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※コメント欄を閉じました。↓ ↓ ↓ ↓ ↓応援感謝。にほんブログ村グレート・オーモンド・ストリート FL、1991年作出、Beales・イギリス。 花色はクリーム 地で、中央部が濃いクリームでツートンの感じ。 丸弁高芯咲き、中 輪、四季咲き性。 ロンドン・大英博物館から東に歩いて10分位の所にある通りの名に 由来する。※4月11日 オランダ・ベルギー旅行(14)オランダといえば、チューリップと同時に風車は欠かせない。「オラ ンダの国はオランダ人が作った」、その担い手が風車であり、排水・灌漑が役割である。一方で、英国と同じく動力源としての風車があり、オランダでは水車は動力源にはならないので、風車は多くの仕事をし た。製材、マスタード練り、岩石の粉砕、染料の製造、菜種油・落花 生油絞りなどがある。 9000台もあった風車は、現在では1000台に減った。オランダ の優美な風車は、フランスから来た画家がデザインしたものであると いう。多くは、ファンテイルはなく、羽根を風向きに合わせるのは、ポールを人力で移動するタイプである。タワーミルであるがバルコニ ーがついているものが多い。キューケンホフ公園の一隅で、風車が廻っている。 観光客用に移築されたものであろう。 中に入り、バルコニーに上がれる。 バルコ ニーからチューリップ畑が望める。 花が咲くと、球根を太らせるた め摘花するようだ。この公園は今年は3月22日にオープンし、5月20日まで開園して いる。 つまり、季節限定である。 例年3月下旬ではチューリップ の開花に早過ぎるが、それでも大丈夫である。 大温室があり、十分 楽しめる。さて、大温室に入って行くと、まさに百花繚乱、目を奪われる素晴ら しさである。 あまりにも、多品種が咲き乱れており、どこから撮影しようか迷う。ポール・シェラー(品種名) 中生種・トライアンフ系、花色は黒っぽい紫色。草丈は約40cm と、そんなに高くはないが目立つ存在である。 ZWANENDRIFT(品種名) 早生種・フォステリアナ系、ユリ咲きに近い咲き方をする。 花色 は濃い黄色であるが、花弁裏に一部朱色が入る複色。草丈は約30 cmで矮生種に近い。 -つづく-※画像は下記をクリックして下さい。オランダ・ベルギー旅行(14)へジャンプ
2019年01月31日
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にほんブログ村クレア・ローズ HT、1986年作出、イギリス・デヴィッド・オースチン。 花色は淡いピンクで、大輪ロゼット咲き、四季咲き性。 直立型で、弱剪定にて誘引も可能な品種である。 大輪の 花は、淡いピンクから白へと変化し、心地よく香るティーロ ーズ香である。 葉は大きく、薄い緑色。※4月11日 オランダ・ベルギー旅行(13)キューケンホフ公園は広大なので、歩き回ると結構疲れる。 名古屋の3月初旬の気候と聞いていたので、厚着をしており汗をかいてくる。 30分毎に噴水のそばで休憩する。 雲一つない青空をバックに高く上がる噴水は涼感をそそる。 公園内は整備されており、どこで撮影しても繪になるが、すべてのチュ ーリップに名札が付いているのが、何と云っても有り難い。ダブル・ダッチ(品種名) 早生種・八重のVROEGE系。 ダブル・ダッチとは、八重のオラ ンダ・チューリップということであろうか。 VROEGEは人名で ある。 花は朱赤色で、花弁の縁が黄色でツートンの感じ。 矮性種ではある が、ボリューム感があって何とも目立つ存在である。ロザンナ(品種名) 中生種・クレイギー系。 花弁数は6枚で、内側の3枚の弁縁は丸く、 外側の3枚は弁縁が尖っており3角形で、全体として「ダビデの星」 の感じなのが面白い。 花色はピンクと淡いピンクのぼかしで、開花時中央の大きな黄色い蕊 が目立つ。 ロザンナ(女性名)の名にふさわしい可愛らしさである。 -つづく-※画像は下記をクリックして下さい。オランダ・ベルギー旅行(13)へジャンプ
2019年01月30日
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にほんブログ村クリムズン・グローリー HT、1935年作出、ドイツ・コルデス。 花色はクリムズン (深紅)で、剣弁高芯咲き、大輪、多花性。 HTなのに、樹高は40cmと低く、大輪の黒赤花を沢山付ける。 作出後70年経っても人気があるのは、大輪、多花性によるもの と思われる。※4月11日 オランダ・ベルギー旅行(12) キューケンホフ公園のメインはチューリップであることは、云うまでもないが、 園内を廻っていて、サクラの木が至るところに植えられているのに気付く。古 木はないが、シーボルト(1796-1866)がアジサイを日本から持ち帰って、品種 改良したことは有名なので、多分その頃オランダへ渡来したものと思われる。 名古屋出発時(4月9日)にはソメイヨシノは殆ど散っていたが、オランダで花見が出来るとは思ってもいなかった。 聞くところによると、日本人在住者が多いアムステルフェーン市では、3月末に桜まつりが行われたとか。 日本では、チューリップは早生種が多いのでソメイヨシノより早く開花するが、 品種は違うがオランダのサクラはチューリップの開花より早いようだ。サクラの花を眺めていると、オランダが日本の友好国であることを実感でき嬉しくなる。 -つづく-※画像は下記をクリックして下さい。オランダ・ベルギー旅行(12)へジャンプ
2019年01月29日
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にほんブログ村クリテリョン HT、1966年作出、オランダ・デ・ルイター。 濃いピンクの 花びらに、うっすらと白い縦縞が入っている。 半剣弁高芯咲き、 中輪、四季咲き性。 樹高約1.2m。※オランダ・ベルギー旅行(11)-2007.4.11-キューケンホフ公園内のチューリップは、何とも素晴らしく、まさに世界一の チューリップ公園であるが、学術的研究も併せて行っているようで、各グルー プ毎に品種名が英語で明記されているのが嬉しい。チューリップの園芸品種群は多様であるが、大別すると「早生種」、「中世種」そして「晩生種」であるが、それぞれ各系列別に分類されている。 中生種のものは、まだ蕾状態であるが、品種名別に紹介しょう。 STABILITY(安定) 中生種・トライアンフ系、紫色のオーソドックなチューリップである。トラ イアンフ系は最も品種数が多い。 「ネグリタ」が有名である。 CHEERS(乾杯) 中生種・トライアンフ系、淡い黄色で、まさに日本人好みのチューリップで ある。 UNITED STATES(アメリカ合衆国) 中生種・クレイギー系、濃いオレンジ色に黄色が入る覆輪。 葉に紫の斑が 入るものが多い。 グレイグ氏の名にちなむ。 UNICUM(ユニカム) 早生種・プラエスタンス系、枝咲きの代表的な存在で、歴史ある原種のチュ ーリップ。 花色は朱赤色で1花茎に1~4花咲き、ボリューム感もある。 葉は5~6枚以上で、茎にV字形に付き、美しい白斑が入る。※画像は下記をクリックして下さい。オランダ・ベルギー旅行(11)へジャンプ
2019年01月28日
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にほんブログ村クリストファー・コロンブス HT、1991年作出、フランス・メイアン。 花色はピンクで、 丸弁高芯咲き、大輪、四季咲き性。 花の名前は、云うまでもなく、1492年アメリカ大陸を発見し た、コロンブス(1446~1506年)に因む。※4月11日 オランダ・ベルギー旅行(10) 07:00 起床。 オランダ3日目である。 移動日なので、スーツ ケースを部屋の外に出して朝食に行く。 09:00 ホテルに別れを告げ、バスはアムステルダム郊外のキュー ケンホフ公園に向かう。 途中朝市に立ち寄る。 土産品店の前の広場に屋台が並んでおり、まさに何でもありである。 一番人気は、やはり チーズである。 10:00 待望のキューケンホフ公園駐車場に到着する。 徒歩5分 位で公園入り口へ。 例年4月初旬では、チューリップの開花には早過ぎるとのことであるが、今年は世界的な温暖化現象で、今まさに見頃で、ラッキーとしか云いようがない。キューケンホフ公園 約40haの敷地は15世紀のころ、森とまっさらな砂丘で覆われてい た。 ヤコバ・ファン・バイエルン伯爵夫人の領地だったころのこと である。 当時の人々は狩りをしたり、公園の名前の由来となったお 城の台所のためにハーブ摘みに勤しんだりしていた。 「キューケンホフ」とはオランダ語で「台所の庭」という意味で、1830 年頃、ゾッハーというランドスケープ・デザイナーが庭園の設計を任 された。 英国風のランドスケープに着目したゾッハーは現在のキュ ーケンホフ公園の原型を作ったという。 春ともなると、園内には、チューリップ、ヒヤシンス、水仙などの球 根花が咲き乱れ、息を呑む色彩の饗宴を繰り広げる夢の庭園となる。 公園内に入ると、先ず池が目に入り、その周囲にカラフルなチューリッ プが目を楽しませてくれる。 夢中になってデジカメのシャッターを切る。 -つづく-※画像は下記をクリックして下さい。オランダ・ベルギー旅行(10)へジャンプ
2019年01月27日
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にほんブログ村クリスチャン・ディオール HT、1958年作出、フランス・メイアン。 花色は深 紅で、剣弁高芯咲き、花径は13~15cmで大輪、 花弁数は50枚程度、花保ちが良い。 株は直立性で、樹高1.4m程度、1962年AARS 受賞。 クリスチャン・ディオール(1905~1957)に捧げら れたバラである。 日本では、香水の超有名なブラン ドであるが、彼は有名なフランスの服飾デザイナーで もあった。 彼の死後、香水部門はイヴ・サンローラン が引き継いでいる。※4月10日 オランダ・ベルギー旅行(9)ご婦人達がダイアモンド製品に夢中の間、男性群は1階に下りて休憩所で待機する。 ここはジュースや、ドリップ・コーヒーが無料で飲み放題な のは有り難い。 15:00過ぎ、観光バスに再び乗り込み、アムステルダム郊外に向かう。 「木靴工場」の見学らしい。 バスから眺める運河も素敵である。 30 分も走行しただろうか、とある倉庫風の建物に着く。 建物の前に大きな木靴が置いてあるので、中に工場があると想像出来る程度で、何の看板も ない。 建物の中は薄暗く、材木のにおいが鼻をつく。 木靴の本来の材料はヤナ ギらしいが、ポプラもよく利用するとか。 木靴の登場は18世紀のこと で、17世紀には存在していない。しかし、それはオランダ農業の早い発 達をよく表している。 低地のオランダでは,湿地が多く,木靴は,ぬかるんだ土地を歩き農耕す るために生まれた。 足を冷えから守る効果もある。 職人さんが、昔ながらの木工機で、次から次へと白木をくり抜いてシンプ ルな木靴の原型が出来上がっていく。 無垢木の靴は、そのままガーデニ ング用に使えそうだ。 色を塗って飾り物にしたり、特別な模様をあしら って花嫁衣裳や伝統的な民族衣装に合わせたりと、用途に合わせて数十種 類あるとか。つまり、この建物は木靴のお土産屋さんであり、同時にそぐ傍で酪農も行っているので、大量のチーズ製品が置いてあり試食出来る。 それに鄙び てはいるが、オランダの特産品もあるので、市街地より可成りお買い得の感じである。 ダイヤモンド製品との価格差もあり、次々と買い物袋がふ くらんで行ったようだ。 -つづく-※画像は下記をクリックして下さい。オランダ・ベルギー旅行(9)へジャンプ
