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2005年 1月19日(水) 米子旅行(8)染色工房棟を出て、次は波斯(ペルシャ)錦館へ行く。ペルシャ錦館(ペルシャ=イランの古代名) 17~18世紀の、2,000点にも及ぶペルシャ錦を収 蔵している。 ラヒム・アナビアン氏は、イラン在住の 頃(1970年以前)、イラン第一の美術品コレクター で、彼が50余年精魂を打ち込んだ収蔵品がイラン 革命の戦火をくぐって、アメリカを経て、太平洋を渡 って来た。 世界三大コレクションといわれ、美術品として、世界 から高く評価されている。 歴史的にも、大変貴重な 存在である。広大な芝生広場があり、その一隅に「モンゴルのゲル」が2棟建っている。 早速、中をのぞいて見る。 思ったより立派で、驚く。モンゴルのゲル モンゴル人が昔から継承してきた住居は、フェルト製 のゲル(天幕)である。 モンゴルに居住してきた古代 の人々は、紀元前500年頃からフェルト製ゲルに住ん でいたと思われる。 周知の通り、モンゴル人は原始時代から牧畜に従事 し、遊牧生活を送ってきたため、設営と運搬が容易で、 過酷な気象条件に適した簡易住居を必要とした。頻繁 になされた移動、長距離の遠征に適した車付き設営ゲ ルを持っていた。 このような車付きゲルは、13世紀の 史料や記録で確かめられている(20数頭の牛が引っ張 っている)。 16世紀以後は、長距離の征服戦争が無くなり、車付き ゲルの必要性は無くなった。 芝生広場の他の一隅に迎賓館があり、その前に簡素な日本庭園がある。 今にも倒れそうな、石灯籠が面白い。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。http://busybee.moo.jp/raku919.html
2005年01月31日
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2005年 1月19日(水) 米子旅行(7)07:30 起床。 昨夜飲みすぎて、いささか二日酔い気味ではあるが、大したことはない。 ホテル1Fレストランで朝食をとる。 食欲は旺盛で、全部平らげた。09:00 マイクロバスに乗車し、アジア博物館に向かう。 途中、水鳥公園に立ち寄ったが、白鳥はエサを求めて他の場所に飛び立っところであった。タッチの差で、残念ながら撮影は出来なかった。09:30 アジア博物館に到着する。 ここは、井上靖記念館を併設している。 戦時中、先生の妻子が鳥取県に疎開しておられたのが縁という。博物館入口が「長屋門」とうのが、興味深い。長屋門 通常は武家屋敷に多く見られるが、上級民家にも見 られ、左右に袖(そで)部屋を持った門をいう。長屋門をくぐって、最初に目に入ったのは、「染色工房棟」である。この棟では、当地特産の「弓浜絣(かすり)」の製造工程が分かるようになっている。弓浜絣 弓浜絣とは、深い藍色の地に、白抜きの柄が映える 先染め、平織りの綿紬(わたつむぎ)である。 江戸時代中期に綿花の栽培、藍色に染めた絣織物 が始まる。 米子付近でも藍の栽培が進められ、農家 の婦女子の手で絵絣が織られるようになった。 この地方で生産される伯州綿は、単繊維長が短く弾性 に富み、ふとんの中入綿としてはすぐれているが、糸 にするには不適当で、細く紡績することが出来なかっ た。 これを農民達が、生活の知恵から手びき糸とし て利用するようになったもので、絵柄、技術に加えて、 素材も農民達の日々の暮らしの中から生まれたとい える。 このことは、紡績工業の発達後も、農家の婦 人達が工場へ働きに出ることなく、自分の家で農事 や家事の合間や夜なべ仕事ですることへとつながっ た。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。http://busybee.moo.jp/raku918.html
2005年01月30日
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2005年 1月18日(火) 米子旅行(6)16:30 米子駅近くのホテルへチェックイン。 各部屋で、約一時間休憩をとる。 早朝名古屋を出発して、米子到着後も歩き回ったので、いささか疲れた。 この休憩は、誠に有り難い。 早速ベッドで一眠りする。17:40 ホテルを出て、新年会々場に向かう。 駅前で市バスに乗車し、約15分後には会場に到着する。会場は、老舗の寿司屋さんで、現地幹事Hさんが、長年行きつけの店らしい。 2Fの座敷に通されて、先ず目についたのが、床の間に複製ではあるが、横山大観の「無我」で、再びお目にかかった感じで嬉しくなる。 その隣の違い棚には、染め付けの立派な皿が並んでいた。 流石、老舗の貫禄といったところか。全員席についたところで、地元幹事から歓迎の挨拶があり、続いてビールで乾杯である。 その後、直ちに冷酒「やぐら誉」が出てきた。 この店の特注品らしいが、非常に美味しい。 酒造りは、冬の温度が低く、湿度が高いことが重要とか。 鳥取県はじめ、日本海側に銘酒の産地が多いのもうなづける。料理は、先ずは刺身であるが、これが抜群に旨い。日本有数の水揚げ量を誇る漁港・境港が隣に控えているので、当然かも知れない。続いて、カニづくしとなる。 松葉ガニは、なんといっても鳥取県であろう。 酒うまし、肴うましで、ピッチがどんどん上がって、急に酔いが回ってくる。松葉ガニ 山陰沖で穫れる松葉ガニ(ズワイガニ)は、北海道、 ロシアで穫れるものとは全く別物である。 同じ日本 海の中でも、山陰地方の気候や海水の温度等が、 この美味しさを引き出している。 鳥取県の松葉ガニの増殖への取り組みは、昭和50 年代にまでさかのぼる。 特に平成4年から8年以上 かけて、松葉ガニの増殖場を整備して来た。 県の 沖合はるか50~80kmの海域(水深約230m)に、 通称「カニ牧場」を数カ所設置した。 サイコロ型の コンクリートブロック(1個約13トン)を、海底に敷き 詰めている。宴会は2時間の予定であったが、料理も酒(途中で燗酒となる)も豊富にあるので、つい1時間も延長してしまった。 もう、これ以上は無理といった時点でお開きとなる。 21:00近かった。 元気のある連中は、二次会のカラオケ会場へと、タクシーに分乗して出掛ける。 ホテル帰着は23:00過ぎとなった。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。http://busybee.moo.jp/raku917.html
2005年01月29日
