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スペインかぜ:原因遺伝子特定 新型インフル治療薬に道 1918年に流行し全世界で約4000万人が死亡したとされる「スペインかぜ」のウイルスが強毒性になった原因遺伝子を、東京大と米ウィスコンシン大が特定した。発生が予想される新型インフルエンザの治療薬開発に役立つという。米国科学アカデミー紀要(電子版)で発表した。 スペインかぜはインフルエンザの一種。毎年流行するインフルエンザウイルスは鼻やのどで増えるが、スペインかぜウイルスは肺で増え、死者の多くがウイルス性肺炎だった。 米ウィスコンシン大の渡辺登喜子研究員らは、インフルエンザウイルスを人工的に合成する技術を利用。8種類あるスペインかぜウイルスの遺伝子の組み合わせを変え、通常のインフルエンザウイルスに組み込み10種類のウイルスを作った。実験動物のフェレットに感染させ増殖の違いを比べた。 ほとんどのウイルスは鼻でしか効率的に増えなかった。これに対し、「RNAポリメラーゼ」という酵素を作る4種類の遺伝子がスペインかぜのものを使ったウイルスは、フェレットの気管と肺でも増殖。完全なスペインかぜウイルスと同じように強毒性を持っており、この4種の遺伝子が強い毒性にかかわっていることを突き止めた。 研究チームの河岡義裕・東京大医科学研究所教授(ウイルス学)は「4種の遺伝子が作るたんぱく質の働きを抑える薬を開発することが、新型インフルエンザ対策に重要だ」と話している。風邪、インフルエンザは鼻、のどから罹患するというのは常識のレベルになりつつあるが肺をえぐるような手厳しいスペイン風邪など教科書で知るほどのものだった。これを再現しようとでもいうかのように実験動物で試されているという。目的は、「発生が予想される新型インフルエンザの治療薬開発」ということだが、はたしてその目的に他の力学からバイアスがかからないことがあるのだろうか。かつてアルフレッド・ノーベルは1846年に発見されたニトログリセリンを、鋭敏過ぎて実用的でないとして考案、珪藻土にしみ込ませ安全化し、さらに雷管を発明して爆発のコントロールに成功した。1866年の出来事である。これによりノーベルは巨額の利益を得た。爆発を制御するという思想は、すなわち安全利用ということではあるが、その利用使途は建設的なもの以上に戦時工作用に用いられた規模が遥かに大きいと思われる。技術には、かならずこういう側面がある。インフルエンザを制御するという思想は、インフルエンザを戦略兵器化する思想と「背中あわせ」である。かつて世界規模で4000万人を殺傷したという実績のある生物兵器の登場。そのように文脈を読み解きするのは、ひとり私だけなのだろうか。すくなくともこの潜在的な大量殺戮兵器の技術部分は、大国間での「交渉材料」にはなることだろう。使えない核兵器、大量殺戮兵器。かたや使われたことすら気づかせない生物兵器。この新参の生物兵器が、現に今あるところの「国家安全保障」の均衡を突き崩すことも十二分にありえることだと思う次第である。
2008年12月31日
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NY原油、一時42ドル台に上昇 ガザ空爆拡大で 【ニューヨーク=米州総局】29日のニューヨーク・マーカンタイル取引所(NYMEX)で原油先物相場は続伸し、早朝の時間外取引で一時、前週末比4.49ドル高い1バレル42.20ドルを付けた。イスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザへの空爆の拡大を受け、中東情勢が悪化するとの見方から買いが入った。 その後は売りも出て、WTI(ウエスト・テキサス・インターミディエート)で期近の2月物は午前9時45分(日本時間午後11時45分)現在、1.23ドル高の38.94ドルで取引されている。 (29日 23:52)オバマ新大統領が、決定した直後にヤフーチャットで「アメリカは、戦争経済にむりやり突入させられる可能性も高いし、戦時経済の気配はそう遠くないだろう」と述べたら一斉にありえない、という声があった。つい先月の話だ。