として人々をヒーリングする仕事についていますが 本当のところはクライアントとの学び合いの中で自らの魂の向上を図っている状態です。クリスタルを扱うワーカーがその楽しい部分、癒しの部分をもって人々の幸せに貢献してくださっている部分は認めるところなのですがしかしながら その深い深い根っこの所でクリスタルのパワーを間違って使ったことによって彼らが愛する大陸を失ったという課題に向き合う真のクリスタルワーカーはほんの僅かであるかもしれません。そのような究極のところを頑張っている魂の苦しみを感じると これまでのうれし、うれしの活動が出来なくなってしまう恐れもありますから 彼らは彼らでクリスタルツールを使っての喜びを生み出すテーマパークでの学びを続けることが第一です。しかしながら 最終段階としては これらのツールを心の中から手放した所の 深い深い魂の気づきが宇宙のエネルギーを変えていくことになるようです。過去の恐怖が大きいので出来れば いつまでも目をつぶっていたい所なのですがしかしながら 時はいよいよ其の課題に向かって光を当て始めたという予感がします。宇宙の収束が 其の次元の上を通るとでも申しましょうか、 それを見ていく時期が来ているということです。例えばレムリアですが 今まで様々なところでレムリアのことは取り上げられていてそのコミュニティーを作って さまざまな活動をしている方たちは多いと思います。けれども 本当にそれとかかわっている人たちは 今まで表にでないで潜んでいたと思いますしそういった 本当にそれと関わっている人たちが今、正念場を迎えているような気がします。もちろん今まで表に出て活動していた人たちも 業界の宣伝係りとして 重要な働きをされています。私、ひめのにしても 未熟にも関わらず こうやって沢山の方に読んでいただくブログを与えていただいているのも ただ単に宣伝塔として動いているだけであって本当に凄い人たちは 表にでないで 秘かに耐えて頑張っておられるのを感じます。宣伝マンがたくさんの人を道連れにしてコケてしまっては困るので 宣伝マンは比較的浅い所の情報を扱っている感じがします。本当に深い部分で関わってくれている人は 表には出てきていないのです。本人すら まだ覚醒していないケースもあるかもしれません。今日のメッセージはそのような人たちに対して降りてきております。『内なる予感に 怯えるわが子たちよ。どうかその記憶とパワーが 内から湧き上がってくるのを恐れないでいだだきたい。かつて一つの文明を崩壊させたそのパワーも今や貴方のその深い悲しみゆえに 正義のコントロールを得、貴方のその深い平和への願いゆえに 愛の光、注がれる。恐れから生まれるものは また別の新たなる恐れでしかないのだ。深くてとてつもない恐怖を体験したからこそ そこから学びあがったところにある真の幸せを生み出す世界が開かれるのである。貴方は決して一人ではない。 課題を同じくした守護集団が日夜貴方のそばにいて貴方のことを見守っているのだから。勇気を持って 自らに課した封印を解くのだ。恐れに打ち勝ち 深い信仰の中で輝ける未来を信じて疑わないことが大切なのだよ。貴方は一人ではない、 常に天と繋がっている。 そう思ってごらん。貴方の心の中で何かが変わるのがわかるだろう。』 宇宙の古い魂は 過去生において他の次元でさまざまな体験をしています。なかには それを解放することが難しいときもあるのでしょうね。自らを解放することは 悪の部分の解放も同時に行われることになるのですからそれを上手にコントロールするだけの叡智が必要です。叡智はテクニックによるパワーから生まれ来るものではなく純粋に天の愛から発せられるものです。
2007年12月26日

今日はとても良いお天気でニーナの大掃除もはかどりました。実は皆様にはお伝えしていなかったのですが 11月から12月にかけて井戸の水の水位が低くなっていたのです。ニーナに入ってから始めてのことでした。 日照りのシーズンでもないのに何故なんだと不思議に思っていました。私は毎日空の雲の様子と 井戸の水の様子を見ながら 自然界から様々なメッセージをうけとるように心がけています。なぜ井戸の水が今までのロープの長さでは足りない位へってしまったのか、、、。実際はこのロープのとどく水面から まだ3メートルは下に水がありますので井戸が枯渇する恐れはないのですが、この現象は不思議でした。 各地で連続して目撃されている虹と井戸の水位は関係があるのかもしれないと考えてみたりもしていました。ニーナは京都の水脈と霊道の上にありますから このニーナの井戸は私達が京都の地下水の状態を把握するためには大切な場所であると思います。私の意識の中では 鳴門と富士をつないでいる場所の上にあるように感じています。其のニーナの井戸が昨日まで 水をあげてくることができなかったのが今日は久しぶりに たゆたゆと豊かに水をくみ上げることが出来ました。今日は 京都は雲ひとつありませんでした。なぜ今日 水位が上ったのか、、 冬至、クリスマスを過ぎて何かが変化したのか、、私には分かりませんでしたが でも 井戸の水を使って 瞑想室を拭き清めることができたことは喜ばしいことでした。さて 綺麗になった瞑想室に座って 写真撮影です。う~ん、 『せっかくだから 写りたい人集まってきてください。』『皆で記念撮影をしますよ。 サナトクマラでも サナンダでも 誰でもいいですから記念撮影に写りたい人は集まってくださいね。』はい、チ~ズ とカメラのシャッターを押すと こんな具合の記念撮影となりました。呼べばすぐにその存在たちがやってくる そんな世界にもだんだん慣れてきました。私達は瞬時にして 私達の想念がリンクする世界をひき寄せてしまいます。それだけにどこの世界とリンクするか、、 毎瞬、毎瞬、常に自分の心を律していくことが大切だと思います。
2007年12月26日
クリスマスイブの夜 私の3階の寝室に一人の女性が立っていました。どこか宇宙的な服をまとったその女性はこの様に伝えてきました。『貴女が今に何を思うかによって未来のエネルギーを意欲的に生み出そうとしているのはよく分かります。今という時点においてどのようなエネルギーを生み出すかで過去も未来も変わってくるのですからすべてはこの今にあるのです。ゆえに 貴女が今を楽しみ ワクワクする気持ちで未来のスクリーンを見つめているのもわかります。しかしながら 私は貴女にあることを伝えなければなりません。それは貴女は未来において この地球を去り 宇宙への帰還の旅に出るポイントをどうしても通過しなければならないということです。そして それまでの時間は貴女が思っているほど長くは残されていないのです。今やすこしも寄り道をしている時間がないのです。どうか直線コースの最短距離をいく道を選んで下さい。仮に地球を去る日をXdayとすると 今とXdayをつなぐ線を引き 其の線上の道にのみある天と約束しながらもまだ やり終えていないことを 過不足なくおこなうよう強く意図してください。』そういうとこの白い服をまとった女性は姿を消しました。この女性と出会うのはこれで2回目です。私にはこの人が未来世の私であるニーナカロライであることがすぐに分かりました。----------人はいつかはこの地球を去らねばならない。 それは私だけではなく いつかそのXdayは全ての人におとづれる。けれどもたいていの人はそれはずっとずっと先のことのように思ってある意味安心している。天と約束したこと、自分自身でも行うと決めてきたこと それを過不足なく行う、、、過不足なくおこなう、、、。明日は一年ぶりに『宇宙のワーク』の瞑想をおこなって 自分のブループリントを見てみることにします。このブループリントですが 初期の頃の自分の設計図を読んで行ったとしてもまたその下に次のレベルの設計図があるようです。また 守護霊団もその人のその時の成長の度合いによって サポート体制を変えてくるように感じます。過不足なく行う、、、。過もなし 不足もなし、、、。 大変難しい注文ですね。何を行って 何を行うべきでないか、、、。行ってもいいのだろうけれども そうすると肝心なことが出来なくなるということですね。答えはハートの中にちゃんと入っているようです。
2007年12月25日
