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すっかり秋ですねー。体がベタベタと汗ばまないのが嬉しいですね。 なかなかコメントもメールも遅れており、申し訳ございません。。そんな中でも元気にやっております。 いつものことなんですが、いい気づきやアイデアとかよく浮かぶんですが、メモっていないとすぐに忘れる、メモしても大量すぎて、どれだったっけ?となってしまうという(笑) 今度ブログにはアレ書いて〜これ書いて〜なんて考えてると、デカイ気づきがあって、メモして忘れて・・・なんてあるくらいだったら、その都度メモがわりにブログを利用しようかななんて考えております(笑) さてさて。今はいろんなものが淘汰されている時代と言いますか、個人的にもそう感じますし、いろんな方を見てもそう感じますね。 やはり思うのは、損得を考えて行動とかって、本人は得したつもりなんだと思いますが、実は大きな損をしているということに気がついていないんだなというのは実感します。 小さな損得を考えていると、大きなものを失うというかね。自己保身に走るとそんなことさえも見えなくなるのではないかと思います。 ・・・な〜んてのは、メモから抜粋した言葉であるんですが、やはりブログを書くときは「今度これを書こう!」と思っても、いざ画面を目の前にするとそれじゃないものを書きたくなりますね。 こんな感じでいつも書きたいものを書いております。 そうそう、負けコンプレックスなんですが、なんだかすごいです。(*負けコンプレックスとは、人が自分に入れたレッテルのこと) この負けコンプレックスですが、自分の中に入ったかなり大きめの枠のようなレッテルなんですが、これがあるとこれを超えた思考や行動をすることは非常に難しくなってしまうものです。 なので、私はこれをコードカットのセッションと一緒にこんな感じの負けコンプレックスが入ってますよ、とお伝えするんですが、こうやってピンポイントで私が見つけたそのかたの負けコンプレックスはその方にとってドンピシャらしく、物凄い大きなもので、これまで何をやってもうまくいかなかったものが、すんなり進むとか、どう考察してもわからなかったものが、見えるとか、するんですよね。 この負けコンプレックスとは、思考に枠をつけるので、それ以上の思考が難しくなると先に書きましたが、本当にそうなんです。 負けコンプレックスの感想はすでに沢山いただいておりますが、プライバシーな内容が多いので掲載はできないですが、みなさん揃って「負けコンプレックス、すごい!すごすぎる!」と仰っていただいております。 私自身も毎日のように負けコンプレックスをとっておりますし、セッションでも毎日結構な数を取らせていただいておりますが、ここにメスを入れた人これまでいないでしょ!という内容です。ホント。 人が自分に勝手に入れたレッテルって、紙に書いた「私は***です」くらいだと思うなかれ。私が見たらそんなもんじゃない。物凄い大きな塊が自分の体の中に入っているんです。こりゃー苦しいわ!というものです。(この大きさ、アゲならではかもね) こんなにでかいものが入ってるのです。もちろん目に見えないエネルギーという形で見えます。 なので、私がそれを破棄すると、「なんだかすごいスッキリしたぁ!!」と言われること多し!です。 アゲって、子供の頃の方が生き生きしていることが多いんですが、どんどん視野が狭まって、いろんなことができなくなったという人が多いと思います。 これって、負けコンプレックスをめちゃくちゃ入れられているからなんです。 しかも自分で取るのはほとんどできない。なぜならその存在すら皆知らないから。自分の性格の様に思っているというか。 サゲもほぼ無意識?というか、雰囲気的な感じで負けコンプレックスを入れてきますし。 コードですと明らかに苦しいとか、痛いとか、周囲が一気に変わるとかがあるんですが、負けコンプレックスというレッテルがあることで、さらにそこを狙われやすくなりますし、コードをカットしてもイマイチ変わらない、となるケースや、肝心な自分自身の中身が昔のようになれない感覚などがあるんですが、これも枠なんですけどね。それを破棄するということで、視界が開けるんです。 すると、さっきも言いましたが、今まで考えてもわからなかったことがどんどん見えたりして、気づきに拍車がかかります。 考え方の枠を知らないうちに入れられてしまうと、どんなにポジティブに考えようとしても、その枠から出られません。すると、そんな自分をまた責める、などで苦しいんですよね。 