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2005年 1月18日(火) 米子旅行(5)横山大観特別展示室をバックに池と庭園があるが、これも見応えがある。 池に映える樹々、気持ちよさそうに泳ぐ鯉達、これぞ日本庭園といった感じである。面白いことに、外国人にとっては、最初に紹介した「白砂青松庭」を中心とした、メインの庭の方を評価していて、アメリカの庭園専門誌で、2003年度「庭園日本一」に選ばれている。 多分スケールの大きさを評価したのであろう。庭巡りをするうちに、ユニークな部屋があった。 「生の掛け軸」が、仏壇の左側にある。 掛け軸に相当する部分が、ガラス窓になっていて、外の景色がそのまま絵となる趣向である。今日は見物客が多いので、人の方が目立っているが、雪景色ともなれば、さぞ素晴らしいことだろう。安来市出身の彫刻家・冨田憲二氏の作品が目に付く。『雲』(1986年) 1980年代の初め頃より、一貫して冨田憲二氏が追求 してきた「雲」シリーズの代表作である。 「雲」シリーズ は、万有引力への挑戦とも理解出来るもので、力感溢 れる女体の存在感をそのままに、重量感を否定すると ころに、その真価がある。 本作品の台座は、卵が二つ寄り添ったような形をして いるが、最近までは小山のような台座を多く取り入れて いた。 今回は、庭園の岩石との調和を考えて、自然と の融和を第一に考慮して制作したという。 力強さの中に、女体の普遍的な美しさを表し、同時に 生命の躍動感までをも表現した秀作である。(説明板 より引用)すこし離れたところにある、『女と猫とヴィオロン弾き』も彼の作品である。これは、彼が金沢美大彫刻科を卒業(1970年)した時のもので、すでに鋭い彫刻家としての感性を示していて興味深い。最後に、「陶芸館」に立ち寄る。 地元・安来がうんだ炎の詩人・河井寛次郎と、希代の料理人であり陶芸家としても知られる、北大路魯山人の作品が展示されている。素晴らしい作品を、数多く観賞出来、満足した。 作品を撮影出来ないのは残念であるが、仕方ない。16:00少し前、駐車場に集合する。 今日のメインの行事、新年会の宴会を前に、一旦ホテルにチェックインすることになる。米子に戻る途中、大山(だいせん)が車窓から見えたが、頭は雲で覆われていた。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。http://busybee.moo.jp/raku916.html
2005年01月28日
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2005年 1月18日(火) 米子旅行(4)館内からも、足立美術館の庭園を撮影出来るが、ガラス越しでは、反射するので、時々外に出る。思ったより寒くない。 それにしても、山陰米子で1月中旬に雪が全く見られないとは驚きである。 聞くところによると、大山の積雪量も、この10年間大幅に減少したとか。『将軍の孫』という、可愛い子供の彫像があったが、作者その他詳細は分からない。 そのすぐそばで、冬ボタンの鉢植えがあった。 この近くに、大根島(中海-宍道湖の隣)があり、冬ボタン・ボタンの産地として有名である。冬ボタン 通常の一季咲きボタンを低温処理し、冬に開花させる ボタン。 春・夏・冬咲きと、一年を通して、いつでも咲か せることが出来る。 低温処理技術特許は、大根島の八束町が取得している。 つまり、冬ボタン名は、同地生産のものにかぎる。(在来 種を品種改良したものは、寒ボタンである。)美術館の外回りは、「なまこ壁」で覆われていて蔵の感じがしているのは、日本画収蔵にふさわしい。なまこ壁 土蔵の腰に、好んで用いられる工法で、大名屋敷や城壁 の外壁にも見ることが出来る。 平瓦を貼り付け、格子型 になった目地の部分を漆喰で盛り上げる。 その盛り上が った形が海鼠(なまこ)に似ていることから、この名が付い た。火災の延焼を防ぐ効果もあったといわれている。再び館内に入る。 「木炭によるオブジェ」が目につく。 最近、よく目にするようになったが、炭になった大きな木株が面白い。この美術館のメインは勿論美術品コーナーであるが、特に横山大観の作品に接することが出来るのは嬉しい。しかし、美術品を撮影することは出来ないのが残念である。『無我』・横山大観(明治30年) 岡倉天心らと東洋文化の積極的な維持を唱え、後に記念 すべき第一回文化勲章を授与された、近代日本画壇最高 峰の横山大観画伯。 彼の出世作として知られる『無我』は、 大観の名を世に知らしめた不朽の名作である。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。http://busybee.moo.jp/raku915.html
2005年01月27日
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2005年 1月18日(火) 米子旅行(3)清水寺駐車場を13:40に出発し、同じ安来市内の足立美術館へ25分後に到着する。足立美術館 昭和45年(1970)秋に開館した。 実業家、足立 全康氏が自ら収集した、横山大観をはじめとする 近代日本画と陶芸などの魅力的なコレクション、神 々のふるさと出雲の豊かな自然を借景にした1万 3千坪の広大な日本庭園で知られている。 特に、約130点を数える横山大観コレクションは 著名で、常時20点前後を展示している。 その他、 川合玉堂、竹内栖鳳、上村松園など、近代日本画 壇の巨匠達の作品約1300点を収蔵している。 地元・安来が生んだ陶芸家・河井寛次郎と、希代の 料理人であり陶芸家としても知られる北大路魯山人 の作品を収蔵するため、昭和63年(1988)に陶芸 館を併設した。館内に入ってすぐ右手、チケット売場の反対側の壁面に、素晴らしい屏風画がある。 横山大観の有名な「紅葉」(屏風画左隻・昭和6年)であるが、これは、残念ながら複製である。 本物は、右隻と共に1対として秋に展示されるらしい。 館内を周りながら、眺める庭園もまた素晴らしい。「庭園もまた一幅の絵画である」との創立者・足立全康氏の想いと、庭造りの情熱が、ひしひしと伝わってくる。枯山水庭、白砂青松庭、池庭と、歩を進めるたびに眼前に広がる優雅な風情は、館内の日本画と相まって、我々の心を癒してくれる。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。http://busybee.moo.jp/raku914.html
2005年01月26日