2019年01月26日
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※コメント欄を閉じました。ブログランキング応援感謝!!にほんブログ村グリーン・アイス(可児花フェスタ記念公園) MINI、1971年作出、ラルフ・S・ムーア・アメリカ。 花色はパウダーピンクから白へ、更に透明感のある淡いグリ ーンへと、咲き進むにつれて花色が変わる魅力的なミニバラ。 花径は3~4cmで、丸弁八重平咲き、四季咲き性。残念な がら無香。 樹高20~30cmで、横張り性、花は数輪づつ房咲きとな り、花保ちが良い。※4月10日 オランダ・ベルギー旅行(8) 観光船はアムステルダム中央駅の方に進んで行く。 海側から見える のは、カマボコ型の屋根だけである。 アムステルダム中央駅 オランダ国鉄(NS)最大の駅。駅舎は、赤レンガの立派な建物で、 東京駅のモデルになったとも言われている。ホームは日本によくあ る島式ホームが並ぶが、全てのホームを大きなドームが覆っておる。 1889年完成の中央駅は、当時のオランダの夢を乗せた建物であ る。19世紀後半、落ち込んでいた経済の復興を願って建てられた。 港を埋め立てる人工島構想に、海運業者は当初大反対したが、興隆 する鉄路による輸送力との調和に国運を賭けたという。さて、上陸したところはガッサン・ダイアモンド工場の桟橋である。 観光バスの場合は、正面入り口から入って行くが、裏口からというの は、何だか変な感じである。アムステルダムはアントワープと並ぶ世界のダイヤモンド取引の中心地である。 ガッサンダイアモンド工場では、ダイヤモンドの研磨作業を見ることができ、その後、小部屋に連れていかれ、ダイアモンドの説明と販売会が始まる。 数カラットのダイヤを目の前の説明は迫力がある が、販売会ともなると男性群は後ろに下がって女性達が熱心に選んでい た。 -つづく-※画像は下記をクリックして下さい。オランダ・ベルギー旅行(8)へジャンプ
2019年01月25日
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※コメント欄を閉じました。ブログランキング応援感謝!!にほんブログ村グランパ・ディクソン(可児花フェスタ記念公園) HT、1966年作出、ディクソン・イギリス。 花色は中央部が黄色 で、周辺が次第に淡い黄色になっていくグラデーションが素晴らしい。 典型的な剣弁高芯咲き、大輪、四季咲き性、微香。 1966年ハーグ 金賞を受賞している。 ディクソン家からは、HT(ハイブリッド・ティーローズ)の名花が複 数作出されているが、近年の育種は、FL(フロリバンダ・ローズ)や パティオ・ローズにシフトしている。 作出時の当主が、祖父に捧げたものであろうか。※4月10日 オランダ・ベルギー旅行(7) 観光船に乗船する。 乗客は50人くらいだろうか。 全員乗り終わったところで、直ちに出航する。 真っ先に目に入ったのが、「ハイネケン・ビール博物館」である。う~ん、クルージングより博物館へ入りたかったが、ツアーなの で仕方がない。 この博物館は2001年6月にハイネケン・エ クスピリエンスとして生まれ変り、オランダを代表するビール・「ハイネケン」の世界を紹介しているという。前身は勿論ビール工場であった。 運河の両岸の街路樹の新緑が目を楽しませてくれる。 たしか、 「スズカケの木(プラタナス)」と云っていたと思うが、はっき り分からない。 街路樹の向こうの街並みは、まさにオランダに来ていることを実感させる。 白い縁取り開口部と黒い壁が特徴である。アムステルダム中央駅を中心に市内に網の目状に広がる運河であ るが、中央駅に向かって進んで行く。 両岸にボートハウスが連なっているのが面白い。 単なる物置ではなくて、実際に生活し ているようだ。 跳ね橋も運河には欠かせない。 観光船は問題ないが、荷物を積んだ船が通行する場合、跳ね上がるようだ。 当然車の交通渋滞の原因になるが、船を優先している感じである。 なんと、ロッ テルダムでは、高速道路に跳ね橋があるとか。 -つづく-※画像は下記をクリックして下さい。オランダ・ベルギー旅行(7)へジャンプ
2019年01月24日
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※コメント欄を閉じました。ブログランキング応援感謝!!にほんブログ村クラマ(鞍馬) HT、1977年作出、京阪園芸。 花色は濃いピンクで、 花弁裏が白いのでツートンの感じとなる。 剣弁高芯咲き、 大輪、四季咲き性。 京阪園芸作出の「金閣」、「大原女」 など京都シリーズの一つ。 京阪園芸は京阪電鉄の子会社で、戦前から枚方市で菊人形の 展示などをおこなっていた。キクが秋の風物であるなら、春の 風物として独自のバラ園でのバラの展示をし集客を計画した、 1955年(昭和30年)のことである。※4月10日 オランダ・ベルギー旅行(6)アムステルダム国立博物館を後にして、徒歩でゴッホ美術館に向かう。ゴッホ美術館 常設展が行われている本館は、ヘリット・リートフェルト(1888-1964)の設計で、直線を基本とした、前衛的な建築である。 近接するアム ステルダム国立博物館と対照的な印象を与える。 ゴッホ美術館は1973年、ゴッホ財団およびアムステルダム市の協力を 得て、国立美術館として開館した。 美術館の基となったコレクション は、ゴッホの弟であり、経済的・精神的な後援者であったテオことテ オドール・ファン・ゴッホ(1857-1891)と妻ヨハナ・ファン・ゴッホ= ボンゲル(1862-1925)夫妻の所有だったものである。 内訳は、ゴッホの油絵約200点、素描約500点、書簡約700点、それに ゴッホとテオが収集した浮世絵約500点などである。 残念ながら館内では、撮影禁止のため下記「ゴッホ美術館」を参照して下さい。 午前中2ヶ所の美術館巡りは、感動の連続であったが、いささか疲れた。 近くのレストランで軽い昼食をすませ、午後は運河・クルージングを楽し む。 乗船場のゲートの近くで、鉢植えの西洋アジサイが美しく咲いているのに は驚いた。 アジサイは、大きく分けて日本原産のアジサイと、ヨーロッ パで改良されたハイドランジア(西洋アジサイ)がある。ハイドランジア の方は、鉢花として改良されたものが多く、花のボリュームがある割には背丈は低くおさえられてる。 -つづく-※画像は下記をクリックして下さい。オランダ・ベルギー旅行(6)へジャンプゴッホ美術館へジャンプ
2019年01月23日
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※コメント欄を閉じました。ブログランキング応援感謝!!にほんブログ村グラハム・トーマス En. R、1983年作出、イギリス・オースチン。 8cm ほどの深いカップ型の花が房咲きとなる。 深い、しか し、さわやかなイエローの花色は、他に類がない特異 なものである。 返り咲き性、強いティー系の香りがす る。 150cmから300cm高さのボリュームのある横張り型 のシュラブとなる。 枝は直立性で、非常に強健である。 アイスバーグの血を引くこのバラは、イギリスのオール ド・ローズ研究家、グラハム・トーマス(1909-2003)に捧 げられた。※4月10日 オランダ・ベルギー旅行(5)フェルメール・コーナーに、もう1点彼の作品が展示されている。「小路」である。 「小路」(1657-58年)フェルメールの2点しか現存しない風景画のうちの1つ(もう1点は「デル フトの眺望」)。デルフト市内のどこで描かれたかについては諸説あり、 特定の場所を描いたものではないとする説も有力である。 他の展示室へ移動する。 殆どがルーベンスの作品である。ルーベンス( Peter Paul Rubens・1577~1640年)バロック時代を代表する画家であり、外交使節や美術コレクターとしても活躍したルーベンス。1577年、両親の亡命先であるドイツで生まれた。ア ントワープで修行を積んだ後イタリアで学び、マントバ公の宮廷画家とし て、古典的な画法を基礎とした現実感覚溢れる手法を習得。母の死をきっ かけに1608年にアントワープヘ帰郷してからは、アルブレヒト大公夫妻の宮廷画家となった。隆々とした筋肉や豊満な女性、君主の堂々たる姿など、 ルーベンスの特徴ともいえる豊かな色彩を用いた力強い表現方法はこの頃 確立された。また、外交使節としても活躍していたルーベンスは各国の王 侯からの信頼も厚く、ロンドンのホワイトホール宮殿の天井画や、スペイ ンにあるフェリペ4世の狩猟館トレ・デ・ラ・パラダの装飾画も手がけるこ ととなる。一方、助手との分業により多くの作品を描き、絵画のみならず挿絵や自身の作品の版画化にも熱心に取り組んだことでも知られる。晩年 は妻子の肖像画や風景画、風俗画を中心に、伸びやかで生気溢れる作品を 残した。 「アリア・トリップの肖像」(1639年) 1931年にアムステルダムに居を定めたレンブラントは、多くの注文を こなして弟子をとるようになり、結婚後には邸宅を構えた。 20歳にな る商人の娘を描いたこの肖像画は、邸宅購入の年に制作された作品である。 光りを浴びて浮かび上がる女性は、女神のように高貴に描かれている。アムステルダム国立博物館内のレンブラント作品で、一番有名な絵画は「夜 警」であるが、残念ながら撮影出来なかった。 壁面の一角を占める大作で、 美術書で目にする機会が多いが、やはり実物を目の前にして、その迫力に圧 倒される。 -つづく-※画像は下記をクリックして下さい。オランダ・ベルギー旅行(5)へジャンプ
2019年01月22日