負けコンプレックスの発見によって、私のセッションは1、5〜2倍に可能性や発見が広がりました。 例えるなら、自分の中に鉄の塊やトイレの水のタンク部分が入っているとか、そんな感じなんですよ。それくらいに巨大なものが負けコンプレックスとして入っていて、それが苦しいし、でも何かわからないし・・・というものです。 でも、アゲの方は敏感な方感じ易い方が多いので、この負けコンプレックスを発見する前でも、この胸のあたりが・・・とか、お腹のあたりが・・・なんて説明をよくしてくれておりました。明らかにおかしい、とね。 当時は、全てエネルギーコードの有無を見ておりましたが、負けコンプレックスを見るとこで、さらに可能性が広がり、その現象はこの負けコンプレックスがあって、さらにこんなコードがあるからで〜・・なんて、説明が可能になったのと、何より、しつこく繋がれるコードがグッと減ったのが大きいです。 負けコンプレックスによって思考が制限されるので、それ以上の思考が不可能だったのですが、これを取ることで、思い込みを取る以上の効果が出ますし、コードカット、負けコンプレックス破棄、思い込みの手放しと書き換えのワークの三つが今の段階では最強となっております。 思考ってね、入れられてるものが多いんです。こんなにあるか!?っていうくらいに、本来の私たちからかけ離れた枠のある思考で考えるしかなくて、 なぜか楽しめない、なぜか馴染めない、言い出せない、なぜか従ってしまう、なぜかこんな態度をしてしまう、なぜか妙に心配してしまう とか、思考の癖のようになってしまって、そこから離れることができずに、苦しんでいるケースが多いんですよね。 負けコンプレックスはめちゃくちゃ奥が深いですし、はっきり言ってコードカット以上に需要があるものでもあります。 何度も言うように、コードとはエネルギーを吸い取られて、相手の粗いエネルギーを入れられて、ふらふらになったり、痛くなったり、具合が悪くなってしまうものです。 負けコンプレックスの場合は、人が勝手に入れたレッテルなので、アゲほどめちゃくちゃ入れられてしまいます。 一緒にいる人によって人がどんなふうに育つのかが決まるように、やはり負けコンプレックスを入れられていくのだと思います。 ではなぜアゲはこんなにも負けコンプレックスを入れられるのかというと、アゲは何度も言うように優秀だから。天才だから。 サゲの場合は劣等感が凄いので、必然的にアゲを見て悔しく思うわけです。そんなサゲの数が多いほど、アゲを見て面白くなく思うでしょう。 すると、得意な人はアゲに負けコンプレックスを入れるわけです。すごい数をね。 だからこそ、年々大人になるにつれて自由が効かなくなり、以前は平気でできていたものができなくなったり、思考に枠が掛かってしまって、妙に冷めたネガティブになってしまうとか、諦めるとか、そんな自分になっているわけです。 これも年齢のせいではないんですね。入れられたものです。 もしくは、自分で入れたものでもあります。 それを、コードカットの際に一緒にどんな負けコンプレックスが入っているのかを見ることができますので、それをお伝えするんですが、はっきり言ってコードのおかげで一気に自分が解放されるんですよね。 自己暗示かけてポジティブに、とかやっても、やはり入れられたドデカい巨大な塊が自分の中にあると、すんなりといかないんですよね。。 それに、負けコンプレックスとはレッテルなので、雰囲気として現れます。 なので虐められている系の負けコンプレックスがあると、雰囲気でそれが出るんです。で、負けコンプレックスの「負け」とあるように、どうしてもそこに抵抗しようと頑張っても負けるわけです。 これを破棄するということは、どれだけ自分が自由になるか、です。 よく、なぜか**になるとか、なぜかいつもこのパターンになるとかあるでしょ?これも負けコンプレックスのケースが非常に多いです。 今だから言えるけど、この負けコンプレックスを知らないで、よくコードカットだけで対処してたなぁと思います。頑張ったよなぁ!と思います。これはなぜだろう!と考えていたからこそ、負けコンプレックスが見つかったんですよね。 確かに、コードは痛いですしね。苦しいものですし、エネルギーを吸い取られるのでカットすることでここから解放されます。 なので今度は負けコンプレックスでもっとさらにピンポイントでいけるんです。 きっと、いつか負けコンプレックス以上のものを見つけるんだと思います。私のことだからね。私はどんどん新しいものを見つけて進みますので。 