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2005年 1月18日(火) 米子旅行(2)本堂へは、数十段の石段を上らなければならない。 折角、ここまで来て引き返すわけには行かない。 思い切って上っていく。 中央部の手摺りにつかまって、喘ぎながら、何とか上りきった。 左右に狛犬がいるが、古すぎてよく分からない。清水寺(きよみずでら)・安来市 用明天皇2年(587)頃、尊隆上人によって開山され たと伝えられる、天台宗瑞光山清水寺である。 山陰 道屈指の天台密教の道場として、盛期には48坊の堂 宇が立ち並んでいたが、永禄天正年間、尼子・毛利の 戦火にあい、僅か内院を残して焼失した。 現在の本 堂は、この兵火を免れた建物の一つで、国の重要文 化財となっている。 御本尊は十一面観世音菩薩で、本堂内陣の御厨子 は扉が閉められ、他の仏像も見えない。 仏像達は 寶蔵に収められている。 厄除け観音様のお寺とし て有名である。本堂の傍に、護摩堂があり、写経道場と絵馬奉納の場所となっている。5万坪の境内には、国や県の重要文化財も数多く、荘厳な空気に包まれている。 春には、約1000本のソメイヨシノが咲き乱れ、その風景は圧巻という。帰途、弁天堂が目に入る。 中海(宍道湖の隣)から南へ僅か2kmの地であり、清水の流れにも関係のあるで、弁財天を祀ったのであろうか。大部分の仲間達が引き返した山門を再びくぐり、駐車場へと急ぐ。全員揃ったところで、バスは次の目的地「足立美術館」を目指す。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。http://busybee.moo.jp/raku913.html
2005年01月25日
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2005年 1月18日(火) 米子旅行(1)午前5時起床、朝食後家を出て、朝一番の地下鉄に乗車する。名古屋発06:56のひかり号に乗車、岡山着08:53、伯備線に乗り換える。 在来線の特急スーパーやくも5号にて、米子到着は11:24。 殆どが、この列車で来たようで、改札口を出たところで、やあやあである。 主目的は、今夜米子市内で行われる新年会に出席のためである。その前後に、多少観光もしようという小旅行である。メンバーの殆どは、昨年12月2日に大阪・梅田で行われた忘年会で会っているので、久しぶりということではないが、今年初めてである。それにしても、山陰米子に全く雪が無いのには驚いた。伯備線の山間部には雪が積もっていたが。 これも、温暖化の影響だろうか。地元幹事のH君は、バスの迎えを確認しているようで、その間、駅前広場にある面白いモニュメントを撮影する。山陰初の鉄道開通記念モニュメント 米子-境港間に、明治35年(1902)山陰初の鉄道が 開通した。 2002年11月、100周年記念事業が行わ れている。 開通を記念したモニュメントが、米子駅前 広場に建っている。 境港の歴史は古く、1643年(寛永20)に番所が置か れたとあり、北前船の寄港地であり、我が国有数の漁 港である。 近世、近代を通じて、国内日本海航路の 要衝として、そして、大陸貿易の窓口として栄えた。さて、広場を撮影しているうちに迎えのバスがやって来た。 早速乗車して、最初の観光地・清水寺(きよみずでら-安来市)に向かう。 広い駐車場にバスを止めて、先ずは、傍の料理屋さんで昼食をとる。 親子丼と吸い物だけの簡単な食事であったが、これが結構美味しかった。 今夜の新年会まで、待ちきれずにビールを注文する。 飲みすぎては、後の観光に差し支えるので、ほどほどにしておく。 賀正ラベルの付いたビールが、正月気分を盛り立ててくれる。食事を終えたところで、清水寺参詣であるが、石段が大変とあって、最初の山門で記念撮影をすませ、大部分が駐車場近くの喫茶店へ行ってしまった。 本堂を目指したのは、私を含め僅か6名である。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。http://busybee.moo.jp/raku912.html
2005年01月24日
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※お知らせ 18日(火)~23日(日)まで、米子、神戸方面へ 旅行いたします。 従いまして、花紀行(877)の 掲載は24日(月)夕方となります。 お越しの節は、足跡を残しておいて下さい。24日に そちらにお伺いいたします。
2005年01月18日
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2005年 1月 13日(木) 東山植物園(3)常満寺の向かい側で、紅桃色の花を咲かせているのは、「明石潟」である。 ただし、蕾は沢山付いているのに、咲いているのは僅か1輪である。明石潟(あかしがた) 花は紅桃色、八重、平開咲き、筒しべで大輪。 作出 地は江戸で、古い品種である。 樹形は横張り性で強健種。 葉は楕円~広楕円。少し離れた所で、沢山花を付けているのは、「寒椿」である。 しかし、花の盛りは過ぎて、半分以上散ってしまっている。寒椿(かんつばき) 早生の筈で、カンツバキはサザンカの園芸品種らし い。 つまり、名前は椿であるが山茶花の仲間であ る。 葉はツバキと似ているが、花は濃いピンク、八重咲 きで、日本の冬の代表花である。 葉を見ないと、バ ラと間違えるような花姿である。その近くで、巨大輪の花を付けているのは、「花大臣」で、人目を惹いている。花大臣(はなだいじん) 花色は濃桃色、平開咲き半八重。 巨大輪の花を 咲かせる。 花径は10cmを超すものが多い。その向かいで、対照的に小さな花を付けているのは、「覆輪侘助」である。覆輪侘助(ふくりんわびすけ) 淡桃色地に白の覆輪ぼかし、一重、猪口咲き、筒 しん、小輪。 茶花に適している。斜面を西側に上ると、左手に「デビュータント」が大きな花を咲かせている。デビュータント 名前から考えると、洋種のツバキだろうか。 花色 はピンク、八重咲き、大輪。 花径は10cm位で、 バラの感じの素晴らしい花を咲かせる。他にも多品種のツバキがあり、蕾を付けているがまだ開花していない。 もう一度、折りを見て来園する必要がありそうだ。 東山植物園 <完> 画像は下記をクリックして下さい。http://busybee.moo.jp/raku911.html ※お知らせ 明日、18日から23日まで、米子、神戸方面へ 旅行に出掛けます。 従いまして、次回花紀行 (877)は24日に記載の予定です。
2005年01月17日
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2005年 1月 13日(木) 東山植物園(2)南・東・北と3方向をツバキの林に囲まれた「合掌造りの家」は、青空をバックに存在感がある。合掌造りの家 岐阜県白川村大牧村落がダム工事で水没するため、 この地に移築された。 白川郷は、昔平家の落ち武 者によって村造りが始まったといわれている。 屋根 が急勾配なのは、冬に雪が多いためである。この家の、庭先に鉢植えの「老鴉柿」が、小さな実を沢山ならせていた。老鴉柿(ろうやがき) カキノキ科、原産地は中国浙江省・江蘇省で、落葉 小高木。 別名、ロウシガキ、ツクバネガキ、姫柿。 果実は小さく、長さ3~5cmの尖った楕円形で、橙 黄~橙紅色をしている。 小さな果実と、美しい色合 いが好まれ、盆栽、鉢植え、庭木など広く普及して きた。 雌雄異株のため、雄株も作らないと結実し ない。 日本への導入は遅く、第2次世界大戦中の頃よう だ。軒先に、つるし柿がぶら下がっていた。 懐かしい風景である。 昔から、渋柿を11月頃に取り、皮をむいて、60cm位の細縄のヨリの間に軸をはさんで、陰干しにした。 うっすらと、初雪のような白い粉をふいた頃、ほのかな甘味と独特の風味が生まれる。さて、すぐ傍にある椿園の門をくぐって中にはいる。すぐ目に付いたのは「日本の誉」で、淡紅色の美しい花を咲かせている。日本の誉(ほまれ) 淡紅地で縁が白い覆輪、肉厚一重、ラッパ~平咲 き、筒しべ。 葉は、楕円~広楕円、中形、波曲。 兵庫県作出。その近くで、合掌造りの家をバックに「常満寺」が、桃色の花を付けている。 常満寺(じょうまんじ) 桃色、一重、筒芯、筒咲き、中輪。 作出地は愛知 県犬山市。 犬山城のすぐそばに、浄土宗日輪山常満寺がある。 ここには、中部椿を代表する名椿「関戸太郎庵」と、 その実生から出来た「常満寺」の原木がある。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。http://busybee.moo.jp/raku910.html