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※コメント欄を閉じました。ブログランキング応援感謝!!にほんブログ村グラッド・タイディングス FL、1988年作出、ドイツ・タンタウ。 花色は 鮮やかな赤で、八重平咲き、小~中輪、四季咲き性。 花名は「吉報」を意味しており、華やかな存在感を示 している。 タンタウ マシアス(父)は、 1906年に園芸場を始めた。現 在のハイブリットティ系のペラルゴニン色素の基とな ったフロラドラ、温室用切花として評価の高かったガ ーネットなども彼の手になるもの。 ヨハンナ・タンタウ・マシアス(子)の 作出品種で、も っとも名高いものはスーパー・スターで、花色の素晴ら しさは現在も評価が高い。また、香りの優れたものが多 い。 現在はハンス・E.エバースが跡をついでおり切花に優 秀品種が多い。プリマ・バレリーナ、ブルー・ムーン等。※4月10日 オランダ・ベルギー旅行(4) 展示室内を更に進んで行くと、待望のフェルメール作品が展示されていた。ヨハネス・フェルメール(1632-1675) 17世紀にオランダで活躍した画家である。レンブラントと並び17世紀 のオランダ美術を代表する画家とされる。 生涯の殆どを故郷デルフトで 過ごした。 彼の作品は、完璧な静けさと平和な空気が満ち、優しい光が全体を覆って いる。 精神的な癒しを求める、多くの現代人に訴えかけるためか、近年 フェルメール人気が日本を含め世界中に広まっている。 「牛乳を注ぐ女」(1658-60) オランダの伝統的な風俗画では、この絵のように身繕い(牛乳を注ぐ、手 や顔を洗ったり、身繕いする)の構図は、女性の清さを象徴するための伝 統的な構図である。 フェルメールのもっとも著名な作品の一つで、壁、パン、籠、陶器などの 質感描写が高く評価されている。画面右下の箱状のものは足温器。フェル メールの作品には女性像が多いが、働く女中を単独で表したものはこれ1 点のみである。 この絵でフェルメールが表現しようとしたのは光と色の バランスや調和であろうか。 衣服の鮮やかなブルーは、「フェルメール・ブルー」とも呼ばれる。この 青はラピスラズリという非常に高価な鉱石を原材料とした絵の具を使用し ている。 フェルメールが亡くなった時、多額の借金があったといわれて いるが、このような高価な画材を躊躇なく使ったのが、その一因かもしれ ない。 「青衣の女」(1663-64) 1847年、アムステルダムの銀行家アードリアン・ファン・デル・ホープが 市に寄贈したもの。 フェルメールの画業の最盛期である1660年代半ばに何点か描かれた、室内 の女性単独像の1つである。画面向かって左から光が差す点は他の作品と共 通しているが、他の作品と異なり、窓そのものは画面に描かれていない。 女性は妊娠しているように見えるが、この当時の女性のファッションはふ くよかなシルエットが好まれ、厚手の綿の入ったスカートをはいているた めに妊娠しているように見えるのだという説もある。 -つづく-オランダ・ベルギー旅行(4)へジャンプ
2019年01月21日
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※コメント欄を閉じました。ブログランキング応援感謝!!にほんブログ村クラス・アクト FL、1988年作出、アメリカ・ウォリナー・ウィリアム。 花色はクリームがかった白に、ほんのりと淡いピンクのグラ デーションが何とも云えない。 丸弁平咲き、花径は10cm で中輪、房咲き性、四季咲き性。 花弁数20枚程度の花びらが、黄色いおしべを包んでいる。 花びらが厚いので、雨に少々打たれても大丈夫である。 樹高0.7m、横張り性、葉には光沢があり、伸長力が旺盛 である。 ウォリナー・ウィリアムは、 自らの園芸場を経営した後、ハ ワード&スミス社で作出者として活躍し、1963年ジャク ソン&パーキンス社に移り研究所長を務める。 1980年 にはラブ、オーナー、チェリッシュでAARS(ALL-AMERICA ROSE SELECTION)を総なめにした。 ブロードウェイミュージカルの『クラス・アクト』が良く知 られているが、花名との関連は分からない。※4月10日 オランダ・ベルギー旅行(3) 09:00 ホテルを出て、バスはアムステルダム市街地 へ向かう。 30分後にアムステルダム国立博物館に着く。 大きな垂れ幕の、「青い服の娘」が人目を惹いている。 1885年完成のこの博物館は、東京駅のモデルにもなっ たアムステルダム中央駅の設計者、カイペルスによるもの だそうだ。 現在大改装中のため大部分が閉館中であるが、幸いフィリ ップス棟で、有名なレンブラント、フェルメール、フラン ス・ハルス、ヤン・ステーンの絵画など、オランダ黄金時 代のハイライト作品が鑑賞できる。 博物館のそばで下車し、小さいが素敵な門をくぐって中へ 入る。 館の入り口頭上に、「RIJKSMUSEUM」とあるが、地 元では、「レイクス」と親しまれているようだ。 館内の最初の展示室で、まずチューリップの繪が目に入る。 流石オランダ、ここでもチューリップの出迎えを受け、嬉 しくなる。 チューリップの花束(1639年) ハンス・ボロンヒール(1600~1660年)の作品。ここに 描かれている花(チューリップ・バラ・アネモネ・カー ネーション)は同時に咲く花ではないので、画家の想像 で描かれたものだろう。 チューリップがもてはやされ、球根の値段がつり上がる 「チューリップバブル」がはじけた後に描かれたものだ けに、画家の思いを想像せざるを得ない。 チューリップ・バブル(チューリップ狂時代とも)とは、 オランダで1637年に起こった世界最初のバブル経済事件 である。オスマン・トルコから輸入されたチューリップ の球根に人気が集中し、異常な高値がついた。その後価 格は100分の1以下にまで下がり、オランダ諸都市は混乱 に陥った。 -つづく-※画像は下記をクリックして下さい。オランダ・ベルギー旅行(3)へジャンプ
2019年01月20日
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※コメント欄を閉じました。ブログランキング応援感謝!!にほんブログ村ククー FL、作出年?、作出国フランス。 花色は黄色で、 半剣弁高芯咲き、花径10cm程度で中輪、房咲き、 四季咲き性、微香。 花名はCoucooで、人名だろうか。coucou なら、友達に対する呼びかけの言葉とか。※4月9日~10日 オランダ・ベルギー旅行(2) 迎えのバスが遅れ、約20分待たされた。 発車後、間もなくハイウェイ へ入って行く。 良く整備され、しかも通行料は無料というのが有り難い。 何分オランダは、道路・橋梁に関しては古くから日本の指導者である。 長崎に日本最古のアーチ式石橋がある。 寛永11年(1634)に架設 された眼鏡橋で、オランダの指導によるものである。 さて、バスはアムステルダム市街地を通り過ぎて、郊外へと入って行く。 だだっ広いところに、ぽつんと1軒だけこぢんまりとしたホテルが建って いた。 Mホテルである。 市街地へはタクシーを利用するしかなさそう だ。 ということは、今夜はホテル内でのんびり過ごすしかない。 ホテル内に入って見ると、「薪の暖炉」が何ともいえない、いい雰囲気を 醸し出している。 暖かく迎えてくれた感じが嬉しい。 翌朝06:30モーニング・コール、07:00朝食へ。 連泊のため、 スーツケースを部屋の外に出す必要はない。 バイキング方式で、ついい つもの2倍も持って来てしまった。 コーヒーを3杯も飲んで、何とか平 らげる。 -つづく-オランダ・ベルギー旅行(2)へジャンプ
2019年01月19日
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※コメント欄を閉じました。ブログランキング応援感謝!!にほんブログ村クイーン・エリザベス(鶴舞公園・名古屋) グランディフローラ、1954年作出、アメリカ・ラマーツ。 花色は蕾の時は、柔らかいサーモン色を帯びたローズ色で、 開くと柔らかい桃色になる。 丸弁または半剣弁高芯咲き、 花径は10~11cmで中~中大輪、花弁数は20~25枚 で、最後は平咲きになる。弁幅は広く、弁質は優れている。 単一または房咲きになり、次々と咲き出す。 やや甘い芳香 がある。 夏の炎天下でも咲き続ける強健さを持っているため、初心者 用、花壇用のバラとして、これ以上の物はない。現在の日本 では、切り花用として栽培されることはほとんどないが1960 年代には切り花品種の代表格だった。 樹高は1.8m以上に及び、株立ちは見事である。新しい梢は 赤味を帯びたブロンズ色で、トゲも同色。 グランディフローラの代表種。 グランディフローラという 新しい系統は、本種をもって確立された。 超強健『クイーン・エリザベス』が発表されたあと、『これ はちょっと普通のハイブリッド・ティーとは違うよね』とグ ランディフローラというクラスが作られた。ところがイギリ スではこのグランディフローラはバラの正式なクラスとして 認められていなくて、FL(フロリバンダ)に分類されてい る。 1979年、世界バラ協会(World Fedration of Roses)により「名 声の間」(Hall of Fame)への殿堂入りをはたした。 1954年、作出年度に戴冠したエリザベス2世女王に捧げられた 名花。※オランダ・ベルギー旅行(1)-2007年4月9日(月)- 早朝5時半過ぎ家を出る。 JR及び名鉄電車を利用して、 中部国際空港へ7時前に着く。 早速チェックインする。 成田経由なので、富士山が見える側の席を頼む。 08:50 定刻を少し遅れ離陸する。 20分を少し経 過した時分に、辛うじて富士山を見つける。 山頂の雪が 雲と紛らわしくて、見過ごすところであった。 10:00 成田到着。 乗り継ぎをし、12:45離陸。 アムステルダムまで約11時間のフライトであるが、目の 前のTV画面で、映画を見たり適当に寝たりしている内に アムステルダム・スキポール空港に着いた。 現地時間 17:45(サマー・タイム)であった。 アムステルダムはオランダの首都で、13 世紀にアムステ ル川河口をダムでせき止めて、家屋を築いたことがこの街の 起源である。 空港入り口前で、大きな鉢植えの花達(チューリップ・ ヒヤシンス・水仙等)が歓迎してくれる感じで嬉しくなる。 オランダの気候は、名古屋の1ヶ月前の気温と聞いていたの で、コートを持参したが、全く不要な暖かさであった。 -つづく-オランダ・ベルギー旅行(1)へジャンプ
2019年01月18日