でも、コードカットもめっちゃ重要ですし、思い込みの手放しと書き換えのワークも重要!どれも本当に大切なものです。 アゲがより、本来の自分に戻って自分らしく幸せに生きることができるように、日々考察しております。なので私は急に凄いことを語り出す様で、娘はいつもメモってくれています笑もうね、それはかなりの膨大な量になっております。 私ってリラックスして語るとすらすらと凄い答えを言ってしまうみたいで、何かとつながっているのかな?というほど。こうやって気づきとか新しいセッションとか、毎日見つけてます。 以前は自分のことをこんなに堂々と褒めるとか、考えられなかった私ですが、いろんな枠が外れていくと、いろいろ見えてきて、話したっていいじゃん!みたいな感じになっております。 そんな私もまだまだ思考に枠があります。どんどん負けコンプレックスを破棄してますが、ホームページに掲載している負けコンプレックス一覧の多分倍以上の負けコンプレックスを見つけてるし、コードの種類も400〜500あるし、凄いことになってます。 こうやって自分の枠を取ってみると、可能性はものすごくて、これは他のアゲにも言えることなんですよ。可能性がすごい。 でも、邪魔されて負けコンプレックスを入れられると、夢があるのに進めないとか、進もうとするものと、後退させて諦めさせようとするものが自分の中に共存してしまうんです。なのでとても苦しいわけです。 最近は特に、「私の背中を押して」という依存的な人よりも、「進むにはどうしたらいいか」という自らの成長のために積極的に進もうと覚悟されている人が多くなってきております。自己責任がある人ですね。 そういった人の場合、特に進むのが早いです。私もそんなタイプなので、相乗効果がすごいです。また、私のセッション内容は分析解析型でもあるので、一緒にその方もセッション内容を加味したり、さらに考察されておりますよね。なぜあの様なことが起こったのか、とかをね。 やはり、攻撃でもなんでもそうなんですが、起こる出来事って、一見ぐちゃぐちゃな様で、実は理に適っているんです。自分に****があるから、****としてやってくる、という法則があるわけです。 私は「物事の法則を見つけたい!」というのが一番やりたいことなので、セッション内容を分析されたり、日常を分析されていますね。そんなお客様が増えております。 または、日常の出来事で「ウッ!」とくることが負けコンプレックスなので、それを分析されて、依頼される方も多いです。 もちろん、初めての方は、ただただ苦しい中もがいておられますので、分析も解析もままならないですが、それでも、私のブログを沢山読んでくてれ「勉強」してくれている人がすごく多いらしいですね。 多分、セッション依頼される人って氷山の一角なんだろうなと思います。それでも私は充分忙しいんですけどね。なので、セッション依頼されるまでに、とことんこのブログで勉強されて、*年経って依頼されたりという方も珍しくないです。あとは、このブログに出会って直感ですぐに依頼される方も多い。 その直感、当たってますよ😉 この発言も自信があるから言えるんですけどね。 てなわけで、また負けコンプレックスの話題でした。だって、負けコンプレックスすごいもん。こんなに凄いのに黙っているわけにはいかないのでね〜♩ 私が育てたシシトウ。欲深くここまで大きくして収穫してます。今まで食べたシシトウの中でもダントツで美味しい。でも、メチャクチャ超辛い!!激辛。植木鉢がエアコン室外機の横なので、どうしても乾燥しやすくなってしまって、毎日3度もお水を上げてる訳ですが、シシトウってストレスで辛くなるらしいけど、唐辛子並みに辛いです。でも美味しい。愛情持って育てたからかな。 ジャスミンライスでカレーをいただきました。シシトウが乗ってます。
2020.09.26

私って、ここまできて思うんですが、自分ブランド100%でいくのが好きみたいです。 日本においては特に私みたいのが少ないんじゃないかと思うんだけど。(軋轢(アツレキ)が多いから) 今の私のセッション形態でも、自分の見たリーディング結果から何かしらの答えなんかがわかって、その答えをヒントに次のものを見て〜〜〜などをしているんですね。 そうやって、いろんなセッションが繋がっていていく。感じたもの、見えたものを言語化して伝えたりで、お客さんも私のパターンなどがわかるので、またそこからいろんなものをいろんな角度から現象を解釈しやすくなる、というものなんです。 