クリスマスを向かえ 街のあちこちで音楽が流れています。ベートーベンの第九を始め いろいろな交響曲が大きなホールでも小さなホールでも演奏されています。町中が イエスさまの生誕を祝って輝いているようにも感じます。オーケストラといえば この宇宙は一つの大きなオーケストラとして 交響詩を奏でているように思います。私達人間の魂の学びをオーケストラに例えたら どんな風になるだろうかと今夜はずっと考えていました。喜楽天道さまもこのオーケストラの話をよくしてくださいますが ひめの流オーケストラ参加方法を考えてみました。今夜は弦楽器のバイオリンという楽器を通して そのあたりのことを考察してみたいと思います。さて今オーケストラの団員として これからある交響曲を演奏することになったとしましょう。オケの練習は 皆がステージに乗る前にパート練習というのがあります。弦は弦だけで 他の楽器の音が聞こえない部屋で 音を作っていくのです。この各楽器のパート練習ですが 例えて言うならば 同じような嗜好を持つ人々の集まり同じスタイルで魂の学びをしているよく似たグループといえるでしょう。おやおや? ある人は どうやら変な音を出しているようですよ。そういう場合ですが パート練習に入ってしまうと全体の音にかき消されて自分の音をしっかりと聴いて出すという訓練の比率が低くなります。そういう時は いったん独りになって 静かに音を作る練習をするほうがいいですね。さてどうしたら 良い音がでるかですが練習方法は大きく分けると 二つありそうです。一つは技術面のこと。 ちゃんと音がでるように根気よく自分で練習します。自分でやらなければ上達しない 音が出せない 変わりに誰かにやってもらうわけにはいかないですね。この辺りは自分の魂の学びは他の人にやってもらうわけにはいかないというのと同じです。二つ目の課題は 音を作るのには技術的に音程をしっかりさせる以外に 音色を豊かにつくりあげることも大切なのです。美しい音を奏でるためには ドレミファソラシドを間違えないで弾くことばかりでなくその音にどのような色をつけるかが大切なのですね。同じドでも 哀しい音色、嬉しい音色、湿った音色、乾いた音色、美味しい音色、ウキウキするような音色、憂鬱な音色、 光輝く音色、恐ろしい音色、メロン色の音色、 初恋の音色、、、。それらは様々な体験をすることによって生まれるものです。こうして一人ひとりの楽器奏者が 自立することによって初めてグループのパート練習はしっかりしたものになります。グループの学びとしてのパート練習はお互いに 同じ音を奏でながら 互いに共通点を学びあって とても楽しいものとなりますね。グループ特有の集団意識も芽生えます。あれあれ? 誰かが 「オケの中ではバイオリンが一番さ!」 なんて言っていますよ。あっちのグループでは 「なんてったって 管が一番だよ。弦楽器の伴奏をバックミュージックにして 俺達トランペットの音が ファンファーレの音を高らかに奏でるんだから 主役は俺達さ!」 なんていう声も聞こえてきますね。グループを作るとそこには閉鎖的なエネルギーが生まれやすくなります。同じものを追求する以上は その人たちの総意の場のエネルギーが生まれるのですがしかし 他のグループも交響曲を奏でるために 彼らなりに一生懸命練習していることを忘れてはいけません。ゲネプロ(直前リハーサル)では 互いの音を聴き合いながら それぞれの楽器が生み出す音を まるで織物のように縦糸、横糸の美しい音の糸を織り上げていきます。どの楽器が抜けてもだめだし またオケは生き物ですから 仮にさまざまなアクシデントが起きたとしても 互いに助け合っていくことが大切なのですね。今 私達の魂の地球空間での学びということを 感じてみるにあたり それぞれの個人の魂の学びから 集団としての魂の学びに移ってきているように思います。互いの良さを理解しあい 互いの違いを否定するのではなく より豊かな喜びをシェアーしあえるようにすべての困難を乗り越えていく叡智を天から受け取っていくことが大切です。今、それを促すエネルギーが天からどんどん流れてきて心を開いてより大きなオーケストラに参加する喜びを享受するように伝えてきているように思います。閉じたグループは より開かれたステージの中での自らの解放と喜びのエネルギーの照射を行い また 今までグループ回りばかりに囚われて 自己を確立する時間が少なかった人は安心して内省できる時間が持てるといいですね。オーケストラに参加するようになっても 自分一人で静かに天とつながって自分の音を感じ精進することは ずっと必要なことであるしまた 自分の学びが進まなくて綺麗な音が出せないから オーケストラのパート練習に参加してはいけませんと言うのではなく いつだって参加は可能なのです。プロのオーケストラよりも 音は不ぞろいだけれどもアマチュアのオケのほうが感動するからそっちが良いという人もおられます。 本当に精妙な形で 私達は生かされそして 魂の学びをするチャンスを与えていただいているのだと感じます。全員参加型の地球オーケストラ そして 宇宙オーケストラ、 素敵な音がこの宇宙に鳴り響きますように。クリスマスの日に 共に生きている全ての存在たちに感謝をこめて。
2007年12月24日

夜行バスで京都に戻ってきました。 今、京都金閣寺の方の家でこの3日間の思い出を振り返っています。 つくづく私は語彙力が無いなと思うくらい 今回出雲で見たシーンは言葉に表すことができません。たとえどんなに素晴しい作家であったとしても 言葉を超えたところにある世界は見た者 経験した者でないと分からないかもしれません。須賀神社のほうの八雲山に登った時の映像をアップしてみました。この写真では分かりにくいのですが 山々に雲が沸き立って それが刻一刻と変化していきました。そしてずっと遥かかなたにまで広がる山々と空との境界が溶け合っていて その境界線の上の世界はこの世の空ではないように感じられました。この日は天気は曇りで 気圧の変化が激しい日だったそうです。カメラをグレーの曇り空に向けると 空が紫色の光で覆われました。このカメラが其の様子を捕らえています。空からあまねく降りてきている紫の光、 其の光が出雲の神々の住む山々のなだらかな曲線と溶け合ってなんともいえない荘厳な風景をあらわしています。よく天からエネルギーが降りてくるといいますが こうして実際に地上に降りてきている紫の光を見ると すごいなあと思います。このエネルギーが全てのものの上にあまねく降りてきている中で それを受け取れる人と未だにこの3次元の幻影の中であえいでいく人々との差が これからははっきりとしてくるだろうと思いました。もしも 閉じた世界のなかでネガティブな幻影に苦しめられている人があるとすれば今すぐにでも 心を大いなる愛に明け渡して ハーモニーを感じる方向に向かわれるように願います。私達の心を今何にリンクするか それが大切なことであると感じます。皆様にご心配いただきました ゆうきりな様の出雲のゲストハウスの霊たちですが この八雲山の荘厳な光景を見られたゆうき様のなかで強烈な意識の変換が起こったのです。その変換した意識のなかでは 今までゆうき様が 「このままゲストハウスにいれば私は以前のここの住人達のように死ぬかもしれない。」とさえ言わせてゆうき様を困らせた幽霊たちがもはやそこに存在することが出来なくなったのですね。今 全ての次元に天の愛のエネルギーが降りそぞき 其の次元の上昇と各次元間のハーモニーが行われているのを感じます。哀しい歴史を持つ出雲の国に クナトノ神の笑顔や コトシロヌシさまの笑顔が感じられます。 大国主様たちの苦難が報われ 出雲の土地はどこへいっても光輝いているように思われました。さて 昨夜から出雲大社のイメージがずっと降りてきていましたが そのイメージは八雲山の拝殿としての空中神殿のイメージでした。(古代出雲大社の復元)今朝 雨の降りしきる中を 出雲大社までゆうきさまに連れて行ってもらいました。大社につく頃には 雨はやみ あちこちから群雲が沸き立っていて とてもとても荘厳な感じがしました。八雲山は高次宇宙への発着場のように感じます。不思議な感覚ですが 鞍馬の岩倉の感覚と似ています。おそらく 古代にはこの空中神殿を真に使うことのできた存在が神々と呼ばれていたのでしょう。さて 今日は松江で 小泉八雲の資料館をみて 美味しい出雲そばも食べ 松江から高速バスの出る米子まで帰る途中のことです。前回もそうだったのですが 途中の古墳群の中を車が通ると特別なエネルギーが飛んできてもう目を開けることもできません。嫌な感じではないのですが なんだろうと思っていると 『よもつひらさか』という言葉が浮かびました。ゆうきさまのお話ですと なんでも其の辺りには イザナギとイザナミに関する神話が残っている所で 黄泉の国の入り口があるといわれているところだそうです。このエネルギーが何かは今は分かりませんが ちょっと気になる場所でしたのでここに書いておきます。出雲、、、本当に古代のロマンに包まれた素敵な町ですね。 私は大好きになりました。
2007年12月23日
今夜は旅先の出雲からのお便りです。昨日は 小泉八雲が神秘の森と呼んだ場所を 散策しました。ここは八又の大蛇から櫛稲田姫が身を隠したといわれている場所です。小さな小さな宝物館には 木にかかれたスサノオ尊と櫛稲田姫の古い古い絵があってそれがもう長い年月の間に風化して見えなくなってきているのですが すごくきれいだと思いました。その後は 八重山に行きました。 須賀神社から車ではしり あとは山を頂上まで登るのですが その上になんとかたどりついた時 その世界が この世のものとは思えなくて 本当にタイムスリップしたみたいで神々の住む出雲に着たような錯覚をおこしました。山が幾重にも連なって そしてその上に幾重もの細長い雲が連なって どこからどこまでが山か空かが見分けがつかないのです。そしてカメラを向けると空が紫色に移り その様子はどこか違う次元へつづいているようにかんじました。この3次元世界と上の世界の境界線が無くなってきているようなそんな感じです。故郷の君王山から見た下界は 時にあたりいちめん雲海がたちこめてこの山々と同じ状況になることがあります。出口王仁三郎さまは この様子をきっとごらんになったのだなあと思いました。この地は人里離れた山の中にたっていますから おそらくは新婚当初のスサノオさまと稲田姫が出雲神界の勢力から身を守るにはちょうどいい場所であったのではないかと思いました。今回ですが 前回の訪問で出雲族と須佐族の間に入るような形になって裏切り者と呼ばれ、大変な目にあったことを考えるとまったく異なった旅になりました。どこへ行っても祝福され あたり一面光輝いています。 別世界です。いったい あれから何が起きたのだろうと思いました。私はずっとずっと前から 八雲立つというのはどういう景色をいうのだろうと想像しておりましたが この八雲山から 出雲の地のあちこちに雲が山から湧き上がっているのをみました。また今日は 出雲大社の後ろのもう一つの八雲山からも 群雲が沸きあがっているのを見ました。二つの荘厳な八雲山のエネルギーを体中にうけて 言葉にあらわせない幸せな気持ちを味わっています。八雲山の右には亀山があります。 そして左には鶴山があります。この二つを併せて見て 巨大な出雲大社の「後ろの正面」を見ると「素が社」があります。スサノオの尊の社です。かごめかごめ かごの中の鳥はいついつである、、、、各次元における上昇が始まったのを この地球上の出雲の地で感じたそんな日です。