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※コメント欄を閉じました。ブログランキング応援感謝!!にほんブログ村キンカク HT、1975年作出、京阪園芸(岡本勘治郎氏)。花色は 鮮やかな黄金色で、風格のある剣弁高芯咲き、花径は12~ 15cmと大輪、四季咲き性、中香。 樹は半直立性で、樹高1.2~1.5m、強健種。 金閣寺 をイメージしたことは言うまでもない。 各地のバラ園で見ることが出来るが、京都府立植物園が特に ご当地バラとして、力を入れている。※孫とハワイへ(20)-2002.3.28- <完> 次回はオランダ・ベルギー旅行(2007.04.09~) (既発表済み分を再掲)3月28日 <五日目>(最終日)ワイキキの虹-ソウル経由帰国 06:00 起床。 昨夜早い目に寝たので、爽快な目覚 めである。 孫はまだ寝ている。 家内は既に起きて、 荷造りをしている。 昨夜もミルクだけで心配したが、ど うやら可成り快復したらしい。 ガラガラ声であるが、何 とか会話は出来る。 やがて、孫を起こし洗顔させる。 06:30 朝食。 例によりベランダで、サンドイッチ中心 の食事である。 ホットコーヒーも作る。 突然孫が「虹 だ!」と叫ぶ。 海の方をみると、ごく一部だが虹らしい ものが見える。 慌てて部屋からデジカメを持ってきて、 それらしい方向にカメラを向け、シャッターを押す。僅か 2~3分後に虹は消えてしまった。 食後懸命に荷造りを続ける。 お土産物はなるべくス ーツケースの中に詰め込む。 ワインとウイスキーは 最終空港のソウル・仁川のDFSで購入予定である。 07:20 フロントでチェックアウト。 07:50 スーツ ケースをがらがら押して、タパ・タワー傍の集合場所へ。 ありがたいことに、またまたリムジンのお迎えである。Hホテルからは我々だけらしい。 他のホテルで4人乗 せて空港に向かう。 30分もかからないうちに空港到 着である。 10:30 例により、子供連れはビジネスの次に機内に 入れるのは有り難い。 しかし、今回は窓側は確保でき ず、真ん中の3席となる。 しかも、ほぼ満席である。春 休み中だからだろうか。 11:00 過ぎほぼ定刻通り、ホノルル国際空港を離陸 する。 今日は快晴である。 滞在中は殆ど曇り空だっ たが、こればかりはどうしようもない。 一時間半後に 機内食がでる。 今回は洋食を選ぶ。 家内も体調を回 復したのか、大部分を食べることが出来た。 孫は半分 位残した。 最後になって疲れが出たのだろうか。 食後 しばらくして、横にならせる。 16:50 定刻より少しおくれて、ソウル・仁川(インチョン) 国際空港に着陸する。 乗り継ぎまで約2時間ある。 ホ ノルルでマイレージの申請を忘れたことに気づき、航空会 社のカウンターに立ち寄り手続きをする。 孫は腹が減っているようなので、レストランに向かう途中、 ワールドカップ・サッカーグッズを売っている店があり立ち 寄る。 孫は小遣いがまだ残っているので、何か買っても いいかと聞く。 勿論OKである。 チッビッコ・サッカーク ラブ員なので、目を輝かせて探している。 感心したのは、同じクラブ員である彼の兄のために、先ず 一点選んだことである。 日頃は喧嘩ばかりしているが、 外国旅行したことで、少しは成長したのだろうか。 続いて 同じような柄のシャツを自分用に買い求める。 ワールド カップのロゴが入っている。 それと、私にはなじみがない が、細長いタオルの様な物を2枚買う。 応援用に使うの だろうか。 DFSのすぐそばで、VISAカードのPRをしている韓国娘達と記念写真を撮ってもらう。 家内は韓国のりを沢山もらい、ご満悦である。 出発まで後40分くらいしかない。 慌ててレストランに行き 軽い食事をとる。 孫は一食抜いているので良く食べたが、 私と家内は機内食が出ることが分かっているので、最小限 にとどめておいた。 ゲートに行くと、既に搭乗開始をしている。 最後尾につ く。 今度は窓際の席を確保できた。 しかし、外はすでに 暗くなっている。 19:00 定刻どおり仁川国際空港を離 陸する。 例により30分後食事がでる。 私と孫はビビン バで家内は洋食である。 のんびりと食べてはおられない。 20:40 定刻より10分も早く名古屋空港に着く。 入国 審査は極めて簡単だったが、手荷物受け取り所で意外に 時間がかかった。 20分以上も待って、ようやくスーツケ ースがやってきた。 税関はフリーパスの感じで外に出る。 孫の両親と彼の兄が待ちくたびれた感じで、手を上げて いる。 孫は急に元気がでて、彼等に走り寄った。 <完>ワイキキ沖に虹が!!リムジンでHホテルへお迎え※追加画像は下記をクリックして下さい。リムジンでHホテルへお迎えへジャンプ
2019年01月17日
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※コメント欄を閉じました。ブログランキング応援感謝!!にほんブログ村キャロリーヌ・ド・モナコ HT、1989年作出、フランス・メイアン。上品な淡いクリーム 白色で、花径12~13cmで大輪、半剣弁高芯咲き、四季咲き性、 微香。 株は強健で、樹高1~1.2m位になる。 花付きも良い。 モナコ公国第一王女であり、常に華やかさあふれるキャロリーヌ王 女に捧げられ命名されたバラ。※孫とハワイへ(19)-2202.3.27-3月27日 <四日目> ディナー・Hホテル フラダンス・ショウが終わり、ひとまずホテルの部屋にも どる。 家内はやはり夕食は食べたくないと言う。 やむ なく、孫と二人でホテル内のレストランを2~3あたる。 中華料理にしようかと思ったが、超デラックス店なので 敬遠する。 ステーキはもういいと言うので、結局昼食と 同じ和食レストラン「初花」がいいということになった。 初花の店の前には、なんと行列が出来ているではない か。 昼食の時はがらがらであったが、考えてみれば 午後一時近かったので、お客もすくなかった訳だ。 迷 ったが、他を探すのも面倒なので行列に並んだ。 8番 目くらいだろうか。 5分くらい経って、店の係員がノー トをもって現れる。 サインをしておけば、順番に呼びま すとのこと。 サインをして、近くのベンチに座って順番 をまつ。 午後7時近い最も混む時間帯である。 20分くらい待っ ただろうか。 やっと呼んでくれる。 2Fに上っていき、 窓際の席に着く。 今夜がハワイで最終の夜だから、な んでも好きなものを食べなさい、と孫にいうが、孫は寿司 でいいと言う。 私は折角だから昨日に引き続いて、ロブ スター中心のシーフードを注文する。 キリンのびんビールを飲みながら、ハワイ最後の夜食を のんびりと楽しむ。 孫はじいちゃんのロブスターを見て 少し欲しいというので、「つめ」の部分を工具のようなもの で割って中身を出してやる。 孫はご馳走を食べながら、 ばあちゃんの心配をしている。 3人で食事が出来れば 最高だが、世の中色々な事が起こるものである。 食後例により、ABCストアでサンドイッチ、ミルク、フルー ツを購入する。 時間はまだ早いので、ホテル内のまだ 行ったことのない場所を回ってみる。 大きなイースター エッグが飾ってある所で記念撮影をとる。 そういえば、 今日は3月27日で31日がイースターである。名古屋で イースターを迎えることになるわけだ。夕闇迫る頃※追加画像は下記をクリックして下さい。中華料理店前で・Hホテルへジャンプ
2019年01月16日
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※コメント欄を閉じまた。ブログランキング応援感謝!!にほんブログ村キャラミア HT、1969年作出、アメリカ・マクダニエルス。 深紅色 の素敵な花を咲かせる。 剣弁高芯咲き、大輪、四季咲き性、 中香、切り花として人気が高い。 樹高1.5~1.8m、で横張り性、強健種。※孫とハワイへ(18)-2002.3.27-3月27日 <四日目> フラダンスショウ・H・ハワイアン・ビレッジ 12:20 ホテルの部屋に戻る。 家内は部屋を暗くし てベッドで寝ている。 昨夜は寝付かれなかったのだろ うか。 目を覚まし「お帰りなさい」と言ったらしいが、 よく聞き取れない。 なんと風邪を引いたらしく、声がか すれて殆どしゃべれない。 「ハワイへ来てまで、風邪と は」としばし絶句。 幸い熱はなさそうだ。 小寒い感じ の時は、長袖を着ればいいのだが、つい半袖で我慢し たのが災いしたらしい。 困ったことだが、本人は医者に行く程の事ではないと 言う。 こうした事のために、海外旅行保険を掛けてい るのだから、費用の心配は要らないと伝えるが、「寝て いるだけで大丈夫」と筆談で答える。 昼食は勿論まだ だが食欲もないとの事。 孫は腹が減って来たらしいので、家内が心配だが二人で 外に出る。 ワイキキの中心地へ行くはずだったが、ビ レッジ内にあるレストランを探す。 孫は日本食の方が いいと言うので、和食レストラン「初花」に行く。孫は 「ざるそば」を私は「かつどん」を注文する。 ウエー ターが私の前にざるそばを、孫の前にかつ丼を置いたの には苦笑した。 ばあちゃんが心配なので、食事もそこ そこに、途中でミルクを買って部屋に戻る。 家内はミルクを少しだが飲んでくれたのでほっとする。 風邪は栄養をとって、寝ていれば直るはずだが、旅先 ではどうしても不安が先立つ。 我々も別にすることは ないので、おつきあいで昼寝をかねてベッドで寝ること にする。 15:30 目が覚める。 家内はまだ寝ている。 病人 を部屋に残したまま、遠出するわけにもいかないので HHV(H・ハワイアン・ビレッジ)内で過ごすことに する。 孫もやがて起きたので、プールに行かないかと誘って みる。 勿論OKである。 早速海水パンツにはきかえ、 アロハシャツを羽織り、ビーチサンダルを履く。 丁度 家内が目を覚ましたので、プールに行くむね伝え、夕 食は何がいいか聞いてみる。 残念ながらまだ何も食 べたくないとか。 仕方がないので、冷蔵庫にパンと ミルクがあるから、出来るだけ食べるよう伝える。 エレベーターを降りたすぐの所にプールがあるから便 利である。 ビーチタオルを二人分計4枚をサインして 借りる。 プールサイドの寝椅子に一枚づつ敷く。 早 速プールに入る。 思ったより水が冷たい。 浅い側の 階段状の所から、静かに水の中に入って行く。 身を 沈めて、後ろを振り向いたところ、孫はまだ立ったま まである。 水をかけると逃げていってしまった。 監督者が一人で泳ぐわけにもいかず、水から上がり、 孫を連れてくる。 水の中に入ってしまえば大丈夫と 説得する。 暫く迷っていたが、やっと納得したのか、 恐る恐る私が差し出す手に近づいてくる。 何回か 躊躇しながら、やっと身を沈める。 日本のプールで はクロールらしきもので、10mくらいは泳げるのだが、 勝手が違うのかうまく泳げない。 バチャバチャやって いるだけである。 適当なところでプールから上がり、寝椅子に横たわる。 まさに、リゾート気分で最高である。 といって、落ち着 いて寝ておられない。 10分くらいして、またプールに 入る。 そのうち、孫はビーチに行きたいと言う。 バス タオルを返却して、ビーチに向かう。 ヒルトンのプライ ベート・ビーチではないが、専用の雰囲気である。 広々 として気持ちがいい。 もう夕方近いのでビーチパラソル をかりる程のことでもない。 プールの水より温かい気が したが、孫は水際で遊んでいて海の中には入っていかな い。 私も塩水は後始末が大変なので、浜辺で孫を見守 っていた。 急に思いだした。 18時からスーパープールサイドでフラ ダンス・ショウがあることを。 今夕はどうしても見たい。 このまま立ち寄ってもいいが、海水パンツが濡れたまま なのも気持ちが悪い。 部屋に帰って着替えた方がよさ そうだ。 孫に事情を説明して帰途につく。 途中水道で 砂だらけの足とサンダルを綺麗に洗う。 部屋に帰ると 家内は起きていたが、夕食は不要で、ショウも見ないと 言う。 シャワーを浴び、着替えをすませて、孫と2人で出かける。 プールサイドの最前列は既に満席である。 中央付近の 二列目に座る。 定刻18:00にホラが鳴り響き、トーチに 点火される。 ショウの始まりである。 椰子の木をバック に舞台もムード満点である。 流石女性達のダンスは優雅 で、目を楽しませてくれる。 男性陣の踊りは力強く、荒っ ぽく、最後はプールに飛び込んだ。 30分はあっという間に過ぎ、フィナーレは全員参加で壮観 である。 しかも、プールサイドまで挨拶に来てくれ、サービ ス満点である。 やがて、照明が消え舞台は静かに終わる。Hホテル入り口付近バス停付近を望むハイビスカス※追加画像は下記をクリックして下さい。ハイビスカスへジャンプ