みな、「ケネディーの再来」のような述べ方をオバマに対して行い敬慕の気分を抱いているようだったが、表面的にメデアの構成したニュースを見ているだけだろうと思わずにいられなかた。自分の意見に反論した人たちは、サブプライムローン問題で、もはやアメリカは戦争を仕掛ける体力がないという風なご意見なのだ。これは、あのリチャード・コシミズなどの一派も昨今派手にネット上で吹聴しまくっている論である。自分は、到底そういう風には思えなかった。案の定、27日の空爆だ。これはオバマ新大統領への、先制攻撃でもあろうかと思う。これを制止するとか封殺するような手腕がオバマにあるとは思えない。
2008年12月29日
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土曜日あたりから、部屋を整理してキッチンをかたづけ雑用をサクサクとすませてきたのでほぼ年末の必要な雑用は済んだつもりだ。まだまだ手をつけるべきものが多いが、まあ大勢に影響はないと思うものばかりだけが残っている。年末年始に10日間も休みがあるので、購入しておいて数冊の本にも手をつけられる時期かもしれない。一冊おもしろい本があるので取り上げておく。文春新書「情報革命バブルの崩壊」山本一郎ごぞんじ2ちゃんねるの烏雄 「切り込み隊長」こと山本一郎氏である。このブログでも、ときどき嫌味らしきニュアンスをこめて取り上げた。それもそうだろう。彼から、婉曲に中傷めいたことをパソコン通信上で仕掛けられた記憶がある。彼からすれば知人だとも、友人だとも思われてはいないに違いない。テーマに理解を得ようとも思っていないし、彼の視線が俺の運動性と絡むわけはないので駁論など一切しなかった。だがカネをだしたワケでもない人物に、金貸し屋の哲学に過ぎない狭量な論を派手な文章量で講釈されて実に迷惑千万だった、とだけは言っておこう。いまはNHK特集番組に登場して、竹中平蔵のサポーター論客のようなスタンスで姿をあらわすあたり、乱世に強そうな顔だちも含めて、つくづく達者なもんだと思わずに居られない。(二階堂ドットコムでは詐欺師と断定されていたようだが・・・はて?)彼が、パソコン通信時代の@niftyでも同じ「切り込み隊長」の固定ハンドルで、怪気炎を吐いていた時期、どちらかいえばユダヤ系金融資本の手先のようなポジションではなかったか。好んで零細個人自営業者をコケにしている風だったが、彼らの有望投資先だったのは、むしろ彼がいまの著作で「まな板」に載せている情報革命バブルのベンチャー事業者だったのではなかったか。それを思うと、この10年ほどの総括論考だという理解も可能ではないかと思った次第だ。<ヒルズ族になれなかった男>と冠される、あのクレイフィッシュの松島庸氏が、著述した「追われ者」は、すでにブックオフでも手軽に買えるようになったが敬呈されるのを待っているあいだに、入手しそびれてしまった。それはそれとして、山本一郎氏も、同時期の顔みしりとして新書一冊ぐらいは、読み通しておこうというぐらいの気分である。読みかけながら感じたのは、この新書。つまりは「語り口の面白さ」が売りである。なるほど達者なもんだと笑えてしまう。ついつい市ヶ谷のスカイラークで深夜おそくに話した時期の彼の表情を思い出してふきだしてしまった。さりながら、なんのことはない。彼自身が鳴り物入りで喧伝したはずの、その対象でもあったはずの「ITバブルとネット無料文化」を、ほかならず当事者側(さもなくば同伴者側)からなした「幕引き宣言」みたいなものだと思われる。この新書の結論。それは、すなわちあの90年代後半、パソコン通信時代に彼から罵倒された記憶がある、彼ら貸し金屋の手先さんたちの論拠の一部にもさすがに見直し機運が来たという事に過ぎないのではないのか。それは、時代状況そのものの時系列変化のなせるわざかとは思うのだが、こちらも10年遅れのトップランナーぐらいの、しょぼい矜持は許されて良いのかなと安堵した次第である。なんと、エライ先生さまになりつつあると結論らしきもの。かくも「保守的」になるなのものなんだなあと笑えた。
2008年12月29日
