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京都府庁前に車を泊め、予備校時代によく通ったレストラン白扇に行きました。十数年ぶりだから潰れていないか心配でしたが(笑)、ちゃんと営業してました。十数年前からボロかった看板。店内は十数年前からレトロな感じ。メニューも値段も変わってないんじゃないの?何度もいいますが、この店は十数年前から、すでに古かったんです。その当時で”築50年?”とか思わせるような佇まいでした。十数年たった今、再び訪れてみると、十数年前から全く変わってないんですよね。十数年間少しも劣化せず、十数年間時間を止めていたかのようでした。当時から仲間内では美味しいと評判で、足しげく通っていたんですが、一時期の洋食ブームの波にも乗らず、ひっそりと営業をつづけるこの店に、ほとんど顔を見せないにも関わらず、いつも暖かく迎えてくれるお婆ちゃんのような親密感を感じました。日本一の紅葉を見たいなら・・・京都の紅葉
2006.11.30
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京都府庁前で一枚パチリ。離れて暮らすと分かるけど、京都のよさって観光地とか寺社仏閣じゃないんですよね。街に緑が多い。だから、街中にいるだけで、四季を感じることができる。だから京都が好きなんだ。日本一の紅葉を見たいなら・・・京都の紅葉
2006.11.30
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高雄―嵐山パークウェイで一枚。高雄の紅葉を愛でたあとは山間の道を走り、嵐山まで直通です。1,150円(だったかな?)で秋もゆる山々を眺めながら、次の目的地まで行ける。12月初旬まで限定の京景色。日本一の紅葉を見たいなら・・・京都の紅葉
2006.11.29
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桂川へと注ぎ込む清滝川が流れる。その脇にモミジが真っ赤に色づいて、出迎えてくれる。12月初旬まで限定の景色。日本一の紅葉を見たいなら・・・京都の紅葉
2006.11.29
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高雄は秋の京都の中でも最もきれいな場所のひとつ。金閣寺道から竜安寺の前を抜け、仁和寺を越えた角で右に曲がる。しばらく田舎道を走ると、突然モミジに囲まれる。「うわぁ~~~」と、ため息が漏れる・・・日本一の紅葉を見たいなら・・・京都の紅葉
2006.11.29
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北山杉と紅葉(もみじ)のコントラストが美しい。>>心のふるさとへ。京都の紅葉
2006.11.28
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高雄の秋はすでに山全体を彩る。>>秋を見つける旅。京都へ。京都の紅葉
2006.11.28
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森の精霊も冬支度。>>森の精霊に会いに行こう。京都の紅葉
2006.11.27
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三千院でお抹茶とお茶菓子がいただけます。ほっこりとした時間:¥500>>風流を楽しむための旅京都の紅葉
2006.11.27
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三千院の庭の苔は、数ある京都の寺院の中でも1,2を争うと思う。。。>>秋の京都はもうすぐどこかへ・・・京都の紅葉
2006.11.27
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京都大原三千院の紅葉は今がピーク。毎年見てるけど、この美しさは写真では表せない・・・(僕の写真技術が低いとの話もあるが(笑))>>今ならまだ紅葉に間に合う
2006.11.27
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坂の上の雲司馬遼太郎先生の「坂の上の雲」を読んで愕然!何で日本の社長の愛読書であるこの本がこんな内容なのだ!?詳しくは昨日の日記はっきり言ってこの本。すばらしい本です。日露戦争時代の日本を書き綴ったものですが、組織とはどうあるべきかを熱烈に感じ取ることができます。その中で司馬先生がおっしゃるには・実力主義で構成した組織はいい結果を残せる。・派閥を鑑み、政権に気を使いながら構成した組織はボロボロ。であるそうだ。もっと深いメッセージも含まれているのだが、おおむねこのような流れで物語りは進行する。でもね。日本の会社組織って、ぜんぜん実力社会じゃないやん。いったい世の社長たちはこの本から何を学んだのだ?社長ってこの程度のものか?って思ってがっかりした覚えがあります。。。(ま、僕が理解できてないだけかも知れませんが)で、次に読んで衝撃を受けた、これが僕の人生の方向性を変えたと言っても過言ではない!金持ち父さん貧乏父さんま、ベタですが(照)熱く語るほどでも無いっすね・・・