2007年12月22日
あと3時間で出雲に向けて出発です。 今回は一人で行きます。明日の1時には米子に到着です。家事を済ませながらずっと 出雲のことを考えていました。幼い頃 母に読んでもらった本のなかに 「怪談」というのがあり それを書いた人の名が小泉八雲というのがずっと心に残っていました。数年前仕事で英国に行ったとき 5日間だけ休みをあげるから好きなところにいっていいよと責任者に言われ 本屋さんで世界遺産の本をぱっと開いた所が アイルランドの最北端のベルファストでした。片道5000円で小さな飛行機で行きました。アイルランドは不思議な国でした。アイルランドで私が出会ったのは ミストに包まれた神秘の物語でした。アイルランドが生んだライターの中に ラフカディオハーンの名がありました。日本名、小泉八雲です。 彼は故郷アイルランドの民話の世界を日本のこの出雲の民話に見つけたと聞いています。彼が神秘の森と呼んだその光景を出雲の地で見てみたいと思います。今回の旅では 出雲の美しいところを心に残しておきたいと思いますし 実際にそうなるであろうと感じています。不思議なんですよ、 さっきからずっと出雲を感じても 今までのような形では日本神界にはリンクしないのです。すぐに宇宙空間に意識がいってしまいます。物凄く大きなエネルギーと繋がるので まったく眠れなくて こうして時間がくるのを待っています。前回の旅では 私は過去生を追って 畿内の大化の改新以前の神々の時代を見るために出雲に行きました。 けれども今 出雲の神々(といっても人間みたいなのですが)を感じたときに 彼らの背後にある彼らが故郷としている宇宙のエネルギーのほうを強く感じます。おそらくは 来年はより宇宙の次元に自分達の魂の故郷を見出そうとする人が増えてくるのではないでしょうか?すでにクリスマスを目前にして どんどんと愛のエネルギーが天空から降りているのを感じています。また いたる所、光が入れば今まで隠れていたことが もう隠し通せなくなるでしょう。神々の時代には 神話はミストがかかっていて 分かる人のみが真実のエッセンスをその鋭い嗅覚で察知できたのかもしれませんが これからはそれも必要がなくなるのかもしれませんね。そういう意味で 郷愁漂う神話の世界を見ておきたいというのは 私の乙女チックな感傷なのかもしれません。え? ゆうきさまの所のざわわさん達ですか?あの方達は もうお友達ですから大丈夫ですよ。明日 みんなで合流して 鍋パーティーやるんでしょう? 楽しみですね。
2007年12月20日
物凄い大きな振動が辺りを包んでいる。ここはどこだ? 今まで来たことのない領域に私は迷い込んでいるように感じる。太陽系か? いや、もっと先の宇宙だ。この重い振動は何だろう? どこから来るのか?『そこで何をしておる?』光とも闇ともつかない空間の中から低い振動と共に思念が伝わってきた。『そこで何をしておる?』「気がついたらここにいました。 貴方は誰ですか?」『我は過去に神と呼ばれた存在であり、 今も神と呼ばれる存在であり、そして真の宇宙根源の愛への道に向かって苦悩するものである。』「なぜ 宇宙根源の愛に向かいながら苦悩するのですか?」『我は 繁栄と幸福を願って 多くのものを産み育ててきた。いわばそれらの者達の親である。子らの繁栄と幸福を気の遠くなるほどの時間の中で見守ってきた。子らの自我の探求は宇宙の膨張の流れのなかで次元を変えながら さまざまな光と闇の世界のなかで互いに学びあうことを目的として行われてきた。時にその流れは宇宙の存在たちによって宇宙根源の愛から離れすぎないように修正され、見守られてきている。』「それならば なぜ貴方が苦悩するのですか?」『宇宙の時が 膨張の中での愛を送っていたのに対して 今は宇宙根源にもどるべき 収束の愛に変わってきているからだ。其の中で わが子らは 皆が無事に帰還できるかどうか?宇宙空間で生まれたカルマが今や地球という次元に投影されてそこでそのカルマの修正が行われているが その現状を見るにどうしてもわが子らを案じ、彼らの苦しみと悲しみを見るにつけ苦悩してしまうのだ。地球では我を人々はYHWH・ヤハウェもしくはエホバ神と呼んでいる。我の名の下にさまざまな宗教的な争いが生まれた。』この神の抱えるテーマは私の抱えるテーマとおなじ雛形をもっている。そう思った。先月11月11日、宇宙のどこからか とてつもなく大きな衝撃波が私を襲い私の中から 全ての色が解放されていくのを私は見た。それらは自分が抱えて閉じ込めていた さまざまな色の輝きでありそれらの音魂のそれぞれの色の輝きは 心配し案じる愛からは生まれない。「エホバ神よ、 貴方がそのように心配してどうなるというのですか?親である貴方が 子を心配し案じる気持ちは分かりますが貴方のように 宇宙中心に近いところにいる存在がそのような岩を作れば 宇宙根本の愛の光は貴方の岩で 遮断されてしまうでしょう。」『我に説教をするつもりか!何度もこの流れに対して 過去に宇宙の叡智は修正を試みている。しかしながら 今まではすべて失敗に終わっているのだ。我とて 我の分身をそれぞれの次元に送り その修正ははかっているのだ。しかしながら 今回は特別なのだよ。 最後なのだよ。闇の存在ルシファーは すでに光の存在として 過去の闇の勢力によってつくりあげた全ての悪事を表にだす動きをしている。これからは負にリンクし 十分な光を受けれぬ者達は存在できなくなるであろう。最後の最後のところで もし我がすべて光なりと意図すれば 我に集まりし者達で我を信じるがゆえについて来れなくなるものもでてくるであろう。我は苦悩する。わが子らを思うがゆえに苦悩する。』磁場の振動はますます重くなってきた。この神が真に宇宙根源の神と一体化するには 真の愛を受け入れることが必要なのだろう。私にはこの神の苦しみは計り知れないものがあった。しかし それを乗り越えることが必要なのだという内なる声も聞こえる。「エホバ神よ、 私は貴方のような深い慈愛にみちた存在ゆえの悩みには 恐れ多くて答えることができませんが ただ 地球という星において子供達の先生をしていてわかったことが一つあります。それは 間違っていることに気づいたら ごめんなさい、私は間違っていました。と素直に謝ることです。子供達はもともと発展途上人ですから 皆が常に寄りよい方向を目指しているという明るい信念のもとに 誤りを素直に認めて 向上していくのです。どうか、 私達が 真に光の方向に向かって進み どのような存在も発展途上であり宇宙の根源の愛で見守られていることを信じて 貴方の心の根本から手放してください。」『強くなったな。我からでた我の分身よ。 一つだけアドバイスをしよう。大切なことは 一人ひとりが 神の子であるという神の神聖に目覚めることだ。神の子として生まれ、神として生きていくことなのだよ。それが今の人類にできるかどうか、、。』辺りは静かになって それ以上はエホバ神は何も言わなかった。ピポピポピポ,,,ピポピポピポ,,,携帯電話が枕元でなって私は眠りから覚めた。携帯の時計は12月19日 12:00(正午)を表示していた。「もしもし、、、」『ひめさん、さっき随分重くなっていたから 今電話したんだけど、、。』喜楽天道さまからだった。「うん、 今までヤハウェ・エホバ神というのと話していたの。」『うん、あっちでやってたんだね。 それで今起きたんだ。あのね、今一つだけ ひめさんに伝えて欲しいというメッセージが来ているからそれをまず伝えるね。闇の縺れ(もつれ)を解こうというのは良いのだけれども 其の時により大きな光と繋がってその縺れに向かうということを忘れないで下さいというメッセージだよ。ヤハウェということは ユダヤのことからなにからひめさんが引き付けて それを抱きしめると また前のパターンになってしまうからね。そのテーマを考えていくことは大切だけども 常に大きな大きな光と繋がっていくことを意識することが大切だよ。そうでないと 1対闇の集団になるからね。バランスを考えて下さいね。』そういえば 先日のセントラルサンとの会話の中でも バランスを取るように言われたなあ。昔は何も知らないで 愛だ、光だ、浄化だとキャピキャピのお嬢様みたいにはしゃいでいた。でも今 様々な悲しみや苦しみを感じ、途方もなく大きな闇を感じながら それに等しいいえ、さらに上回る光の部分にフォーカスしていくことを要求されているのだろう。デジタルでない昔の秤のはりは 右に振れた分左にもおなじ分だけ振れる。ということは 今闇の部分にリンクしている者達は 其の分同じだけ光のほうにも動けるということか、、。ヤハウェは願っていた。 神の名の下に争いが起きるのではなく 一人ひとりが神の子として誕生できるかどうかだと、、。もうすぐクリスマス。 そういえば 神の子誕生の歌があったなあ。When A Child is born (YoTubeより)