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早々と冬休みに雑用に、年末があわただしく過ぎてゆく。土曜日恒例のメール マガジンにいくつか取り上げられた話題がわが身の日常に交差していたので気になった。もう一つ良く分からないのは、雇用の問題です。今回の不況を契機に再び、新卒採用の縮小が取り沙汰されています。内定切りという言葉が新聞を賑わせている一方で、青山学院大学などは卒業単位を満たした学生でも「就職浪人」になった場合は、留年を許可するというのです。日本の企業は自前で教育して管理職候補にする正社員としては、新卒しか採用しない、つまり既卒という「何にも属したことのない期間」を持つ若者は徹底的に排除する構えなのですが、これは今後も変わらないのでしょうか?ということは「景気の良い時期に四年制大学を卒業し、その二年前に自己分析などという意味不明の自分探しに成功していて、敬語を使ってそれを面接でハキハキ説明できた若者」だけが正社員になれて、それ以外の若者は非正規のキャリアしか与えられないというバカバカしい制度がこれからも続くのでしょうか? その一方で、文部科学省は「大学の卒業認定の厳格化」とか「学士号の必要要件の標準化」などということを考えているようですが、こちらはこちらで「手に職をつける」話ではなく、あくまで「社会人として直接役立たない形式的な学力」のことのようなのですが、これもまた仮にそうだとしたら壮大なムダなのではないでしょうか?冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ)『from 911/USAレポート』第389回「年の瀬の疑問」作家(米国ニュージャージー州在住)。1959年東京都生まれ。東京大学文学部卒、コロンビア大学大学院修士課程卒。福武書店(現、ベネッセ・コーポレーション)、ベルリッツ・インターナショナル社勤務を経て、現在は米国プリンストン日本語学校高等部主任。メールマガジンJMM(村上龍編集長)に「FROM911、USAレポート」を毎土曜寄稿。彼の論旨は、毎回明晰で分かりやすく書かれており筋みちたてて理解を求めるものにはきわめて親切そうなのである。その点、わが右脳で踏み込めなければまるで発想が起動しないというような男。絵に描いたような実存主義者の自分とは大違いである。つまりは、世間並みな話題にしてもとうてい理解を得られそうにないような「実体験の不可思議な込み入り方」をせめて言葉に置き換えられないかと折々に煩悶しながら生きていたのと決定的な差が生じていると最近気づいた。「日本の企業は自前で教育して管理職候補にする正社員としては、新卒しか採用しない」という事は、かならずしも無いと思うけれども 公式的には冷泉彰彦氏の言う疑問が生じるようなアウトルックを世間に示す企業が圧倒的に多いのかもしれない。大手企業の人事部というセクションには、たぶん何らかのリスク回避という反射が植えつけられているからだろう。経営者や経営幹部の中には、いまでもリスクを取ってでも人物本位で雇用してもいいというぐらいの人が大勢いると思うが、組織の上席に位置してすら人事部門の方針を軽々には触れないのだろう。経験的には、そういう印象がある。NHKの大河ドラマ「篤姫」ではないが、組織の中で飛び級させたり、大胆かつ機動的な抜擢という文化はむしろ日本には歴史の裏側で頻出している気がする。予想外に流動的で弾力的な社会システムをひそひそと人目を忍びながらも果敢に実行してきている。それが実現するためには世慣れた老獪な斡旋者が組織内外にバランスよく配材されていることも必要である。ところが昨今大手企業の人事屋さんは、秀才ではあっても、およそこの種の老獪さとは無縁な人士で固められているような気がする。「つまり 今後もかわらないのでしょうか?」という冷泉彰彦氏の嘆息は、わたしならば「そろそろ日本のよろしき伝統的社会に復旧してくださらないものでしょうか?」というあたりである。石油ショックの70年代。モロかぶりにかぶった私。「バカバカしい制度」とのご指摘の部分は、冷泉彰彦氏が問題ありと取り上げたこと自体が大きな進歩だと思う次第である。日本の企業といわず、社会の停滞は、そりゃああるのだろう。運不運をいえばたしかに団塊世代の後塵を拝した我々は釈然とはしない。だが、冷泉氏らにも見えるほど著しく停滞していると広く気づかれ始めたのだろうか。そうならば、日本人はそれほど馬鹿ばかりではないと思うわけだ。