こんなセッションをしている人っていないだろうし、これまでどこに行っても解決しなかったものがやっと初めて解決したという感想もすごくもらうし、逆に、解決できなくて次回持ち越しの課題となって、これはなんだろう、何を訴えようとしているんだろうと疑問に思っているうちに、新しい答えに導かれて新しいセッションができることもある。 現象から現実を読み解き、繰り返されているものの意味を知るのは、本当に地に足をついて考え方をしないとダメで、ふわふわ〜っとした答えを言って言いくるめるなんてことになるのはダメだと思うんですよね。 疑問に思うと、上からヒントの塊みたいな人をお客さんとして登場し、新たなことがわかる。そんな感じでどんどん私のセッションは進化しておりますね。 そんな私が最もダメなのが、「決め付けられること」なんです。ジャッジされたり、「あなたは〜〜だから」と言われるのが嫌で、これをされると重くなる。 重くなるということは決めつけの何かをその人から乗っけられているからというのと、苦しい=自分にとって違う、違っている、という私の定義なので、なんでこんなに重いの!?と疑問にもつ。 そしてそれを引っこ抜いて見るわけです。すると、相手の「自分の言い分を押し付けたい欲求」なんかが見えて、いろんなことがドドドっと見えるんですよね。 あと、中には「客観視の強要」をされて実は苦しんでいる人もいるんじゃないかと思うんです。客観視って、一つの意味では世間から見て自分はどうなのかとか、ある世間の物差しで自分を測っては、出過ぎた部分を叩いて削るみたいなものでしょうか。私にとっては。 自分を削る行為って、私は本当に昔から嫌いで。例えば何かがあってやらかしたとして、めっちゃ怒られる。すると、怒られるのが怖いから、寝ないで頑張るとか、ものすごく身を削って頑張るとか。 まぁ、私の嫌いな言葉の「努力」です。 自分は本当は嫌なのに、怒られることを極端に恐れるあまりに、人の数倍も神経をすり減らして、体がボロボロになるまで自分の意見、思いを無視して、失敗のないように頑張るとか。コンピューター並みのミスのなさを要求されて、もう自分を殺すしかなくて、努力に努力を重ねて、すり減らして頑張り続け・・・・ すっかり自分にそんな癖がついており、眠いのに超早朝に目を覚まして誰もしないような面倒事をしなくちゃいけないとか。 だらしがないと言われたらそれまでだけど・・・ アゲの場合、誰よりも目を光らせて監視される人が多いので、ミスを指摘されるたびに鬼の首を取ったように騒がれて傷つけられることから、そんなことになったらもう嫌なので、自分に鞭を打って頑張るわけです。 するとどうなるか。胃を痛くしているんですよ。。。肌も神経もボロボロになっている。 そして、あんなにギャンギャン注意をしに来た人はと言えば、自分の10分の1も仕事していないとかね。 そんな極端な不公平な中にいるアゲってものすごく多いと思うんです。 私は、一度も死にたいと思ったことがなくて、これまでのブログにも書いてきて、読んでくれた人も多いと思うんだけど、結構な波乱万丈です。でもこれって、今の私になるのには「データ集め」として一つ残らず貴重なデータとなっているんです。 私がここまで頑固に自分の信念を殺すことはしたくないと思ったり、死にたいと思わなかったのは、無理をしなかったからなんだと思いました。 当時の私のような、アゲ度は強くても傷だらけの場合、他のバンパイアやサゲは、躍起になって叩きまくって、それはそれはひどく吊し上げます。 私が自分に自信を持てない頃は特に、私の失敗談を周囲で論って蔑みの目を向け、馬鹿呼ばわりしてみんなで失笑なんてことザラでした。 なので、こんな目に遭いたくない!馬鹿にされて生きたくない!という人は、サゲの要求をとにかく飲んでは頑張って頑張って、スーパーコンピューター並みに無理してミスをなくして頑張って、気がついたら自分がボロボロになっていて、 でも努力は物凄いので成績はすごいわけです。だけど、絶対に褒められないんです。それが現実かと。 私はそんな努力のアゲさんを尊敬するし、でも絶対に自分には真似できない。自分を殺したくない。自分に無理をさせたくない。自分がボロボロになったら無意味な気がして仕方がない。 でも、それをしないと無能扱いで、周囲に吹聴されて、ダメな人間として烙印を押されるわけです。 周囲の蔑みの目、馬鹿にする声、だらしがない、という声、客観視しろよ、お前変だぞ?という声。 そんなものを浴びながら生きてきた少し前。 なんでこんなこと言われるんだ!?