2019年01月15日
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※コメント欄を閉じます。長い間のご愛顧ありがとうございます。にほんブログ村キャプリス・ド・メイアン HT、1984年作出、フランス・メイアン。 花びらの表は 濃紅、裏がクリーム色の復色花。 花径は12cm位で大輪、 多花性、四季咲き性。 残念ながら、香りは殆どない。 メイアンは家族の名前をつけたバラをいくつか作出してるが、 これも誰かの名前を付けたものだろうか。 光沢のある葉も美しい。※孫とハワイへ(17)-2002.3.27-3月27日 <四日目> シャトル船-Hホテル ダイヤモンドヘッドを目指して、船は帰航の途につく。途中 風が出てきた。 波が高くなり、船が揺れ始める。 気分の 悪くなる人が増えてきた。 孫は平気な顔をして、外を眺め ている。 海の男である私は勿論大丈夫である。 まあ、帰 りで良かった。 来るとき、この調子だったら、とても潜航 は楽しめなかっただろう。 もっとも、潜航中は風波には全 く関係ないが。 乗船前に記念撮影をした写真を売りにくる。 $20は少し 高いと思ったが、やはり記念である。 アトランティス号の CDも付いているので購入する。 プロが撮った写真だけに、 綺麗に撮れている。 孫は一生懸命海を見つめている。 何を見ているのだろう か。 聞いてみると、海亀に会えるかも知れないという。余 程海亀が気に入ったらしいが、波が立っているので、かり にいたとしても、発見は難しそうだ。 ダイヤモンドヘッドに近づくと、左に舵を取りビーチと平行に 走る。パシフィックビーチホテル、ハイアットリージェンシィ ホテルと見覚えのあるホテルが通り過ぎて行く。 ビーチで 泳いでいる人達は小さくてよく分からない。 12:10 船はヒルトンビーチ桟橋に接岸する。 我々以外 は、全員大型バスに乗り移り、サンゴ加工工場に立ち寄る らしい。 珊瑚礁生い立ちのビデオがあり、サンゴの加工 が見られるので面白いが、土産物を売るのが主たる目的 である。 一応敬遠して、お先に失礼する。 部屋に戻る 途中、今朝チェックインした事務所に、なぜか老キャプテン のお人形が置いてあったので、孫を並ばせて記念写真を 撮る。シャトル船・アトランティス号に戻る次のグループの潜航開始※追加画像は下記をクリックして下さい。船上よりダイヤモンドヘッドを望むへジャンプ
2019年01月14日
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明日からコメント欄を閉じます。長い間のご愛顧ありがとうございます。にほんブログ村キャプテン・ハリー・ステピングス HT、1980年作出、アメリカ・Stebbings。 花色は濃いピンクで、裏弁がやや淡いのでツートンの感じ。 剣弁高芯咲き、中~大輪、四季咲き性。 ステピングスは作出者の名前であるが、身内にキャプテン がいたか、本人自身かも知れない。※孫とハワイへ(16)-2002.3.27-3月27日 <四日目> 潜水艦(3) 動いている魚達を撮影すのは意外にむつかしい。 潜水艦 も動いているから、タイミングが合わない。 深度を増すに つれ、大きな魚達も見え始めた。 黄いろと黒のトロピカル・ フィッシュも現れた。 次から次へとシャッターを押す。 第二次世界大戦の遺物だろうか、飛行機の残骸も見える。 ハワイ大学が珊瑚礁の研究用に沈めたという「ピラミッド」も 見えてきた。 大小様々な魚群に圧倒される。 運が良ければ、海亀が見られると聞いていたが、なかなか 現れない。 1996年に沈めたマグロ漁船セントぺトロ号に 近づいていく。 いたいた! 大きな海亀が悠々と泳いでいる。 まるで、竜宮城に来たような感じである。 浦島太郎の気分も 悪くない。 孫がこちらを向いて、窓の外を指さしている。 勿 論先ほどからシャッターを押し続けている。 深度計が142フィート(約40m)を示した。 どうやら海底に 着いたようだ。 砂地にウニや石ころがごろごろしていて、魚 はあまりいない。 深いからだろうか。 艦はやがて静かに 浮上し始める。 見所がどうしても、右舷か左舷に偏るので、 その都度艦を廻して、どちらも満足するよう運航している。 頭の上が明るくなり、水面が見え始めた。 11:30浮上する。 50分間の潜航を充分楽しむことが出来た。 孫も満足した顔 をしている。 気をつけて鉄梯子を上り、外にでる。 ほっとし て深呼吸する。 やはり、潜水艦内は狭いので、圧迫感があ る。 シャトル船に乗り移る。 次の人達が待機しているので、今度 は初めから、2F甲板に上る。 孫は熱心に今降りた潜水艦を 見ている。 次の人達が潜水艦に乗り移ったところで、シャトル 船は静かに動き始める。水深83ft・潜水艦内魚の群れ※追加画像は下記をクリックして下さい。海底に着く、水深142ftへジャンプ
2019年01月13日
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にほんブログ村キャスリン・フェアリー FL、1952年作出、オランダ・Buisman。 花色は 中央部が淡く、周辺が濃いピンクのグラデーションが素晴らし い。 花径は小~中輪、八重平咲き、房咲き、多花性、四季咲 き性、微香。※孫とハワイへ(15)-2002.3.27-3月27日 <四日目> 潜水艦(2) 09:50 乗船開始。 真先に乗り込む。 2F甲板に出 て見送りの家内に手を振る予定だったが、船室で説明があ るとかで、上に行けない。 船室から外は見えるが、外か ら中は見えないらしい。 予備のカメラで2F甲板に現れる であろう我々を撮影する積もりの家内に連絡しようにも、 無理である。 10:00 定刻通りシャトル船は乗客64名を乗せて桟 橋を離れる。 見送っているのは、家内ただ一人である。 だれも、2F甲板に現れないので、諦めて帰っていった。 15分くらい、救命胴衣等の説明があった。 その後やっ と2F甲板に上がることが出来た。 早速ヒルトン・ハワイ アン・ビレッジを撮影した。 宿泊中のタパ・タワーもよく 見える。 10:30頃潜水艦とドッキングする。 いよいよ待望の潜 水艦に乗り込む。 丸いハッチが開いていて、垂直に鉄の 梯子が付いている。 先ず私が降りるから、続いて注意し て降りるよう孫に指示する。 身長1m未満の子供は乗る ことが出来ない。 成る程、小さい子供は無理だと降りな がら納得した。 孫はチビなので、一年まえならむつかし かったかも知れない。 艦内には、丸い窓が32個ある。 右舷に32名、左舷に 32名の計64名乗りである。 一つの窓を2人が使用す る訳である。 潜航に先立ち2~3注意があった。 10:40 いよいよ潜航開始である。 ぶくぶくと泡が上っ て行く。 頭上の海面は見えなくなる。 前部と後部に深度 計がついており、10、15、20フィート(1フィートは約30 cm)と段々数字が大きくなる。 小さな魚の群が見えて来 た。 「じいちゃん、写真、写真」と孫がエキサイト気味で ある。出航後アトランティス号よりダイヤモンドヘッドを望む宿泊中のホテル群※追加画像は下記をクリックして下さい。アトランティス号内でへジャンプ
2019年01月12日
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にほんブログ村キモノ FL、1961年作出、オランダ・de Ruiter。 花色 は淡い黄色で、盃状咲き、花弁数40枚、四季咲き性、強香。 花名は、日本の着物をイメージしたことは間違いない。 オランダの国花はチューリップであるが、バラの栽培も盛んで ある。 現在、大温室での切り花用のバラ栽培に力を入れてい る。 全てコンピュータ管理で、そのテクニックの半分は日本 から到来したとのことである。※孫とハワイへ(14)-2002.3.27-3月27日 <四日目> 潜水艦・ワイキキ沖(1) 07:30 起床。 さあ、今日は待望の潜水艦に乗る日だ。 孫が最も期待するイベントである。 日本で経験することは まず不可能である。 朝食もそこそこに、部屋を出てビーチに向かう。 09:20 チェックインなので、まだ30分以上ある。 既に泳いでいる 人もいるが、人影はまばらである。 水際で子供達がベニヤ板 で作ったボードで楽しんでいる。 サーファー予備軍といった ところか。 09:20になっても、桟橋のゲートは開かない。 10分後係員が鍵を持ってやってくる。 チェックインの場所 を聞くと、桟橋ではなくてホテルにあるとか。 どうやら我々 だけがヒルトン滞在者で、他のグループはそれぞれのホテルへ 迎えに行くらしい。 桟橋からホテルの方に戻り、それらしい場所を見つけてチェッ クインを完了する。 シャトル船の出港は10:00とのこと。 それまで桟橋で待機である。 先ずはお決まりの記念撮影であ る。 ダイヤモンドヘッドをバックにプロのカメラマンが撮っ てくれる。 家内は既に何回か経験しているので、今回は孫と 私の二人の参加である。 我々の撮影が終わったところで、後 続のグループがやってきた。 間もなく、潜水艦へ我々を運んでくれるシャトル船が入港して きた。 思ったより大きい船である。 200人くらい乗れそ うだ。 出港までまだ15分くらいある。 船から航海士らし い船員が降りてきて、先頭にいた孫になにか言っている。 ど うやら、ついて来いということらしい。 なにごとかと私も一 緒について行く。 桟橋の一角の手すりに、何か箱がとりつけられている。船員は 紙コップの中へその箱の中から餌を入れて海にばらまいた。 海には海藻が見えるだけである。 しばらくして、何処にいた のかもの凄い数の魚たちがやってきた。 続いて孫が餌をや る。 面白いほど集まってきた。何事かと大勢の人達がやって きて驚いている。 早朝のビーチ・Hホテル前早すぎて残念! 桟橋へのゲートはまだ閉まっている9時半やっと開門、潜水艦へのシャトル船「アトランティス号」がやってくる※追加画像は下記をクリックして下さい。桟橋への通路へジャンプ
