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以前の(2020年11月9日)記事時の、効率的なアゲ、非効率なサゲでの中で、アフターフォローの件で書かせていただきましたが、これは何人かの方に誤解を生んでしまいました。大変申し訳ございません。 以前のアフターフォロー形態は私自身がこれでやっていこうと決めたものですし、特にそれまでに非常識な方などおられた訳でもなく、ただ、より新しく形態に変えていこうということでした。 もし、「私のこと?」と思われた方がおられましたら、それは違いますので、ご了承願います。m(__)m
2020.11.27

本当に気まぐれに書いてます笑気分が乗った時に書くのが一番なので。 幸せの基準は人それぞれなんですよね。 例えば。『可愛い服を着ることができたら幸せ♩』という人がいるとします。 すると、可愛い服を着るとその人は幸せな気分を満喫できるわけです。 批判する人というのは、可愛い服を着ることができたら幸せな人のことを批判し、あえて嫌な顔をして見るんですよね。 すると、幸せに浸っている人は、途端にそんな目を向けられて不安になります。私、人を不快にさせていたかな・・・と。 人目が気になるって、こういうことかなと思うんです。 本当はこうしたい・・・のに、自分が何かをしようとすると、途端に不安になって人目が気になるってものすごくあるんですよね。私もそうでした。 どうして人目が気なるのか、どうして劣等感があるのか、人よりも劣っていると思い込んで、自分の好きに生きると睨まれて笑われて後ろ指を刺される。 だから、人目が気になって怖いから、したいことを抑える。したいことを抑えても、更に更にもっと人目が気になる。相手は自分の批判でこちらが躊躇しているのが楽しくて仕方がないんです。 こうなるとループにハマるわけです。人前に出るのが怖くなってしまうし、監視でもされているかの様に感じるし、好きなことをすると、真っ先に嫌な人が飛んできて嫌味を言うとかね。 ・・・もう怖くなるわけです。 まぁ、私自身もこんな訳のわからない抑制の中で生きてきて、明らかに変な空気感もあるし、抑制も感じてきた訳です。この抑制って、人の目でもあるんです。 この図式ってね、幸せになろうとする人と、その幸せになろうとしている人を抑えて「そうはさせるか!」の人かなと思うんですよね。 可愛い服を着て、「わーい!着たかった可愛い服を着ることができて、めっちゃ幸せ〜!」とう喜んでいるその横で、 「うわ・・何あれ、ダッサ!あり得ない!」といった言動や目線を浴びせる人。 するとこれをされた幸せな人は、急に自分のしていることが不安になってしまい、何もできなくなる訳です。 これ、至る所にありますよね。 要は、幸せになろうとする人と、それが許せなくて足を引っ張る人という構図です。 実はこんなものに引っ張られていたんですよ。 逆に、これを読んでいるあなただったら、同じことを、幸せ感じている人に対してしますか?しないでしょ?だって、その人が幸せを満喫しているんだから、微笑ましい気分になって見ているでしょ? でもね、世の中には、自分で自分のことを幸せにすることができなくて、幸せな人を妬んで、批判して馬鹿にして、蔑みの目を向けて、そうすることでその人に勝った気分になっている人がいるんですよね。 たかが人目じゃないんですよ。アゲの場合、敏感なので、じと〜っとみる蔑みの目線を見ると、胸がウッと苦しくなります。 急に幸せ気分から転落して、今度はその目線が怖くて仕方がなくなって、幸せなことができなくなってしまうんです。 人目が気になってできなくなるのって、こういうことかと思います。 今はあらゆる情報が交錯しているから、何が正しいのかわからないと思う。ネットのコメントを見ても、批判がすごいし、こんな批判にさらされたら怖いとかなりますよね。 思い切ってこんな感じのコメントをずーっと見てたら、似た様なタイプが多い気がしてきました。 この人たちが喜ぶのは、当人が好きなことを発信したことを、批判されて叩かれることで、当人がものすごく傷ついてメンタルぐしゃぐしゃになることです。 