と、当時は自己価値が低かったので「私ごときが」と思いつつ、周囲に対して疑問に思い、このいつもこの人にあったら感じる体の感覚は何!?とそこにも疑問に思い、ノートに書き連ね、自分なりの答えをどんどん出していきました。(疑問と答えはセットですからね。どんどん疑問に思った方がいいですよ) それが後のセッションに役立っているんですけどね。いろんな人間のパターンがインプットされているので。 で、客観視ですが、人は客観視が大切なのではなく、世間から見た自分がどんな人間なのかが大切なのではなく。 やはり、偏りはダメだと思うし、おかしな方向にまっしぐらというのもヤバくなりますよね。 そうではなくて、自分という人間の軸があって、調子の良い時と、ショックを受けてボロボロの自分、フラットな自分、いろいろいるわけです。 そのどんな自分をも知ることだと思います。それが大切。で、ニュートラルな時の偏っていない自分の感覚、体調、心境などから、今の自分がどれだけ偏っているか、それを見ることが必要だと思うのです。 あ〜、なんか苦しい、調子悪いな、と気付かないケースもあるかもしれないんですが、偏っているかいないかを自分でチェックするのはとても大切ですし、それって世間と比べるとか、客観視とはまた違うんだと思うんですよね。 人は皆個性の塊です。それを世間という得体の知れない流動体のもので測って、自分は変だとか、あるいは決めつけられるとか、そう言ったことを自分に当てがうのは、アゲにとっては拷問かと思います。 だって、私から見てサゲ・バンパイアはゾンビだもん。世間にはゾンビがたくさんいるんですよ。 世間と自分を比較するというアホな風潮に同調するのではなく、自分という個性が、自分の軸からどれだけ偏っているか否かを確認するということですね。これだと自己責任で立ち上がり、自分で決めるので、誰にも責められない。受け付けないし。すると、人の重たい無責任な意見(偏見?笑)を入れなくていいから、スイスイ進むわけです。 私は押し付けが大嫌いで、決めつけも嫌い。私のセッションは押し付けがないし決めつけられないからいい、とも言われるんですけど、それは私がされて最も嫌なことなのと、人の可能性を潰すようなことをしたくないのと、「私はあなたよりも上!」なんてのをたまに押し付けるプロもいるんだろうけど、それをする人というのは、きっと自信がないからお客さんを使っていい気分になりたい自信のない人なんだろうな〜と思うのと同時に、なんか嫌なレッテルを入れられているケースも結構あるので、言ってることは正論でわかるんだけど、もやもや・・・むかつく、とあるんでしょうね。 寒い日におでんを食べました。牛すじって美味しいですよね。 ある日の夕食。お刺身と冷奴と、サラダとおでんの残りの細かいやつ、台湾料理のジーパイという鶏胸肉の八角の香りのする揚げたもの。カリカリで辛くて美味しかったです。
2020.09.19

なんだか涼しいというか、寒いので長袖を引っ張り出しております。こんな季節も好きですね。秋の到来です。 さて、日々いろんなことがありますね。いろんなことがあるたびに、これって何を言いたいんだろう、何を意味するんだろう、何をここから学ぶんだろうという観点で見ております。 もうそろそろ(学ぶのは)良いでしょ〜・・・なんてことはなくて、一つに気づいたら、芋づる式にいろんな気づきがあって、実は気づかなかったけどずっとこの感覚があったわ!なんて思うわけです。 私が考えるときに見るのは、とあるケースと同じものはないかとか、共通なものを見つける様にしているのですが、そんなふうにアンテナを立てているので、上も教えやすいんでしょうね。いろんな症例を持ってきます。 そうやって、いろんな症例を見て、共通点を見て、発見し、自分の苦手パターンを見つけて、セルフセッションをするということをしていくと、気がついたら結構進んでおります。 そんな感じで、自分を信じつつ日々過ごしております。そんな私が心がけているのは、気位を高く持つこと。自分の感覚を信じることなんです。 まず、自分の感覚を信じないということは、自分のアンテナを貶す、信用しないということになります。非常にもったいないことです。 でも、一概に自分を信じるといっても、難しいわけですよ。特にアゲの場合は。なぜなら、アゲは元々生まれ持って鋭いです。なので何の気なしに思ったことを発言するのですが、それが完全に的をついているのでサゲにとって都合が悪くなり、周囲が思い込みなどを入れて自分自身を疑う様に仕向けるわけです。これが子供なら尚更。 