2006.11.22
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会社を辞めた”表”の理由についても少し触れたいと思います。”表”だから明るくね元々、独立心は強かったと思います。入社したとき、「社長になってやるーーー!!!」って思ってたぐらいですから(笑)で、僕が真剣に会社を辞めようって思ったのは結婚してから。嫁に言わせれば「結婚する前に言えよ」って話ですが、それは言っても仕方ない。で、なんで結婚してから思ったかっていうとね。結婚してから読書するようになったんです。あんまり意味分からないっすか?独身のころは寮に住んでました。会社から歩いて2分。8:20が定時なのに、8:13に目が覚めて会社に間に合ったことがありましたから(笑)で、結婚してから電車通勤するようになったんです。電車の中では暇です。読書するようになったんです。最初に読みはじめた本はこれ。坂の上の雲司馬遼太郎先生の「坂の上の雲」です。なんでこの本かっていうと、日経ダイアモンドとかの社長インタビューとか見てると、「あなたの感銘を受けた本はなんですか?」ってアンケートがあると、十中八九「坂の上の雲」って答えてたんですよね。まさに社長御用達。「社長が『坂の上の雲』を読んでない会社は東証一部上場させてやんない」なんて国会で決まってるのではないかと、半ば本気で考えたぐらい、判を押したようにその本をみんな推してたんですよね。社長を目指す僕としては当然読まねば!ってなわけで読み出した。だけど読んで愕然!!!何でこんな内容の本を社長が読んでんだ!?つづく
2006.11.20
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前にも書きましたが先月の末に沖縄に行ってきました~~実は明日からも台湾に行くのですが、とにかく沖縄です。もう行きからチケットやクーポンが入った一式を忘れて、てんやわんやだったのですが、とにかく沖縄を満喫することが出来ました。まず言える事。沖縄って日本じゃない!(笑)こういう風に書くと沖縄の人に怒られるかもしれませんが、本当にそうです。僕は学生のころ、北海道から鹿児島まで日本一周したことがあるので日本のほとんどの土地の空気を感じたことがありますが、沖縄だけは全く異質です。独特の空気です。風がとても気持ちいい。とにかく日常を忘れさせてくれます。沖縄に行くのは今回で4度目ですが、行く度に思うのは、沖縄に行くと何かが抜けるんですよ。ふーーーっと。多分、都会で溜まった毒が抜けてるんですよね。とにかく楽しかったっす!ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー僕は会社辞めちゃってるのでお金さえあればいつでも沖縄に行けます。まあお金なんてなくても【行く!】って決めたら大概行けるんですが・・・でも会社勤めしてると、そう簡単に事は運びません。有給申請するだけでも相当なエネルギーを要します。他にも、そんなにたくさん休みを取れないから、土日を挟んだスケジュールにしなくてはならない・・・でもそれだと値段があがるからなるべく安い時期にしないと・・・なーんて考えてると、行く前から嫌になっちゃいます(><)それで結局いつまでたっても行けないまま・・・沖縄(じゃなくてもいいけど)に行きたい!って思ったら、「沖縄に行く!」って決めればいい。そして言っちゃう。「俺、来月沖縄に行くんだ~」なんて(笑)そしたらもう行くしかない!もしくはどうしても行かなくてはならない状況を作り出す。無理やり出張を入れるとか。「市場調査です!」みたいな(笑)もしくはジ・アッタテラス クラブタワーズみたいな超高級リゾートの宿泊券を当てるとか(笑)当たっちゃったら仕方ない。行くしかない。一泊3万円もするようなリゾートホテルの宿泊券を無駄になんて出来ない。きっと課長も小言の一言だけで行かせてくれると思います(^^)今、JCBのキャンペーンでジ・アッタテラス クラブタワーズもしくはザ・ブセナテラスの宿泊券が当たるみたい。年会費無料のカードを作るだけでも抽選に参加できるのが嬉しい。>>JCBのキャンペーンはこちらから超高級リゾートで最高の癒しを。。。
2006.11.10