その向こうで酷いコメントした人がニヤリとしているんです。このダメージってすごいんですよね。 嫌だったら幸せな人を見なければいいじゃん?って思うんだけど、そうじゃない。しつこくしつこく追い回して、その人の欠点を探しては論い、みんなで共有して「うわ〜」とかやってる。そして「いいね」をもらってる。人を批判して承認欲求を満たしているとかね。 こういう人たちって、こんなことで楽しんでいる。 すると、まともに自分の幸せを満喫しようとする人たちは、叩かれている人を見て怖くなる。何もできないと思うんですよね。 これが服に限らず、思想でも、スピでも、趣味のことでもなんでもそう。 自分の言いたいことを発信したとして、次に浮かぶのが批判されて叩かれたら・・・と考える。この、批判される人たちありきで自分の幸せを追求して満喫するかを見ていかないといけない、と思っている。 要は、この批判する人たちに認められることばかり考えてしまっている。 今、世の中が混沌としているんだけど、こんな人が心の中で主役になっていて、自分のしたいことが批判されそうで、怖くて仕方がなくなっているんだけどね。 でもね。 この人たちって、自分の幸せを追い求めてもいない、何かに従って不平不満で生きているだけで、誰かが素敵でいい暮らしして、いいもの食べて、幸せ満喫しているのが腹立たしくて仕方がない。 なんでこんなのの承認を得ないといけない訳???と思いました。 この様に、人の幸せに対して批判的な人は、自分たちの幸せに対して努力も向上心も、覚悟もないので、全般的に悲観に捉えている訳です。だから辛いことは我慢しないといけないと漠然と考えている人達が圧倒的に多い。 幸せいっぱいや、幸せになろうとしている人を見ると、蔑みの表情や批判的な言葉を向けることで、相手の足を引っ張ろうとしているんですね。 そして、批判的というのは、ある意味「現実的」としている訳ですが、実は、幸せになろうとか、自分の人生をより良くしようと考えている人と、批判的な人との「現実」とは、かなりの差があるということです。 幸せになろうとしている人の現実と、この様な批判的な人の現実という物を同じ尺度で捉えてはいけないかと思うんです。 人の足を引っ張って満足するだけの人たちと、自分の人生をより良くしたいとしている人の現実は、違って当然。 だからこの辺は惑わされないほうがいいです。 また、低い人は(サゲ)は幸せになろうと努力しないし、上が見えないです。上の世界がわからないんです。 ですが、アゲの場合、上がなんとなく分かっている。だからワクワクもするんです。こうしてみたらどうだろう、といろんな希望を持っているんですね。(この辺が魂レベルの差だと思うんですが) なので、批判的な人の意見は実は参考にならないという訳です。批判的な人の水をさす言葉とは、一見現実的な様に見えて、アゲの現実とは違うものです。その人たちの現実に戻す言葉が、サゲの言う水をさす言葉ということです。幸せになる覚悟がないから、アゲが幸せになろうとするとその言葉を使ってアゲを落とそうとするんです。 そして、サゲ自身も自分に対して同じことを日々しているんです。だから、どうせ幸せになれないと踏んでるし、諦めている。幸せになろうと目をキラキラしている人がいたら、躍起になって足を引っ張って、自分たちの現実まで引きずり落とすんですね。 さっき、桜井識子さんのブログ内で、「お前は……批判をする人間のために書くのか?」という下りを読んで、ハッとしたのでした。 先日、食事をした際になかなかパンが出てこなくて、いつ出てくるのかなーと思ってたら、とうとうデザート直前まで出てこなかったんです。 伝えたらパンと一緒にこのチーズとワインをサービスでくれました。 が、この中の一つのナッツの上のチーズが、食べるとすごいニオイで。昭和的な古い病院の玄関の消毒臭いといった表現がピッタリ。ナッツと共に、サービスで頂いたワインで流し込んで頂きました。好きな人は好きなんだろうなぁ〜。ウェイターさんに聞いてもよく分かっていなくて、最後までなんていうチーズなのか分からなかった。なかなかいい経験でした笑笑 散々食べた後にやってきたパン。 腹八分目が一気に満腹に!