そんな感じに、周囲が自分の感覚を「被害妄想」とか「すぐに悪く取る」なんて言い続けるので、周囲と仲良くしたい、自分を抑えないといけないと思い込む様になったアゲは、自分の感覚を封印するんですね。 でもね、封印するったって、自分の感覚を無視して信じないだけなんですけどね。で、こうなったらサゲはこれみよがしにアゲに対して攻撃をし、ひどい!と訴えると、「お前は被害妄想」とかいうわけです。 もう、そう思い込んでしまっているのと、さらにどんどん傷をつけられていって、自分自身を信用できない様にされているのです。 なので、今になって自分の感覚を信じて!なんて言っても、かなりの勇気がいるわけです。 この時点では既に、周囲の自分を責め立てるサゲこそが自分よりも偉くて、カーストの上であり、人付き合いが上手で友人が沢山で・・・という感じになっているわけです。 実はこの裏で、アゲは結構取られているのが現状なのですが。 なので、サゲはアゲに対してボロクソに暴言を吐き続け、意地悪をし、明らかにひどいことをしているにもかかわらず、アゲが「ひどい!そんなことはやめて」というと、「は??お前何いってるの?お前が悪いからだろ!」とモラ発言をされるなどなど。 で、自分が悪いから怒られると入れ込まれ、都合の悪いことを押し付けられているのに、逆らえず・・・のレッテルをどんどん入れ込まれ、すっかり小さくなってしまうわけです。 そこで私が、真逆を提示する訳です。自分の感覚を信じて、と。 私自身が、かつて自分の全てが間違っていると思い込まされて、苦しくて仕方がなくて、そんな時って、バンパイアとか強烈サゲなんかがウヨウヨ自分の身の回りを固めているんです。散々暴言を吐くわりに、最低な発言を繰り返されるわりには、そのサゲは離れて行こうとしない。これが特徴ですね。 サゲは、アゲに目に見えないコードを繋いでエネルギーをギュンギュン取るので、その時は身体の不調がものすごい訳です。 頭痛、倦怠感、体を刺し込むような原因不明の痛み、眠れない、原因不明の心臓の急な射し込むような痛み、発熱、急で猛烈な喉の痛み、急に出るアレルギー、顔が腫れ上がる、髪が細くなる、白髪が増える、強烈な肩こり、腰痛、老ける、自信がなくなる、罪悪感・・・など、コードの種類によって違う訳です。本当はもっとあるけどね。 あとは、最近見つけた負けコンプレックスで、負けコンプレックスとは烙印のことなんですが、この見つけ方としては、「ウッとくる」というものです。そしてなぜか自分でそのことに対して対処できないというものです。 これを読んでいる皆さんは、痛みも凄いけれど、日常ではウッとくる方が断然多いと思います。 負けコンプレックスを知らないうちは、明らかに攻撃がすごいのに、コードが繋がっていない、これは何!?ということがあった訳ですが、これは負けコンプレックスのケースが非常に多いということ。しかも、そこに手を出すのはすごく怖い。なので放置になってしまう、ということですね。 頻度としては負けコンプレックスの方が非常に多いということもわかってきましたし、セッションのたびに負けコンプレックスをものすごい数を見つけているので、先日紹介した、私のホームページのブログに記載した負けコンプレックスの種類はほんの序の口で(膨大な種類で驚かれたと思います)、本当はもっとまだまだあります。 最近わかってきたのは、コードカットをしたときに、契約書(コードを繋ぐ理由)と思い込み(傷)がわかるんですが、そこから、それに関連する負けコンプレックスを出していった方が、かなりドンピシャ、ビンゴな負けコンプレックス(レッテル)が見つかるのです。 これまで、コードカットと思い込みの手放しと書き換えのワークで頑張ってきた訳ですが、負けコンプレックスの登場でここから大幅に広がったんです。 なので、人によっては長年入れられた負けコンプレックスをとったことで好転反応が起こることもありますね。それだけ毒々しい重たくてゴツイひどいものが自分の中にあったというわけで、それを取った後はスッキリ、という感想が多いです。 負けコンプレックスは私が見ると、ゴツくて重くて塊のようなものが多いです。巧妙な形で入り込んでいるものです。 負けコンプレックスって、レッテルでもあり枠なんですが、枠が自分の中に入り込んでいるので、それ以上の思考もできないし、禁じられている感じがしてしまうんですね。 だからこそ、自由だった子供時代から大人になるにつれて、アゲはどんどん選択肢や可能性が狭まり、どんどん小さくなっていく感じがあるんです。 私の場合、見つけ次第どんどん取っているので、どんどん本来の自分になっているんです。