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※一日一回クリックして下さい。にほんブログ村ビ(ヴィ)オレーヌ HT、1968年作出、フランス・Gaujard。 花色は赤紫 で、淡い部分もあるのでツートンの感じ。 半剣弁高芯咲き、大輪、 四季咲き性、強香。 ヴィオレーヌは女性名。ビ(ヴィ)オレーヌ・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※5月13日(火) ドバイ・トルコ旅行(60)<完>タクシム広場・イスタンブール近くを、レトロ調のトラム(路面電車)が走っている。 バスターミナルや地下鉄入り口もあり、ここは交通の要であることが良く分かる。広場中央には、トルコ共和国の初代大統領・ケマル・アタチュルク(在任1923~1938年)の功績を讃えた共和制記念塔が建っている。 新年や建国記念日には、ここで祝賀会行事が行われる。正午近くなったので、さて何処で食事をと迷ったが、ホテルからこの広場に来る途中、すし屋があることに気付いていたので、そこへ行くことにする。店内に入ると、迎えてくれたのは日本人であった。これなら気楽に食べられると一安心である。 回転寿司であるが、トルコ米もあまり違和感がなく、まあまあであった。 回転中のお皿総てに、プラスチック製の蓋がかぶせてあり、握る場合も、その都度使い捨ての簡易手袋をするなど、衛生面に恐ろしく気を使っていることが分かる。 ただ、問題は価格面で、日本の5倍くらいは覚悟しなければならない。 カードで支払いをすませ、Hホテルに戻る。 空港行きのマイクロバスが迎えに来るのは午後2時なので、それまでホテル・ロビーで待機する。 ドバイ・トルコ旅行<完>※画像は下記をクリックして下さい。ドバイ・トルコ旅行(60)<完>へジャンプ※次回は「二人でハワイへ」(2006.7.5- 既発表済み分)をお送りします。
2018年01月31日
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※一日一回クリックして下さい。にほんブログ村バ(ヴァ)ン・デ・ザンド HT、作出年・国共に?。 花色は極めて淡いピンクで、 外側の花弁縁が多少濃いピンクなのでツートンの感じ。 八重カップ咲き、大輪。バン・デ・ザンド・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※5月13日(火) ドバイ・トルコ旅行(59)06:30 起床。 07:30 朝食。 ホテル内レストランでバイキング。 いつもの通り、トマトとキウリがメインであるが、今回はベーコンとソーセージもしっかり食べる。 ボスフォラス海峡を望みながらの食事は最高であった。今日はトルコ旅行の最終日で、14:00に空港向け出発する予定である。 それまでフリーなので、10時過ぎ、散歩をかねてタクシム広場に向かう。 ホテルから徒歩約15分の距離である。 途中、「カラオケ」の看板が目に入った。 昨日気が付いていれば、昨夜行けたのにと残念がる。タクシム広場は、主要道路が行き交う新市街地(アジア側)の中心にある。 バス・地下鉄・トラムの始点でもある。 オスマン帝国の時代、都市の各方面に水を送る分水器(タクシム)があったことが名前の由来とか。恐ろしく広い広場であるが、例のチューリップの置物が沢山あり、そのうちの一つに、花弁に女性の写真が多数並んでいるのが面白かった。 -つづく-※画像は下記をクリックして下さい。ドバイ・トルコ旅行(59)へジャンプ
2018年01月30日
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※一日一回クリックして下さい。にほんブログ村バロネス・ロスチャイルド OLD.R、1868年作出、フランス・Pernet。 花色は ソフトピンクで、濃淡があるのでツートンの感じ。 カップ咲きで、 ハイブリット・パーペチュアル系オールドローズである。 花径は 10~12cmで、オールドローズにしては大輪、返り咲き性、微 香。 樹高1.5m位で、半ツル性、葉は明るいグリーン。良く育つ生育 旺盛な品種。 バロネスは女性に与えられる爵位の1つ、男性の男爵に相当する。ロ スチャイルドは、イギリス・フランスで金融業を中心に活動している ユダヤ系の財閥。バロネス・ロスチャイルド・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※5月12日(月) ドバイ・トルコ旅行(58)グランド・バザールが半日観光の最終コースで、あとはホテルに行くだけである。 夕食は各自でということなので、ビールのつまみとして「ドネルケバブ」を買い求めた。 グランド・バザールの入り口近くのレストランの店頭で、ドネルケバブの実演をしていた。 ガイドさんに、テーク・アウト出来るよう交渉してもらい、約500円分ゲットした。 思ったより、ボリュームがあり、2人分として十分であった。 ドネルケバブは焼き肉の塊を、回転させながら削ぎ落としたものである。旧市街地からガラタ橋を通って、新市街地(アジア側)に向かい、17:00近くにHホテルに到着。 一旦部屋に入り、スーツケースを受け取り、ホテルの外に出る。近くのセブン・イレブンでビールとキウリ、そしてパンを買い求める。キウリは10本で約200円と格安である。ホテルの部屋にもどり、早速夕食である。 ボスフォラス海峡を眺めながらの食事は、質素ながら最高であった。午前中は飛行機による移動、午後は半日観光と結構疲れたので、入浴後早い目に就寝した。 -つづく-※画像は下記をクリックして下さい。ドバイ・トルコ旅行(58)へジャンプ
2018年01月29日
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※一日一回クリックしてくださいにほんブログ村バレリーナ S(シュラブローズ)、1937年作出、イギリス・ベントール。 明るいピンクの花色の中心が白く抜け、ゴールデン・イエローの 蕊がアクセントとなって、清楚な雰囲気を醸し出している 小さ な、3~5cm径ほどのシングル、平咲きの花が競い合うように 咲く。 バレリーナの名前は、一度覚えたら忘れることはない。 四季咲き性、微香、半日陰に強く、耐寒性があり、丈夫で作りや すい品種。バレリーナ・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※5月12日(月) ドバイ・トルコ旅行(57)再びバスに乗り、グランド・バザールへ移動する。 途中スルケジ駅を車窓から撮影する。 この駅はアガサ・クリスティの小説の題材にもなったオリエント急行の終着駅であり、急行が廃止された今でも、重厚な佇まいはそのままで、ヨーロッパ・アジアからの旅客が往来した当時を彷彿とさせる。バスはフェリー・ターミナルを通り過ぎ、やがてグランド・バザール前の大広場近くに着いた。グランド・バザール・イスタンブールトルコ語ではカパル・チャルシュと呼び、「屋根付きの市場」を意味するイスラム的な大規模マーケットである。歴史は古く、15世紀半ば、コンスタンティノープルを征服したメフメット2世(1432-1481)の時代に始まったという。始めは現在ベデステン(オールド・バザール)とよばれる一角から造られ、徐々に拡大し、屋根で覆われた巨大な商店街に成長した。 現在4000軒以上の店が並んでおり、まさに壮観である。観光客より、地元の人達の方が多い感じで、それだけ地元に密着しているようだ。 バザール内は商品の値札のないものが多く、値段交渉が必要となる。 香辛料に特に興味があったが、すでにドバイで買い求めているので、通り過ぎた。 -つづく-※画像は下記をクリックして下さい。ドバイ・トルコ旅行(57)へジャンプ