2020.11.24

ちょっと間が空いてしまいました。 皆さんお元気でしょうか? 今日は、「自信を持つ」ということについて書いていこうと思います。 今、このテーマにある人が多いと思ったので。 自分に自信を持つって、アゲの場合なかなか難しいと思う人も多いと思います。 なぜなら、優秀な人が多いのに、あえて褒められない、悪い点ばかりを突かれるというケースも少なく無いからです。 私から見てもすごく優秀な人が多いのに、実際にそれをいうと「信じられない〜」とおっしゃる方が多いんですよね。 では、人からたくさん褒めてもらうと、自信がつくかと言えば、案外そうでもなくて、自分の中のジャッジマンがいちいち自分にケチをつけるとか、「ここでいい気になったらだめだよ」とかいうわけです。 例えば、確実な証拠がないと自分を信じることができないという人も案外多く、被害者になってやっとモノを言えるとか、そう言ったケースも多いですね。 何度も書いてきましたが、アゲの場合、監視されている様な感じを受けている人も案外多いです。 これは、被害者意識としてではなく、実際にサゲの集団の中に入っていると、失敗を監視されるとかも結構あるわけです。 で、失敗をすると、監視されているので真っ先に飛んできて注意という名の罵詈雑言なんてこともあるわけですね。 そんな中で仕事などをしていると、失敗しない事ばかりに気がいってしまって、なかなか自分を褒めるとかできません。 アゲは何かと目の敵にされやすいので(嫉妬の対象にされるので)、そっちのほうに神経がいくなどで気が休まらないことも多いですね。。 と、こんなのはアゲのあるあるなので、サゲの前でこのことを言うと「被害妄想」とかいろいろ言われるんですが笑 で、自分に自信を持つにはどうしたらいいのかというと、状況から判断していくのではなく、ある意味意を決して自分を認めていくことなんです。 どうしても、人から褒められたことを自分の自信にしたくなってしまうものではありますが、それだとすぐに何かのきっかけで覆されてしまうんです。 なので、自分で自分のここができるなどを認めていくことが重要になります。 別に、誰かのお墨付きなんていらないんです。 自分で自分がこれができる、というモノを見つけて認めていくということですね。 これができていない状況ですと、やたらとレベルの低いサゲがやってきてはマウントを取るとか、差別や比較をしてくるとか、非常に悔しい状況になってしまいがちです。 誰かに褒めてもらおうとしても、この圧倒的にアゲが少ない状況ですと、なかなか、どんなに100点をとっても認めてもらえないわけです。 サゲって、敵対するアゲに対しては、何がなんでも褒めないし、自分がされて一番嫌なことをしてきますからね・・。 なぜかね。アゲはサゲに対して特に何も悪いことをしていないのに、です。 これは、サゲという存在のほとんどは、劣等感の塊だからです。 逆だと思うでしょ? サゲ達って自信に満ち溢れて、友達が多くて、交友関係が広くて・・・って思うんですが、だったらどうして集団になるとあんなにギスギスした感じになっているんでしょう?? どうして、人気者と言われるリーダー格は、人気者のはずなのにあんなにどぎついんでしょう? どうして人を差別して、意識して意地悪しているんでしょうね? 本当の意味で自分のことを信用できているなら、人なんて虐めないし、マウントも取らないし、ギスギスした雰囲気になんかさせないんですよ。 その点、アゲは誰も虐めないし、攻撃もしない。 特に自慢タラタラでもないし、いつも無害で優秀です。 サゲの場合、そんな器もないのに、周囲を恐怖で縛り付けてピラミット作って威嚇して、人気者と称しているだけですね。 だからこそ、本物のアゲを監視して、失敗を待っているし、失敗した途端に飛んできて、失敗を論い、ギャンギャン言うんですよねー。 もしくは、なかなか失敗しないアゲだったら、捏造なんてのも稀にありますし。。 まぁ、いろんなことがありますが、自分を自分で認めていくと、すごく強いです。 私自身も、本当に自信を子供の頃から奪われてきたのですが、一つ一つ自信を持つ様に意識してここまできました。 自分で認めるって、すごいことです。 弱っちい、変な奴がやたら自分にちょっかいしてきている場合、自分を認めなさいっていう促しです。 また、世の中では感情的になるのは悪いことだとされておりますが、散々叩かれているのに、めちゃくちゃ腹が立っているのに、黙っているのは違うと思います。 理不尽なことを言われたなら、ちゃんとはっきり言っていいと思います。 はっきりと怒りを出すことが恥ずかしいとか、ないです。 