アゲが本来の自分になるって、すごいことなんです。 何度も言うように、アゲの定義は魂レベルが高いのです。そんなアゲが自分を取り戻し、枠から解放されると、かつて知っている活発な自分がそこにいるんです。 以前もお伝えしたことがあるんですが、アゲはバンパイアよりもずっと魂レベルが高いです。サゲ<バンパイア<アゲの順になります。 なので低いアゲの場合、バンパイアとアゲの中間地点なので、落ちるとバンパイア化しやすいです。 でも高いアゲの場合、どんなにもみくちゃにされても、染まらないんです。染まらないというのは、バンパイアのような真似をしないということです。 そんな高いアゲでも、レッテル入れられるし、コードも繋がれる。だからこそ解放しようとしているのが私なわけです。 そうやって、アゲに対して『気位を高く持って!プライドを持って!自分の感情感覚を信じて!』と申しております。 がしかし。 中には、そんなアゲでもサゲが怖くて実はサゲに傾倒しており、自分よりも上にサゲを君臨させている場合があります。 こんな時は、いくら私が頑張って気位を高く持ってね、自分の感覚を信じてね、といったところで、私と接しているうちは気分がいいかもしれないけど、後になって「所詮はスピだから」と割と失礼な発言を言い放ち、サゲ側にぺったりとつく、サゲに傾倒するということがあるわけです。 もしくは、サゲが怖くて仕方がなくて、サゲ=「現実的で地に足がついている」と捉えているので、サゲ社会を優先させ、サゲの言う無理難題をこなそうとするし、サゲが良いと言ったら、自分は良いんだ、みたいなものになるわけです。 「自分はアゲ」と言いつつも、サゲをリスペクトし、サゲに攻撃されないことだけを中心に生活し、いざサゲが牙を向いたらキューッと小さくなって、サゲの下に収まる。 サゲ=現実的で地に足がついているそう捉えている時点で、負けているんですよ。のまれている。 なので、どんなに必死に私がその人のために頑張ったって、変わるわけがない。危なくなったら急に掌返しで泥をかけると言うこともあるのかもね。 私がよく言う、覚悟を持って、と言う言葉。 このサゲと決別するという覚悟ですよ。 サゲを自分の上に置くな、という意味です。 自分を一番上に君臨させるということをしない限り、サゲはずっと上から目線でアゲを攻撃していくでしょうね。 サゲに攻撃されない、してこない!よかった〜!で終わる。 サゲは、アゲをコテンパンに潰してプライドをズタズタにして、と隙を狙っている。 そんな場所にあなたはいるわけです。でもこれもね、促しです。 そんな虎視淡々と自分を潰してやろうとするやつと同等になれるはずがない。向こうがそもそも望んでいない。向こうは、アゲを食い物にして運を奪って、エネルギーを奪って、ホクホクして、それでもさらに罵倒し、潰すことしか考えていない。 悪く捉えすぎる?違うよ、事実だよ。 こんなサゲと、どうやってうまくいくかなんて、こんなの陣取り合戦みたいになるに決まっている。 私は思います。サゲとアゲは違う人種で、絶対に合わないと。 ただ残念なことに、アゲの中には、自分はアゲだと勝ち誇りたいけど、サゲに勝つつもりはなく、サゲをリスペクトし、いつだって下につく準備ができている人もいる。要は、サゲに大事にされたいということですね。 そんなの、アゲが自信を持って調子がいい時しか訪れないし、あっという間に形成逆転です。 そんなことではなく、私が言いたいのは、サゲと比較とか、リスペクトではなくて、 自分を一番にしてしまえ! ということなんです。気位を高くもち、自分を安売りしない。プライドを高く持ち、自由な発想を自分に許し、好きなように生きること。 その中に、誰かに搾取されるなんてことは絶対にプライドに掛けて許さない。自分は自分。 それだけ。 散々サゲに攻撃されてきた人は、怖いと思う。でもね。その覚悟があるかないかで、世界は変わる。 アゲには、好きなことで好きなように生きることができるものを備わっていると私は思っております。引き寄せ上手なんです。それが魂レベルの高さたる所以。 いざとなったらサゲ側について、サゲと対峙しろとは言わないけど、自分を一番にして絶対に譲るなというわけです。 あなたというアゲの王国の国王の座を、サゲに渡ったら、どうなるでしょう?? 搾取の連続。必ずサゲは王座を狙う。そう。アゲの能力を奪いながら。 そのためにはアゲを洗脳だってなんだってする。気狂いにしたっていいと思ってる。 散々攻撃し、病ませながらも、それでも攻撃するサゲをどうしてリスペクトするのか、気持ちはわかるけど、自分の人生のために、立ち上がってみたら? そんな勇気試しをさせるために、今があるのかもしれない。そんな促しかもしれない。 9月9日菊の節句の神社の手水がこんな感じでした。この合計金額にコーフン!娘のお手製インドカレー。最高。もう言うことなし。左上は茄子の煮浸し。大丸で見つけた琥珀糖。表面パリッと、中は甘い寒天。見た目も綺麗で美味しいです。