2007年12月19日

セントラルサンとの会話を終えて 何となく出かけたくなりました。今読んでいる五木寛之の「風の王国」に出てくる二上山を飛ぶ女のように私も京都市内を風のように走れたらどんなにいいかしらと思いながら 御所に向かって歩き出す。御所の前のパレスサイドホテルまで15分。 懐かしいホテルです。ホテルで予期せぬ人にあいました。ライヤ奏者の浅山泰美さまでした。 彼女との出会いは 実は彼女が書かれた本『エンジェルコーリング』が北白川のライブハウスにおいてあって 私は其の本が読みたくて何回か通ったのがきっかけでした。そのご本人にまさかお会いできるとは思っていなかったのですが 彼女はニーナで行ったチェロのコンサートに突然来てくださったのです。パレスサイドで ほんの少しお話して 来年からは積極的に動くという彼女に新年早々の演奏をニーナで御願いしました。ニーナカロライは 1月6日 午後1時から新年会を企画しています。たいしたものではなく 集まりたい人が集まってそして火鉢でおもちでも 焼こうというものです。友人のてとわさまが 特別の玄米もちを今頼んでくださっています。浅山さまは 午後2時からライヤの演奏をしてくださることになりました。この日は 参加者は 持ち寄り1品もしくは 1000円を持ってくることになっていまして浅山さまはライヤ演奏をお持ちこみということで ラッキーにも無料で演奏が聴けることになりました。30分ほどの演奏になりますが 朗読と即興演奏です。(ライヤ演奏についてはこちらを) さよならを行って別れる時 彼女は「今日はこのために来たんだ。」といわれました。実はこの言葉、私が言いたい言葉でしたね。外に出ると 大きな大きな虹が御所にかかっていました。御所に虹が、、、。この虹の意味はなんなのだろうと思いました。大きすぎて全部がデジカメに入りませんでした。来年の始めにライヤか、、、。今は私は日本神界に留まっていることもできるが 来年は地球のカルマの原型ともいえる琴座の宇宙のカルマに向かいあっていかなければならないように感じました。時代はますます 個人のカルマの解消から 宇宙のカルマの解消に向かってより集団の悲しみ、苦しみ、怒りなどを和解し、統合していくことを加速していくように感じます。おおいなる源から切り離された感覚、二極性の感覚を幻影とみるならば私達は3次元世界の特徴である幻影から解き放たれて より宇宙中心の愛と一体化し 互いに統合する領域に入っていくのでしょう。それをあっさりと一瞬にしておこなうことも可能かとも思えるのに それをしないのは私達の気づきこそが 宇宙の喜びであるからなのかもしれませんね。宇宙の遥かかなたの琴座まで到達するには いかほどの次元の扉をあけ いかほどの混沌のなかに宇宙中心の愛の光が入るように解放していくのでしょうか。カルマの解消には 誰かを責めて懲罰を課すというものではなく それぞれ一人ひとりの気づきによって大いなる宇宙がその気づきを喜び その波動をあげカルマを解消していくものだと感じます。これは誰かが一人で出来ることでなく さまざまな次元の存在たちの共同作業になるのでしょう。私の場合は 全く動かないことも含めてどう動くか 慎重に考えなければならないように感じます。いずれにしても これで来年の動きが見えてきました。 心身が引き締まる思いです。
2007年12月17日

今朝は久しぶりにニーナカロライの瞑想室で静かに座っていました。ニーナの二階の気を感じてみる。 何もないな、素の状態だと思いました。なかなか良い瞑想室だと思いました。(自分でいうのもおこがましいですが)久しぶりに大地のワークをしてみようと思って その瞑想に入りました。 大地のワークでは私たちに一番近いところで大きなエネルギーの恵みを与えてくれている太陽に繋がりますが今日は別の太陽、宇宙の太陽、セントラルサンにつながったようです。(インナートリップ)『こんなところで何をしておるのだ。』大きな声がする。『こんな所で何をしておる、人間を愛し過ぎた堕天使よ』『もう 返って来いといわれているのにまだ帰れずうろうろと彷徨っているのはなぜか』私の目から涙が自然とあふれる。帰れないのだ、このままでは帰れないのだ、、。王仁さまに救いを求めた。王仁さまは黙ってただやわらかい眼差しでこちらを見つめている。「私の課題は それぞれの「我」と「和」です。その部分から来る「和解」というテーマを 日本神界で見ることが今の願いです。故にその場にとどまっております。自分の課題を宇宙のどの次元で見てもそれが一つの雛形であればたとえ日本神界にとどまっても良いはず!」沈黙の後に声がする。『あい、わかった。 好きにするが良い。しかし常に内観することは忘れてはならん』つづいて 声が女神のイメージをともなってあらわれる。「愛深きゆえに 上れぬ者よ。良く聞きなさい。全ての物事には自浄作用があります。死に行く細胞を活性化させようとすると流れに逆らって働きかけることになります。その細胞の滅びの後に復活するということも覚えておいてください。いわば不死鳥のようなものです。その滅び行くものたちの自浄作用を信じ 真の愛の眼差しで見守ることも大切なことです。全てのものには滅びと再生のサイクルがあります。そして 人間もその「滅びと再生のサイクル」の例外ではないのです。」もう一度 男性の声がする。『好きにするが良い。 しかし今回は失敗は許されぬぞ何億という宇宙の目が そなたを見ていることを常々忘れるでない!バランスを取るのを忘れないようにな。』段々厳しくなってきたなあ。とにかく 内観しよう。
2007年12月16日
一通の封筒が届きました。中には手紙はなく ある資料だけが入っていました。八重垣に関する情報でした。もうずっとずっと前からこの和歌の意味を考えていました。「八雲立つ出雲八重垣妻込めに、八重垣作る、その八重垣を」でもこの解釈の仕方がさまざまあります。 ここにスサノオさまがいらしたら簡単に聞けるのですが そうもいきませんね。前回出雲に行った時に この意味についてある考えが浮びました。稲田姫は国津神 それに対してスサノオ様は天津神、 まったく違う部族同士の結婚であったのだと。それに関して稲田姫の心配というのは大変なものがあったのだろうと。稲田姫の心境からこの和歌を感じてみたのですが この送られてきた資料はそれと同じ見解をとっているのでびっくりしました。この送られてきた封筒には住所が書いてなくて ただ松江の消印が押してありました。12月12日の消印です。この方は松江に今住んでおられるのかしら?それともわざわざこの資料を手に入れるために松江にいかれたのかしら?しばし私は その資料を読んでポ~~~ットしていました。この方にお会いしたい。でも住所が書いていないということは 今は連絡が取れないということなのでしょう。ブログを通じて お礼の気持ちをお伝えできればと思いました。有難うございました。お心十分伝わりました。 離れていても常に見守ってくださる方が居てくださるのは本当に嬉しいですし励まされます。
2007年12月14日
出雲のゆうきりな様が 助けを求めておられるようですね。新しくオープンしたゲストハウスに彼女いわく「ざわわさん」が前から住みついていてそれが様々な現象を起こしているからです。そこにご縁があって その物件を借りるようになったのは もともとそこに大切な学びがあるからだと思います。ですから出来る事ならば 一人で対処していくのが良いのかもしれませんが問題が大きすぎるのです。 私は今夜の彼女のブログを見てニーナをオープンした時のことを思い出しました。場所的にいって ニーナは霊道の通る京都の一条通りにあり、 この真北は玄武神社そして南は神泉苑から 朱雀のすむ土地に至る場所にあり、前に住んでおられたお坊さまから普通の人ではキープできないといわれました。実際 何人もの人にニーナオープンを止めるようにアドバイスされましたがでも私はこの場所を引き受けることに決めました。あの当時 本当にたくさんの方たちが応援してくださいました。 そのおかげで今ここにニーナカロライはあります。 その時出会った人々にいろいろ教えていただいたおかげで (顔を思い出すと懐かしいです)今 私は喜びのエネルギーを発する事ができているし ゆうき様のお家で起きている現象にも立ち向かう勇気がわきます。彼女のゲストハウスに現れている ざわわさんたちは氷山の一角のマイナスエネルギーのようです。どうやらその家がいわく付きの家になってしまったのは その土地に前からおきていたさまざまな出来事から来る要因が大きく影響しているようです。その一つが家の隣にある古墳です。 この古墳は6世紀のものだそうですが 6世紀といえば継体天皇から欽明天皇に代わる時であり その時代は畿内に蘇我氏を初めとした豪族が連合して政をおこなっていたようです。