2018年01月28日
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※一日一回クリックしてくださいにほんブログ村パレオ90 HT(ハイブリッド・ティーローズ)、1990年作出、日本・京成 バラ園。 大輪、花色はオレンジと黄の中間色で、蛍光色の 明るい品種。 開いていくと、どんどん濃い黄色になっていく。 日保ちも良 い。 作出後28年経った今でも人気品種で、「開運のバラ」 とも言われている。パレオ90・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※5月12日(月) ドバイ・トルコ旅行(56)ブルー・モスクの見学を終わり、外へでる。 広場になっていて、オベリスクが目に入る。このオベリスクは、4世紀の終わり、ビザンチン帝国(東ローマ帝国)の皇帝テオドシウス1世がここに運び込んだ関係で、「テオドシウスのオベリスク」と呼ばれている。 3世紀、ローマ時代に建造された競技場跡に建てられた。このオベリスクは、もともと古代テーベ(現ルクソール)、カルナックのアメン大神殿にあったもの。トトメス3世(BC1479-1425)が第7塔門の南に2本一対として立てたものの1本である。更に歩を進めると、アヤソフィア大聖堂が眺められる。 この聖堂は360年、ローマ帝国のコンスタンティヌス帝が遷都したコンスタンティノープル(現イスタンブール)に、ギリシャ正教の総本山として建築された。 その後、何度か災害に見舞われた後、ユスティニアヌス帝(527-565)がビザンチン建築の粋を集めた大聖堂として再建する。 以来歴代皇帝の戴冠式はここで行われた。 しかし、1453年にオスマン・トルコ帝国に征服されると、今度はイスラム教のモスクへと改築された。大聖堂でありながら、モスクでもある不思議な建築物である。 -つづく-※画像は下記をクリックして下さい。ドバイ・トルコ旅行(56)へジャンプ
2018年01月27日
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※一日一回クリックしてくださいにほんブログ村バルカロール HT、1989年作出、ドイツ・エバース。 黒に近い濃い赤 色の花を咲かせる。 1本に1輪の花を付ける。 花は八 重咲きで、直径は約10~12cm、剣弁花。 樹高約80 ~120cm。 蕾の時は非常に黒いが、開花すると濃い赤になる。 細 かい刺が非常に多い。バルカロール・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※5月12日(月) ドバイ・トルコ旅行(55)トプカプ宮殿の見学を終わり、正門を通って外に出る。そのまま、徒歩でブルー・モスクに向かう。 このモスクはオスマン帝国第14代のスルタン・アフメット1世(在位期 1603-1617年)により、7年の建造期間を経て1616年に完成したイスタンブールを代表する巨大なモスクである。 世界でも珍しい、6本のミナレット(尖塔)が特徴。正式名称はスルタン・アフメット・ジャミィで、内部に使われた青いイズニック・タイルと、それを引き立てるステンドグラスの光りがあまりにも美しいことから、通称ブルー・モスクと呼ばれることが多い。14歳で権力の座についてからの14年間、スルタンとしての手腕を多方面で発揮したアフメット1世は、身を捧げて取り組んだこのモスクの完成から、僅か数週間後、癌で28歳の若すぎる生涯を閉じた。 -つづく-※画像は下記をクリックして下さい。ドバイ・トルコ旅行(55)へジャンプ
2018年01月26日
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※一日一回クリックして下さい。にほんブログ村バリンダルロッチ・キャッスル FL(フロリバンダ・ローズ)、1997年作出、イギリ ス・Cocker。 花色はサーモン・ピンクで、丸弁高 芯咲き、四季咲き性、大輪。 葉っぱは艶がある。 バリンダルロッチは地名と思うが、よく分らない。可児花フェスタ記念公園※5月12日(月) ドバイ・トルコ旅行(54)第三の庭から、第四の庭に移動する。 トプカプ宮殿の第四の庭は、スルタン(オスマン帝国の君主)とその家族のプライベートな区画で、キョシュキュ(東屋・離れ)が点在している。 このキョシュキュはキオスクの語源らしい。暫く歩いていくと、金色の小さな屋根が見えて来た。イフタリエ(天蓋付きバルコニー)で、ラマザン(ラマダン)月に、断食後の食事をとった場所である。 ここからのボスフォラス海峡の眺めも素晴らしい。幾つかのキョシュキュの内、最も素晴らしいのはバグダート・キョシュキュで、内部はイスラムの象徴である青タイルで飾られている。 ステンドグラスもあり、誠に華やかである。 この部屋は「皇子の間」とも呼ばれている。スルタンは、実力のある者が継承する伝統があり、スルタンが没すると、血で血を洗う激しい後継者争いが繰り広げられる。 勝ち残った者がスルタンに即位すると、皇位継承権のある兄弟、親族はスルタンの命により殺害される。 これは謀反を防ぐためである。 運良く殺されずにすんだ皇子たちは、この間で軟禁されたと云う。トプカプ宮殿内の、最後の見所は「ハレム」であるが、残念ながら時間切れとなり、外観を撮影したのみであった。 -つづく-※画像は下記をクリックして下さい。ドバイ・トルコ旅行(54)へジャンプ
2018年01月25日