2019年01月11日
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にほんブログ村キボウ HT、1986年作出、京成バラ園。 花色は真紅で、 裏弁が一部クリーム色なので、ツートンの感じ。 丸 弁高芯咲き、大輪、四季咲き性。 名前通り、希望を与えてくれる素敵なバラである。※孫とハワイへ(13)-2002.3.26-3月26日 <三日目>(13)ワイキキ夜景 ショーが中止となったので、タクシーで出かけたのでは 早すぎる。 思いきってザ・バスで行くことにした。ホテ ルのすぐ前にバス停がある。 ワイキキ方面のバスは 次から次へと来る。 二人分3ドルを支払って乗り込む。 子供は無料である。 レストランの場所の見当は大体 ついている。 といって目印のビルが見えてからでは 遅いので、一応「トレードセンター・プリーズ」とド ライバーに頼んでおく。 トレードセンター近くのバス停で下車する。 お目当て のレストランはすぐ傍のはずが、簡単に見つからない。 無理もない、2年半前に一度きただけだから。 チラシ を見せて聞いてやっと分かった。 予約時間より少し 早かったがOKである。 結構混んでいるが、日本人は 殆どいない。 先ずはバドワイザーとジュースを注文して、メニューを 眺める。 孫はステーキを、私と家内はロブスターを中 心としたシーフードを頼む。 思っていた通りボリューム 満点である。 本当は2人分を3人で食べればよかった が、今晩は頑張って食べるぞと意気込む。 孫は肉が大好物だが、こんな分厚いステーキは初めて なのか、悪戦苦闘している。 家内が手助けして、切り分 けてやって、やっと何とかなる。 腹一杯になったので、 楽しみにしていたデザートはなしである。 レストランを出て、あたりを見回すと道路の反対側にIMP (インターナショナル・マーケット・プレース)の明かりが 見えた。 このマーケットがワイキキのど真ん中にオープン したのは1957年というから、もう45年も経っている。 屋台から専門店まで実に種々雑多な店が100軒以上あ る。 中心はポリネシア商品だが、その名の通り、フィリピ ン、台湾などのアジアからの輸入品を扱う店も多い。 朝 から深夜まで観光客が絶えることがない。 面白い物が沢山あり、値段もそんなに高くはないのでつい 買いたくなるが、我慢我慢である。 衝動買いは禁物であ る。 孫にも本当に買いたい物だけ手に取って見るよう 注意しておく。 つい癖で、別に買う気も無いのに手にとっ ていると、うまく押しつけられてしまうから、要注意である。 30分くらいぶらぶらして、再びザ・バスに乗る。 帰りは 簡単である。 20:30 ホテルに帰着する。 いつものようにABCス トアに立ち寄り、明日の朝食の準備をし、ホテル内の様子を 見て回る。 オープン・テラスでライブを聴きながらアフタ ーディナーを楽しんでいる人達もいる。 今日は疲れた。 21:00に部屋にもどり、シャワーを浴 びて早い目に就寝する。夕宵迫るころ・Hホテル前のビーチビーチの傍クヒオ通り・ワイキキ※追加画像は下記をクリックして下さい。クヒオ通り・ワイキキへジャンプ
2019年01月10日
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にほんブログ村カンパイ HT、1983年作出、京成バラ園。花色は真紅、花径は13cm 位で大輪、剣弁高芯咲き、四季咲き性、整った花姿をしている。 樹高は1.5m程度、1983年ローマバラ国際コンクールで金賞 を受賞。※孫とハワイへ(12)-2002.3.26-3月26日 <三日目>(12)ハナウマ湾-Hホテル 可愛い小鳥たちと一緒に遅い昼食をとる。 2,000人以上 の人達がビーチにいるとは思えない静けさである。 腹が 減っていたこともあって、あっという間にランチ終了である。 孫がパン屑を集めて小鳥にやっている。 いつの間にやら 鶏までが来ている。 お迎えのマイクロバスが来るまで、まだ少し時間があるの で、もう一度崖の上で記念撮影をする。 先ほど泳いだ場 所をのぞき込むと、多数の魚達を確認できた。 14:45 全員集合する。 その時家内はゴザを忘れたことに気づ いたが、下まで行く時間はもう無い。 ままよと、バスに乗 り込む。 再びココ・マリーナのショッピング・センターで下車する。 指示に従い、大型観光バスに乗り換える。 どうやら、ハ ナウマ湾の駐車場は大型バスの規制が厳しいらしい。 2台目のマイクロバスの人達が乗ったところで出発である。 帰りはヒルトンは最後になる。 16:00頃ホテルに到着 する。 18時のフラダンス・ショウまでまだ2時間もある。ショー の後、今夜はご馳走を食べることにし、ガイドブックや街中に あったチラシで検討する。 孫は肉類、家内と私はシーフー ドが好きなので、ステーキ&ロブスター・レストランを選ぶ。 電話で19:00、3名の予約をいれる。 英語オンリーには 参ったがなんとか通じたらしい。 孫と私はベッドで横になる。 疲れていたせいか、あっとい う間に寝込んだらしい。 17:45起こされる。 孫はもう 少し寝ていたかったようだが、ショーが始まるので急がせる。 18:00すこし前に、スーパープール傍のいい場所を確保 する。 しかし、なんたることか、雨が降り始める。トーチ は点火され、出演者もスタンバイである。 夏ならシャワー でざーっと降って5分もしないうちに止むが、この時期はだ らだら降るので始末が悪い。 案の定10分後に中止決定 となる。 残念だが、明晩を期待するしかない。ハナウマ湾を望む崖の上で記念撮影※追加画像は下記をクリックして下さい。崖の上で記念撮影・ハナウマ湾へジャンプ
2019年01月09日
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にほんブログ村カレン(可憐) FL、1995年作出、京成バラ園。 花色はアプリコットで、 中央部が濃く、周辺部が薄くなるグラデーションが素晴ら しい。 半八重咲き、中輪、四季咲き性。 1995年、JRC銅賞を受賞※孫とハワイへ(11)-2002.3.26-3月26日 <三日目>(11) ハナウマ湾(2) 食事は上の駐車場に行かなければ無理なのであきらめ先ずは 目の前で泳ぐことにする。 孫はすでにシュノーケルをつけ、 フィン(足ひれ)まではいている。 フィンを着けたままで は砂の上を歩きにくいので、手でもって行くよう指示する。 さて、いよいよお待ちかねの魚達とのご対面である。 アジ を大きくした魚が泳いでいるが、そんなに多くはない。 二 年半前は魚群の中に人がいるという感じだったのに、様子が 変わったのだろうか。 水際から5mくらいの所に立ってい たが、更に沖合へと進んで行く。 幸い遠浅なので心配する ことはない。ただ、珊瑚礁を踏まないよう注意する必要があ る。 いたいた! 30~40cmくらいの魚がうようよしている。 孫はエキサイト気味である。 水に潜った方が当然よく見え るので、潜ろうとして、はたと困った。 シュノーケルは初 めてなので、色々と試みるが、どうも旨くいかない。 やむ なく近くにいた女の子に教えてもらう。 孫はすぐおぼえて、 楽しそうに潜っている。 私は息を吐く時と吸う時のタイミ ングがうまく合わない。 面倒なので素潜りにする。 やが て、色鮮やかなトロピカル・フィッシュもやって来た。孫は 綺麗な魚が通る度に、顔をあげてその場所を教えてくれる。 時々ビーチに上がって休憩する。 ばあちゃんは崖の下で、 荷物の留守番である。 孫と二人で時の経つのも忘れるくら いであったが、13:00ちかくになると、やはり腹が減っ てきた。 半日くらいビーチにいたかったが、やむなく上が ることにする。 孫は簡単に着替えることが出来るが、大人 はそうもいかない。5分くらい歩いて脱着衣所で着替える。 再びシャトル・バスに乗って上がって行く。 上りは確かに ありがたい。 歩けばきついことだろう。 13:20駐車 場の近くのベンチを確保する。 トレーラーでホットドッグ を売っているようだ。 家内と孫が行列に並び10分後に帰 ってきた。ビーチもいいが、この付近も心安らぐ場所である。 何という名か知らないが、雀をすこし大きくしたような、頭 が赤い可愛い鳥が食卓にやってくる。 魚も鳥もやけに人な つっこい。いい環境の元にあると、いじめないから共存でき るのだろうか。シャトルバスで昼食のため上へ駐車場近くのテーブル・ハナウマ湾※追加画像は下記をクリックして下さい。駐車場近くで・ハナウマ湾へジャンプ
2019年01月08日
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にほんブログ村ガルテンツァウバー’84 FL(フロリバンダ・ローズ)、1984年作出、ドイツ・コル デス。 花色は鮮紅色で、半剣弁高芯咲き、花径は8 ~10cm、花弁数は22~25枚で、四季咲き性。 フロ リバンダ系としては大輪である。 5~10輪の房咲きとなり、花保ちが良く、退色しない特 徴がある。樹形は半横張り性で、高さは80cm位とHT としては低い。 葉は密に繁り、よくまとまる。 芽出しは紅色、成葉は濃 緑色の半光沢があり、葉脈がはっきりしている。 葉の 縁が波打つ。※孫とハワイへ(10)-2002.3.26-3月26日 <三日目>(10) ハナウマ湾(1) ダック号はハワイ・カイからココ・マリーナ・ショッピング・ センターに向けて陸上をはしる。 ハワイ・カイは比較的 新しい住宅地で、その中心となっているのがショッピング センターである。 センターは木造二階建てで、入り江沿 いに並んでいるところから、ウオーター・フロント・ビレッジ とも呼ばれている。 センターの事務所前で下船(車)す る。 ツアーガイドはここまでである。 2Fに上がり、ハナウマ湾について説明がある。 先ず、 ビデオを見る。 2年半前の夏休みに孫の兄を連れて来 た時の事を懐かしく想い出しながらTVを見る。 説明が 終わったところで、各自3枚のチケットを受け取る。 2枚 はシャトル・バス用、1枚はシュノーケル・セット用である。 11:00 過ぎ今度はマイクロバスに分乗して、ハナウマ 湾に向かう。 小さな丘をひとつ越えるだけだから、大し て時間はかからない。 15分後憧れのハナウマ湾の駐 車場に到着する。 同じ場所に14:45迎えにくるというこ とで、一応自由行動となる。 早速崖のうえから、ビーチを撮影する。 孫は沢山の魚 がいると興奮しているが、私にはよく見えない。 一般の 観光客はここまでである。 入場券売り場には大勢の人 達が並んでいる。 ツアー代金とは別に3ドルの入場料が 必要である。 13歳未満は無料とか。 入場後そのまま 歩いて降りてもビーチまで10分とかからないが、折角無 料のチケットを持っているので、シャトル・バスに乗ることに する。 10分以上も待たされてやっと乗り込む。 スタート すれば3分後にはビーチである。 さて、シュノーケル・セットをかりに行かねばならない。ビデ オを真面目に見ていなかったのでまごつくが、建物は殆ど ないので見当はつく。 家内は不要とのことなので、私と孫 の2人分をかりる。 フィン(足びれ)は靴のサイズを申告す ればOKである。 二年半前と同じ場所に陣取り、早速ゴザ を敷く。 目の前は、青い透明な海、白い砂浜、そして黒く見えるの は珊瑚礁である。 なるほど、「太平洋の楽園」そのままの 風景がいまも残されている。 おそらくオアフ島で最も美し い入り江だろう。 キョロキョロ見渡しているうちに、食品や スナック・飲料類を売っていた売店が無くなっているのに気 がついた。 これは大変ランチが食べられない。ダック号はココ・マリーナ・ショッピングセンターへ向かう、近くの入り江。ハナウマ湾※追加画像は下記をクリックして下さい。シャトルバスに乗るため行列へジャンプ