サゲの場合、アゲが怒らないだろうと踏んでくるケースもあるので、ドカンと怒ったら案外来なくなると思います。 ・・・結構、これができないケースも多いですね。 感情って、ものすごく大事な機能です。 感情を一個でも抑えると、あらゆる感情が沈みます。 感情って、ここぞという場所でものすごくいいタイミングで出るんです。 なので、怒りの場合は、アゲの場合「覇気」となって出ますので、物言わずとも相手を抑えることもできます。 サゲの場合、散々酷い言動をアゲに対してしつつも、いざアゲが怒ったら、「そんなことで怒るなんて」など言ってくるケースがありますが、どこで怒りを出すか、感情を出すかなどは、自分の判断でされたほうがいいです。 この辺をサゲに相談してしまうと、変な意見を言われて、結果としてぐちゃぐちゃになってしまうので。 なので、ちゃんと意志を持って自分を認めることが、後に自信に繋がっていくのだと思います。 そうしてやっと、強くなっていくんだと思います。 ある意味覚悟ですけどね。 でも、これをしないといつまで経っても誰も自分を認めてくれない。 自分に対する評価=周囲の評価・・・でもあります。 周囲から褒められて自分に自信を持つのではなく、 自分を認めて自信をつけて、周囲に認められる、だと思うんです。 だからこそ、自分を認める前にドカン!と売れた場合、土台がないから不安になるんです。 やはり、自分を認めていく作業の大切さです。 アゲもサゲも関係なく、自分で認めて大きくなった人は、器が大きいのは、この過程を通っているからです。 要は、全部自分です。 自分を変えるのも、変えないのも、全部自分です。 先日、すごく良い日に、ずーっと行きたかった、憧れの場所に行きました。 自分の願いを一つ叶えたのでした。 到着して空を見ると、明らかな龍雲が。 ちゃんと顔もあって、目もあるんです。 髭もあるし。 この他にも違う方角にも龍雲がありましたし。 写してないけど。 こちらは反対側。 夕日が綺麗でした。
2020.11.22

アゲとサゲの違いで顕著なのが、「効率的」か「非効率」か、なんです。 アゲの場合、「システムバスター」のような感じで、無駄を省く、いかに効率よく物事を勧めてまとめるかが得意だなと感じます。 サゲの場合、無駄なことをダラダラと続け、だらだらと長時間かけたら良い、みたいな風潮があります。 そんな組織の中にアゲがいると、すぐに「これとあれがなければスンナリことが進むのに、どうして誰も改善しようと思わない!?」とまず疑問に思い、それを口に出すと、サゲに睨まれてとんでもない目に遭うという話をこの仕事をしていてよく聞きます。 何度も言いますが、時代はアゲが過ごしやすいようになっております。アゲ化しているのです。 サゲの場合、恐怖で人を動かすというものがあって、よく観察したら、それをしないと仲間外れに遭うとか、和を乱すとか、色んなものがあります。 ・苦労は美徳・楽して金を稼ぐのは怠惰 ・無意味ですごく無駄が多い ・でも少ししか仕事をしなかったり、楽しいことばかりをしていると、こんな楽して良いのか?もしもこのままこれがなくなってしまったらどうしよう ・なんの根拠もなく楽をしてしまった自分にすごく不安になる ・とにかく時間をかけて仕事をしたり、予定をビッチリにするなど、とても無意味で無駄なんだけど、すごい疲労感があるけどなぜか安心する。 疲労感=安心みたいになってしまい、予定がないと不安で仕方がない、だから予定をパンパンに入れる。そしてフラフラになるまで疲れて、でもこの疲れが根拠のない安心感を出してくれるというものです。 そして、その疲労感があると、やっと「楽しんでいい」と自分に許可するみたいな。 なので楽しむことには理由が必要、となってしまうんですね。 私もこの辺の不安感に随分悩まされてきましたが、なにぶん縛られるのが本当に嫌なのと、今は自分で仕事をしているので、この辺の改革はすごく迫られました。 というのは、猛烈に忙しいんだけど、非効率というものでした。 私の場合、かつてセッションにものすごいアフターフォローをつけておりました。なので1日の大半をアフターフォローやメール返信に費やされ、平日も休日も関係なく忙しくしておりました。 これを改善するにはどうしたら良いのかを考え、アフターフォローを回数限定にし、その代わりそこから負けコンプレックスなどを見つけて記載するとか、そういったことに切り替えたんです。(勇気が要りました)痛みを取るたのアフターフォローから、気づきと成長のためのアフターフォローに切り替えたんです。 