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※一日一回クリックして下さい。にほんブログ村パラ・ティ MINI、1946年作出、スペイン・Dot。 花色は 白で、丸弁高芯咲きから、開ききると八重平咲きの感じに なり、中央の黄色い蕊が目立つ、多花性。 花径は4cm 位あり、MINIとしては大きい。パラ・ティ・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※5月12日(月) ドバイ・トルコ旅行(53)バルコニーから、再び謁見の間の方に向かう。途中「正義の塔」が目に入る。 歴代のスルタン達が、この塔に上って、イスタンブール市内を眺めていただろうと、想像をたくましくする。謁見の間の近くに、「会議の間」がある。 スレイマン1世(在位1520-1566)以降、オスマン帝国の最高政策決定機関である、御前会議が開かれた。ポルティコと呼ばれる柱廊を持った立派な建物で、内部も豪華な装飾が施されている。 質素な建物が多い中で、一際目立っている。 -つづく-※画像は下記をクリックして下さい。ドバイ・トルコ旅行(53)へジャンプ
2018年01月24日
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※一日一回クリックして下さい。にほんブログ村ハマナシ SP(原種)、1799年作出、東アジア。 学名はRosa rugosa。 花色は紫がかったピンクで、一重平咲き、中 輪、 開ききると中央の黄色い蕊が目立つ、芳香。 本種は東アジアの温帯、亜寒帯に分布しており、本州(茨城県 以北)・北海道の海岸の砂地に群落して自生している。 バラの 新品種作出のための交配親として多く利用される。 浜に咲いてナシのような実をつけるので、ハマナシ(浜梨)とな ったようだ。 ハマナシが訛ってハマナスともいう。 土地を選 ばす極めて強健種。ハマナシ・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※5月12日(月) ドバイ・トルコ旅行(52)謁見の間に向かって右手に「遠征室」がある。 嘗てはスルタン(君主)の遠征用のテントが納められていたが、現在は衣装展示室となっていて、歴代スルタンが着用した豪華なカフタン(トルコの民族衣装)など展示されている。第三の庭の海側に白い建物がある。 多分書記局(事務室)だろう。 バルコニーがあり、先ず第一ボスフォラス大橋を望む。 この橋を通して、ヨーロッパ側のイスタンブール旧市街地から、アジア側の新市街地につながっている。バルコニーからのボスフォラス海峡の眺めは、何とも素晴らしい。 海峡に向かって、左手が黒海に、右手がマルマラ海・エーゲ海へと通じている。 -つづく-※画像は下記をクリックして下さい。ドバイ・トルコ旅行(52)へジャンプ
2018年01月23日
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※一日一回クリックしてくださいにほんブログ村パパメイアン HT、1963年作出、フランス・メイアン。 花色は黒味 を帯びた深紅色で、花径は12~13cmの大輪で、剣 弁高芯咲き、四季咲き性、ダマスク・クラッシックの強 香。 1963年、バーデン・バーデン金賞受賞。 40数年前 の作出であるが、いまだに代表的な黒バラの一つ。 著明なバラ作出家・アントワーヌ・メイアン(1884~ 1971年)はパパ・メイアンと呼ばれていた。 彼の息 子・フランシス・メイアンは名花「ピース」を作り出した。 彼が、父親に捧げたバラであろうか。パパメイアン・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※5月12日(月) ドバイ・トルコ旅行(51)木立の向こうに立派な門が見える。 幸福の門(バービュッサーデ)である。 この門を潜ると、第三の庭であり、内廷である。真っ先に、目にはいるのは謁見の間(アルズ・オダス)で、君主が国内外の要人達と会見していた。この建物を中心として、それを取り巻く施設群が内廷を構成している。 内廷は、公的な施設、君主の私室、財宝庫(現在は宝物庫)、図書館などで構成されている。幸福の門手前の「第二の庭」には政府の業務に携わる者だけが入るとこを許され、幸福の門の奥の「第三の庭」には、君主の家族や要人達と、宮廷の召使いのみが入ることを許されていた。 -つづく-※画像は下記をクリックして下さい。ドバイ・トルコ旅行(51)へジャンプ
2018年01月22日
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※一日一回クリックして下さい。にほんブログ村バニティ S(シュラブローズ)、1920年作出、イギリス・Pemberton。 花色は中央部が淡いピンクで、周辺の花弁縁が濃いピンクなのでツートン。 八重平咲き、中輪、房咲き性、返り咲き性、微香。 トゲの少ない枝が、 人の背丈ほどに伸びる。バニティ・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※5月12日(月) ドバイ・トルコ旅行(50)聖エレーネ教会は「第一の中庭」にある。 外壁で囲まれた宮殿敷地内に、第二の城壁で囲まれた縦横200mx400mほどの長方形の空間が、君主の私邸であるトプカプ宮殿の本体部分である。第一の中庭の奥にある、「挨拶の門」(バービュッセーラム)が宮廷の入り口で、嘗ては許された者しか入ることが出来なかった。 現在はトプカプ宮殿博物館の入場口になっている。 挨拶門の内側は、「第二の中庭」と呼ばれている。挨拶の門の近くに、大勢のトルコの子供達がいて、日本人が珍しいのか、しきりに声をかけてくる。 英語ではないので、軽く手をあげて通り過ぎる。第二の中庭に入ると、大木が頭上を覆い、日陰を作ってくれるのが有り難い。 進行方向、右手に「厨房跡」が目に入る。 宮殿内には数千人の人達が暮らしていたとかなので、ここで毎日膨大な量の料理が作られていただろうと、想像する。 -つづく-※画像は下記をクリックして下さい。ドバイ・トルコ旅行(50)へジャンプ
2018年01月21日
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※一日一回クリックして下さい。にほんブログ村ハニー・バンチ FL、1990年作出、イギリス・Cocker。 花色は黄色や ピンクの色混じりのアプリコット。 ダリア咲き、小~中輪、房咲 き性、甘い香り。 生育が早く、すぐに大株になる。 通常の管理を行えば、抗病性も あり、花で株が埋もれ、鉢、切り花にも適している。ハニー・バンチ・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※5月12日(月) ドバイ・トルコ旅行(49)イスタンブールで昼食後、先ずはトプカプ宮殿の見学である。 駐車場近くに並んでいる土産品店の前を通って、正門に向かう。 正門は「帝王の門」と呼ばれている。正門を入ると、大きな「チューリップの置物」が目に入る。 実は、この後イスタンブール市街地でも、同様のものをよく見かけた。チューリップはオスマントルコの象徴で、トルコの国花である。 普通チューリップといえば、オランダを想像するが、チューリップはトルコ原産で、それがヨーロッパに広まった。進行方向右手に、ボスフォラス海峡が見える。 更に進んで行くと、何とキリスト教会があった。 聖エレーネ教会である。 イスラムの敷地内に、キリスト教会とは驚いた。トプカプ宮殿は、メフィット2世時代の1467年に完成した。 トプカプとは大砲の門、という意味で、ボスフォラス海峡側に大砲が備え付けられていたことに由来する。 この教会は、ギリシャ正教の有名なアヤソフィア以前の主教会だったとかで、オスマントルコがこの教会を破壊せずに残してくれたのが嬉しい。 -つづく-※画像は下記をクリックして下さい。ドバイ・トルコ旅行(49)へジャンプ