2019年01月07日
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にほんブログ村カリネラ HT、1973年作出、フランス・メイアン。 カリーナの枝変わりで、 花色はカリーナより明るいピンク色であるが、褪色すると白っぽくなる こともある。 剣弁高芯咲き、中輪、蕾は初め丸く、花色が見えだす頃 から長くなる。 枝変わり親のカリーナに比べ、弁質がやや薄いために、雨に弱いとき もあり、芳香もカリーナに比べるとやや少ない。(突然変異には種々の 変異があるが、枝変わりはその一つ)。※孫とハワイへ(9)3月26日 <三日目>ダック号海へ動物園に近いところで全員揃う。 最後に乗った6人は屋根 の中に入れない。 後部オープン・デッキで我慢してもらう。 カピオラニ公園の傍をダイヤモンドヘッドへ向けて走る。こ こは、毎年12月第二日曜日に行われるホノルルマラソンのゴ ールである。 15,000人以上の人達が参加するというか ら凄い。 TVで見たことがあるが、実に楽しそうに走っている。 競技というより、ハワイ特有のお祭り意識が強いようだ。 さて、車は高級住宅地へと入っていく。 進行方向右手、つま り海側は文字通りプライベートビーチ付きの高級個人別荘地 である。 入り口にガードマンがいて、しかも彼の住宅も入り 口近くに用意されている。 海まで数百mはあるだろう。億万 長者の2桁上の人達の所有物だろうか。 左手の丘の上には 高級住宅が並んでいる。 道路の途中にやはりガードマンが いて、居住者か招待状をもった人しか入れない。 シュワちゃ んの別荘もあるらしい。 途中で雨が降り出した。 後部デッキの人達があわてて屋根 の下へと入ってくる。 やむなく2人のところが3人がけと なる。車のワイパーが手動式なのには驚いた。 これで、本 当に海の中へ入れるのか心配になる。 10:10 ハワイカイの大きな駐車場へと入っていく。駐 車場の向こうは海である。 スロープがあって、車は静かに 降りて行く。 緊張の一瞬である。 思いの外、簡単に浮か んだ。「やった!」と叫びたくなる。 孫は必死に手すりを つかんでいる。 立派に船であることが立証された。しかし、 雨はますますひどくなる。 女性だけにポンチョが配られた。 数が足らなかったので仕方がない。 孫は持参のバスタオル をかぶっている。 それにしても、波しぶきがかからないの が不思議である。 後で調べて分かったのだが、ここはマル ナルア湾で、前方の山の向こうがハナウマ湾である。 2本 のポールの間を船が進む。 どうやら珊瑚礁を避けているら しい。 15分航行したところで帰路につく。 沖合ではパラセイル 楽しんでいるようだ。 スキューバ・ダイビングの基地もあ るとか。 25分の航海を楽しみ先ほどのハワイカイの駐車場へ上陸で ある。 幸い雨は止んだようだ。 またまた緊張の一瞬であ る。無事上陸し、期せずしてドライバーへ感謝の拍手が沸く。動物園の近くで最後の6名が乗り込むダック号海へ※追加画像は下記をクリックして下さい。緊張の一瞬!、ダック号海に浮かぶへジャンプ
2019年01月06日
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にほんブログ村カリーナ HT、1963年作出、フランス・メイアン。 花色は 濃い目のピンクで、半剣弁高芯咲き、花径は12~13 cm程度、花弁数は40枚位で、弁質は非常に良く、多 花性、四季咲き性。 ダマスクの強香が特徴で、丈夫で花保ち、花付きが良く、 切り花に適している。 1960年代より活躍している、デンマーク出身の映画 女優「アンナ・カリーナ」がいるが、花名との関連は分 からない。※孫とハワイへ(8) 3月25~26日 <二~三日目> ダック号 19:30 タパ・タワー17Fの部屋にもどる。疲れたこと もあって早く寝ることにする。 といっても、入浴しなければ ならない。 先ずお湯をバスタブに入れようと、ノブを廻すと 頭からシャワーを浴びてしまった。 どうもホテルの水回り は苦手である。 慎重に色々と試みてやっとやり方が分か る。 孫を風呂に入れ、私もすませて就寝したのは20:30であ る。少し早いが明日はメインイベントのハナウマ湾行きで ある。 思ったより、ぐっすり眠れて06:30起床。 やはり 日の出の撮影は無理であった。 孫はまだぐっすり寝てい る。 昨夜ABCストアで巻きずしとサンドウィッチを買って おいたので、朝食はコーヒーとお茶を沸かせばOKである。 07:30 孫がやっと起きる。「今日はハナウマ湾だ」と いうと、顔を輝かせて早速水着の用意をしている。 用意と いってもあらかじめ水泳パンツをはいておけばいい。その 他用意するものはバスタオルくらいである。 例によりベラ ンダでささやかな朝食をとる。 ツアーの集合は09:30である。 幸い集合場所はタパ・ タワーを降りたすぐの場所なので助かる。 予約チケットを もってはいるが、誰が迎えにくるのかは分からない。念のた め旅行社のバッジを胸につけておく。 相手は流石プロで ある。 「Mr. Miya...?」と英語で聞いてくる。 チケットを見せると、向こうの車に乗れという。 向こうをみ るとなんと古色蒼然とした変な車ではないか。 「ダック・ツ アーズ」と車体に書いてある。 いやはや目立つ車だ。 どう やら60年前第二次世界大戦で使用した水陸両用車とのこと。 話には聞いていたが見るのは初めてである。 躊躇する家内と 孫をせきたてて、先ずは記念撮影である。ホテルの他のグルー プが眺めていて、恥ずかしそう。やがて、ヒルトンの別のタワーから一家族4人が乗り込んで 出発である。 出発間際にツアーガイドさんが到着でほっと する。 ドライバー君は全く日本語が話せないからである。 車はワイキキの各ホテルを回りツアー客を拾う。 カラカウ ア大通りを走るときは、注目の的である。 トロリーバスは 見慣れた人でも、ダック号には驚いて眺めている。 パレー ドの主人公になった気分で沿道の人達に手を振る。 孫は 困ったような顔で小さく手を振っている。 ビーチ夜景・Hホテル前ホテルのベランダから海を望むワイキキ市街地夜景※追加画像は下記をクリックして下さい。ワイキキ市街地早朝へジャンプ
2019年01月05日
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にほんブログ村カネジェム FL、1985年作出、ベルギー・R.V.S. 花色は 朱赤色、花径は10cm位で中輪、丸弁高芯咲き、房咲き、 多花性、四季咲き性。※孫とハワイへ(7)3月25日 <二日目> Hホテル・ワイキキ 目の前には広々とした青い海、左側にはワイキキビーチとホテ ル群、そしておなじみのダイヤモンドヘッドが望める。 右手に は大きなラグーン(塩水の湖)があり、ビルの陰になっているが その向こうはアラワイ・ヨット・ハーバーである。 何回来ても、 この眺めは見飽きることがない。 一日中ビーチパラソルの下 で、横になってのんびりと過ごしたいものである。 孫は水際で貝殻を拾っていたが、日本のように簡単に見つから ない。 ぼつぼつ飽きたとみえて、他を探検したいという。 ビー チを歩いて桟橋に向かう。 この桟橋は明後日乗る予定の潜水 艦へのシャトル船専用である。 夜のディナー・クルージングの 遊覧船は、アラモアナの西側のアロハタワー・マーケットプレース の埠頭から出航している。 もう夕方近いとあって、潜水艦の潜航は終了し、桟橋の途中の ゲートは閉じられている。 やむなくラグーンの方へ引き返すが どうも砂浜は歩きにくい。 水際から可成り離れている舗装道路 を通る。 17:30 西の方が曇っているので、どうやら夕陽を撮影するの は無理のようだ。 遅い昼食だったが、軽かったせいか、腹が 減ってきた。 ワイキキの中心地まで出るのは面倒だし、ホテル 内で夕食をとることに衆議一決し、適当な所を探す。 ABCスト アのそばにラーメン屋さんがあった。 孫に聞くとOKとのこと。 店はカウンター式で15人くらいしか入れない。 ラーメン、チャー ハンを各一人分、餃子を2人分注文する。 ラーメンが$8とは 高いと思ったが、現物を見て納得する。 なにしろ日本の1.5 倍はある。 チャーハンしかりである。 奮発してキリンの生ビールを飲みながら、ゆっくりと食事をする。 思ったより味はいい。 20分くらいして店の外に行列ができたの には驚いた。 早い目に来たのは正解であった。 過半数は日本 人であるが、外人さんも結構いる。 待っている人があると、のん びりしてはおられない。 いつものペースでかき込んで、支払いを すませて外にでる。 もう一度、ビーチに向かってぶらぶらしていると、スーパープール でフラダンス・ショウをやっている。 トーチをともして幻想的な感じ である。 なんとか正面のいい場所を見つけて座ったとたん、ショウ は終了し深々とおじぎをしている。 そばの人に聞いてみると、毎 晩6時からやっているとか。 明日の晩はショウを見てから夕食で なければならない。 潜水艦へのシャトル船専用桟橋夕暮れのビーチ(Hホテル前)※追加画像は下記をクリックして下さい。夕暮れのビーチへジャンプ
2019年01月04日