2008年12月27日
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わたしが湯たんぽや 発熱繊維のことを話題にするのを、非常にいぶかしく思っている人がいるかもしれない。このブログには、多くの読者がいないまでもきわめて少数のマニアニックな定期巡回者がいて、彼らにすればこの話題の変化には奇異なものを印象されるに違いない。昨年までの話題の流れとは相当違うし、「国家社会主義」の話題と比べても脳天逆落としぐらいの落差があるからだ。自分としては、昨年までの過去5年間の状況認識は国内外において大きく踏み誤りがないと実感した。そこで過去のブログの基本認識を踏まえて、実践論を研ぎ澄ますべきだと考えはじめている。ご存知かどうか。東京大空襲でも、広島長崎の原爆投下、比較的卑近なところで阪神淡路大震災における惨状で、生き延びた人々を救ったものは実のところ「世界観」でもなければ「ご高説」でもない。さまざまな「小技」であり「生活の知恵」である。はたまた衝動買いして押入れにしまってあった雑貨の一品で命が救われたなという事例は、さまざま耳にした。命が救われるなどという大仰なことがなくても、そのひとわざで癒された、場がなごんだという風な話題も少なくない。われわれはいよいよ「廃墟の空間」に立ち向かう実存的なものが露出する局面に向かっていくわけである。アメリカ発の大規模なデフレとは、そういう事だ。わたしが今 湯たんぽや発熱繊維の話題を取り上げるのは、そういう局面における認識論のなせるワザだと思っている。
2008年12月25日
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この未曾有の不況で、急速に普及が進むと思われるのがあのLINUX搭載パソコンだ。なにせOSが無料なのである。世界中の優秀なプログラマーがボランティアでつくりあげたOSが、すでにWINDOWSやMacOSよりも遥かに優れているということは知られている。しかも家庭内でホコリをかぶったパソコンや、路上にすてられている10年以上も前のパソコンでも、LINUXならば充分以上に稼動して、しかも高速でサクサク動き、いま我々がつかっているソフトのほとんどが利用できて、インターネットもワープロも、計算も、すべて出来ないことがないと実証されている。これをサポートする専門の会社などが出てくる可能性は高いと思う。インストラクターの人件費とゴミ箱から拾ったパソコンの購入代金、以外に必要な経費はゼロだ。なんとフリーソフトの数はアップルのMacOSよりも多いというのである。#8:利用可能なソフトウェアの数 驚かれるかもしれないが、Linuxで利用可能なソフトウェアの多さはMac OS Xの比ではない。私はfreshmeat.net(UNIX向けのソフトウェアとクロスプラットフォーム向けのソフトウェアを集積しているサイト)でLinux用とMac OS X用のソフトウェアを検索し、ざっくりとした感触を得てみた。検索の結果、Linux用は1万1781件、Mac OS X用は1477件がヒットした。freshmeat.netはオープンソースソフトウェア指向のリポジトリであるため、この検索は公正なものではないと指摘する方も多くいるだろう。このため私は、GoogleからMac OS X用とLinux用のソフトウェアを検索してみた。その結果、Mac OS X用は1910万件、Linux用は4570万件がヒットした。
2008年12月24日