その中の巨勢氏は備前の方にもタタラのための出張所のようなものを作るために移り住んでいたように思われるのですがこの一族とは私は過去生のみならず 先祖の関係からもご縁が深いように思われます。 つい先日まで 私は隠れの学び舎のワークで過去生を見ていくことにより自分の魂の修正をはかりそれぞれの魂の色の輝きを取り戻すというワークをさせていただいていましたがそのワークの中でさまざまな歴史上の出来事を振り返ることができました。このワークに参加された皆様からの夢投稿によって実にいろいろな角度からある時代を見ることが出来ました。その皆さまのおかげで私は歴史に興味をもつことが出来、過去に生きた人々と彼らのその土地に対する思いや一族にたいする想いを知る事ができ 大変感謝しています。その中で 過去において、もしも悲しみや痛みが生まれ それがそのままになっている次元があるとすれば せめて自分が出したゴミの後始末ぐらいはしておきたいという強烈な願いを持つにいたりました。私がつい最近取り組んでいる ひめのパビリオンはそんな事をテーマにしたテーマパークです。畿内から出雲へ そしてまた畿内へ そして次は三河へ、、、国ゆずりの出来事を中心に見ています。。出雲の神々の世界がまるで人間の世界で起きている事のように感じられます。今、この次元とその神々の次元における 日本列島の人々の想いというものを同時進行で両方見ている気がします。もちろん人には様々なスタイルがあり 私のこの学びも今の私がリンクしたい世界なのですがその同じ世界で今 心細い思いでがんばっているゆうき様をみていると なんだかせめてお掃除の応援だけでもさせていただきたくなりました。私は人からなんと言われようが 一途に自分の想いを高く抱いて頑張っている人が好きです。時代でいえば 幕末が好きですね。 日本が激動の波にのまれていく中で 必死に自分の立ち位置を見極め 何が自分にとって誠であるかを考えて生きていかねばならない時代です。今、少しづつですが 何が自分にとっての誠かを考えて必死に生きている人たちとご縁が出来ているように感じます。必ずしも私と同じ主義主張であるとは 限りませんが 私はそういった人々が好きです。それぞれの人々が 自分の魂の色を輝かせて生きていける そのために 時には互いに協力しあい励ましあっていく そして古い痛みがあれば それがどんなに深い傷になっていても相手を思いやって より高い境地から和解していく努力をする。まさに集団の和合の時代にはいっているように思います。これは宇宙の遥か大昔に成しえなかったことかもしれませんね。それに今回一人ひとりがそれぞれの立場でチャレンジしているとしたら それは素晴らしい事だと思います。
2007年12月13日
さて出雲に今度行って何をするかということですが私としては前々からどうしても 感じてみたい場所があってそれは私の中ではロマンの場所になっているのですが それが八雲山です。その場所はスサノオ命が櫛稲田姫との新居の場所で下の和歌を詠まれた場所だということでこの八雲を感じてみたいというのが一番の願いです。「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」前回の出雲訪問はひえ~~~~っと言う事になりまして大山の自然に助けを求めたわけですが 今回はどうやらちゃんと行けそうですね。今夜は夜空を見ながらしみじみと思い出していたのですが以前鞍馬の五月満月祭の時に鞍馬山の麓に行った時に 鞍馬のエネルギーがいつもと違うのに気がついたことがあります。その時に人々のお願いのエゴのマイナスのエネルギーを感じた私は 鞍馬にあるマイナスのエネルギーをなんとかしなければと鞍馬に上りかけた所を 喜楽さまに止められました。あの時は私も随分と驕りがあったと思います。 自分が山にあるマイナスのエネルギーを何とか浄化しようなどと考えてしまったのですから。そういえば 何時のころからか私も私の周りも 自分達がそのようなことができるとは考えなくなってきています。(結果としてそうなる事はあると思いますが)ただ自然と共にあり 自然と共に生きている、そんな感じですね。出雲に先日行って 京都に帰ってきてから ああ、私はなんだかんだ言っても京都のエネルギーに守られて生きているのだなあと つくづく感謝しました。昔は京都の粘着質の重いエネルギーを浄化するのだなどと言っていたこともありますが今はなんといいましょうか 大いなるものに全てをゆだねて それに感謝しながら生きていく方向に向いています。ですから 昨日も書いたように出雲に行くのは神事をするためではなく その自然とふれあい、また出雲の神々と会話をしに行くつもりです。(ぞうきんがけはしますよ。)いつまでも 瑞々しい感性でこの美しい星とそこに住む生きとし生けるものを感じることができれば そして彼らと会話できればどんなに素晴らしいでしょうか。それがどのような会話であったとしても 全ての者達が 向上を目指して暖かい天の愛の中で見守られている事を私は信じています。* 2007ひめのメッセージ
2007年12月11日

トントン、ラップ音がニーナカロライの二階でする。珍しいなあ、今頃ラップ音がするなんて、、、 ニーナは京都に霊道が走る一条通りにあって昔の一条天皇邸跡でもありまた聚楽第の跡にもかかっているのでニーナオープンの折ならラップ音も珍しくなかった。 けれども 今頃なんで音がするのだろう。全然嫌な感じではなく まるでドアを静かにノックしているようにしとやかにトントントンと叩いている。この1年ばかりニーナを通過する霊たちに意識を向けることもなかったからなあ。ちょっとまた大掃除でもするか、、、そう思って其の音がするのをそのままにしておきました。すると今度は 昨夜、自宅の3階の寝室で眠ろうとした時にも同じ音がします。今まで自宅ではそんなことは一度もなかったので このラップ音が私に呼びかけているものと思い意識を向けるとこんな声が。「出雲に再びお出向きください。」 そう言うとこの戸を叩く主は消えた。どうやら使者は八雲山からのお使いらしい。出雲の二つの八雲山、 前回の出雲訪問ではそれらの御神体にご挨拶するゆとりはなかった。以前のブログを読んでいただければばわかるのですが 出雲に入るやいなや その地に残っている残存思念とのリンクが始まり、まるで其の時代に生きているような経験をさせていただきました。其の時に私が抱えていたテーマが『和解』 でしたので ちょうどそれを考えるに良いテーマパークにはまり込んだようです。また出雲に行くことになるのかなあと思いながら 出雲でお世話になった ゲストハウスを立ち上げられたばかりのゆうき様のブログを見ると 「ゲストハウスに座敷わらしが出るので一緒にお掃除をしてくれる人募集」とのこと。あ~ あの時綺麗になったはずなのに、おかしいなあ?次の瞬間 彼女が今日アップしてくださった写真を見てびっくりしました。出雲大社の後ろの『素鵞社』(スサノオの命が祀られています)の前で私と喜楽さまが立っているところに差し込んでいる光の写真でした。あ、やっぱり八雲山だ、この写真が八雲山からの正式ご招待状だなあと思いました。けれどもいつにするかが問題です。今日の午後、二ーナは電話がひっきりなしにかかっていました。たいていが懐かしい人たちからの電話で もう何ヶ月ぶり もしくは1年ぶりというもので皆、それぞれの苦しい時を乗り越えて今 ここに座標を同じくしたという感じで喜びあっておりました。そんな時ある電話がかかってきたのです。「北海道のにこにこけいこ様が 今度京都にいらしゃるのですが、、、、。」そしてその電話の主は出雲の話をされて 「私も出雲に行って来たのですが またできれば今年中に行かなければならないと思っているのです。」私はすぐさま聞きました。 「其の日は何日ですか?」其の方は 12月22日しか都合がつかないので行くとしたらその日ですと言われました。よし! 12月22日だ。ということで あれよあれよという間にたった数時間で 様々なことが決まりました。最後に残った出雲行きの旅費などはどうするのだという懸念ですが それもサポートが入ったようです。とうわけで 12月21日 早朝京都駅発の高速バスで米子まで行き そこでゆうきりな様に拾ってもらい あとは神様しだいで動くことになりました。帰りは12月23日夜9時前に京都駅に到着予定のバスにのります。先ほど来たメッセージでは 「大地のワーク」をゆうきさまのゲストハウスですると良いとのことですので久しぶりに(2年ぶりでしょうか?)おこないたいと思っています。大地のワークは実に沢山の方たちが受けてくださったので もしよかったら経験者の方ご一緒にどうでしょうか?もちろん初めての方も大丈夫です。自分の中に大地の気を取り入れながら ゆうき様のゲストハウスも共にさらにもっともっと高い波動に変わって皆の喜びの場になればこんなに素敵なことはありません。また ひめのに会いたいなあと思われる方があればご連絡ください。さて、今回の八雲山訪問ですが テーマは 私の中では「神剣」です。おそらく 其のエネルギーを名古屋に伝えるのだと思います。来年1月末に名古屋に行くことも今朝同時にもたらされました。昨日まで おとなしく静かに ゲストハウスの女将さんをしていようと思ってそちらのブログに気持ちを動かしていたのですが突然にまた なにやら面白い冒険が始まりそうです。私の場合は 神事などという大げさなものではなく 一つの新しいテーマパークを楽しんでいるのだと思ってください。それぞれの人が それぞれの選んだテーマパークで魂の探求をされているようです。どのテーマパークも素敵だし その学びは尊重され 保障されるものであると思います。もしも このひめののテーマパークが面白そうだと思ったら 一緒に気づきをシェアーしましょう。ただし ご参加は其の方の責任で御願いしますね。