例えばコードカットですと、コードを繋がれると、相手のエネルギーがこちらに流れ込んできたり、体に痛みが生じたり、エネルギーが落ちます。なので何かしらの症状になるんですが、実はこのコードというものは、何度もお伝えしておりますが、「促し」です。 上(あなたを守る存在)が、ものの見事なキャスティングをし、あなたのことを思い出させてコードを繋がせているとしか思えないような感じで、コードを繋がせるんです。 なぜそんなことをするのかというと、コードを繋ぐ理由である「契約書」を見ると、そこに理由があります。その理由から、その人(繋がれた人の)の心の傷や思い込みが見え、さらに負けコンプレックスがわかるようになっているんです。 なのでコード=情報なんです。 それなのに、そのコードを無闇にカットだけすると、当然その情報を遮断するという意味になってしまうので、上はあの手この手で更にコードを繋いできます。 要は、いろんな攻撃でもなんでも、上からの情報という贈り物のようなものなのです。 幸い私のセッションは、全てそのような情報を解読する機能があるので、見事にその情報を読み出し、そしてそれを解放したり手放したりするセッションもちゃんとあるわけです。 私のコードカットのセッションをして変わる人が多いのは、こうして情報をキャッチして、手放すべきものを明確にしていくからですね。 ですが、中には「痛みを取ること」に固執するケースもあるわけです。痛いのは辛いので仕方がないんですが、上は痛みを通じて与えた情報から読み取って、情報を解読して欲しいわけです。ここでいう痛みは「お知らせ」のようなものです。 だからこそ、どこに逃げても同じよな現象が起こって、いろんな人と会ってもやはり似たような人が自分にコードを繋いだり、攻撃をしてくるわけです。 「もう2度とあのような思いはしたくない」「私は変わりたい」「サゲと関わって振り回されるのはもうごめんだ」「自分らしさを取り戻したい!」「また、本来の自分を取り戻して、自分らしく輝きながら才能を活かして進みたい!」 と強く思い、そして実行する場合、上は喜びます。 ですが、そういった思いもあるんですが、実は 「怖いから・・・現状維持がいい(自分がそのままで周囲が良くなればいい)」「本当はサゲと仲良くしたい」「サゲを下になんて思えないし、サゲに気に入られたい」「サゲに認められたい」「サゲと戦いたいと思わない、自分が強くなりたいなんて思わない、そんなもの求めてない!」「ただただ今の人間関係の中で、自分がみんなに(サゲに)認められて仲良くできたらいい」〜帰属欲求・・・サゲと一緒に仲良くしたい サゲと共存したい、うまくやっていきたい=その中で自分もサゲ化しても構わない、という自分の中の黒いものを見つめない怠惰(甘え) ・・・という人もおられ、そのような方の場合、思うよりドカンといかないんですね。というか、過剰なアフターフォローをされて、とにかく痛みを取る→痛みや現象だけを見ているというケースです。この場合は大概のケースでしつこくコードが繋がれます。 自分が強くなるのではなく、周囲に翻弄されていて、攻撃されなくなるのを待っている=周囲が変わることを待っているというケースですね。これは能動的ではなく受動的、という意味になります。 その場合、現象をよくすることや、痛みを取るということに固執され、そこには自己の成長を望むといものは含まれていないので、弱いままとなります。 痛みを促しと捉えず、最悪なものと捉えるのです。 要は、恐怖に踊らされて恐怖で行動する、それが起こらないように行動するのは、上からの促し(愛)に気づけていない、受け取れていないというものです。 ですが、この恐怖や痛みがなんであるんだろう!?と気づこうとすることは、上からの促し・情報・愛を受け取ろうとしているんです。 だからこそ、恐怖や痛みに翻弄されて、ただただ痛みをとって!という場合のアフターフォローで私は過剰な忙しさとなっていたのでした。 痛みは辛いので、私もなんとかその人たちの痛みをとろう必死でした。 で、ここで、過剰な忙しさ=非効率=何かが間違っているという結論に達しました。 非効率ということは、逆に何かを直さないといけない点があるということです。 要は、楽して儲けるとか、楽して働く=怠惰、いずれ落ちる、とされておりますが、そうではないということです。 現に、私はアフターフォロー形態を少しずつ変えながら、そしてセッション料金をあげたりする中で、お客様の割合が気づこうとする人が多くなっていったのです。 なので、時間は前よりもあるし、ブログ書く時間もあるし、心も余裕もあって、より考える時間もあり、より自分を見つめ、よりセッションを深く考察するということが可能になって、楽になって豊かになっていったのです。 (と言っても、メールの返信は真剣に向き合っているのでどうしても遅くなってしまうのですが。エネルギーが枯渇した状態でメール返信やセッションするのは失礼にあたるので。この辺はご了承ください) ということで、非効率、だらだらとした無駄なことをギュッと縮小して、より効率よく、必要なものを盛り込んでいくのが得意なのがアゲです。 ですが、実際ここに振り回されているアゲも少なくない。この場合、このようなものに囚われる「負けコンプレックス」が入っております。負けコンプレックスの入り方、形態は人それぞれかと思います。負けコンプレックスとは心の枠です。多くが人にいよって入れられております。稀に自分で入れたケースもありますが。 今回の記事の中で「上の情報=愛」と記載しましたが、この仕事をしていて本当に感じるんです。 実際、こんなに苦労や痛みだらけで、私は誰からも愛されていないと思うでしょう。 でもね、実はちゃんと気づけ〜!ってきてるわけです。 人はどんな状況の人でも必ず人間の中で生きております。そして人間はいろんなタイプがいますね。 誰かにとっては良い人でも、誰かにとっては嫌な悪い人でもある。ですが、誰一人必要ではない人間はいないとあるように、何かしらの情報を持っている可能性があって、とある癖の強い人が自分のもとにやってきて一悶着起こしたとしても、実はその人だからこそ持ってこれる「情報」があって、その情報には「攻撃・コード」が含んでおり、物凄いタイミングで連絡が来たり、ばったりあったり、急に夢に出てきたりするわけです。 それは上からの情報でもあるんですね。ものすごくうまい抜群なキャスティングで、急にアゲを思い出すように仕向けて、遠隔でアゲに対してコードを繋ぐわけです。 そんなことを上がよくしていると思いますし、私たちは勝手に人間としてこの世に生きているというよりも、いろんな存在に見守られながら、こんな感じの世の中で必要な情報を得たり逆に拒否しながらも、学ぶようにセッティングしてこの世に降り立っているとしか思えないんです。 私はどこかの宗教に入っているわけでも、これが誰かに言われた教えでもなんでもないんですけど、この仕事をしていて、上のあまりの完璧さに、いつも感嘆とするんです。 確かにね。しつこい痛みとかコードってすごく腹が立ちます。でもそんな中、そこを解読しよう、これってなんの意味があるのかな、何を伝えようとしているのかな、とか、能動的に考えていくのがいいんだと思います。 私や誰かに言われたから仕方がなくやってるよ、となると、しまいには恨みたくもなると思うんですが笑、なんでこれが起こるのかな、と自ら見ていくのもいいと思います。 はっきり言って、上は私たちが考えるよりもはるかに高く大きく、奇想天外な方法で成長を促してきます。 その人がちゃんとわかるように、キーワードを入れるとかもします。 なのでめんどくさいから背中押してくれ〜というタイプは、今後自分にあった場所に行くんだと思いますし、よりもっと自分を生かしたい人は、どんどん進んでいくんだと思います。 また、進む際にいろんな不安感も浮上しますね。これもある意味促しです。 この不安感ってどうしてあるんだろうと考えてみてもいいです。案外コードや負けコンプレックスの場合も多いです。 人は幸せになるために生まれてきている。そして、あらゆる成長をし、自分の足で歩いていくんです。私はそのお手伝い程度。人が一人一人が主役です。 自分がどこかで嫌な人にされることもある。悪者にされることもある。そんなものです。 そうやって、誰かの成長の助けになっているものです。相手がそれに気づくか気づかないか、だけで。 先日、早朝からガソリンスタンドでタイヤ交換のために早起きして並びました。車を預けて、徒歩で家に戻る時に見た空の現象です。太陽の周りの光と虹(ハロ)と、太陽の上に、逆の方向にある虹。 更に後ろを見るとこの雲。 龍雲に見える。 アップにするとこんな感じ。 右が頭で目があるし。。。と感動。 一度に見られて興奮してました。
2020.11.09