2005年01月16日
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2005年 1月 13日(木) 東山植物園(1)10:30家を出て、地下鉄へ。 星ヶ丘駅で下車し、植物園に向かう。 久しぶりである。 星ヶ丘門(裏門)より入場する。 例により、敬老パスを見せるだけで、無料である。 真冬の植物園は、人影もまばらである。 風が無いので、そんなに寒いと思わないが、日本庭園の池に薄氷が張っていた。 その池のすぐ傍の道路際に、「シモバシラ」が人目を惹いている。 寒い時期に、東山植物園に来るのは、このシモバシラを撮影するのが主目的である。 今年で、3シーズン目となる。 シモバシラ シソ科、原産地は日本で、多年生草本。 名古屋出身 の日本最初の理学博士で、幕末から明治にかけて活 躍した「伊藤圭介(1803-1901)」の名前がついた植物 である(Keiskea japonica)。 高さ60~100cmになり、 関東以西から九州の山地の木陰に生える。 冷え込みの厳しい朝に、地中の水分が、枯れた地上 部の茎の導管を伝わって上昇し、氷の結晶となって、 幾重にも重なって吹き出す。池の北西岸近くで、「ソシンロウバイ」が黄色い花を沢山付けている。ソシンロウバイ(素心蝋梅) ロウバイ科、原産地は中国中部で、落葉低木。幹を束 生し、高さ2~5mになる。 日本には、後水尾天皇の 時代(1611~1629)に渡来した。 花は冬、葉の出る前に良い香りの、透き通るような黄色 い花を開く。 花径は約2cmで、花全体が黄色で中央部 の色の変化のないものをソシンロウバイという。 花の中 央部が暗紫色のものは、ロウバイである。緩やかな勾配の坂道を下って行くと、右側に合掌造りの家がある。 そのそばで、ツバキがピンクの花を付けていた。「有楽」である。有楽(うらく) ウラクツバキ又は、太郎冠者(たろうかじゃ)と呼ばれる。 12~4月咲き。 桃色の花には香りがある。 コチョウワ ビスケや、スキヤ、シロワビスケ等のワビスケは、この有 楽の子(あるいは子孫)とされる。 茶花に適している。 有楽の名は、織田信長の弟で武士・茶人の織田有楽斎 に因む。 有楽と、道を距てた反対側で、淡いピンクの花を咲かせているのは、「菊更紗」である。菊更紗(きくさらさ) 千重咲き、大~中輪、薄桃色の地に、本来は桃色の縦 縞が入る(撮影したものは、残念ながら縦縞は入ってい ない)。 葉は広長楕円~長楕円形。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。http://busybee.moo.jp/raku909.html
2005年01月15日
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2005年 1月 8日(土) 徳川園(3)昨日に引き続いて、ボタン園・徳川園より寒ボタンを2点紹介しましょう。太陽・寒ボタン 赤系の代表品種。 深紅、中輪咲で、丸い花弁の抱え 咲き。島錦・寒ボタン 太陽の枝変わり種、大輪、抱え咲き。 白と赤のぼかし が入る、美しいボタンである。 枝により、紅白の錦に ならず、濃紅色の花をつけることがある。寒ボタンを撮影しているうちに、日が陰って来たので、帰途につく。 途中、池の周りを眺めながら歩をすすめる。西湖堤(せいこてい) 白楽天、蘇東坡など、古くから文化人の憧れの景勝地 である中国杭州の西湖の湖面を直線的に分ける堤防 を縮景したもので、異国情緒を日本庭園の中にとりい れている。池の周りで、特に目立つのは、二階建ての「観仙楼」である。観仙楼(かんせんろう) 日本庭園に入るとき、入口横にレストランがあるが、 池の側から見ると、二層の建物の二階部分であるこ とに気付く。 一階部分はホールで、能・狂言の舞台 もあるらしい。愛知万博に間に合わせるべく、3年の歳月をかけて、日本庭園として再整備しただけのことはある。 以前からある、徳川美術館と共に、名古屋城に次ぐ観光地となることであろう。 徳川園 <完> 画像は下記をクリックして下さい。http://busybee.moo.jp/raku908.html
2005年01月14日
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2005年 1月 8日(土) 徳川園(2)寒ボタンの撮影を途中で打ちきり、「池泉回遊式日本庭園」へと入っていく。 池泉回遊式とは、江戸時代に発達した日本庭園の代表的な様式。 海にみたてて造られた池の周囲を巡る様式で、有名なところでは、桂離宮や金沢兼六園もこのタイプに入る。さて、先ずは木製の橋を渡る。 左手(北側)に龍仙湖が望める。 続いて、「虎の尾」に架かる檜造りの木橋・虎仙橋を渡る。 5m下に渓流を見下ろし、下流に龍仙湖が見える。虎の尾 深山幽谷の山水画を思わせるような渓谷美を表現し ており、初夏には新緑、秋には紅葉が美しく彩る。椎 の樹林から流れ出した水が、木々を縫って龍仙湖へ と注ぐ形状は虎の尾のようで、「虎の尾」を踏んでは いけないことから、「川に足を踏み入れてはいけない」 ことを連想させる。虎仙橋から龍泉湖にかけては、緩い下り阪となっている。 すでに、午後5時近くになり、明かりが灯り、いい雰囲気を醸し出す。龍仙湖(りゅうせんこ) 海に見立てた水面の周りに見所を配す、池泉回遊式 庭園の中心的存在で、地下水を水源としている。黒松 を背にして浮かぶ島々、水際を渡る飛び石、燈台や 船小屋のある渡し場などを巡りながら楽しめる。さて、一番気になっていた「新ボタン園」は、庭園の北端に、立派に出来ていた。 現在は、藁帽子を被った寒ボタンだが、5月中旬頃には百花繚乱の素敵なボタンを見ることが出来るだろう。紫紅殿(しこうでん)・寒ボタン 花径20cm位と大輪、名前の通り多少紫がかかっ た紅色の花を頂生する。 3~4重のやや抱え咲き。連鶴(れんかく)・寒ボタン 花茎15~20cm、純白八重の花が新梢に1個咲き。 平安時代渡来後、発達した雑種。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。http://busybee.moo.jp/raku907.html