2007年12月10日
この1週間 小さな子供さんを持つお母様からのご相談やお茶会の依頼が多いです。12月に入ってなんとなく憂鬱な毎日を過ごしておられる人があるのなら 今月はとくに『天の光』というキーワードを意識されるのもいいかもしれません。環境や生活は同じでも ちょっとした心の使い方で 天の光が今までは差し込んでいなかった様々な場所に差し込んでくるようです。たとえば お母様が子供さんを見られた時に その子のどこを見るかですが忙しくてバタバタする生活が続いているとついつい わが子を殺伐とした目で見ているか もしくは見ているようで見ていないという状況が起きているかもしれませんね。そんな時に ちょっと立ち止まって 子供さんたちに暖かい眼差しを投げかけてあげてください。それだけで 天の光はその子供さんに差し込みます。今週の相談者の方達に共通していえることは皆さま八方ふさがりを感じておられるようですがそんな時は 小さくてもいいので アクションを起こすといつの間にか 霧が晴れています。それからどんなことがあっても子供達の生きる力を信じるということが大切ですね。私は20年近く子供達の先生をしていまして その間に インディゴチルドレンやクリスタルチルドレンの様子を見てきました。その子供達を救ってあげないといけないと思っていました。そのことを 私に素敵な影響を与えてくださったジャスムヒーンという人にお話した時に彼女が私にアドバイスしてくださった言葉が 『果敢に今の世界の古い規範にアタックして それを壊そうとしている彼らは すでに私たちよりも 強い存在であり それを使命としてこの世に生まれてきているのです。 彼らの生きる力を信じてください。』でした。今はこの言葉の意味が良くわかります。それは 子供達だけに限らず 今 どのような状況に置かれている人であっても天の愛はおおきな大きな器で ちゃんと受け止めてくれているし また 大きな大きな眼差しで それでいいよ。 それでいいよ。と それぞれの人たちのトライアル(試行錯誤とチャレンジ)を見守ってくれているのです。
2007年12月09日

12月に入ってとても優しいエネルギーが降りてきていると感じる一方で ひょっとしたらしんどくなっている人も多いのかもと感じる今日この頃です。私の感覚では 地球が重いエネルギーを手放して波動をあげようとしている為に今 重いものを持っている人はしんどくなっているのかなあと思ったりもします。自分はしんどくなくても お友達がシンドクなっておられてその余波を受けている人もいるのかもしれません。それぞれの動きが激しくなっているので その摩擦がどうしても起きてくるのかもしれませんね。周りで落ち込んでいるお友達がいる人はなんとかしてあげたいと思うのが人情ですが自浄作用が起きていると考えれば とことんネガティブを出し切るのも方法で暖かく見守るだけにするのもいいかもしれません。ほら お肌の細胞を考えてみたときに 古い角質を大切と思って修復するよりは古い細胞が死滅して 新しい細胞が生まれてきますよね。そんな風に思えると 新しい細胞の誕生を信じる心が生まれそうです。さて うまくいかない時の対処法ですが 今私の周りにいる人たちからの相談を見ていますと 皆様 大変賢い方ばかりで どちらかといえば頭で先へ先へと考えてしまわれるので ぐるぐる巻きの堂々巡り状態の人が多いようです。そんな時に ひめの流の落ち込んだ時になんとか楽しく穏やかに乗り越える方法を今夜はお話します。じつに アホ みたいなことですから もうこんなこと書いてと しら~~~~~っとなる方は ごめんなさ~~~い。でも実際にやってみて いい気分なんですよ。はい ということで 私のその方法とは このノートを使います。実はこのノートですが 随分前に私が東京の千歳烏山に住んでいた時にクロワッサンのお店があってそこで買ってきたもので 一ページに3つの横のラインが入っていて 朝、 昼、 晩と食べたものを書くようになっているのです。私は食べるのが好きですから ここに毎日の食べたものを書いていたのですが今は別の方法に使っています。それは 朝の欄に なんでもいいので お掃除に関してすることを一つ。 昼の欄に 同じく何でもいいので仕事に関してすること一つ。 そして夕食の欄にはなんでもいいから新しいことについて何でもいいからすること一つ。こんなにたくさんのスペースがあるのですが たった一つだけ書きます。たとえば明日ですが 掃除の欄は 台所を掃除しよう。 仕事の欄は ラベルマイティーでハーブティーのラベルをつくろう。新しいことは 近所に出来たパン屋さんでパンを買おう。こんな具合になります。それで この3つが出来たら やった~!っという感じですね。あとのことは出来なくてもいいことにしておきます。こんな風にして 大地のワークも 宇宙のワークも ニーナカロライも朗読CDも 今回新たに作った夢ワークもできあがりました。毎日3つだけですが 落ち込んでいる時は ステップ バイ ステップで 気持ちよく楽しく進めてなかなかいいもんですよ。もしも毎日の生活が 「どこを切っても金太郎飴」 の状態になって落ちこんでいる人は試してみてください。
2007年12月08日

さて先日からエネルギーについてつれづれなるがままに書いておりますが今夜は自分の体験から食べると グラウンディングしやすい飴についてお話したいと思います。これは先日出雲に行った時に 目を覚ましているにも関わらず他の場所とエネルギー的に繋がって今ここにいることが希薄になった時にこの飴を食べると意識が戻ってきやすいことを発見したというものです。え~そんなことが! なんて気もするのですが 以前にも意識がふわふわした時にポテトチップスを口に放り込んでもらってその場を凌いだ経験もありあながちウソではないなあという気がします。さて この飴ですが その名を『焙煎 沖縄 黒糖』 と言います。ジャ~ン黒糖という飴はどこででも売ってそうですが 実はこの黒糖の飴が特にグランディング力が高いとわかって 同行しておられた人たちがコンビニに寄る度に買い求めて 私の口に放り込んでくださったものです。沖縄の大地のエネルギーを損なわない形でふんだんに取り込んだ飴なのでしょうね。そういえば 以前ニーナカロライにご相談に来られている方たちで 天使系のエネルギーが強い方たちは いつもふわふわと浮いているので グラウンディングが苦手だと言っておられましたね。この飴のように大地のエネルギーを含んだ食べ物を取る事によって身近なところでのグラウンディングの工夫ができるかもしれないと思いました。大地の食べ物を取り入れる、当たり前の事ですが すっかり忘れていたようでこのことを思い出させてくれる自然の食べ物に感謝、感謝です。
2007年12月07日

今日はニーナの庭から虹が見えていました。午後の三時のお茶に来てくださった方たちと 美味しいお茶をいただきながら皆で虹を楽しませていただきました。その勢いで ニーナのホームページをあちこちリフォームしてみました。なんとなく嬉しい気分です。 ひめののエネルギーを感じてみてください。
2007年12月06日
私達が旅をする時はいつもその土地に行ってまず最初にすることがあります。それはその土地の食べ物を食べ、その土地の神様に感謝して その土地とチューニングをするということです。鳴門に行った時も生駒に行った時も 今回の出雲への旅もそうしました。特に今回の出雲の旅では 其の場所によってこうもエネルギーが変わるものかと思いました。本来ならば其の場所、その人を感じるだけで 其のエネルギーを遠隔でキャッチできるのだと思いますが 出雲の土地ではその場を治めている土地の神様のエネルギー圏に入ることによってそのエネルギーを強く感じる経験をさせていただいたように思います。実は京都のほうが神社仏閣は沢山あるのですが なぜ京都ではそれほど エネルギー差を感じないのかと考えたのですが それは私が長年ここで生活しているうちに 知らず知らずのうちに京都全体のエネルギーに慣れてしまっているからなのでしょう。それと見えない世界で波動を出している存在の霊格の高さとか大きさによってその影響が及ぶ範囲が違うのだろうと思いました。たとえばニーナカロライの身近な所で例を出すと 京都でも菅原道真公の北野天満宮は菅原エネルギーですね。 それに対して蚕の社(かいこのやしろ)はユダヤのエネルギーを感じる所です。 でもそれを感じるのは そのエネルギーが影響を及ぼす神社の近辺だけですが全体を通じて京都に流れているものはといえば 私はやはり京都の北にある鞍馬山のエネルギーと比叡山のエネルギーを感じます。鞍馬はさすがに京都守護職といわれるだけあって サナトクマラの優しいエネルギーが流れ降りてくる源泉だと思います。私達がどこに住んでいるかによって 常にそのエネルギーの影響を受けていて 其の身体で他の土地を旅行するわけですから その都度エネルギーの摩擦と融合が起きるように感じます。そこでその融合をスムースに行う為に まずその土地でとれる食べ物を頂きその土地を通らせていただくことを土地の神に感謝するわけです。『旅に出れば まず その土地の食べ物を食べる』このアイデア、皆様も旅行に行かれる時に是非お試しくださいね。
