宇宙は本の箱

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あいつのこと〈2〉


私はそれをそうとあいつに言ったんだっけ。
なぜだっけ?あいつが急に車を走らせて堤防に行ったのは。

うす暗い堤防に車を止めて二人黙っていた。
私はシートを倒して目を瞑っていた。風が少し吹いていた。

あいつが唐突に喋りだした。
ずっと好きなこがおったんや。あいつと暮らしてる時もずっと。
言うたことなかったし、言うたってどうしようもなかったけどよ、ずっと。
私はずっと目を瞑っていたから、あいつの顔は見えなかった。
それは誰のこと?そう聞こうとして、以前ならからかって聞いただろうことを思って、
黙っていた。それは誰のこと?私のこと?私の知らない人のこと?
それは聞いたって仕方のないことだ。
あいつはただ言いたかっただけのことだ。
そう思った。

それから一ヶ月がたったか、二ヶ月がたったか。
私はあいつに言った。私はあいつをただ利用しているにすぎなかったから。
私は、なんにもしてあげることがないから、なんにも出来ないから。
結婚したかったらしてもいいよ。

そうしたらあいつが言った。
俺、あんたとは結婚せん。あんたは結婚も理屈でするみたいやな。
俺、これから先どんだけ生きても、もうあんた以上の女に巡り会われヘンてわかるんや。そやから、あんたが嫁さんになってくれるんやったら、こんなええことないんやと思う。
そやけど俺、今のあんた好きやない。昔のあんたの方が好きやった。

俺は俺を好きで好きで、俺がおらんと生きていかれへん女と結婚するんや。
俺は理屈では結婚せん。

うん。
私は頷いた。それで私の生き方が決まった。
「あいつのことも忘れろよ」
うん。恋人の言葉が思い出された。

それからも私達は普通にあって、普通に話した。
あいつは結構幸せそうだったが、その幸せはどこから来るのか、
友人、車、仕事、女のこ、色々あったのかもしれない。
私は相変わらず、あいつのことは何も聞きもせず、何も知らなかった。

私は引っ越そうと思っていた。
一週間会わなかったか、二週間会わなかったか、道端に車を止めて友人と笑いながら話しているあいつを見かけた。
あいつは幸せなんだろうかとまた思った。幸せだとしたら何が?
私にはわからなかったが、このまま私がいなくなっても、
あんな笑顔で幸せに暮らすんだろうと思った。

離れた所であいつを見ながら、
これで本当にさよならなんだと。
ありがとう。幸せにね。
少しは探すだろうけど、私、大丈夫だから。
心でそう言って、それが本当に本当のさよならになった。
あいつにはどこに行くとも、行かないとも全然言いたくならなかった。
また言う必要もないと思った。

同棲問題で悩んだあいつは、もう昔のような無鉄砲な不良ではなく、
どこか老成したふうな処もあった。
あいつは自分でも言っていたが、きっといい父親になり、幸せになっただろう。

「俺が命をかけて護りたい女」は、
今はあいつのそばで暮らしているはず。

みんな年をとりましたね。






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