2005年01月13日
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2005年 1月 8日(土) 徳川園(1)16:00少し前家を出て、基幹バスを利用して、「徳川園新出来」で下車。 基幹バスとは、名古屋独自のバス専用中央走行方式で、バス停(シェルター)が道路の中央にある。バス停から、徒歩5分で徳川園正門前に着く。 正門を入ると、広い通路の正面に「徳川美術館」がある。進行方向右手(南側)には、「新・旧逢左文庫」が、左手には万博に備えて、3年かけて大規模改造した「地泉回遊式の日本庭園」がある。 丁度、寒ボタンの時期とあって、通路の両側に、藁で出来た霜囲いが三角帽子の感じで並んでいる。(日本庭園内に、本格的なボタン園がある。)徳川美術館 昭和10年(1935)に開設された私立美術館。 尾張 徳川家に伝わる遺品や大名道具などを収蔵、展示し ている。 家康の遺愛品など、その数は約1万数千件 にも及び、国宝9件、重要文化財52件など、質・保存 状態の良さは他の追随を許さない。 なかでも、世界 的に有名な源氏物語絵巻(国宝)は必見。 逢左(ほうさ)文庫 尾張藩初代藩主徳川義直が、父家康の蔵書「駿河御 譲本」約三千点を中心に創設した尾張藩御文庫の蔵 書を受け継ぐ文庫である。 昭和10年(1935)から徳川黎明(れいめい)会によっ て東京で運営、公開されていたが、昭和25年(1950) 名古屋市に譲渡された。 日本や中国、朝鮮の優れた古典籍と共に古絵図など も豊富に所蔵し、現在の蔵書数は約十一万点に及ん でいる。美術館、文庫、庭園と共に、徳川園を有名にしているのはボタン園であった。 新庭園北側に、新ボタン園が出来たが、先ずは美術館・文庫前の広場の「寒ボタン」を紹介しよう。 因みに、徳川園所在地の名古屋市東区の花は、ボタンである。島大臣(しまだいじん)・寒ボタン ボタン科、原産地は中国で、落葉低木。 早生種。 ボタンの中で、最もポピュラーな品種の一つである。 いわゆる牡丹色の品種で、中国では「牡」とは雄牛 のこと、「丹」とは肝臓のことである。 つまり、牡丹 色とは牛の肝臓の色である。 鮮やかな濃い赤紫色、千重、大輪である。 花茎 が20cmを超えるものも珍しくはない。 その近くで、同じく大輪の花を咲かせているのは、 「天衣」である。天衣(てんい)・寒ボタン 極めて淡い桃色、丸弁、千重、巨大輪咲き。 作出地は、中海(宍道湖の隣、島根県八束町)の 真ん中にある大根島(だいこんしま)と思われる。 この島は、ボタンの苗の生産日本一で有名。因み に島根県の花はボタンである。寒ボタン : 在来種を品種改良した二期咲きボタン。 開花時期は冬と春の2回。 殆どが中 輪・大輪系で、花色も赤、朱色、紫が主。冬ボタン : 通常の一季咲きボタンを低温処理し、 冬に開花させたボタン。 春・夏・冬咲き と、一年を通していつでも咲かせること が出来る。 花の大きさは、小・中・大輪系がある。 花色は白、黄、赤、ピンク、朱色、エンジ、 紫などと多彩。 ※低温処理技術特許は、島根県八束町 が取得している。 つまり、冬ボタン名 は、同地生産のものに限り使える。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。http://busybee.moo.jp/raku906.html
2005年01月12日
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2005年 1月 2日(日) ランの館(10)今回のランの館屋外は、パンジーとハボタンがメインである。 パンジーのコーナーで、「エクリップス」が素敵な紫色の花を咲かせている。エクリップス・パンジー 小輪系固定種。 紫色で、縁辺に銀白色の覆輪が入 っいる。 花径は5cm内外で、花壇・鉢物用。 春咲 き性が強い。少し離れた所で、何とも素晴らしい色合いの花を咲かせているのは、「リカチャン・スイートハート」である。リカチャン・スイートハート・パンジー 縁が鮮やかなピンク、内側が白のツートンで、中央 部が黄色の可愛い花である。 小輪系。 リカチャン 人形をイメージしたのだろう。 パンジーの場合、特に交配が進んでいるので、ど んな新品種があらわれるか、楽しみである。パンジーの間で、ハボタンが存在感を示している。花が無く寂しい冬の花壇に、春を待つ間の埋め草のように、ひっそりと行儀よく植えられているハボタン。 そんなイメージが定着していたが、近年、長い間の沈黙を破って、活発に変身しているのは嬉しい。ツヅミ・ハボタン 東京丸葉系中型。 耐寒性が特に強い。 その近くで、「バイカラートーチ」が人目を惹いている。バイカラートーチ・ハボタン 草丈40~50cm、着色部が白色で、中心部が桃色 の日の丸タイプ。 葉は開張性。 切り花として出荷 する高性の品種は、最近人気が高い。少し離れた所で、同じく高性種の「初紅」が存在感を示している。初紅・ハボタン 撮影したものは40cm位であるが、60~70cmま で伸びるという。 葉は小さくて立性で重ねがよく、 芯は明るい濃紅色。ヨーロッパが故郷のハボタンであるが、園芸植物としては、日本が発祥の地である。 交配がしやすいため、色々な品種が登場して楽しませてくれる。さて、池を一回りして、アジアの庭に行く。 バリ島の石像の基台にまとわりつくように、「ウキツリボク」がからまり、面白い形の花をぶら下げていた。ウキツリボク アオイ科、原産地はブラジルで、常緑~半常緑低 木。 別名チロリアンランプ。 赤い筒状の萼が目 立ち、ランプをぶら下げたような姿が可愛い。 アブチロンの仲間で、萼の間から黄色の花が少し 顔を出す。 アブチロンの中では耐寒性がある。 関東以西の暖地では越冬し、花を付けることもあ る。1時間以上屋外にいただろうか。 流石、寒さが身にしみるようになってきた。 もう一度温室に戻り、30分後に帰途につく。 ランの館 <完> 画像は下記をクリックして下さい。http://busybee.moo.jp/raku905.html
2005年01月11日