2020.09.13

こんばんは。 最近はちょっと涼しくなった北海道です。でも明日の最高気温は30度近いけど。今は過ごしやすくていい感じ。 さてさて。最近よく書いている「負けコンプレックス」=烙印・レッテルですが、人にレッテルを貼られることで、それが自分の枠のようになってしまい、それに抵抗することができない・・・などの症状が出ます。 興味のある方は、最近の記事を読んでいただけたらと思います。 実は先日、どうも、負けコンプレックスを自分で自分に入れる、というパターンがある、と発見しました。 これをもっと深く見ていくと、例えるなら、順調に進んでいるのに、ある程度すると「あ〜、この辺で転んだりして」とか、「失敗するかもね」とか、自分で入れてしまう癖みたいなもってありますよね。どうもこれみたいなんです。 例えば、いつも同じパターンでやらかす、とか。 通常これを克服するには、徹底的に何度も何度もできるようになるまで、それこそそれを塗り替えるようにして、新しいパターンを入れていくのがよくあるパターンです。 でもこれが、メンタルだったら。例えば、「私は何をやったって、どうせ戻る」みたいなものを負けコンプレックス(烙印)を入れていたら・・・。 やはり、どんないいものをやっても戻るパターンが多いかと思うんですね。 これはいろんなことに言えるかと思います。 自分の頭の中で「私多分、そろそろ〜〜になるんだろうな〜」みたいな感じで、ポジティブだったらいいけど、ネガティブな感じでやっている場合、そうやって自分が上がりそうになったら邪魔をするように自分で自分に負けコンプレックスを入れるパターンです。 これは、上昇志向はあるけれど、どうしてもどこかで怖くて、今までの暗くて低いけれど、新しいことに挑戦するくらいなら、(とてつもなく怖いから)戻った方が安心!というもう一つの自分の考え癖があって、それで入れるパターンです。 なので周囲がめちゃくちゃ頑張っても、ああ〜、どうしてそこで戻っちゃうかなあ!というところで元に戻るとか。 こんな側面があるのではないか、と思っております。 いくら幸せになろうとしても、あともうしこし!というところで元に戻るパターン。結局は、その人はそれが安心ということなんでしょうね。それが本音かと。 でも、本当は進みたいんだけど、怖い、そんな自分を守るために?負けコンプレックスを自ら入れるというパターンです。 なので何年経ってもずっと同じ場所にいるということで、これを感じた時、人って結局自分の思い通りにしているんだな、と思ったわけです。 自分の中では前に進みたい、と思うけど、怖い気持ちがある場合、夢半ばで断念したいがために、断念するような出来事を持ってくるとか、結構日常である気がします。 そんなことに、負けコンプレックスが使われている、そんな気がしております。 負けコンプレックスですが、ものすごく奥が深いと思います。実験に立ち会ってくれた人に言わせると、人に入れられた負けコンプレックスに比べて、自分で自分に入れた負けコンプレックスの方が、断然キツイ!と申しておりました。 私はエネルギーコードカットもしておりますが、コードも自分で自分に繋ぐパターンはとてつもなく苦しいです。大体が胸がすごく苦しいです。自分で自分を罰するみたいな時に自分で自分にマイナスコードを繋ぎます。 なので、人よりも自分の方がキツイようです。 簡単なとことでいうと、鏡見ながら「私どんどん老けてきたなぁ〜」と負けコンプレックスを入れてしまった場合、まさにどんどんふけるんだろうなと思います。 「あ〜、どんどん悪くなるんだろうな」みたいなものもそうですよね。 逆に、いい暗示だったらいいと思いますけどね。 今、いろんな角度から検証中です。 いつかの朝食。頂いたベーコンが激ウマ。パンは乃木坂?のパン、というらしいです。レーズン入りのもの。夕食。茄子の肉巻き、冬瓜の煮物、ナスの揚げ浸しなど。 ちらし寿司の残りとにゅうめん。早めの晩ご飯がこれ。だから今とてもお腹空いてる笑
2020.09.02
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