2018年01月20日
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※一日一回クリックしてくださいにほんブログ村ハナブサ FL、1981年作出、京成バラ園・日本。 花色は明るい朱 色で、八重平咲き、中輪、房咲き、多花性、四季咲き性、 微香。 花保ちが良く、花壇をいつまでも賑やかにしている。耐寒 性にも優れている。 眺めているだけで、何か元気がもらえるのが嬉しい。ハナブサ・京都府立植物園へジャンプ※5月12日(月) ドバイ・トルコ旅行(48)レストラン・イスタンブールの窓からボスフォラス海峡が望める。 手前がヨーロッパ、向こうがアジアである。昼食を終わり階下に下りようとして、タイル壁画に気付いた。 よく見るとカッパドキアの風景で、嬉しくなる。レストランの1F屋外では、テーブル・サイドにゼラニウムが真っ赤な大きな花を咲かせていた。 葉や花の独特の香りが強いので、日本の食卓を飾ることはないが、トルコ料理は香辛料をきかせているので、問題はなさそうだ。屋外温度計が「25℃」を指している。 日差しは強いが、適当に海風もあり、快適な一日を過ごせそうだ。空港に着いた時は、長袖であったが、イスタンブール・旧市街地に向かうバスの中で半袖に着替えたのは正解であった。 -つづく-※画像は下記をクリックして下さい。ドバイ・トルコ旅行(48)へジャンプ
2018年01月19日
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※一日一回クリックしてくださいにほんブログ村ハナガスミ FL、1984年作出、日本・京成バラ園。 花色は白地に花 びらの周りをピンクが縁取る。 半八重平咲き、房咲き性、 中輪、四季咲き性、微香。 病害虫に対する抵抗力があり、 とても育てやすい。 花一輪ずつも可愛いが、樹を覆わんばかりに咲く、その全体 の姿も「花霞」の名にふさわしく素晴らしい。 まさに、日 本的な美しさといえよう。ハナガスミ・京都府立植物園へジャンプ※5月12日(月) ドバイ・トルコ旅行(47)07:30 洞窟ホテル・カッパドキアを出て、観光バスが待機している駐車場に向かう。 途中道ばたで、おばさんが絹レースの花瓶敷きを売っていた。 友人へのお土産になると云って、家内は3枚買い求めていた。カイセリ空港まで、約90km、1時間半はかかるとのこと。 途中車窓から2500m級の雪山が眺められた。カッパドキア自体、標高1200mである。 当然のことながら、冬は寒く、雪も降るので、トルコ・ツアーは5月・6月・9月・10月がおすすめである。カイセリ空港は結構混んでいた。 09:40の定刻をすこし遅れ離陸、イスタンブールへ11:00過ぎに到着した。 5月7日に、ドバイからイスタンブールに到着したのは夕刻だったので、直ちにホテルに入り、翌朝はトロイに向け出発しているので、イスタンブールの市内観光は今日が初めてである。先ずは昼食をと云うことで、バスは空港から旧市街地に向かい、海沿いのレストランに入る。 メインはドルネケバブ(回転焼き肉)で、赤ワインとの相性は抜群であった。 -つづく-※画像は下記をクリックして下さい。ドバイ・トルコ旅行(47)へジャンプ
2018年01月18日
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※一日一回クリックしてくださいにほんブログ村ハナガサ FL(フロリバンダ・ローズ)、1978年作出、京成バラ園。 花色は朱色で、ユニークな花姿は、丸弁平咲きといった 感じである。 花径は10cm位で中輪、四季咲き性、多 花性。 花姿から、山形の花笠踊りの「花笠」をイメージしたので あろうか。ハナガサ・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※5月12日(月) ドバイ・トルコ旅行(46)早朝5時過ぎ起床。 タイミングよく日の出を撮影出来た。多少明るくなって岩山の方を見ると、沢山の気球が浮かんでいた。 そういえば、昨夜「バルーン・ツアー」の申し込み者を募集していたことを思い出したが、その時は疲れていて、とても申し込む気になれなかった。カッパドキアの奇岩の上を、ゆらゆらと、なかなか気分が良さそうである。 申し込めば良かったと思っても、後の祭りである。 もっとも、200ユーロくらいと、可成りの費用がかかる。朝日に向かって、右側に目を転じると、「ハトの谷」が目に入る。 岩肌に多数の穴が開いているのは、ハトを呼び入れるために人工的に掘った巣穴である。 昔、この地域ではハトが、肥料となる糞を集めるための重要な動物だった。07:00 朝食。 例によりバイキングで、トマトが中心となる。 -つづく-※画像は下記をクリックして下さい。ドバイ・トルコ旅行(46)へジャンプ
2018年01月17日
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※一日一回クリックしてくださいにほんブログ村ハナカゴ FL、1972年作出、日本。 花色は朱赤で、半剣弁咲きから 盃状咲き、小~中輪、房咲き性、四季咲き性。 ハナカゴ(花篭)の名が示す通り、花付きが極めて良い。ハナカゴ・京都府立植物園へジャンプ※5月11日(日) ドバイ・トルコ旅行(45)セマー(旋舞)を見終わって、今夜の宿泊ホテルに向かう。すでに18:40を過ぎており、日が沈み始めた。 岩山が赤く染まり、やがて日が沈む光景は、何とも感動的であった。 ホテルを通り過ぎて、ワイナリー・カッパドキアへ立ち寄る。 直販所があり、自由に試飲できる。 土産用に赤ワインを2本買い求めた。 カッパドキアの風土がブドウの栽培に適しているとかで、トルコで最高のワインとされている。 最近は機内にワインを持ち込めないので、スーツケースの中に入れなければならない。 ある程度の衣料を機内持ち込みとしなければならない。ホテル内の夕食は20:00からと、非常に遅くなったが、現地の人達にとっては、普通の時間らしい。 地元の赤ワインを飲みながらの食事は最高であった。今日一日は、今回ツアーの中で一番盛りだくさんの見学コースがあり、いささか疲れた。 食後、すぐ入浴、そして就寝。 -つづく-※画像は下記をクリックして下さい。ドバイ・トルコ旅行(45)へジャンプ
2018年01月16日