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発熱繊維のウワサは、以前から聞いていた。下半身の冷えは、30代から経験があったが理由が良く分からなかった。色々理由はあるようだが、内臓が冷えることを身体が警戒して気温の下がる季節に末梢神経を反射が絞り込みして冷えた血流が内臓に急速に戻ることを阻止するためだという。しかし内臓を暖めても、ひえが厳しく下肢にいかんともし難い冷えが襲うことがある。これは年齢が来てのホルモン減衰が体温調節能力を乱しているからだとも言う。ひとつには運動不足ということだろうが、個人的に運動不足とも考えられない面もある。相当距離歩いているし、ダイエットにも成功して体重は医師から適正だといわれるほど絞っている。運動不足でなければ、下肢は充分使われていて発熱にも寄与している。それでもしばしば寒いと思うときがあるのは、ついに暖めるしか術はない。下肢を暖める方法には、いろいろあるがどれも満足がゆかない。いまのところ数年前に購入したポリエチレン製の湯たんぽが足温器として一番具合がいいような気がする。そこでよりいっそう効率よく発熱繊維の下着を購入しようと数年前から考えていた。さいきんは、簡単に入手できるようになってきた。どうやら発汗を利用したものらしくて、機能繊維として表面積が過激に広げてあるために汗の水分で発熱が生じるものらしい。体温にして数度あげられるというので興味がわいた。試着してみて体温があがるという実感は、よく分からないものの確かに下半身の冷えが多少気にならなくなったと思う。冷えそのものよりも、いつも下半身を意識しているという生活の不定愁訴が減ることは歓迎である。これにユニクロで購入した、マイクロフリースの室内着を着ていれば冬の寒さに暖房なしでも苦にならない。これでこの冬は、相当暖房費用を節約できるのではないか。
2008年12月23日
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数年前に、ポリエチレン製の湯たんぽを2つ買った。これはこれでなかなか便利なのだが、寝具で使うよりも足温器がわりに使っている。電気製の足温器は、意外に不便でコードもうざい。電気代も気になるところだ。それにくらべれば湯をつかうのは合理的な知恵である。物質界では、湯ほど熱を蓄える物質は存在しないからである。冷却材としても水は、最高の物質である。そもそも人間は、水で出来ているようなものだ。実は、寝るときには湯たんぽをつかわずに捨てられている1500CC入りの焼酎用ペットボトルを使っている。理由は、沸騰水を使わないツモリだからだ。湯たんぽに沸騰水を入れるのはひとつで間に合わそうと思うからだろう。熱容量を考えれば75度の湯を1500CCもあれば朝まで充分だ。しかも低温ヤケドすることもない。いっそう寒い日には、1500CCのペットボトルを2本も用意すれば、すこぶる快適である。実は、市販されているポリエチレンの湯たんぽよりもよほど具合がいい。中身の焼酎は、飲んでしまったがカタチが良いので捨てがたくちゃっかり利用しているというわけだ。機密性がいいので簡単に漏れたりもしない。そもそもアパートの分別ごみを眺めていると、いくらでも捨てられているのである。自分が子供時代に、こんな便利な容器はなかった。PETボトルは、実に素晴らしい素材だと思う。
2008年12月20日
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秋口から冬にむけて、けっこう時間をかけて散歩をしている。なにしろ景観に優れたところで、滋賀を知らない人は気の毒だ。母親もヨーロッパを観光で遊びに行ったらしいが、滋賀とは比較にならないと言っていた。つまり、滋賀という地域はちょっと世界的にも類例がないほどの素晴らしいロケーションなのである。歴史的にも、京都はうるさく自己宣伝を行う。それにくれべれば滋賀は、物静かだがどっこいその歴史沿革は京都にも負けず劣らずだ。寺院仏閣の数は、京都と遜色ないぐらい。しかも観光俗化しておらず、静かな散策にきわめて適している。司馬遼太郎が「街道をゆく」というシリーズの最初に、滋賀を位置づけているだけのことはあるのだ。散策しながら、さまざまなことを考える。
2008年12月20日