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2005年 1月 2日(日) ランの館(9)アトリウム(大展示温室)の東側にある屋外庭園(中庭)へ出ていく。 風が無く、快晴のため、そんなに寒くはない。 円柱が沢山建っており、一部の柱から球形のバスケットがぶら下がっており、ハボタン、パンジー、アイビーなどの植え合わせで、結構面白い。その南側に、小庭園があり、「黒いパンジー」がたった1輪であるが、目に付き驚いた。 今まで、黒バラ、黒ツバキ、黒ユリなど、黒の名がつく花のはなびらを見てきたが、こんなに漆黒に近い黒い花を見るのは初めてである。名札が無いので、品種名ははっきり分からないが、多分「ブラック・プリンス」であろう。 花の中央部に僅かな黄色と紫色が見られるので、限りなく黒に近い紫ということであろうか。この黒いパンジーを中心に、各品種別のパンジーが池の方にかけて、沢山の花を競い合うように咲かせていた。白色のものは「ホワイト2ライラック」、ラベンダー色のものは「オトノ・ラベンダーシェード」、そして紫と黄のツートンの可愛い花を咲かせているのは「モルフォ」である。 品種別に撮影したのは、初めての経験である。育種の歴史 パンジーは、スミレ科、スミレ属に属し、世界の温帯に400 種以上が分布している。 17世紀には野生種を園芸的に栽培していたことが、記録に 残っている。 因みに「パンジー」という名前はパンセ(考える) というフランス語からきている。 19世紀初頭には、種間交雑に成功した。 ここから、多種多 様なパンジーの品種群を形成する育種が始まった。 20年以上前までは、パンジーは春に花を咲かせる植物とし て扱われていた。 それが、F1品種(より早生・より強健)が作出され、早期出荷 を目指して行く中で、秋咲き性があることが発見された。こう してパンジーは、春と秋の2シーズンを楽しむ花となった。 しかし、従来の品種は、秋に花が咲いた株を植え付けても、 冬は日長が短くなるため花が咲きにくくなった。 そこで、冬にも花が楽しめるパンジーを実現させたのが、LR シリーズである(LR=ロング・ラン)。 LRシリーズは、低温を 必要としない事は勿論、短日条件下でも花を咲かせる。 こ のことにより、‘パンジーは秋から冬を通して春まで3シーズン を楽しむ花’となった。パンジーとビオラの区別 何れも、野性のビオラを交雑して出来た植物である。 花が 比較的大きいパンジーと、花は小さいけど枝が沢山でるビオ ラに分類されているが、その境目はない。 一般的に、花の大きさが4~5cm以上のものをパンジー、 3~4cm以下のものをビオラといっているが、厳密には区別 出来ず、最近では、両者の中間的な品種も出回っている。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。http://busybee.moo.jp/raku904.html
2005年01月10日
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2005年 1月 2日(日) ランの館(8)大展示場から中庭への出口近くで、「ジゴペタラム」が面白い紫色の花を付けているが、他の華やかな洋ランに囲まれていて目立たない。ジゴペタラム 原産地は、ブラジルなど熱帯アメリカで、着生種。花色 から、別名「紫香蘭」。 花茎は新バルブの基から出て、 5~10程度の花を付ける。 寒さには強い方で、冬でも10℃の気温を保つことが 出来れば、育てられる。その近くで、デンドロビウムが中心部が黄色、周りが淡いピンクや濃いピンクの花を沢山咲かせている。コメットキング‘アカツキ’・デンドロビウム 原産地は、東南アジアからニューギニア、オーストラリ ア北部にかけて、アジア一帯に幅広く分布している。 デンドロビウムとは、「樹木に生じる」の意で、自生地 では樹木の幹や枝、岩に着生する宿根草である。 この品種は、ノビル系で、日本の気候に適しているせ いか、日本でも多く栽培され、園芸化が進んでいる。 ノビル系の原種に近いセッコクが西日本に自生してい るので、古くから日本人に親しまれてきた洋ランであ る。 デンドロビウムの中で、最も北に分布するのが セッコクである。すこし離れた所で、「デンファレ」が素敵な花を咲かせていたが、品種名は不明である。 デンファレ(デンドロビウム・ファレノプシスの略) デンドロビウムの中で、ファレノプシス(コチョウラン)に 似ているタイプ。 ニューギニア原産のものが多い。 ノビル系に比べ、デンファレ系は高温多湿を好み、夏 から秋にかけて開花する。 多花性で、花保ちが良く、切り花に利用される。 ハワ イ、シンガポール、タイのほか、日本の沖縄で生産さ れている。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。http://busybee.moo.jp/raku903.html
2005年01月09日
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2005年 1月 2日(日) ランの館(7)大展示室の南側で、「エンシクリア・コクレアータ」が、面白い形の花をぶら下げる形で咲かせていた。 しかし、高い所で咲いているので、背伸びしても旨く撮影出来ない。 ところが、有り難いことに、別の場所で、全く同品種の花を沢山付けていた。 大展示室から、東側の中庭への出口付近の丸いテーブルの上である。エンシクリア・コクレアータ 原産地はベリーズで、すいぶん変わった花を咲か せる。 常にリップを上に倒立した形で開花する。 何か、くらげがゆらゆらしている感じが面白い。 ベリーズは、中央アメリカ、ユカタン半島南東部に ある、カリブ海に面した四国程度の小さな国。 1981年に旧イギリス領より独立した、米大陸で、 最も新しい独立国。中庭への出口近くで、清楚な感じの花を咲かせているのは、「伊都の春粧」である。伊都の春粧(いとのしゅんそう)・シンビジウム 2003年、日高氏(福岡県)作出と、まだ新しい 品種であるが、シンビジウムの中では人気が高 い。 命名に際し、邪馬台国の伊都の女王・卑弥呼を イメージしたことは、容易に想像できる。そのすぐ傍で、派手な色合いの花を咲かせているのは、「フェアリーマース」である。フェアリーマース・ファレノプシス 中形コチョウランで、花模様はバンダ属の感じに 似ている。 直訳すれば、「妖精の(軍)神」である が、たしかに、多少あやしげな雰囲気を持ってい る。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。http://busybee.moo.jp/raku902.html
2005年01月08日