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※一日一回クリックして下さい。にほんブログ村パティオ・ハニー CL(つるバラ)、1995年作出、イギリス・Warner。 花色は淡いピンクで、八重平咲き、中央の大きな黄色い蕊が目 立つ。 中輪、多花性。パティオ・ハニー・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※5月11日(日) ドバイ・トルコ旅行(44)トルコ絨毯の工場を出て、バスは今日の最終見学先のセマー(旋舞)会場へ向かう。 途中、「ラクダ岩」に立ち寄る。本当にラクダにそっくりである。 すぐ傍に土産品店があり、ラクダの模様入りの大きな布製バッグを購入した。17:00過ぎ、セマー会場へ到着。 実は、この会場は今日昼食をとった、洞窟レストランそのものであるが、別の入り口から中に入る。 会場中央部は木枠で円形に囲まれており、白い滑り粉が撒かれている。10分くらい待って、会場は暗くなり、メブレビー教団の祈りの儀式が始まる。 祈りに続いて、セマー(旋舞)が始まる。両手を大きく広げ、右の手のひらを上に、左の手のひらを下に向け、首をかしげる独特の姿勢で、男たちは白いスカートを翻しながら旋回する。 ネイ(葦笛)の神秘的な音に乗り、ひたすら回り続ける踊り手の姿は、何とも幻想的である。メブレビー教団は、1273年コンヤで設立した神秘教団で、セマーは旋回行為により、教主メブラーナ・ルーミーの思想を象徴的に表現した儀式である。 2006年4月、セマーは世界遺産の無形文化遺産に登録された。正式の儀式中は、残念ながら撮影禁止で、30分後に一旦全員退場した後で、踊り手が1名だけ再登場し、観光用に踊ってくれた。 -つづく-※画像は下記をクリックして下さい。ドバイ・トルコ旅行(44)へジャンプ
2018年01月15日
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※一日一回クリックして下さい。にほんブログ村ハッピー・チャイルド En.R、1993年作出、イギリス・オースチン。 花色は 黄色で、カップ咲きからロゼット咲きへ、大輪、四季咲き性、 フルーツ香を含んだティー・ローズの芳香。ハッピー・チャイルド・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※5月11日(日) ドバイ・トルコ旅行(43)トルコ絨毯の作業工程を見終わったところで、直販所へ移動する。 可成り広い場所の周囲に長椅子が置かれている。早速、トルコ絨毯の歴史について説明がある。 1947年、考古学者ルデンコによって発見されたバジリク古墳(南シベリア・ロシア)から出土し、現在エルミタージュ美術館に飾られている絨毯は、紀元前5~3世紀のものとされ、ダブル・ノット(二重結び)で織られているところから、トルコ絨毯とされている。 平織りのものは5,000年前からあったと云う。遊牧民によって織られ始めた絨毯は、テントで暮らす彼らがむき出しの地面に敷くためのものだった。 最初は動物の毛皮を敷いていたが、簡単に破れたり、寒さに対して不十分だったため、もっと丈夫なものが必要とされた。 最初は羊毛の平織りのものが、次いでシングル・ノットのものが、そして分厚く、長持ちのするダブル・ノット絨毯へと発展した。シルクだけの絨毯が織られ始めたのは1891年で、宮殿を飾るため、イスタンブールに近い町・ヘレケに新しい絨毯工場が建てられた。説明もほどほどにして、早速販売開始である。 といっても、絹製品はとても高価で、ただ眺めるだけある。 販売員は1対1の感じで、しつっこく薦めてくる。 日本語が堪能なのには驚くばかりである。 4畳半くらいの羊毛製品が欲しかったが、少し高すぎて断念した。 -つづく-※画像は下記をクリックして下さい。ドバイ・トルコ旅行(43)へジャンプ
2018年01月14日
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※一日一回クリックして下さい。にほんブログ村パット・オースチン En.R、1995年作出、イギリス・オースチン。 花色は 花弁の内側はカッパー(銅)オレンジ色で、花弁裏側はオレン ジ色のツートン。 ディプカップ咲き、大輪、四季咲き性、強いティー香。パット・オースチンは、イングリッシュ・ローズの全く新しい花色の始まりと云われる品種で、品種名はオースチン夫人に因んでいる。パット・オースチン・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※5月11日(日) ドバイ・トルコ旅行(42)ギョメレ野外博物館を後にして、トルコ絨毯工場へ移動する。日本ではあまり知られていないトルコ絨毯は、世界的にはペルシャ絨毯にも負けないくらい有名で、古いヨーロッパの絵画にも、沢山のトルコ絨毯が描かれている。工場内では、先ず繭から絹糸を紡ぐ工程を見学する。「おしん時代」の女工哀史を想い出す。 古くから織られているトルコ絨毯は、遊牧民による羊毛を用いていたが、宮廷用絨毯として絹糸を用いるようになった。 特にイスタンブールから60km離れたヘレケの総シルク絨毯が最高級品である。染色工程の説明を受けた後、手織の現場を見学する。 特に興味を引いたのはダブルノット(二重むすび)である。ペルシャ絨毯が縦糸1本に、模様になる色糸を絡ませて結んでいくシングルノット(一重結び)に対して、トルコ絨毯は縦糸2本に色糸を絡ませていくダブルノットである。 結び目がしっかりしているので、密度が高く丈夫であるが、非常に手間のかかる絨毯と云える。 -つづく-※画像は下記をクリックして下さい。ドバイ・トルコ旅行(42)へジャンプ
2018年01月13日
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※アクセス370万達成!!※一日一回クリックして下さい。にほんブログ村バタースコッチ CL(つるバラ)、1986年作出、アメリカ・J&P。 花色は上質なバターのような、キャラメルのような、渋い くすんだ黄色で、半剣弁平咲き、大輪、四季咲き性、微香。 咲き進むと、少し色が褪せてくる。 花付きが良く、誘引もしやすいつるバラである。 寒冷地 での栽培にも適している。バタースコッチ・京成バラ園へジャンプ※5月11日(日) ドバイ・トルコ旅行(41)キノコ岩群を後に、バスはギョレメ野外博物館へ移動する。広い敷地内に奇岩に穴を掘って造られた教会や一般居住区が点在している。先ずは、一つ目の岩窟教会・エルマル・キルセ(リンゴの教会)へ入る。 入り口は極めて狭いが、中に入って驚く。 ドーム型の高い天井・壁面に鮮やかに描かれたフレスコ画が目に入る。ディーシス(誓願図)の一部が剥落しているのは残念だが、11世紀中頃に描かれたという。 ディーシスは、キリストを中央に聖母マリアと洗礼者ヨハネを描いた聖画をいう。 かって、入り口の側にリンゴの木があったことが、この教会の名前の由来とか。続いて、聖バルバラ教会(バルバラ・キルセ)に入って行く。先程と違って、天井はそんなに高くはない。 描かれている画は、白い壁に赤い線で描かれたシンプルなもので、この教会は葬式に使われたのではないかと云われている。 この教会も11世紀頃に造られた。 壁に描かれた幾何学模様は、ビザンチン帝国で8世紀におこったイコノクラスム(偶像破壊運動)の影響とも云われている。 一般居住区は別の岩山で、思ったより天井が高く、スペースも十分とってある。 炊事場の天井や壁面が煤(すす)で黒くなっているのを見て、往時の生活が目に浮かぶ。 -つづく-※画像は下記をクリックして下さい。ドバイ・トルコ旅行(41)へジャンプ