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大分キャノンの動きに注目している。生産県の現場を眺めていて、つくづく思うのは今なお生産の現場では人間関係が生産財の一部のように働いていて経営側も、いわゆる資本の論理だけではまわせない独特の「地域性」に依存しているという印象がある。資本も財ではあるが、生産財も立派な財であるから、たんなるグローパリズムと呼称されるような財の運用レベルでの「流行」だけでは変化しないものがあるようだ。むろん金融資本主義にとって、関心の対象とならない低い流動性もあいまって財とはいえ、めまぐるしく派手な動きをしないのである。これを、ドライきわまりないキャノンはいずこの地域でも見事に軽んじて人員削減、リストラを敢行する。たとえばご当地の北部に長浜キャノンがあるが、こちらでも先年来雇用と削減がめまぐるしく地域に見えざる負荷を強いて来ている。大分キヤノン関連の失業者、杵築市が臨時職員で雇用へ 大分県の大分キヤノン(国東市)と関連会社の大分キヤノンマテリアル(杵築市)の減産計画に伴い、非正規労働者約1200人が段階的に雇用契約を解除されている問題で、両社の非正規労働者約2000人が在住する杵築市は、失業者を臨時職員として雇用する方針を決めた。 また大分県は15日、社員寮などを離職者に無償で提供する事業主に1人当たり月額4万円を上限に家賃を助成すると発表した。雇用情勢の急激な悪化を受け、自治体が独自の対策を打ち出し始めた。 杵築市は、希望者を最長1か月、交代で来年3月まで雇う考えで、16日から申し込みを受け付ける。解雇された非正規労働者への支援策を打ち出す自治体が相次いでいるが、厚生労働省は「自治体が直接雇用するケースは聞いたことがない」としている。 市緊急雇用等対策本部によると、非正規労働者の多くは請負会社などが借り上げたアパートに入居している。今月に入って、突然解雇された非正規労働者から「再就職のあてがない。アパートも引き払わなければならない」といった相談が寄せられるようになった。 市は支援策を検討した結果、市内には再雇用を見込める企業が少ないことから直接雇用することを決定。市役所の全25課が1~2人ずつ確保することを目標に、人員を調整している。相談者の中には実家に帰る交通費さえないという人もおり、市は1か月間の雇用でも生活支援につながると考えている。 採用は、面接を経て随時決める。市内在住であれば、住民票を移していなくても応募できる。給与は部署によって異なるが、臨時職員の場合、平均月額11万円前後という。住居は、市が民間のアパートを借り上げるか、市営の宿泊施設を提供する。家賃は未定だが、一部を市が負担する方針。(2008年12月16日 読売新聞)民間とはいえ、キャノン一社の企業姿勢が地域経済を翻弄しているのが如実である。われわれ消費者は、このキャノンのようなメーカーでありながら金融資本主義の「手先」のような会社の製品を多少性能が安かろうが購入すべきではないのである。この恐慌の行く末を占うとき、今回の大分における杵築市の取った方針が極めて「示唆」に富むものだ。消費者に生活と賃金、早い話カネをまわさない政治と行政は確実に恐慌の規模を増大する。逆にいえば、今回の恐慌の原因は消費者に雇用とカネをまわさないカジ取りを好んで行った小泉純一郎や竹中平蔵たちが「引き起こした」ものだという事である。われわれの体感は、けして間違ってはいない。
2008年12月17日
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面白い、面白い。ほかならぬ自分の書いたこの日記である。とりあえず昨年の一月一日から読み返していたら、夢中になって八月ぐらいまで読み進んでしまった。この日記を続けるよりも、自分の書いたものを読んでいるほうが面白いというのもおかしな話なのだが、単純に「純粋観客」として自分の書いたものを読み返していておかしくてならない。とりわけ以下の項は、諸兄にも再読をお勧めしたい。可能ならば去年一年を通して読んで貰いたい。たった一年前の話とは思えないほど現実感が遠景に遠のいてしまっている。↓click2007/04/01 隠匿され続ける巨大事業には公益性なし ↓click2007/06/12 中国経済は「いつ」破綻するのか? ↓click2007/08/31 米国発恐慌の胎動 ↓click2007/09/11 世論調査は嘘八百
2008年12月11日