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にほんブログ村カナディアン・ホワイトスター HT、1980年作出、カナダ・Mander。 花色は純白で、 裏弁にピンクの斑点が僅かにあり、アクセントとなってい る。 剣弁高芯咲き、大輪、四季咲き性。 花名通り、まさにカナダを代表する白バラである。※孫とハワイへ(6)3月25日 <二日目> Hホテル・ワイキキ さて、室内を見渡したところ、スーツケースは来ていないし、 トリプルを予約したのに、ダブルベッドが2つあるだけで、 子供用が足りない。 早速旅行社のデスクに電話をする。 ベッドは2時ころ、スーツケースは暫くすれば届けるとのこ と。 といった所で腹が減ってきたのに気づく。 1Fのレス トランに行っても良いが、まづは「ABCストア」を視察する ことになる。 エレベーターで降りていく。 なぜか1はなくて、Lである。 ロビーの意味だろうか。 おなじみのABCストアはすぐ分か った。 それにしても、ヒルトンにまで店をだせるとは大した ものである。 ワイキキ全体に何十店舗あるのだろうか。 日本人にとって、なくてはならぬ店である。 朝食はパンだ ったので、助六とざるそば、カットフルーツを買う。 部屋に 戻り、ベランダで昼食をとる。 ささやかな食事ではあるが、 気分は最高である。 コーヒーポットでお湯を沸かせるの で、持参のティーバッグでお茶を出す。 13:30フルーツ付きのランチを終える。 午前中の説明会 では、ぐったりしていた孫が食後急に元気がでる。 すぐに でも、プールに行きたいとのこと。 ベランダから下を覗くと タパプールで楽しそうに泳いでいる。 しかし、明日ハナウマ 湾に行くので、体調を整えなければならない。 よくいい聞か せて、ひとまず昼寝するよう勧める。 大きなダブルベッドで あっという間に寝込んだ。 余程疲れたのだろう。 間もなく 子供用のベッドが持ち込まれた。 スーツケースは出かけて いる間に来ていた。 孫と家内はすやすやとお昼寝である。 シャワーの操作は確認で きたし、他にすることはもうない。 子供用のベッドといっても、 結構大きいので昼寝したくなるが、待てよ、たしかマニュアル には時差呆け防止には我慢して昼寝しないほうが良いとあっ た。 人を寝かせておいて、自分一人起きているのも心苦しい が、我慢しTVを見ることにした。 TVの音声を大きくし過ぎたためか、1時間後家内が目を覚ま す。 昼間寝過ぎると、夜寝られなくなるので孫も起こす。 し かし、簡単には起きない。 やむなく、「プールだ!」と叫ぶと 慌てて飛び起き、水泳パンツにはきかえようとしている。プー ルを見に行くだけだと説得するのに一苦労する。 15:30 部屋を出て、ホテル内の探検にでかける。 従来は 15:00チェックインのため、眠いのを我慢して市内観光をし たものだが、12:00チェックインはありがたい。 真っ先に 旅行社のデスクに行き、明後日の潜水艦の予約をする。 ハナウマ湾と違って、この方は簡単にOKである。 カードで 支払いをする。 便利になったものである。 昔は可成りの 現金をウェストポーチに入れて歩いたものだ。 部屋には金 庫があるので、パスポートはその中にいれコピーを持ち歩い ている。 ビーチの方に向かって歩いていると、小さな池があり何とペ ンギンがいるではないか。 こんな暑いところで大丈夫なの だろうか? 池の中では亀が泳いでいる。 囲いがないので 逃げ出さないか心配になる。 子供達には人気のスポットで ある。 引き続いて歩いていると、大きなプールが見えてきた。 ワイ キキのプールの中で最大級を誇るスーパープールである。 その広さはなんと929平方米とか。 周囲は椰子の木に囲ま れ、トロピカルムード満点である。 スーパープールの向こう に、広大なビーチがひろがっている。 ワイキキの中心地の ビーチとちがって、超混雑していないのが良い。 ただし、堤 防がないので、波があるときは要注意である。 子供はやは りプールのほうが無難である。 憧れのレインボウ・タワーを背に写真をとる。 孫がシャッター を押したので多少斜めになったのは残念。 風景の素晴らし さに、しばしみとれる。ペンギンが逃げ出さないか心配になる(囲いが全く無い)・Hホテル・ワイキキ※追加画像は下記をクリックして下さい。レッド・ジンジャー・ペンギン池の傍でへジャンプ
2019年01月03日
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にほんブログ村カトリーヌ・ド・ヌーブ HT、1981年作出、フランス・メイアン。 このバラはフランス の名女優の名に恥じない、大人びた深い香りと、洗練された整った花 形を誇る。 花色は花弁裏が黄味を含んだオレンジ朱色、半剣弁咲き、 花径約13cmで大輪、花弁数30枚、四季咲き性、中香。 樹高1~1.2m、半横張り性。 丈夫で育てやすい品種。※孫とハワイへ(5)3月25日 <二日目> Hホテル・ワイキキ リムジンは我々8名をのせてスタートする。 大きさの割に乗 り心地は流石である。 やがてハイウエイに入って行く。 見 覚えのある景色や建物が流れていく。 曇り空でもうひとつ、 スカッとしないのが残念である。 聞くところによると、ゴー ルデンウイーク明けにならないと夏バージョンにならないとか。 車は我々が泊まるホテルの前を通りすぎてワイキキに入ってい く。 考えてみれば、今回は久しぶりにソウル経由のツアーに したので説明会があるわけだ。 カラカウア大通りを左折して とあるビルの前に着く。 ここで全員下車する。 B1Fのツ アーデスクへと降りて行く。 既に80名くらいが集まってい た。 早速説明会が始まる。 孫は疲れたのか居眠りしている。 チェックインは12時なので、時間つぶしをかねて聞くしかな い。 ぽさーっと聞いているうちにハナウマ湾の話になり、急に緊張 する。 というのは、孫にとって最大のお目当ての場所だから である。 彼の兄を2年半前の夏休みに連れて来てやったとき、 多くの魚と一緒に泳いだ感激を弟に何回も話して聞かせたのだ ろうか。 火曜日は清掃のため休みである。 最近ビーチへの 入場制限があり、一日2500人とか。 予約が出来るか心配 になる。 説明会が終わるやいなや、真っ先にハナウマ湾に明 日行く予約を申し込む。 10分後OKとのことでほっとする。 早速支払いをすませ予約券をもらう。 11:40再びリムジンに乗り込む。 5分後にホテルに着く。 憧れのH・ハワイアン・ビレッジである。 降りたのは 我々3人だけで、残りの4人は引き続きリムジンで観光らしい。 旅行社がチェックインをすませてくれていたので、部屋の鍵( カード)を貰う。 何分予算の都合で、部屋指定無しとしてい たので、この時初めてタワーが分かったわけである。 ○ルト ンには有名なレインボウ・タワーをはじめ計6つのタワーがあ るが、我々はタパ・タワーである。 35階の立派なタワーで 気にいる。 車を降りたところが運良くそのタワーの前で、早 速エレベーターへと向かう。 なんと19階までが4台、20 階以上が4台と計8台もある。 我々は17Fである。 部屋 は落ち着いた感じで、しかも豪華である。 ベランダに出てみ ると海が見えるではないか。 やった!と飛び上がりそうにな る。Hホテル・エントランスブーゲンビリア※追加画像は下記をクリックして下さい。レインボー・タワー・Hホテルへジャンプ
2019年01月02日
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明けましておめでとうございます。にほんブログ村カグラ(神楽) HT、1998年作出、広島バラ園。 花色は表弁が深紅、 裏弁がクリーム色の複色で、何とも華やかな色合いで ある。 半剣弁高芯咲き、大輪、四季咲き性。 花名は、華やかな神楽舞をイメージしたものだろうか。※孫とハワイへ(4) 3月24-25日 <一日~二日目> ソウル-ホノルル ソウル市内観光の最後はお決まりのお土産品店である。 2Fは 紫水晶の加工メーカーである。 日本産のものより、色が濃く、 硬度も可成り高いとか。 孫が彼の母ちゃんのために、お土産を 買うとかで色々と迷っている。 家内が応援しているようだが、 なかなか決まらない。 私は宝石類は苦手なので、片隅でインス タントコーヒーを飲んで待っていた。 約15分後にやっと決ま ったらしい。 小さな赤い包みを孫は嬉しそうに持っている。 1Fでは、きむちと韓国のりが中心である。 ハワイに行く途中 に買っても仕方がないので、素通りする。 日本に宅急便で送る とか強調していた。 土産物屋を出て、再び観光バスに乗る。 仁川国際空港に着いた のは、18:00頃である。 直ちに解散し、それぞれ出国審査 場に向かう。 手荷物の検査は日本より遙かに厳しい。 一時間 半後に機内に入る。 例により真っ先に入れるのはありがたい。 20:10 ほぼ定刻通りに、仁川国際空港を離陸しホノルルに 向かう。 一時間後に夕食が出てくる。 私はまたまたビビンバ を頼み、家内と孫は洋食である。 午前中と違って時間は充分あ る。 赤ワインを飲みながら食事を楽しむ。 食事を終わったの は22:00近くである。 食後のコーヒーを飲んでいると、「 ベルト着用」のサインが出る。 と同時にガタガタ揺れ始める。 孫を見ると、鉛筆を片手にもう眠っている。 日記を書くと張り 切っていたのに無理のようだ。 鉛筆を取って、ベルトを確認し そのまま寝かせておく。 揺れは益々ひどくなり、これはえらいことになったと思ったが、 どうしようもない。 一寸油断した隙にコーヒーカップが飛び 上がり、通路に落ちてしまった。 まあ、他の人を汚さなかっ ただけ良しとしなければならない。 10分後にやっと元に戻 る。 こんなひどい揺れは初めての経験である。 日付変更線を通り過ぎ、現地時間05:30頃だろうか、東の 空が明るくなり始める。 真っ暗では不安だが、少しでも明る くなると、ほっとする。 昨日は3月24日(日)で、今日も 24日(日)である。 つまり、日曜日を二回体験する訳であ る。 なんとも不思議な気がする。 08:30 「間もなくホノルル空港に着陸する」旨のアナウ ンスがあり、下を覗いてみると雲の間から紺碧の海がみえる。 やがて、エメラルドからグリーンに変わっていく。09:00 定刻より少し遅れてホノルル空港に着陸する。 家族連れの入国審査は極めて簡単である。 バッゲッジ・クレ イムでスーツケースを受け取り、税関を通って外に出る。果た して旅行会社は迎えに来ているのだろうか。 胸に小さいバッ ジをつけているだけである。 相手は流石プロである。「Mさ んですか」とすぐ見つけてくれた。 しかも、お迎えはなんと リムジンではないか。スーツケースは別便でホテルへ運んでくれるとかなので、とに かくリムジンの中に乗り込む。 孫は初体験とあって車内をき ょろきょろ眺めている。 ブランディグラスを持ち上げたので、 慌てて止めさせる。 先ずは車内で記念写真を撮る。 我々3 人だけの筈はないので暫く待つ。 5分後別便で到着した、女 子大生5人が入って来た。 卒業旅行とか。 リムジンは初め てとみえて、エキサイトしている。 空のコップを手に乾杯し ている感じのところを、カメラを借りて撮ってあげる。ソウル市内半日観光を終え、再びインチョン空港に帰ってくるインチョン空港※追加画像は下記をクリックして下さい。大○航空・インチョン空港へジャンプ
2019年01月01日
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