2018年01月12日
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※一日一回クリックしてくださいにほんブログ村パスカリ HT(ハイブリッド・ティーローズ)、1963年作出、ベルギ ー・ランス。 純白のバラで、パスカリはキリスト教の「復 活祭」に捧げられる純白の花を意味している。 花径は 8~10cmで中輪、半剣弁咲き、又は壷状咲きで、四季咲 き性。 軽く甘い香りがある。 1963年ハーグ金賞、1969年AARS(オール・アメリカ ン・ローズ・セレクション)受賞。 クイーンエリザベスを片親に持つ名花で、切り花向けの 品種として評価が高い。パスカリ・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※5月11日(日) ドバイ・トルコ旅行(40)昼食後、洞窟レストランの外にある土産品店に入る。 スカーフと陶器製飾り皿が中心であるが、魅力的な物が沢山ある。飾り皿を買いたかったが、午前中に地下都市でタイルの飾り皿をすでに購入しているので、重量のことを考えて断念した。観光バスが次に移動したのは、待望の「キノコ岩群」であった。 カッパドキアのパンフレットには必ずこの景観が掲載されている。当然の事ながら、実物を目の前にして、その奇観に圧倒される。 特に三本キノコ岩が、青空をバックに聳え立っているのは、まさに壮観であった。この地形は、数億年前におきたエンジェルス山の噴火による火山灰の地層によって造られたという。 何層にも積み重なったところに、雨や風が浸食し、不思議な形の岩々が生まれた。キノコ岩は「妖精の煙突」と呼ばれている。 帽子をちょこんと乗せた展突の様な岩の中に、妖精が住んでいると言い伝えられ、妖精の煙突と呼ばれるようになったとか。 -つづく-※画像は下記をクリックして下さい。ドバイ・トルコ旅行(40)へジャンプ
2018年01月11日
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※一日一回クリックしてくださいにほんブログ村ハイネス・ミヤビ HT、1993年作出、岐阜県農業技術研究所。 淡いピンク 色の気品あふれるバラで、半剣弁高芯咲き、大輪、四季咲き性。 花びらの数が多く、日持ち性に優れている。 1993年の皇太子ご成婚を記念して、雅子様に捧げられた バラである。 ハイネス愛共々、岐阜県ブランドの有望品種として、今後の 生産が期待されている。 ハイネス・ミヤビ・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※5月11日(日) ドバイ・トルコ旅行(39)岩山住宅を辞去した時、すでに午後1時を過ぎていた。バスは思いの外広い舗装道路を、高台へとのぼって行く。 途中商店街が目に入る。 平屋の普通の店が多いが、変わった台地の麓に、「POTTERY SHOP」の看板が目に付いた。多分土産用の陶磁器製品を販売しているのだろう。 興味があったが、バスは通り過ぎて行く。 やがて、高台にあるレストラン前に停車する。 洞窟内で食事をする感じで、なかなかムードがある。旅行案内書で、カッパドキアはワインの生産地であると知っていたので、先ずは赤ワインを注文する。 ラベルに「キノコ岩」が描かれていた。 さすが、他の土地でのワインとは一味違う。スープは「ヤイラ・チョルバス(ヨーグルト仕立て)」と、続いて「ドマテス・チョルバス(トマト・スープ)」が出てきた。メインは焼き魚で、見た目は今ひとつであったが、意外に美味だった。 -つづく-※画像は下記をクリックして下さい。ドバイ・トルコ旅行(39)へジャンプ
2018年01月10日
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※一日一回クリックしてくださいにほんブログ村ハイネス・アイ HT、2002年作出、岐阜県農業技術研究所。花色はクリーム 地で、基部は明黄、花弁の縁にかすかに紅がさすのが、何とも 愛らしい。 剣弁高芯咲き、花径は12cmで大輪、四季咲き性。 花弁が厚く硬いことから、貯蔵性に優れている。 あわせて、ト ゲが少なく、切り花向きの品種である。 内親王殿下愛子さまのご誕生を記念して命名された。 ハイネス雅共々、岐阜県ブランドの有望品種として、今後の生産 が期待されている。ハイネス・アイ・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※5月11日(日) ドバイ・トルコ旅行(38)バスはやがて、狭い道に入って行く。 どうやら岩山住宅へ、家庭訪問するらしい。 一気に期待が高まる。 道路は一応舗装されている。 多少広くなった所で停車し、徒歩でMさん宅へ。Mさんご夫妻が居間の入り口で、待っていてくれた。岩をくりぬいて作った居間は結構広い。 20畳分は楽にある。3方にソファがあり、壁はトルコ絨毯で飾られている。挨拶も、そこそこにチャイ(紅茶)とケーキが運ばれて来た。 チャイ(紅茶)トルコで最もよく飲まれる飲み物はチャイ(紅茶)で、朝食時、朝の休憩時間、昼食後、おやつの時間、夕食後には必ず飲む。 トルコ人の生活の中でチャイは欠かせない習慣の一つとなっている。 トルコで最初にチャイが飲み始められたのは、オスマントルコ帝国時代の1600年代と云われている。現在トルコの紅茶生産量は世界で5番目である。特に黒海地方は、温暖な気候や降水量の多さ、そして肥えた土は紅茶作りに大変適している。 -つづく-※画像は下記をクリックして下さい。ドバイ・トルコ旅行(38)へジャンプ
2018年01月09日
