ひめのゆめ活動日記

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2008年01月14日
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カテゴリ: 京都の結界
次の日私と喜楽さまは 一旦はあきらめた宇多天皇陵に行くことになってしまいました。

(理由は長くなるので省略します。)

前の日に仁和寺から見る宇多天皇陵ははるか遠くに見えていました。

PDR_0385.JPG

これが仁和寺の門から見た 来迎図で 二つの山の背後にうすく見えている真ん中の山が宇多天皇陵です。


私と喜楽さまは宇多天皇陵目指して 北周りの金閣寺の方から車を走らせました。 

途中からどんどん重くてしんどいエネルギーが来ます。

悲しみで胸が痛くなるようなエネルギーと また別の攻撃的なエネルギーのようです。

やっと天皇陵への登山口に来ました。

PDR_0396.JPG

上に上るにしたがってそれはますます重くなりましたが しばらく




PDR_0393.JPG

同時に喜楽さまが あ、サポートが来た!とつぶやかれました。

私達はこうして 数メートルにわたって張られている 

宇多天皇の結界の中に無事に入れました。

この辺りからは京都市内が一望に見渡せます。

PDR_0392.JPG


ほどなくして 私たちは宇多天皇陵に到着しました。

PDR_0395.JPG

辺りは静けさに包まれて だれもこの地を訪れる人はいません。

PDR_0394.JPG

私たちは 御陵の中にはいり 私は天皇さまを感じてみました。

私にはこの宇多天皇が身内のように感じられました。

身内の墓参りに来たような感覚です。


こんなところで寂しいだろうなと思いました。



この宇多天皇さまですが いったんは源氏に降りたものの 急な政変で天皇になった方です。

平安朝以降、自ら政治を行った天皇はそれ程多くない中で  宇多天皇は、

藤原氏の横暴にストップをかけた天皇として有名だそうです。

藤原氏が天皇家に入り権力を拡大させていくのを抑制し 菅原道真を重く用いて政策を進めました。

しかしながら 良かれと思って醍醐天皇に帝を譲った後 



当時菅原道真のライバルであった藤原時平のたくらみにより

菅原道真が大宰府に左遷されることになるのです。

この事件で道真を救えなかったことで 宇多天皇は随分苦しいお心で晩年をすごされたようです。

この宇多天皇のお心を感じると涙がこぼれました。

どんなにか菅原道真公を守りたかったでしょうに。


この菅原道真公ですが 菅原氏は、道真の祖父清公(きよとも)のとき 古代の土師(はじ)氏より氏を改めたもの。

天穂日命の末裔と伝わる野見宿禰が殉死者の代用品である埴輪を発明し、土師連姓を与えられたと言われています。

石を扱う仕事にたずさわり、石材を供給する二上山の支配権をもっていたようです。

ここでも山の民の存在が感じられます。



私達が このone day tripをした日は一月七日、七草がゆの日でした。 

七草がゆの由来は 宇多天皇さまが お母様の 班子女王さま に嵯峨野の山草をとってきて

さしあげたことから来ています。

私達が 班子女王さまの福王子神社にお参りした時に 神社の方たちが 七草粥の雑炊を

つくってくださっていて とても明るくて素敵な神社だと思いました。


PDR_0382.JPG

PDR_0383.JPG

けれども 子供である宇多天皇は 人里離れて寂しく葬られています。

ここに班子女王さまからの 息子のところに行ってやってくださいという優しいお心が

あったように私は感じました。


御陵さんにお参りした後は日が差してきました。

PDR_0397.JPG

私達は 宇多天皇に別れを告げました。 先ほどの登山口までくると

宇多天皇のテリトリーを抜けましたので また先ほどのエネルギーが攻撃してきました。

今回の旅で私たちは 京都北西部のいたるところに結界が張ってあるのに気づきました。

自分たちの一族のみを守るために張られた結界です。

そこには ともに光の中にあゆんでいこうとする愛はありません。

京都の町は実はこんなに閉鎖された世界だったんだと私は愕然としました。 

しかも今や彼らは神々として神社に祀られ、人々がお参りし信心していく存在となっているのです。

それが 実際のところは存命中の想念によって今だにその恨みや憎しみ、戦いのエネルギーの域を

抜けることができないでいる。

今は そこにその人神さまは常にはいないとしても 残存思念は明らかに存在します。

そして縁ある人にはそのエネルギーを良い意味でも悪い意味でも影響させてきているのです。

でも 多くの人は其の事実には気づいていません。

たった一枚のお札でも そのお札がポータル(門)となって 其のお札の主とエネルギー的に

繋がっているのです。

今の時代、地球が波動をあげる動きのなかにあって この京都もその流れのなかに

あるはず。 それが せっかく宇宙から良きバイブレーションが

降りてきていても このような人々の念によってあちこちで 岩戸が作られているのだと

すれば その良き波動も京都市内を流れていくことは困難でしょう。

私は頭をかかえて考え込んでしまいました。

(つづく)


いよいよ次回は この結果に関する考察の最終回です。 このブログを書いている間にも

色々な進展があってすでにこのブログは過去のように感じます。






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最終更新日  2010年09月28日 02時33分24秒
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