今日から11月ですね。 昨日は出先でいろんな話が出て、出先の駐車場でブログに書きました。 昨日の記事にも書いたように、いろんな人がいますよね。 人は基本、自分を基準にしてものを考えて判断するので、アゲの場合、人がそんなに悪いなんて信じられないんですよね。 でも、現実的に変な人もいるし、いざとなったら急変する人もいるわけです。 特に日本人はそうなんだと思うんですが、皆いい人に見える。 善人信仰があるので、変な人は叩かれるのです。 だからこそ、皆必死でいい人になってるし、明らかに変な人も、自分のことをいい人だと思い込んでる。 アゲはそれを鵜呑みにすることが多くて、急に豹変するサゲに対してびっくりしてしまい、自分だったら・・・と考えて、きっと自分が失礼な真似をしたから相手は豹変したのだろう、失礼な態度を取るのだろうと考えがちです。 どう考えても自分は失礼なことをした覚えはないものの、昨日まで仲良く話していた人が急変して無視したり、こちらをがさつな態度で扱いだすとか、ひどい態度を出す場合、覚えはないけど、何処ででもそうだったからきっと私が不快にさせたんだろう、という結論にしてしまい、自己信頼というもの無くしてしまうんです。 (そして自分自身に対する態度=人から自分への態度となります) 昨日、「初めはまともにコメントなどで相手にしていたんだけど、そのうちに『あれ?こいつ、まともじゃない?叩きたいだけなんじゃ・・・???』と気づき出し、「そうゆう人なんだ」という結論に達して相手にしなくなった」という話を聞いた。(人はそうなると心のシャッターを下ろして相手にしなくなりますので相手は入り込めない) そうそう。これなんですよ。 昨日の記事にも書いたんですが、こちらが明らかに被害を受けているのに、いつの間にか10:0が5:5にされているとか、こちらが加害者とされて周囲に吹聴されているケースなんかは特にそうで、 相手が自分を善人であると信じ込み、都合の悪い情報を排除し、相手の欠点を探し出してはそれを大きくして吹聴しては大袈裟に騒ぐという場合。 これってもう、相手はおかしな人なんですよね。 本当に思うんだけど、ぱっと見普通の人で、でも轢き逃げするとか、当て逃げするとか、自分の子供が悪さをやらかしてるのに知らんぷりとか、自分が悪いのに人のせいにするとか、逆ギレして攻撃しかけてくるとか、こんな人間、実は結構多い。 どんな人間も多くは自分のことをいい人だと思っているんだけど、努力して?いい人のふりして外面よくしてしてるんですよ。(特に日本の場合変人を排除する傾向が強いので仮面かぶっている人が多い。いざとなったら本性が出るタイプ) 本当にいい人が、集団で無視したり、吹聴したり、人のものを盗んだり、真似したり、騙したりするのかっ!?ていうことなんです。 基本の話なんですけどね。 散々暴力振るってきた人間が、いざ人前に出たら急に善人ヅラするとか一度も手を上げたことがないと言うとか、お金を巻き上げてきた人が、逆に取られたんですとか嘘を言いふらすとか、自分が散々やってきた悪事をアゲがしたことにするとか、こんなこと、本当の善人がするわけないんですよね。 ね? これを読んでるアゲさん、 散々こんな人間見てきたでしょ? そろそろ分けてもいいんです。 あ、こいつ、あっち側の人間か。と。 実は、自分の中で分けることで(区別することで)、相手はそれ以上アゲの中に入り込めなくなります。 まともに相手にして、相手をまともな人間と捉えるとか、きっと相手の悪態は自分が悪いから、と思ってしまうと、その隙に入り込むんですよ。 なので思う壺。 アゲは何度も言うけど本物です。 なのでアイデアもたくさんでるし、基本ポジティブで繊細で、人の気持ちをよく理解して、その人の身になって考えて手を差し伸べるんです。 本物だから、本物のやさしさで接します。 本物だから、自分がしたいと思った時に行動して、時に成果を上げます。 本物の善人なんですけど、アゲ本人は自分を「善人」としては見ていないし、当たり前と思ってる。(サゲは人前でだけいい人になる) 中身空っぽで、人にはよく見られたいと願うサゲの場合、実績がないし、人目がとことん気になるから、みんなと同じ行動しかできない。 いざ目の前でアゲが困って苦しんでいると、ニヤニヤ笑って「ザマアミロ」とここぞとばかりに助けない。 でも自分が困ったら、アゲに懇願して助けてもらうんだけどね。 助かったら見向きもしないとかもあるけど。 こんな時、アゲは混乱します。 人を悪く思いたくないから。 人がそこまで悪だと思いたくないから。 アゲは本物だから、どんな時でも本物の行動をします。 (たまにミスは犯すけど)サゲのようなえげつない行動はしません。 なので、きっとサゲやバンパイアは、目の前にアゲがいると、潰すことばかり考えるんだろうな。 本物がいたら、いくら偽物の善人になって人気者になろうとしても、なれないでしょ。 所詮偽物。 だから潰そうとしてきたり、アイデア盗んで、挙句アゲを底辺に封じ込める。 こんなサゲに、いつまで付き合っているんだろう。 