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※一日一回クリックしてくださいにほんブログ村ハーモニー HT、1981年作出、コルデス・ドイツ。 花色はローズ・ピン ク、花径は12cmあり大輪、半剣弁高芯咲き、四季咲き性。 非常に強く甘い香りがする。 花姿と香りの調和を考えて、 名付けられたものであろう。 1981年バーデン・バーデン金賞受賞。ハーモニー・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※5月11日(日) ドバイ・トルコ旅行(37)地下都市カイマクルの地下4階部分まで、下りて行くのは、時々ガイドから説明を聞きながらなので楽だったが、さて地上部に出るまでは、まさに登山そのもので、あえぎあえぎ、ただひたすらのぼった。 外に出て、圧迫感から解放され、ほっとする。目の前に、カラフルな土産品店が軒をつらねている。さて何を買うか迷うが、トルコ伝統のタイルをアレンジした丸いプレートを数枚買い求めた。 テーブルの上に置いて、鍋敷き代わりになりそうだ。 壁飾りにもなる。さて、バスが発車すると、地下都市カイマクルの地上部が目に入る。 低い岩山が連なっているだけで、地下部分をとても想像できない。バスが更に進んでいくと、カッパドキアの観光の目玉である、奇妙な岩山に穴を掘って住んでいる住居の数々が目に飛び込んでくる。 こんな所に、本当に人が住んでいるのと、いった感じである。カッパドキアはトルコのほぼ中心、中央アナトリアの高原地帯に広がる世界的な景勝地である。 現在見学出来る岩の住居や教会の多くは、6世紀頃アラブ人から逃れたキリスト教徒たちが造ったものとか。 -つづく-※画像は下記をクリックして下さい。ドバイ・トルコ旅行(37)へジャンプ
2018年01月08日
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※一日一回クリックしてくださいにほんブログ村パーマネント・ウエーブ FL、1932年作出、オランダ・Leenders。 花色 は濃ピンクから赤色で、半八重で花弁の縁にウェーブがかかる 特徴的な花を咲かせる。 花径8cm位の中輪、四季咲き性、 マイルドな微香。 初期のフロリバンダ系の古い品種なのに、現代的なセンスを感 じさせ、70年以上たった今でも人気がある。 樹高0.9~1.2m、直立性。 花保ちが良い品種で、花壇、 切り花のほか、樹高があまり大きくならないので鉢植えでも楽 しめる。パーマネント・ウエーブ・京都府立植物園へジャンプ※5月11日(日) ドバイ・トルコ旅行(36)キャラバンサライを後にして、バスはカッパドキアに向かう。 カッパドキア郊外では、山の上まで家が建ち並んでいる。 家の間には、ところどころに穴がある奇妙な岩山が目につく。カッパドキア観光の最初は、地下8階分もあると云う、地下都市カイマクルである。 地下都市カイマクル・カッパドキア詳しい歴史は分かっていないが、この地下都市は6~9世紀に、この地に住むキリスト教徒達が、しばしば侵入してくるアラブ系民族の脅威から逃れるために造ったものとされている。カッパドキアには、まだ発掘されていない場所を含めて約35ヶ所の地下都市があり、代表的なカイマクルは深さ65m、8階におよぶ巨大なものである。 公開されているのは地下4階まで。各階の迷路のような内部は、身を屈めて歩かなければならない程の狭い通路や階段で結ばれており、いたるところに居室や台所、貯蔵庫、貯水槽などの生活環境が整っている。地表へ垂直に伸びる換気口や退避用のトンネルが完備され、学校、教会、集会所まで都市機能に必要な施設はすべて備わっていた。 15,000人が、この巨大な地下都市で息を潜めて暮らしていたという。 -つづく-※画像は下記をクリックして下さい。ドバイ・トルコ旅行(36)へジャンプ
2018年01月07日
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※一日一回クリックして下さい。にほんブログ村バーマ・スター FL、1974年作出、イギリス・Cocker。 花色は 淡い黄色で、中央部が濃く、周辺の花弁縁がほんのりとピン クがかっている。 丸弁高芯咲き、中輪、四季咲き性。 花名の由来はよく分からないが、バーマ・スターとは、「ビル マ(ミャンマー)の星」という意味。バーマ・スター・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※5月11日(日) ドバイ・トルコ旅行(35)早朝5時過ぎ目が覚める。 暫くして明るくなり始めたので、慌ててカーテンを開け、日の出を撮影する。 住宅の屋根には、殆どソーラシステムを備えている。 どうやら、太陽エネルギーの利用に力を入れているようだ。08:00 バスはカッパドキアを目指して、コンヤのホテルを出発する。 途中羊の放牧を車窓から眺めることが出来た。 誠に雄大な眺めで感動する。1時間走ったところで、「キャラバンサライ」に立ち寄る。キャラバンサライ(隊商宿跡)10世紀頃からアナトリア(トルコ中部、小アジアとも呼ばれる)地方に多く建てられた。 現在のホテルやインとしての役割を果たす旅人達の宿のことをキャラバンサライという。シルクロード(絹の道)を、らくだやロバなどの動物の背中に荷物を乗せ隊を組んで長い旅を続けていた商人達(キャラバン)にとって、周辺には何もないような所に建てられた宿は宮殿(サライ)のように立派な建物としての印象を受けたところからキャラバンサライと呼ばれるようになった。城塞の中に入る感じで、門を潜る。 隊商隊宿跡を目にして、いま嘗てのシルクロードに立っていることを、実感でき感慨にふける。 -つづく-※画像は下記をクリックして下さい。ドバイ・トルコ旅行(35)へジャンプ
2018年01月06日
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※一日一回クリックしてくださいにほんブログ村パープル・タイガー FL(フロリバンダ・ローズ)、1991年作出、アメリカ・ Christensen。 花色は、濃い赤紫X赤X白の絞りで、 シックな印象を受ける。 半剣弁高芯咲き、中輪、四 季咲き性、微香。 花びらの先端が尖っているのが面 い。 トラの縞模様をイメージした命名であろう。これだけ 絞りが入ると、派手な気もするが、色が紫系のせいか、 和風のしとやかささえ感じさせる。※5月10日(土) ドバイ・トルコ旅行(34)ショッピング・センターからホテルに戻り、午後7時からホテル内レストランで夕食である。いつもは、テーブルへ飲み物を何にするか聞きにくるが、今回はいきなりワゴン車で、大量の黒ビールとミネラル・ウオーターを運んできた。現地ガイドによると、今夜はエフェス社の黒ビールが特価とか。 いつもは赤ワインを頼んでいるが、今回は早速小ビン2本を注文する。エフェス社はトルコNo.1のビール・メーカーで、特に黒ビールの濃厚な風味は誠に素晴らしい。 普通のビールはアルコール度5%であるが、黒は6.5%で少し強い。普通のビールとの、飲み口の違いにびっくりする。料理は例によりバイキング方式で、トマトをメインにしたが、料理との相性も抜群で、古都・コンヤの最高の夜を過ごすことが出来た。10時過ぎ、早い目に就寝する。 -つづく-※画像は下記をクリックして下さい。ドバイ・トルコ旅行(34)へジャンプ