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アメリカの株式が堅調に推移しているようにみえる。日経平均も、なぜか上に向かっている。そんなわけないだろう。これはもはや相場ですらないような気がする。経済の原則を、つきやぶって操作につぐ操作。まもなく暴落相場が到来して、ふたたび奈落に向かって下落することだろう。この程度の下落で済むはずがない世界経済の現実だ。
2008年12月10日
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テレビは、もっているが使わない事が次第に増えている。ワンセグチューナーをパソコンのUSBスロットにほりこんで以来その便利さに驚喜するばかりだ。これまで見たかった番組の取りこぼしは少なくなかったが、このわずかな支出で気になる番組はほとんどみれるようになった。パソコンに収録されている予約録画が、これほど簡単なものになるのは夢のような気がする。80年代のVHSの苦労などウソのようである。そのまま必要なものは、HDに保管する。わすれた頃に通してみると得がたい感動の湧く番組もある。テレビは見ないといいながら、収録された番組にはやはり見落とせないものが含まれているものだ。ワンセグチューナーのおかげで、見たい番組。見落とせない番組と向き合う可能性が飛躍的に増えた。
2008年12月07日
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早朝、所要でドライブをした。道中社内でFM放送を聞いていると、なんとあの幸福の科学の教養番組を流している。平素気づかなかったのは早朝の移動は平日に限り、日曜日にドライブすることは皆無に近かったからだ。この怪しげなカルト教団が昨今はオーム真理教との応酬の果てに今はこういうスタイルで世相に適応しているのかと感心した。内容は、実に月並みなものだ。「垂直思考と水平思考」などと図式的なことを言っている。ああ60年代に流行したあれをパクッているわけだ。まあ、それは良いとしよう。内容を聞いていると、彼らにとっても「水平思考」をどのように扱うべきなのかを多少持て余している様子だ。このブログ風の切り口で言えば、「垂直思考」とはキャッシュフローに裏づけられた担保ある思考態度のことだ。担保されているものがあるあいだは、深く掘ればよい。鉱脈が枯れ尽すまで垂直に掘り進めばよい。そう考えて大多数の人間は生きている。たしかに二代三代掘り進んでも揺るがない埋蔵量のある資源も多いだろう。だが所詮資源はいつか枯れる。水平思考などと、韜晦ぎみに喧伝された思考法は誰もが薄々採用している一種の日和見主義なのだが、広く状況を見通しするために試掘を試みるという態度だと 幸福の科学はいう。なるほど、それは多少60年代の流行思想を咀嚼して、信者に対しては親切な解釈だと思う次第である。つまりは 既成の一次産業、二次産業、三次産業の枠組みに踏みとどまって固着する人たちの基本戦略は、ばくぜんと「垂直思考」と括ることは可能かもしれない。それがどうなのだといえば、さほど意味があるとは思えないが幸福の科学の布教活動には重宝な用語となるわけだ。わたしの関心は、一歩踏み込んでその先にある。幸福の科学らは、現状刷新と進歩の思考態度であるとする「水平思考」をどのように扱おうとしているのか。彼らのメッセージを耳傾けていると面白い。総裁大川隆法の知恵なのだというその着想が面白くない。「垂直思考」80%「水平思考」20%が適正なのだという。ばかばかしい。「垂直思考」をどのように量化し、「水平思考」をどのようにハカリに載せるつもりでいるのかは知らないが、そもそもハカリにかけられるという保証はどこにもない。「垂直思考」100%の果てに飛躍的な思考のジャンプを遂げることもあるし、奇妙奇天烈な発想で、いきなり巨大なキャッシュフローにたどり着く場合もある。8割2割だとか言う着想も、所詮は年末ジャンボ宝くじを買うのと大差ないのである。カルト教団は、所詮はこの程度の思いつきを述べては教本を売る。それら教本の売り上げが彼らのほかならぬ「垂直思考」なのである。まだまだその成功体験から離脱していないようだ。
2008年12月07日
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