2007年12月05日

しんしんと静かに降り落ちてくるこの光はなんだろう。全ての者達の心に懐かしさを思い出させるこの光はなんだろう。わが子に怒って説教する母親が わが子を始めて抱きし日のえもいわれぬ感動を思い起こすような競争社会で疲れ果てた父親が 無邪気に友と遊びし野山を思い出すようないえいえ もっともっと古い昔の懐かしい暖かさを感じるようなこの光はなんだろう。何も知らないでいる無垢よりも沢山のことを知った上で 無垢であれとそう呼びかけてくるこの声はなんだろう。弱さゆえにひざまづき悲しみゆえにひざまづき愛するゆえにひざまづく者達を優しく包むこの光はなんだろう。しんしんと宇宙の彼方から降り落ちてくるこの光ハートで感じてみると何かが変わるかもしれません。アドベントカレンダーこの美しき地球に幸いあれこの星に住む人々に幸いあれ----------------------12月にはいり何かが違うと思っていました。あの11月までの禊のようなエネルギーが去って 今 別のエネルギーが地球に降り注いでいるのを感じると共に 世界中の人々が待ち望んでいる‘気’が感じられます。ゆきぴょんさまが ご家庭でのアドベントカレンダー作りについて素敵な記事を書いていらっしゃいました。先日降りてきたメッセージ(ひめのメッセージ)でアドベントカレンダーというのがあって 初めて私もこのことに気づきました。
2007年12月04日

あの戦いのような日々が過ぎて 今ニーナカロライで 静かにすごしています。久しぶりにお掃除をして 忘れていた伝票の書き方も思い出してああ、もう何年も経ったみたいだなあとしみじみしています。12月からまた学び舎の夢ワークが始まっているので 其の方たちとの交流が私を現実にひき戻してくれますが 出雲に行ってから余計にエネルギーに敏感になったので其の分どこに居ても遠くのモノと繋がるので 距離感はだんだん薄れています。少し地に足をつけて 明日からお掃除とか身体のデトックスとかヨガとかダンスとかしてみようかなあと思います。追伸:今ニーナに特別美味しいおリンゴが届いていますので 欲しい方は6日の午後3時のお茶にいらしてください。
2007年12月03日

お風呂屋さんの帰りに晴明神社に立ち寄ってみました。 なんとなくしみじみとした感じで晴明さんとお話したくなったのです。 今夜の京都の空は オリオンが綺麗に見えます。 おうし座のアルデバランが 天空にひときわ赤い色の輝きを放っていました。私はこの牡牛座のアルデバランが大好きです。さて 先程の話の続きですね。私たちの乗った車は その神社から引き連れてきたエネルギーを 引っ張りながら大山へと向かっていました。途中 古墳群を通り過ぎた頃 「あしやどうまん」と名乗るエネルギーがやってきてすぐに「尼子」と名乗るエネルギーがきました。私はもう身体が痛いのと わけがわからない苦しみとで 座っていられなくなり、後部座席で横たわっていました。ただ このエネルギーを何とか大山までもっていかないといけないという意識があり御幣を胸にしっかりと抱きかかえておりました。おそらく前の席の喜楽さまも しんどかったと思います。私たちの車は まるで雪だるまのように怨念を抱えて大山めざして走っていきました。やっと大山の麓の駐車場に到着して 車から降りられた喜楽さまとゆうき様は 元気になりすたすたと山道を上がっていかれます。目指すは大山の大神神社でした。 あたりはうっすらと暗くなっていました。私がしんどそうにしているので ゆうき様は 御幣を持つのを変わってあげようかと申し出てくださいました。でも この御幣を持つのは私の仕事で これは私が過去に縁ある霊たちがおこしている現象なのですから これを変わっていただくわけにはいかないと思いました。私にとっては せめてもの贖罪であったかもしれません。神社までは遠く 身体はますます思うように進みません。神社の気が素晴らしいので 重いエネルギーを抱えた私は前に進めないのです。その間もうらみのエネルギーはドンドン集まってきていました。肩を切られ 首を切られ 胸には矢がささり まるで落ち武者のような状態で参道を登りました。喜楽さまと ゆうき様は時折 後ろを振り返って笑って見守ってくださっています。この笑ってというのは この頃私の側にいる人たちは エネルギーが動いている時は私の側に寄るととばっちりをくらうので 側にちかよらないということとそれから ひめのを甘やかさない という一つのルールのようなものをよく知っておられて昔なら 大丈夫ですか? と駆け寄ってきてくださったものですが この頃は皆 笑いながら暖かく見守ってくださっています。そんなわけで一番最初の鳥居まで着いた頃には もうすっかり暗くなっていました。最初の鳥居、神社の直接の結界に入る場所ですが そこで 大山の神に事情を説明しました。私の縁ある祖霊を奉る祠に なぜかマイナスの念が集まってしまっていたこと それを御幣を通じてひきつけてここまでくる羽目になったこと。 そして できれば人間的な争いの領域を超えた大いなる自然の神のもとへ この邪の念を解き放たせて欲しいと願っている事を説明して 大山の山の神に救いを求めました。次の瞬間大山のサポートが入り そして 身体が軽くなり 私はやっと山を登る事ができました。大山の大神神社に着いた時は もう神社が閉門する時間でした。 宮司様はよれよれで上って来た 私を迎え入れて電気をつけてくださいました。そして 私は今まで大事に持ってきた御幣を 宮司さまに納札いただくようにお頼みしたのでした。ほっとしました。大急ぎでおみくじを引き そして下山しました。身体はボロボロですから 山道を容易に降りれません。 一人 とぼとぼ降りていると車が来て 宮司さまが拾ってくださいました。それから 温泉に行き 疲れを癒して ポケットに入っていたおみくじを見ました。「恨むおもいは 炎となって人も己が身もやきつくす波立たぬ 平らかな心の海には 神様の御光が済みいって清々しい人を恨み 憎む心は 必ず我が胸をこがして 炎となり 刃となって先方を傷つけるそれが又 目にこそ見えね 木霊の様に 再び自分に返り来て身を害うまず恨みの炎を打ち消し 心の波を沈めよう今は人の知らぬ胸の苦しみがありますが さわがず信神して 時の来るのをまち身をつつしんで 行いを正しくすれば必ず幸いを得る時が来ます」ほんとうにそうだなあ と思いました。今回の出雲の旅 たくさんのことを学びました。後から判ったのですが あしやどーまん とは「蘆屋 道満」、安倍晴明のライバルであったのですね。また 尼子はこの出雲を治めていた尼子一族のことです。御幣を京都まで持って返って 晴明神社に納札するという話をしたので そのエネルギーが来たのかもしれません。 尼子のエネルギーはおそらく この異常な怨念の塊が道路を通過していくのを偵察していたのでしょう。ひょっとしたら 交通事故など引き起こさないよう守護いただいたのかもしれません。私たちは 神様とは素晴らしいと思っていますが 実は人神様の世界も この人間の世界と良く似ていると思いました。彼らはバイブレーションの違う波動とは交わる事がないようですので 私たち人間が 気づくことによって同じ気付きを得られるのかもしれません。また その領域を抜け出た神々は 一族の思いというものよりもより大きな宇宙観の中で存在しておられるように感じました。さて 最後の夜を楽しく語らい京都へ戻ってきて バスから降りた途端に違う空間に立っているのが鮮明に感じられました。隣では 喜楽さまが 「大山の大きなエネルギーを持って帰っているのだけれどもこの京都のエネルギーとまたなじませなくっちゃいけないからなあ。」とつぶやかれていました。私と同じことを感じておられるのだと思いました。ニーナに向かって 夜道を歩きだすと 大きな声がしました。「ここにも 大きな山のエネルギーがあるぞ~」鞍馬のお山から サナトクマラの声でした。」出雲に行くことによって 今 前よりも鮮明に京都のエネルギーを感じます。違うものを見るということは それを否定することではなくて より自分を発見できるということなのだと思いました。今まで旅行中は 私には黙っておられた王仁さまの声が聞こえます。『今回のことで恨みの想念のなんたるかを知ったであろう。それは非常に重いエネルギーを出して周りのものを取り込んでいく。けれどもそれさえも乗り越えて包みこめるだけの大きな器になることが肝要ぞ。一人篭って聖者でいることは容易い。しかれども 濁流のなかで留まりながら 溺れるものに手を貸すのは難しいぞ。天使も悪鬼でさえも 包み込めるような大きな器になれ。包み込むとは溺愛ではないぞ。愛に溺れるな! また 溺れさすな!常に愛のなかに 宇宙の法(神しくみ)が無ければならんぞ。天使も悪鬼でさえも 包みこめる 清濁あわせもつ いわば宇宙の曼荼羅になることじゃな。忘れるな。 心の中にある宇宙の叡智というフィルターを通してその無限の愛を発するのじゃぞ!』とても優しい声でした。
2007年12月01日

