前回のブログの冒頭で、私は「こいつダメ。バカ」という言葉を書きました。
この言葉、わざと書いたんです。
というのも、どんなに相手が最低でクズでも、自分の心の中だけでも汚い言葉を使ってはいけない、とか、悪い言葉は悪い波動になって自分に戻ってくる、と思っている人が少なからずいるからです。
・・・私もかつてそうでした。
それを完全に否定することはできませんが、それよりも、人のことをバカと言ってはいけない、と言う人ほど、余計に攻撃されているんじゃないかなと思ったからです。
アゲの場合、相手をバカと呼ぶのにもある意味 覚悟
「汚れてもいい覚悟」です。
「自分は綺麗でいたい」という人は、この覚悟がなく、実はどこかで攻撃されることを受け入れているケースがあるかと。
それは、汚れることが怖いから。
例えば自分が小さい子どもだったとして。
自分をものすごくイジメる子がいたとして、その子のことを嫌い!と家で言ったら、めっちゃ親に怒られたとする。
すると、自分の中に散々いじめられるし、嫌いと言えば怒られるし、と、散々なんです。
当然苦しくなります。
感情が葛藤しますね。
子どもって、むかっときたら喧嘩しますよね?
私は小さい子供同士の喧嘩を見ていて微笑ましいと思うんですよ。
だって、喧嘩してぶつけ合って、わかり合ったりして、最終的に腹に何も溜めずに遊んでる。
嫌なものを嫌だと伝えているじゃないですか。
相手も向こうが怒ることで、「そっか、これをすると怒るんだ」と思うんですよ。
大人の子供に言う「喧嘩はダメでしょ!」
な〜んてのは、ある意味違うよなぁと。
一概には言えないけど、ここでは小さい子のケースのお話です。
武器を持って危なくなったら親がサッと止めるとかね。
あとは思う存分させてあげたらいいと思う。精神衛生上のためにも。(これはあくまで私の考えね。この辺は自己責任で)
自分の心も同じかと思うんです。
散々なことをされて、嫌いなのに、嫌いって思ったらいけない!って自分を抑えるんですよ。
我慢しているのにもかかわらず、向こうはもっと日々のストレスをぶつけて来るんです。
なので、この様に無闇に自分に我慢を重ねている場合、これでもかと来ますよね。
実際に相手にバカということはしなくていいと思いますが笑、せめて心の中でならいいんだと思います。
私はね。
抑えていると、押される。
そんなのがあると思うんですよ。
あと、攻撃やコードを繋がれやすい理由の一つとして、相手に対する期待ですね。
わかってくれるかな、とか承認欲求というか。
相手が変わってくれることを期待するんです。
いつか私のことをわかってくれて・・・と思うとかね。
相手が「自分が悪いことをした、ごめん」とわかって欲しいとか。
はっきり言って、相手に対する期待をしているうちも、繋がれやすいかなと思います。
期待はね〜。私も散々持ってて、だからこそずーっと我慢できたんだけど、ある時、期待をやめてみたら、全部が見えたんです。
で、これ以上は無駄だとわかったんです。
期待って、どこまでも我慢できますね笑
期待って、脳内お花畑にできてしまうかも。
いつかこの人が・・・
私に「今までごめん、そしてありがとう」と言ってくれて・・・
この人が、私のことを全部わかってくれて、大切にしてくれて・・・
なーんて。
期待を止めるまでが長かったんですが。
長いこれから先に分かるなら、なんて頭の悪い人なんでしょうか。
なぜ今分かろうとしないんだろう、と。
そんなことより、私は前に進むことを選んだ。
否定されて、否定されて、否定されて、自分に自信がなくなって、日々エネルギーが枯渇するくらいになる。
そんなことよりも、そのままの自分を受け入れる。
・・・ってね。そのままの自分って何よ?ってなりますよね。否定されまくったら、そのままの自分は矯正されまくっていて、気付いたら隅っこで小さくなっているのが当たり前になっている。
嫌だ!と思うことをしないことも、そのままの自分なんですよ。
この辺はね〜。
個人差があるからいろいろ考えたらいい。
参考に、ディズニー映画のカンフーパンダ3がすごいかも。
あの映画、物凄いです。
随所にほほーっ!!と思う様な言葉などが盛り沢山。
ほんと凄い。面白いし。
1、2もいいけどね。
私はやっぱり3が好きかな。
お客さんにも勧めたら、これはアゲにとっての映画!と仰ってました。
ワカサギの天ぷらと、焼うどんと、キムパと、糠漬けと、アボガドサラダ。娘作。
これはパスタ屋さんで。牡蠣とベーコンのパスタ。
*メール返信遅れていますが、頑張ってます。
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