カフェ・ヒラカワ店主軽薄

カフェ・ヒラカワ店主軽薄

2007.01.30
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カテゴリ: ヒラカワの日常
本日は、白髭橋の会社に出勤。
まだ痛い五十肩を庇いながら首都高速を運転して、
大川端のリバーサイド隅田に向かう。
朝から、四連続会議で一日が終わる。
みんな会議が好きである。
俺は、ガキの頃よりデスクに座って会議が始まると
瞬間的に眠くなってしまう性癖があった。
ほとんどパブロフのまるね。
そうして、会議が踊る間、ずっと一人でこめかみに力を込めて

五人以上出席する会議は、まったく役に立たない。
一時間以上の会議は、苦痛以外の成果をもたらさない。
俺の会社も会議をやるが、三十分以上になることはまずない。
会議がいかに、意味の無いものであるのかについていくらでも
書けるが、意味の無いことをいくら書いても、意味が無い。
やめた場合と、やった場合の比較を、
損得勘定で計量すればそれでよい。
結果は明らかである。
会議が無ければ、エクスキューズの場が無くなる。
仕事をするということは、その仕事の意味を自ら作り出すことである。
仕事にはこれ以外にはないというような正解はない。

「後は頼んだよ」「あいよ」といった具合に依頼と信頼も同時にパスするのである。
このパスの瞬間を感じるのはまことに心地がよいものである。
そうでなければ、仕事はどこまでいっても隷従と責任転嫁の間にある
苦痛でしかなくなる。
自己決定、自己責任は、仕事の現場でこそ、いやたぶんそこでだけ

仕事が終われば、他力本願でいくのがいいのである。
「まいったな。後はおまかせ」「しょうがねぇなぁ」
同じようだが、こっちは力が抜けてだらしがない。パスではなく
投げだしただけである。自己決定の放擲。
これでいいのである。
往々にして、これが逆になっている。

柳沢厚生労働相の女性機械説が指弾されている。
しかし、こんなおっさんは何処にでもいたし、
これからもいなくなることはない。
政治家としては、頓馬としかいいようがないが、
政治的な足場から、
俺はこのおっさんの人権意識の未熟さを糾弾したり、
「西欧では即辞任だ」とか「人間として恥ずかしい」とか
言うつもりはない。
同時に、「子供が生めるような環境や経済基盤が失われていることが
問題だ」とも言う気にならない。
確かに、女性を子供を生む機械(すごい比喩だね)であるといったような
「前近代的な発想は
恥ずかしい」ことだし、人権意識の未成熟は「国際社会の恥辱」である。
そういうことは誰にでも言えるが、言えることと、
本当にそれを骨の髄まで染み込ませているかは別なことだ。
しかし、もし、少子化問題ということを、「子供を増やす」ことで
解決できるという前提に立ってかような正論を言っているとするならば
それこそ、おかど違いではないかと、俺は思っている。
どうして、少子化が問題なのか。
日本の社会ということに関して言うのなら、少子化→子どもを増やす→解決
というような前提はそもそも倒立した議論であると俺は思う。
しかし、このように考えている人は多い。
少子化の原因は、経済的な要因や労働環境だけで説明できるような
簡単な話ではないことだけは確かである。
どんな経済的貧困や劣悪な労働環境下にある地域でも
人口増加は起こるし、その逆もまた起こりうる。
その因果を合理的に説明できる知性を人間はまだもちあわせていない。
いや、それは論理を超えたまだ見えない自然の過程なのかもしれない。

だから、「政治的な課題」として少子化問題というものを考えるのならば、
人口が減少する段階に入った社会にもっとも適切な社会システムとは
どのようなものになるのかというイメージを作り上げることだろう。
ある意味で、それこそヒューマンサイズを取り戻す絶好の機会かもしれない。
政治家ならば、人口が減ったっていいじゃないかと
いう論を誰か言えないものかと思う。

ヒューマンサイズになって、以前よりは活力が失われたように
見える社会は、大きくて、速くて、強いことがいいことだという価値観とは
異なった価値観が必要になる。
それが成熟ということだろう。
もちろん、成熟した社会の中でも、
あの、柳沢大臣のような素っ頓狂なおっさんはいるけれど。





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最終更新日  2007.01.31 01:04:35
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tarikihongan  
yuihou さん
「他力本願」の意味が・・・。 (2007.01.30 23:57:06)

あくまで「感覚」ですが  
のぐち さん
私も柳沢氏と似たり寄ったりのおじさまは結構たくさんいるような気がするので、あまり指弾する気にはなれません(軽蔑はしてますが)。
いわゆる先進国ではフランスだけが抜群に出生率が高いそうです。その理由として、結婚していなくても子供を持つ人が多いからとききましたが、日本はそういう人にすごく冷たいような気がします。
あくまで「感覚」ですが、日本の人口は8000万ぐらいになったら、すごく暮らしやすい国になるような気がします。今のままもしそうなれば、たとえば年金は破綻するでしょうけど。
少子化が問題だとしたら、きっと政治家とか役人とかの「誰か」だけが考えればいいことでも無いですね、きっと。 (2007.01.31 01:22:39)

成熟した社会というのはできるのでしょうか  
雪国のTT さん
平川さん今日は、ずっと考えているのですが、
>ヒューマンサイズになって、以前よりは活力が失われたように見える社会は、大きくて、速くて、強いことがいいことだという価値観とは異なった価値観が必要になる。
という所は解ります。そうだと思います。ただそれを成熟した社会と呼んでいいものでしょうか。というか社会が成熟するには時間がかかって、人も成熟していかなくては無理なような気がするのです。私は大人に成りたいと思って生きてきましたが、年は取ったけれども大人になったという気はしません。周りを見ても親の世代の人々は子供が年寄りになって、さらに「子供返り」しているような気さえします。いつの間か世の中から大人という人達がいなくなっているのではないでしょうか。内田先生は八分の五を年齢にかけろとおっしゃっておいでですが、私は何かで見た3割引説を採っています。ただ年齢ではないんですよね。活力が失われた社会にもしかしたら「素っ頓狂なおっさん」がすごくたくさんいるって事は考えられませんか?私が異様に子供っぽい世界に生きているのならばいいのですが、不安です。

(2007.01.31 16:35:51)

柳沢大臣、ありがとう  
Sam さん
そもそも「少子化問題」って、国があれこれ考えることなんでしょうか。
大多数の女性が、子供を産まない理由に「社会に対する不安」を挙げているのであればまだしも(勿論、そう思われている方もいるでしょうが)、理由はそれぞれで、複合的な要素が絡んでいると思います。そうした問題って、国が一番手を打ちにくいことじゃないでしょうか。
ヒラカワさんが言うように、政治家ならば、人口が減ったっていいじゃないか(実際減るわけですから)という論を前提に、数十年先の事を考えていく方が現実的だと思います。
国が少子化問題に取り組みたいのは単純に、「男も女も国に税金を納めるだけの機械」が減産されては困る、ただそれだけなんですよね。
こうしたハラ黒い部分をしっかり伝えてくれた柳沢大臣にはむしろ、感謝したいです。
(2007.02.01 15:49:12)

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