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2005年 1月 2日(日) ランの館(6)大展示室の南側の丸いテーブルの上で、パフィオペディラムが、独特の花を咲かせている。ウインターカプリコーン・パフィオペディラム 東南アジアを中心に中国、ミャンマー、インドなどに分布 するランの一属で、基本的には地生ランだが、石灰岩 や切り立った崖に着生するものもあり、そのすべてはワ シントン条約によって商取引を禁止されている。 パフィオペディラムは、ギリシャ語で「女神のサンダル」 の意で、下の花びらが袋状になっている独特の形態か らきたもの。 その傍で、横一列に並んで、清楚な白い花を咲かせているのは、「プリンセス・ヒサコ」である。プリンセス・ヒサコ・シンビジウム シンビジウム属は、もともと春蘭や寒蘭などシックで 控えめな東洋蘭を含む、東アジアや東南アジアに自 生するランのグループである。 生長点培養(メリクロン)の技術が進歩して、価格も 手頃で花色も豊富になった。 もっとも栽培しやすい 洋ランである。 プリンセス・ヒサコは、高円宮妃殿下久子様をイメー ジしたランで、白い花びらの中心部がほのかなピン クで、何とも素敵なランである。通路を距てた反対側で、ファレノプシスとしてはユニークな色合いをした、「エバースプリングライト」が沢山花を付けていた。その近くで、小鉢ながら、変わった花姿のオレンジ色の花を沢山咲かせているのは、「マスデバリア」である。マスデバリア 原産地は南米で、花形がユニークである。 花びら の先端が細長く、オレンジ・赤・黄色・白などの鮮や かな花色をしている。 もともと標高3,000m級の、霧の出ている高山地帯 に自生しているランなので、涼しく湿度のある環境を 好む。 寒さには比較的強く、7℃以上の気温があれ ば冬を越す。 暑さには、極端に弱く、気温が25℃ 以上に上昇すると、葉がしおれたり、生育が著しく衰 える。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。http://busybee.moo.jp/raku901.html
2005年01月07日
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2005年 1月 2日(日) ランの館(5)アトリウム(大展示場)南西の一隅で、「桜姫千鳥・野性ラン」が、ピンクの可愛い花を付けている。 名前から考えて、日本の野性ランと思うが、詳細は不明である。ランの館に行く都度、可成りの新しいランが展示してあるので、係員に聞いてみると、予備の温室で花を付けたランを、次々と大展示場に飾っているとかである。その傍のテーブルの上で、珍しいランが白とピンクの花を咲かせていた。 「シュリミー・フラグミペディウム」である。シュリミー・フラグミペディウム 一見、ユニークかつ奇異な感じを漂わせる花である。 野性では、中南米に約15種類ほど分布しているのが 確認されている。 花の形や大きさなどが、同じラン科 の「パフィオペディルム」に酷似しており、育て方も同種 と同じように扱われることが多い。 シュリミーの他にも、綺麗な赤色の花を付ける品種も ある。 主として地生である。 花茎は、茎の先端から出て(分枝して)、数個の花を 咲かせる。 唇弁は袋を付ける。 名前の由来は、ギリシャ語のphragma(分割)とpedi- lon(サンダル)との合成語。 子房が3室に分かれてい るから。 因みに、パフィオペディルムの原産地は熱帯アジアで ある。その近くで、「パープルアイ・ジゴニシア」が紫色のユニークな花を咲かせている。パープルアイ・ジゴニシア 原産地は中南米で、ランの中では珍しい紫色の花を咲 かせる大型のランである。 花は茎を長くのばして、沢山 付ける。 寒さにも強い方で、10℃ほどの気温を保つこ とが出来れば育てることができる。 マッケイー・ジゴペタラムとアガニシアとの属間交配種で ある。 基本的に地生ランであるが、根は通気性を好む。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。http://busybee.moo.jp/raku900.html
2005年01月06日
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2005年 1月 2日(日) ランの館(4)津軽三味線の舞台裏に、丸いテーブルがあり、小さなランの鉢が並んでいる。 ご丁寧に虫眼鏡まで置いてある。 一番右側にあるのが、「カデティア・ティロリ」で、白い1cm足らずの花を咲かせている。カデティア・ティロリ 原産地はオーストラリア。 属名のカデティアは、フラ ンスの科学者Cadetに因む。 約50種がヒマラヤか らニューギニアにかけて分布している。 葉は長楕円 形で10cm位あり、肉厚である。中央で、同じく白い小さい花を付けているのは、「アングレカム(属)」である。アングレカム(属) 正確な品種名は不明。 昨日掲載したアングレカムと 同じ仲間であるが、こちらの方は花の大きさが1cm足 らずと、極めて小さい。 原産地は、南アフリカ、マダガスカル及び近隣の島々 に分布している。 約200種。その左隣で、5mm位の超小型の花を咲かせているのは、「メディオカルカー・デコラタム」である。メディオカルカー・デコラタム 原産地は不明。 草丈は8cm位で、横に広がる。根 もラン科でないような細い根が、バルブのくびれから 出ている。 葉の長さはおよそ2cm。 オレンジ色の 可愛い花が緑のバルブに映える。少し離れた所で、これらよりは少し大きい花を咲かせているのは、「ディネマ・ポリブルボン」である。ディネマ・ポリブルボン 原産地は中南米(メキシコ・グアテマラの低山地から、 キューバ、ジャマイカなどの離島)である。 小型の洋 ランであるが、比較的栽培しやすい。 冬場も温室無し(日当たりの良い室内)でもOKである。 他の洋ランに比べると、水気を好む(1年中水しぶき のかかる滝の近くに自生するらしい)。アトリウム(大展示場)の南西コーナーの丸いテーブルの上で、「オラチラチルトン・パフィオペディラム」が立派は花を付けていた。オラチラチルトン・パフィオペディラム 東南アジアを中心に分布している、直接地面に根を張 る地生ラン。 濃赤紫色の、何とも立派な大輪の花を 咲かせる。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。http://busybee.moo.jp/raku899.html
2005年01月05日
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2005年 1月 2日(日) ランの館(3)アトリウム(大展示室)の入口近くで、「エピデンドラム」が小さい花を沢山付けていた。エピデンドラム ブラジル、パラグアイ、西インド諸島などに分布する 着生ランの一種で、約1000種もあるといわれてい る。 草丈は30~300cmで、花色は朱、黄、紫、白と 様々で、変化に富んでいる。 花径は1~2cmと小 さい。 厚くて、しっかりした複茎性の葉は、多肉植 物を思わせる。すこし離れた所で、「福娘・シンビジウム」が、何とも可愛いピンクの花を沢山付けている。福娘・シンビジウム 洋ランの大輪系シンビジウムとされる原種の故郷 は、ベトナム・タイの高い山林内の、湿度が高く、 降雨も多い所である。 これらの原種が品種改良 されて、現在の華麗なシンビジウムが出来た。丈 夫で、花保ちの良い日本人好みのランである。 ピンク色にも色々あるが、福娘は比較的濃いピン クで、花姿と共に素敵な品種である。 福娘の誕生物語は、今から十数年前、作出者・ 河野氏(徳島県)と1鉢のシンビジウムとの出会い に始まる。 そのシンビは、ほのかなピンク色をし ていて、花姿も素晴らしかったが、株の大きさに対 して少し花が小さかった。 これを片親にして改良 をスタートさせた。 