出雲には私の行きたい神社が一つありました。それは私の魂の思い出の場所で 私の中では心温まる場所でもあります。ずっと前から行って見たかったその場所にたどり着いた時あれ? おかしい、こんなはずではないと思いました。神社独特の‘気’がたっておらず 俗世間的なバイブレーションが漂っていたからです。「あれ? あれ? おかしい おかしい」そう言いながら 境内をぐるぐる廻っているうちに強烈に呼ぶ波動が伝わってきて 私はそれが呼ぶ方向の裏山に登り始めました。喜楽さまとゆうき様が 境内にいるのは判っていたので もどって裏山に登ることを告げようかとも思いましたが どんどんと足は勝手に登っていくようでその山の上に引き寄せられて行くのです。小高い山の上に着いた時 そこに過去生において私が嫁いだ先の一族のエネルギーを感じました。しかし その周りは 恨みや悲しみが取り囲んでいて 苦しいくらいでした。お社も うらぶれた感じがして くもの巣がはっていました。3つあるお社の一つは 倒れて朽ちていました。私は心から このお社に光がとどくことを祈りました。やがて 下からゆうき様が つづいて喜楽さまが登ってこられました。喜楽さまにおいては この山を上がろうとしても足がまったく上がらなくて前に進むことができなかったようです。この裏山のいり口のところに 義経さまの祠があったようですが 私はそれにすら気がつきませんでした。 スサノオから 蘇我家へ そして義経にいたるエネルギーを奉る場所がなぜこのようなことになっているのか、、。 おそらくは私を出雲到着以来、攻撃してきているエネルギーによってこのようなことになったのでしょう。ここを守る人は誰もいないのか?涙がこぼれました。 ただただ 天の光が満ちるように祈るしかありませんでした。喜楽さまや ゆうき様は できるだけ速くここを去りたいようでもう車の近くにおられましたので私も気だけはあわてて降りていきました。途中 社務所で 宮司さまの代理の方が お札やお守りを示しながら「どれかお持ち(買って)ください。」 と私に言われました。普通 宮司さまがお札を売りつけるようなことを言われることは絶対ありません。何かあるのだと思って それでも お札を買うつもりはないから どうしようと考えているとまた 「どれでもいいですから お持ち下さい。」と言われるので御幣を選びました。私たちは急いで出発しました。 これから大山へ向かうのです。車が出発するとすぐに 喜楽さまが 「ひめさん 眠っている?」 と聞かれました。そして私が目を開けていることを確認して 「ひめさんが眠っていないにも関わらず物凄く重たいエネルギーが来ているのはどうしてなのか?」と首を傾げられたのです。実はこれについては 説明しますが 一昨日、出雲でのトランス状態について書きました。私がトランス状態に入ることで 特定の場所から私たちの車の中へと エネルギーのポータルが開いていたのです。 そうやって様々な神社のエネルギーを車で走りながら 感知して そしてそこに移動式の交流空間のようなものがつくりだされていたのが今度は私が眠っていないにもかかわらず そのエネルギーが私たちの車の中に流れこんでいるのはなぜか? そう喜楽さまは疑問に思われたのでした。これだ!! 先程買った神社からの 御幣だ!この御幣を持っている限りは この重いエネルギーはどんどん入ってくる!どうしよう? そうだ 京都に帰ったら晴明神社で納札させていただこう。しかし どんどんエネルギーは重くなっていきます。私も喜楽さまも どんどんしんどくなっていきました。ゆうき様は 心配そうな顔で車を走らせておられます。そうだ!! これから行く大山の山の神様に 引き受けてもらおう。そう決意すると 私は御幣を胸に抱きしめて このしんどいエネルギーをその神社から流れるままにして 大山に向かったのでした。 (つづく)お風呂屋さんに行ってきますね。 あとで続きを書きますね。
2007年12月01日

さて私たちの一行は午後から出雲族の神であるといわれたクナトノ大神を探すことにしました。この神様については謎の部分が多いのですが 私にエネルギー的な攻撃をしかけてくるものがその神に関係するようなので とにかくこの神が奉られている神社を探す事にしたのです。現在の神社は その当時の権力者の勢力によってそこに奉られている神が入れ替わっていたりしますので このクナトノ神として奉られている神社を探しました。情報はある本でしたが その本には土地の人に聞いても教えてもらえない。と書いてありました。私たちも 何度も土地の人に聞きましたが とんでもない方向を教えてもらったりあとから見ればお隣の寺の方に聞いても知らないといわれて 探す事が難しくそのエネルギーを辿っていっても 途中で判らなくなっていました。そんな時に この土地はまだ来たばかりといわれる郵便配達の方に聞いてその方が地図を広げた所に その神社はちゃんと掲載されていて やっと行き着くことができたのです。行き着いてみれば 名前もなにも全く書いて無い神社で、どの神様が奉られているかは分からないようになっています。私は出雲大社でしてきたのと同じご挨拶をしました。どんなにか恐ろしい神様だと思ってご挨拶したのですが その時の感想としてはこの神様はすでにそのような争いや恨みの境地からは抜け出ておられて (もっとも最初からそうなのかもしれません)今は 静かに皆を見守っているという感じなのです。これは私の独断と偏見かもしれませんがこのクナトノ大神を信仰する人たちの中に 過去の悲しい出来事に捕らわれ、今だ縛られたままになっている人神様の魂があるのではないかと思いました。そのエネルギーが強く残っているのでしょう。地元の方たちが話したくない何かもあるのかもしれません。私たちは 静かに手を合わせてこの場を去りました。(この神社にお参りしたい方は 個人的にご連絡ください。 ここでは 神社名の掲載は控えさせていただきます。)
2007年12月01日

今日は鞍馬山のエネルギーが強く京都に下りてきている日です。12月に入ったからでしょうか? 昨日とは違いますね。 どこへ行っても例年よりも紅葉が美しく感じられます。 また 空の色、落日の色、月の色、この頃美しくなったよね と話している声が街で時折聞こえてきます。鞍馬のサナトクマラのエネルギーが強く流れてくると 出雲のエネルギーを長く保っているのが辛くなりますので 今日は一気に出雲訪問紀を書き上げてしまいますね。さて私たちは 出雲大社にお参りすることになりました。土地の方から 出雲大社を正面からお参りすると そこにはスサノオの命さまがこちらを向いておられる状態で 大国主命さまは西を向いておられて正面を向いておられないと聞いていましたので 社殿の西からまずは大国主の命さまにご挨拶しました。(注意 これは私流ですので皆さまは 御自分のスタイルでしてださいね。)私は出雲に到着してからというもの ずっと部族間の争いについて考えていましたのでこんな風にご挨拶したのです。「大国主の命さま 私はひめのゆめと申します。 今回 和解ということをテーマに京都から琵琶湖、そして飛鳥から大阪に至る旅を続けております。私たちはなぜ いつも何処かのグループに属そうとし 自分の属さないものに対しては冷たく扱ってしまうのでしょうか? 今の世も過去の世も 異なる文化や宗教、民族、イデオロギーの間に争いがあります。それぞれの異なるものが その幸せを追求した時に相容れない勢力とぶつかって たくさんの悲しい出来事がおこっています。どうしたら皆が 和解できるのかを考える旅の途中です。どうか宜しくお願いします。」大国主の命さまからは 何のメッセージもなかった。<大国主の命さまに向かいあって参拝する人々>次に私は 素鵞社(そがのやしろ)へスサノオさまにご挨拶にいきました。こちらでも同じようにご挨拶しました。こちらでも特にメッセージはありません。けれどもお参りした後は 日の光がお社に差し込みます。静に歓迎されていることを感じました。この日は神在祭の最後の日でしたので 笛や太鼓の音が静かに流れてきたように記憶しています。厳かな雰囲気の中で 出雲大社の神事は行われていました。 昨日私が 出雲を廻って感じた恨みの念も また夜に色々感じたような出雲で起きた豪族の争いなど全く感じられない世界でした。さて一通りの参拝が終わり おみくじをひくことにしました。巫女さんの前でお金を払い おみくじを箱から選びました。 ゆうき様達がおられる場所に行ってそこで おみくじを開いた時のことです。 ポトンという音がして 側におられたゆうき様もそれに気づいて 「ひめのさん 落ちましたよ。」といわれて足元を見てみるとおみくじが二つ足元に落ちていました。先程引いたおみくじは手の中にあります。え?! 何? おみくじが落ちてきた!結局全部で3つの神様からのメッセージだったようです。第一番 正直にして曲がった心無く 神・祖先に祈りを深めば 神人一体・祖孫一如となり、 何事にも幸縁に結ばれざることなし。第三番 正直の頭に神宿り、祈り深める心に奇しき御神業顕わる。第十二番 夫婦の和は人道の根源、これを守る者は必ず祖神の愛護を受く。この3つのおみくじを見て そうか、 がんばろうと単純に思いました。
2007年12月01日
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