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話術と強硬な態度だけでは誤魔化しが効かなくなってきた。もうすでに誤魔化しが効かない。大体、実績も何も仕事してないのだから、成果なんてあるはずもない。僕は仕方ないから仕事をすることにした。ある程度の結果は出さないと、会社員としてさすがにマズイ。しかし長期間の仕事放棄から、僕の体質は全く変化してしまった。もう仕事を受け付けない体になっていた。それは思っていたよりも深刻で、僕の体は文字通り仕事を受け付けなかった。仕事を始めても、10分も続かない。と言うよりもスケジュールすら立てられない。仕事をするのが自分の、何か大事なものを捧げているような気がして、とても勿体無く思えてくる。ある日は仕事のことを考えただけで吐き気がした。ある日は理由もなく悲しくて、失恋した女子高生のようにおいおい泣いた。今思うと病気だったのかもしれません。そのときは全く気づきませんでしたが・・・うつ病の始まりって、ああいう状態なのかもしれない。そんなこんなで辛い毎日を送っていましたが、年末の成績考課の時、これでは半期の業務報告が全く出来ないと思い、また成果が出ていない自分を曝け出すのがたまらなく耐えられなくなり、、、課長に辞意を伝えました。特に慰留されたわけでもありませんでした。まあ辞めるんじゃないかと思っていたよって言われました。取締役連中は僕が辞めるのを惜しんでくれました。社長などはわざわざメールをくれて「君の退職はわが社の損失」とまで言ってくれました。さらに後輩たちも、僕が辞めることについてとてもショックだと言ってくれました。僕が去ることについて悲しんでくれる人、惜しんでくれる人がいただけ僕にとっては幸せでしたね。そんなわけで、僕は会社を去りました。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~と、まあ暗い話を続けましたが、この話は僕が会社を辞めることになった裏の理由です。ただただ、嫌になって辞めたわけではなく、きちんと表の理由もありました。簡単に言うと、金持ちになりたいとか、独立して自分の手でやっていきたいとか、ありきたりな理由です。僕は辞める前、そして辞めてしばらくは、僕の心の中には表の理由しか存在しませんでした。だから会社を辞めるときは、本当に晴れ晴れとした気分で辞めていきました。僕は前向きに、もっと金持ちになるために、自分の足だけで歩んで行くために、会社を辞めました。そのつもりでした。でもね、僕の心の中には、今回書いたような裏の理由がちゃんとあったんです。それを今まで僕は、自分の中でひた隠しにしていた。それに最近、気がついたんです。自分の心に嘘をついていたんですね。その清算のために今回、このようなことを書きました。きちんと清算されたかどうかはこれからの僕次第なのでしょうが、少しは心の中のゴミを掃除できたような、そんな気がします。
2006.11.09
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こうして相変わらず周りの評価は保ちつつ、仕事をほとんどしない日々が続いた。仕事しなくても評価が上がるという特異な状況に置かれたら人はどうなるか?まず仕事を真面目にすることがバカらしくなってくる。”労働力を提供して対価を受け取る”のが労働の基本である。労働力を提供しなくてもお金がもらえると、労働力を提供するのがもったいなくなってくる。周りの人間が全員バカに見えてくる。”なんでこんなにみんな一生懸命働いているんだろう?”って哀れに、可愛そうに思えてくる。会社にいいように使われて、ボロボロになって、家族との時間も削られて・・・僕はこのころ本気でみんなが可愛そうに思えていた。そして、会社を辞めたくなり、その気持ちを正当化するようになってくる。元々辞めたいって気持ちはあったのだが、ますます辞めたくなってくる。周りが、特に上司や経営者連中がバカばっかりに見えてくる。こんなヤツらの下で働くのは自分にとってマイナスであると思えてくる。今思うと労働者として、社会人としてクズである。しかし当時は本気で、僕が正しく、周りの人間がクズだと思っていた。特に会社に忠誠を尽くす、もしくは忠誠を尽くした振りをして仕事もないのに遅くまで残業するような人間を心の底から蔑んでいた。(実際には本心から会社に忠誠を尽くす人間など皆無であったが・・・)そしてそういう人間もまた、僕を嫌うようになった。そのようにして毎日を過ごしていた。会議では相変わらず偉そうなことを言って、仕事はサボり、一日全く仕事をしない日が週の半分を占めることもあった。そんなとき、いつものように会議があった。そのとき、すでに報告する内容がないことに気がついた。あたりまえである。ほとんど全く仕事もしてなかったのだから。言われたことを、自分で決めた期限よりも早くこなしてただけのこと。本来は何も言われなくても自分から仕事をするのが当然。こんな僕に何か報告できるような結果があるわけない。今までは話術と強硬な態度だけでやりすごしてきたのだ。つまり誤魔化していた。でももう誤魔化しが効かなくなってきた。
2006.11.03
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僕の評価は仕事をしなくても上がっていった。会社なんて屁でもない。何もしなくても評価があがるのだから・・・僕はそう考えるようになりました。そんなとき僕に、いや僕のチームに転機が訪れます。僕の課に退職者が出て、その穴埋めを僕の後輩がやることになったのです。十分仕事も出来るようになったし、重要なポストでも問題なくこなせるだろうとのことから。彼は僕から離れるのは不安だと言ってくれましたが、彼が上手くやれること、そして彼にとってもチャンスであると言うことから、後押ししました。再びやってきた僕一人の仕事。まあ、後輩がやってきたことだから、難なくこなせます。