2018年01月05日
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※一日一回クリックしてくださいにほんブログ村パーフェクト・モーメント HT、1991年、作出国アメリカ。 花色は、濃黄に赤の覆 輪咲きである。 半剣弁高芯咲き、大輪、四季咲き性。花つき、 花保ちのよい品種で、1輪咲き~房咲きになることもある。 アリンカ(1985年ドイツ・コルデス作出)に、よく似てい る。 樹高1.2m位、半直立性で、花壇や鉢植えに向いている。パーフェクト・モーメント・京都府立植物園へジャンプ※5月10日(土) ドバイ・トルコ旅行(33)霊廟内を一通り見学し終わったところで、土産品店に立ち寄る。 メブレビー教団は、「セマー」という祈りを捧げながら回転する舞が特徴なので、土産品のメインはセマー・ グッズである。霊廟の外へ出ると、トルコ各地から来た参拝客であふれていた。 若い女性達のスカーフは、誠にカラフルである。メッカまでは遠いので、せめてコンヤの霊廟へということらしい。17:00過ぎ、新市街地にあるホテルに着く。 夕食まで2時間もあるので、部屋にスーツケースが来るのを待って、外へ出て行く。 ホテルの近くに大型SC(ショッピング・センター)がある。 3階建てで、約80店舗入っているらしいが、先ずはスーパー・マーケットを探す。大型スーパー内は商品であふれている。 お土産用にトルコ・チャイ(紅茶)を10パック買い求める。 単品はともかく、まとめ買いはスーパーに限る。 レジ前は、どこも長い列が出来ていた。 -つづく-※画像は下記をクリックして下さい。ドバイ・トルコ旅行(33)へジャンプ
2018年01月04日
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※一日一回クリックして下さい。にほんブログ村バーバラ・カレラ FL、1994年作出、イギリス・Beales。 花色はピンク色で、花弁縁が 一部淡いところがあるので、ツートンの感じ。 丸弁カップ咲き、中~大輪、四季 咲き性、微香。 バーバラ・カレラ(1951~ )は、アメリカの女優・画家である。バーバラ・カレラ・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※5月10日(土) ドバイ・トルコ旅行(32)メブラーナ霊廟境内に入って、先ず目に入るのは、「礼拝前に身を清める水場」である。 中庭にも水場があり、一番上に受け皿が一つ、次は二つ、三つと増えて、二つに減り、一つになって終わる。 これは、ひとりで生まれ、配偶者を得、家族を作り、そして最後はやはりひとりで死んでいくという意味だそうだ。 まことに、哲学的である。この霊廟の創始者ルーミーの没後もメブレビー教団は存続し、「セマー」という回転しながら祈りを捧げるセレモニーを継承していく。 政教分離を目指した、トルコ初代大統領アタチュルクにより修行場は1925年に一旦閉鎖された。その後1927年にメブラーナ博物館として、一般に開放さるようになった。霊廟内には、メブラーナ他多数の棺が置かれている。 金刺繍のカバーが掛けられており、棺の頭はカーバ神殿(メッカ)の方角に向けられている。 -つづく-※画像は下記をクリックして下さい。ドバイ・トルコ旅行(32)へジャンプ
2018年01月03日
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※一日一回クリックして下さい。にほんブログ村バーバラ・オースチン En.R、1997年作出、イギリス・オースチン。 花色 は淡いピンクで、中央部が少し濃い感じのツートン。 丸弁 高芯咲きから咲き進むとロゼット咲きとなる。 中輪、香り が良く、オールドローズとライラックの香りと表現されてい る。 作出者ディビット・オースチンの姉妹の名前がつけられた。バーバラ・オースチン・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※5月10日(土) ドバイ・トルコ旅行(31)昼食後、バスはコンヤ・トルコに向かう。 コンヤは世界で最も古い都市の一つである。 長い歴史があったがオスマン帝国時代に衰退した。 19世紀終わりに、イスタンブール・バグダッド鉄道が建設され、コンヤを通過することで、再び人口60万人あまりの都市に復活した。11世紀、トルコ族がアナトリアに入り、ビザンチン帝国から領土を勝ち取る。 それがセルジューク・トルコで、コンヤは1134年その首都として、イスラム世界の宗教・政治・文化・芸術の中心となった。 イスラム神秘主義のメブレビー教団の創始者ルーミーの霊廟があり、現在はメブラーナ博物館として開放されている。総本山ともいえる霊廟がある古都のためか、トルコの他の都市と雰囲気が違い、宗教色が強い。 道行くトルコ女性は、必ずスカーフを着用している。 観光客も服装に要注意である。 露出度が高いと、霊廟内に入れない。15:00 コンヤに到着。 バスを降りて、霊廟へ入って行く。 境内は大勢の参拝客、観光客で混雑していた。霊廟内は残念ながら撮影禁止である。 -つづく-※画像は下記をクリックして下さい。ドバイ・トルコ旅行(31)へジャンプ
2018年01月02日
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※明けましておめでとうございます。にほんブログ村ハートビート96 FL、1997年作出、イギリス・Cocker。 花色は 橙色で、丸弁高芯咲きから開ききるとロゼット咲きとなる。 蕾の時は濃い橙色であるが、開くに連れて褪色する、四季咲 き性。ハートビート96・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※5月10日(土) ドバイ・トルコ旅行(30)次の目的地はコンヤであるが、パムッカレ-コンヤ間は410kmあり、約5時間半かかるという。 パムッカレを出て、1時間半後に先ずは第1回トイレ休憩である。ドライブインの店頭で、トルコ・アイスを売っていて、皿を反対にしても落ちないパフォーマンスが面白く、次々と買っていた。 ドライブインを出て、車窓からの眺めは荒れ地が延々と続く。 普段は牧草地なのであろうが、只今は荒れ地としか見えない。 更に1時間半後レストランに着く。すでに正午を過ぎている。 いつもは赤ワインであるが、今回は喉が乾いたのでビールを頼む。エキメキ(トルコのパン)を食べ放題とうのが嬉しい。エジプトのナンに似ているが、ナンより少し厚くて、中がもちもちしていて、食感がいい。 -つづく-※画像は下記をクリックして下さい。ドバイ・トルコ旅行(30)へジャンプ
2018年01月01日
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