でもね、立場や仕事柄仕方がないのもあると思う。 だっら、せめて分けよう。 あ、この人あっち側の人間だ、と。 偽善者だ、と。 これだけでも随分違う。 私はかつて、自称料理上手の人にゴミの入った食べ物を渡されたことがあります。 昔バイトでコンビニに勤めてた時、店長やその家族から、珍しくお弁当の余ったものを渡されたと喜んでたら、数日前のおにぎりでした。 どうりで手渡す時の目の奥が変だった。 ニヤッとして、騙す時のような目をしていた。 嫌な予感はあったけど、いざ古いものだとわかった時は、信じようとしていただけにショックでした。 (あちらは騙されるお前が悪いという考え) いつもは、私と同じ年齢のバイト仲間の子がいつも店長やその家族に可愛がられていて、美味しそうなものをどっさりと手渡されて持ち帰ってるのを見たんだけど、私とその子の何が違うのかさっぱりわからなかった。 可愛がられる人と、そうじゃない人の場合、人は自分の波動と近い人を可愛がるんだよね。 兄弟姉妹で親に差別されて育ったと言う人の話を聞くと、大体が親が自分に近い波動の子供を優遇するの。 その場合、アゲが親だったら極力一緒に愛するんだけど、違う場合は子供のどちらかがサゲだった場合、そっちを優遇するんだよね。 でもやっぱりアゲの方が優秀なので、サゲは絶対にアゲを褒めないんだけどね。 これは家族に限らない。 どこでもある。 だからこそ、自分はアゲだなと思ったら、元々類稀なる才能や能力があるんだと思っていいと思います。 周囲がサゲだらけだと、間違いなく褒められない。 むしろ欠点を見つけては論って、貶し、蔑んでいく。 すごく悲しいけど、でも、前を向いて自分の中で人を分けたらいいと思う。 いつかきっとこの人たちが自分に振り向いてくれて・・・と期待すると思うんだけど、でもね。もしそれが本当なら、とっくにそれをしてくれていたと思う。 その期待歴は何年ですか? その分年をとってしまう。 だったら、自分に期待して、周囲に期待することをやめて歩き出した方がいい。 自分は本物なんだと自分で心に決め、歩き出した方がいい。 どうしても自分でなんとかしようとしても、思考がネガティブなってしまったり、元に戻るとかある場合、強烈な負けコンプレックスがある。 そして、ずっと起こってきた出来事や、繰り返し見せられる現象は、間違いなく促しです。 人に話したら「そんなことあるわけないでしょ」という類の場合でも、思い起こせば共通点があると思います。 これまでの嫌な出来事に不思議な共通点を見つけたら、それをもっとほじくり返してみて。 人は腑に落ちると、本当にサゲが入り込む隙がなくなります。 アゲは苦労してきた人が多いけど、でも自分を信じ出して立ち上がると、本当にすごくなる。 でも、その自分を信じる、というものに到達されないようになっている人も多いのも現実。 それが負けコンプレックスだったりする。 思考にも制限がかかるものなので、それ以上の思考や考えをしようとすると「無理」となってしまう。 負けコンプレックスは、レッテルであり、アゲの場合たくさん入れられてます。 これをとっていくと、本来の自分になっていきます。 ドッカーン!と変わるというよりもいとも自然な感じに戻るんです。 感想もたくさんいただいております。 私も、これを見つけたことをすごく誇りに思います。 (プライバシーのない掲載できる感想のみをH Pの感想欄に掲載しております) また、過去に私からコードカットをした人がいたら、そのセッション内容から負けコンプレックスを見つけることができます。 いつも同じようなパターンになる場合や、コードが繋がれる場合、そこには負けコンプレックスのヒントがあるのでそれも読めるようになっています。 いつもそうなんだけど、私のセッションは常に進化してますので、日が経つごとに深く視ることができますし、セッション内容もより詳細になっております。 物事には、情報がちゃんとある。 その情報をちゃんと解読する能力が大切です。 私はものの法則性を解読するとか発見するのがめちゃくちゃ好きなので。 やはり、なににでも疑問を持つってすごいんですよね。 今日は私が私に戻った1周年記念日。 そして天赦日。 めでたい〜♩ 久々にコメダに行った。 太麺のナポリタン美味しかった! バケットはパリパリでバターも美味しくて良かった。 コメダは逆裏切りだよ、と聞いてたけど(写真よりも実物の方が大きいという意味)、裏切りでも何でもなくて、思った通りでした。
2020.11.01
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