でも真面目にやるのもバカらしい。このころ僕は真剣に独立を考えだしていましたので、真剣に仕事する気は全くありませんでした。(今思うと本当にバカです。)僕は以前のように”仕事が出来るが意見も言う有能な社員”を演じました。具体的には、まず仕事を振られれば、自ら期限を決めます。それが3日でできる仕事なら「一週間以内にやります。」という感じに、実際より長い期間を設定します。3日で出来る仕事を一週間に設定することによって、無能に見られないか?なんて心配があるかもしれませんが、大体、自ら期限を設定する人なんて会社には皆無です。みんな守れなかったら困るので、あやふやな期限しか設定しません。そこを自信満々で期限を設定する。「若手バリバリ自信満々有能社員」の一丁揚がり。そしてそれを5日でやるのです。元々3日で出来る仕事ですので、こんなのは簡単に出来ます。でも周りから見れば「一週間でやると自ら設定したものを、5日でやるとは・・・」と驚いてくれます。他には会議では積極的に発言し、自分しか知らない知識を、健康食品メーカーの営業マンのように大げさに話したり、少しの結果で報告書を何枚も作成したりして、自分の”有能さ”をアピールしました。その一方、報告書作成・市場調査と偽りインターネットに耽ったり、出張をなるべくたくさん入れ昼からで十分間に合う出張に朝から出かけたり、他部署に出かけて人と世間話をしたりして、サボれる時間を最大限サボるように勤めました。こうして相変わらず周りの評価は保ちつつ、仕事をほとんどしない日々が続いたのです。
2006.11.02
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この後、僕の物語からI部長は退席願うことになります。僕の会社員人生を大きく舵取りしたI部長をこのままフェイドアウトさせてしまうのは勿体無いので、ここで彼の顛末を書きたいと思います。彼はその後、急速に人望を失うことになります。彼の会議での発言力は次第に衰えていき、だんだんと部下も言うことを聴かなくなってきました。今までは過去の遺産(つまり若いころの実績)で大きな顔をしていただけであり、上司としての資質が無いことに、皆が気づき始めたのです。そんなころ彼に転機が訪れます。製造部長への人事異動です。(今までは技術部長)製造部長から海外支社の社長を経て社長に就任するという、いわば出世街道。彼も、人望は失われつつあるとは言っても、出世コースに乗っかっていたのです。しかし製造部でも人望はありません。人望が無いからといって、どうにかなるようなタマではないのですが、技術部では周りにイエスマンしか配していなかったのに製造部では古参課長を始めとして、I部長の言うことを聴く人は誰もいませんでした。人望ばかりか、生気までどんどん失われていくI部長。(ちなみに僕はこの時点で退職しました。)さらに、そんな彼にも再度転機が訪れます。社長への規定路線のタイ支社長の就任です。製造部であまりいい思いをしてこなかった、しかも出世コースまっしぐらとあれば渡りに船です。二つ返事で快諾し、タイ支社長に就任しました。しかし待っていたのはさらに辛い現実。彼に何があったのかは、すでに退職してしまった僕にとっては伝え聞くことしかできません。ただ、彼はタイ支社長就任3ヶ月でなんと一週間も行方をくらまし、その後一日だけ挨拶に出社して、突如日本に帰国したそうです。名目上は「体調不良のため」ということになってますが、もちろん「逃げた」のです。言葉の壁、習慣の壁、そんなものに意外と弱い彼の精神はもろくもズタボロになってしまったのです。しかも一週間も無断欠勤をするような人間をタイ支社長においとけるはずもなく、彼はそのままタイに帰ることはありませんでした。その処分は二階級降格という厳しい処分で、今は閑職に追いやられているとのことです。今までI部長との確執をつづってきましたが、僕は今、I部長に恨みの気持ちはありません。そういう彼の不幸を耳にして最初に湧き上がった感情は「ざまぁ見ろ」よりも「やっぱりな・・・」です。彼はいずれ失墜すると僕は思っていましたから。むろん、退職する直前まで憎んでおり、心の中で蔑んできましたが、今は本当に気の毒であると思います。若いころは本当によく仕事をし、若手のリーダー的存在で、皆から愛される人だったようです。そして実績をたくさん残し、今の会社の技術の礎を築いた数人のうちの一人と言っても過言ではありません。それが金に権威に目がくらみ、人望を失い、このような結果になったのですから。そして今では感謝しています。僕は彼のおかげで幾分強くなったと思います。そして会社を辞めるきっかけになった。会社を辞めて正解だったのか、失敗だったのか、今の段階では分かりません。ですが、いずれ僕はサラリーマンという職業から退職していただろうし、今の段階で経済的に成功しているわけではありませんが、早くそのステージに立てたことが僕の財産になると思うのです。それが結果的にいい方向に向かうなら、I部長は僕の恩人なのかもしれません。ありがとう、I部長。そして心より、あなたの復活と活躍を願います。
2006.11.01
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