宇宙は本の箱

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阿頼耶識 に問うた日のこと


あれは夏だったか、秋だったか。。。
環境は変えたかったが、どこへどのように行くべきか考えあぐねていた私は、一枚の紙には熱海と書き、もう一枚の紙には飛騨と書き、最後の一枚には確か・・・亀岡と(その頃息子は亀岡に住んでいた)書いて枕の下に入れた。阿頼耶識に問うやり方だ。
果たして夢に現れたのは温泉の中に立つ建物で、ああ、これは熱海かな?と思っていると理事長が現れて、湯の中に柱が建ってるのはいけないでしょうと。次に先生が現れて、住む所なら親戚の所が空いていたじゃろと。理事長に案内されて行ってみれば、窓からは草原が広がり、ああ、これは私の好きな風景ですと私が言い、そうして先生を振り返ると、先生は草原ではない草の上にあぐらをかいて座って話をされ、生徒たちは草むしりをしながら先生の話を聞いている。。。ああ、やっぱり先生はいいなと・・・そんなことをした日があった。

先生は昔話はよくされたが、八十五歳の時も、九十歳の時も、いつも、どんな時も、そこに居合わせた誰よりも、常に前を見据えて懸命に勉強された。それは九十五歳で亡くなられる三ヶ月前までもそうだった。ただの一度も介護されようだとか、年取ったからもういいとか、そんな言葉は言われなかった。
先生がよく書かれていたグラフ上の矢印。
先生を思い出すときは、その方向性というものが得心される時でもある。

多くの者は五里霧中。でも、先生の空はいつも青かった。
濃霧の乗鞍で、仙人が開いてくれたという道の先も、きっと青かったに違いない。
ピカピカに磨いた硝子戸に広がったきょうの青空のように。




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