十数年の苦労が実って、福娘 が誕生した。 その明るい花色は、見る人を幸せ にしてくれる雰囲気を持っている。福娘に限らず、花の新品種誕生には、様々なドラマがあるようだ。そのそばで咲いている、「ラッキークリスタル‘ドリームレインボー’」も、淡いピンクの素敵なランである。少し離れた所で、「アングレカム」が特徴的な白い花を咲かせていた。アングレカム 原産地は熱帯アフリカ・マダガスカルで、白くて厚 い花びらをした洋ランである。 その花びらの分厚 さと、表面のにぶい光沢から、一見ロウで出来た 造花のようにも見える。 花の大きさは約15cmで、とても花保ちが良く、開 花してから1ヶ月以上その状態を保ち、花に芳香 がある。 名前の由来は、マレー語の「アングレク=気生植 物」から来ている。 おそらく、木の幹などに張り付 いて自生しているところから名付けられたのだろう。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。http://busybee.moo.jp/raku898.html
2005年01月04日
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2005年 1月 2日(日) ランの館(2)アトリウム(大展示室)に入って最初に目に付くのは、大鉢に入った白いコチョウランである。 その向かい側に、小さな鉢植えのピンクのコチョウランが咲いている。 「セントレア‘ほのか’・ファレノプシス」である。セントレア‘ほのか’ セントレアは、近く2月17日に開港予定の中部国際 空港の愛称で、中部を表すCENTRALと空港を表す AIRの合成語である。 昭和37年(1962)以来、花卉(かき)生産額日本一 を誇る愛知県の花卉連合会が、地域に根ざした「私 達の空港」作りに協力するため、セントレアを冠した 花卉類を作出してきた。 セントレア‘ほのか’は、その第3号(ランの部)であ り、作出者は森田氏である。 ピンクの何とも素敵な 花を咲かせる、矮性種。因みに、私もセントレア協力の一環として、2月17日開港初日に3泊4日で台湾へ行く予定である。さて、津軽三味線の早いテンポの中を、次のランに移動する。 面白いラン「レナンセラ・マッティナ」が目を惹きつける。レナンセラ・マッティナ 東南アジアを中心として、約15種が分布するラン。 目の覚めるような鮮やかな赤い色の花を沢山付け る。 ランの栽培は、日除けを行うものが多いのに対して、 このランは直射日光に当てて育てる。 冬でも15℃ 以上の気温が必要である。津軽三味線の舞台の裏で、「エンシクリア・ビテリナ」が咲いていた。エンシクリア・ビテリナ 原産地は、メキシコ・グアテマラで、標高1500~2000 mに自生する着生ラン。 花茎はバルブの頂きの2つの葉の間からでて、1つ ~多数の花を付ける。 種名は「卵黄色の」という意 味であるが、卵黄色というより朱色に近い。 花は長 保ちする。 冬咲き。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。http://busybee.moo.jp/raku897.html
2005年01月03日
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2005年 1月 2日(日) ランの館(1) 毎年、お正月の2日目は、ランの館へ行くのが恒例となった。午後、地下鉄を利用してランの館(名古屋)に向かう。矢場町駅で下車して、地上にでると、すぐ目の前にランの館が見える。 頭上には、名古屋高速道路1号線がある、若宮大通を横切って、門内へと入っていく。 お正月ムードを出すためか、手すりに、「松・竹・南天」の飾り物が取り付けられている。その下で、「白はと・ハボタン」がパンジーと共に並んでいる。白はと・ハボタン アブラナ科、原産地は西ヨーロッパ。 原産地では、早く から野菜として栽培されていた。 日本には、オランダか ら入ってとみられる。 貝原益軒の「大和本草」(1709) でハボタンの名が初めて使われた。 「白はと」は、大阪丸葉系の矮性代表種で、小型で葉数 が抜群に多い。 早生で、着色部が大きく、観賞期間 が長い。館内に入る前から、結構楽しめるのは有り難い。 敬老パス所持者は、子供料金と同じ300円ですむ。 館内に入った所にホールがあり、素晴らしい展示物が飾られている。 石田流とあった。 アトリウム(大展示室)へ入って行く。 大勢の人達が、「新春奏楽・津軽三味線と唄」を楽しんでいる。 写真を撮るのに苦労するほどの混雑振りであった。 昨年は、お琴の演奏であったが、今年はテンポの早い津軽三味線とあって、のんびりと撮影出来る雰囲気ではない。例年のことであるが、先ずは「コチョウラン」を撮影する。コチョウラン ラン科、原産地は東南アジアで、殆どのものが高さ 3~5m位の木の幹に着生している。 日光があまり 当たらず、しかも霧が発生して空中温度の高い所を 好む。 蝶が舞っているような花を沢山つけるので、この名 が付いた。 花色も色々ある。 東南アジアからの 苗の輸入が増えて、求めやすくなった。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。http://busybee.moo.jp/raku896.html
2005年01月02日
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2005年 1月 1日(土) 新春街の風景・名古屋栄明けましておめでとうございます。 今年もよろしくお願い申し上げます。お雑煮の腹ごなしを兼ねて、名古屋の中心地栄へ撮影に出掛けた。 まだ11時前とあって、路上も地下街も超閑散としていた。 今年は、「酉(とり)年」なので、鳥を狙うことにする。噴水、TV塔をバックに鳩が遊んでいた。 まことに、のどかな風景である。 昨日初雪が降ったが、今日は快晴で暖かい。 噴水も、寒々しい感じではない。側道で、丸い形に、「クリサンセマム・ノースポール」が白い花を沢山付けていた。クリサンセマム・ノースポール キク科、原産地は北アフリカ、欧州で、半耐寒性 1年草。 白色花で、芯の管状花は黄色、矮性でよく分枝す る姿のよい植物である。 性質は強健で、花はま だ寒い1月ごろから初夏まで長期間咲き続ける。 1970年頃に導入された、比較的新しい植物で、 性質や草姿の似ている黄花のムルチコーレとの セットがよく合う。 正午近くになったので、地下街に入って行く。商店街のシャッターは殆ど降りている。 栄交差点の真下にある、クリスタル広場で、ニワトリの飾りを見付けて嬉しくなる。午後4時から、我が家でニューイヤー・パーティを行うので、適当なところで帰宅の途につく。 画像は下記をクリックして下さい。http://busybee.moo.jp/raku895.html
2005年01月01日
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