非常に適当な本と映画のページ

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2025.01.05
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カテゴリ: 洋画




 1982年公開のアメリカのアクション映画。
 ランボー・シリーズの第1作に当たる。
 シルヴェスター・スタローンが主演。
 ディヴィッド・マレルのデビュー小説「First Blood、邦題:一人だけの軍隊」の映画化作品。
 社会から孤立したベトナム帰還兵ランボーと、偶々街を訪れた流れ者というだけでランボーを排除しようとした保安官との戦いや、「ベトナム戦争によって負ったアメリカの傷」を描いている。
 本作はスタローンにとって「ロッキー」に続く当たり役で、アクションスターとしての地位を不動のものとした。
 本作は単なる娯楽追求のアクション映画とは異なり、現実のアメリカのベトナム帰還兵の姿と重ね合わせたストーリーとなっていて、他のシリーズ作と比較すると非常に重いテーマの作品となっている。
 原題は「First Blood」。



粗筋

 1981年12月のワシントン州。
 ベトナム帰還兵ジョン・ランボー(シルヴェスター・スタローン)は、ベトナム時代の戦友を訪ねて山間の田舎町に徒歩でやって来る。
 しかし戦友は、戦争で浴びた化学兵器の後遺症で癌を患い、既にこの世を去っていた。
 ランボーは愕然とし、戦友宅を後に。
 食事を取ろうと徒歩で側の街へ入ったランボーに、保安官ティーズル(ブライアン・デネヒー)が声を掛ける。
 ティーズルは、ランボーの風貌からトラブルを起こす厄介者だと一方的に判断し、街を素通りして出ていけと高圧的な態度で告げる。
 単に食事の為に立ち寄りたい者を追い出す法律なんてあるのか、とランボーは反論。
 それに対し、ティーズルはこの街は俺の管轄なので、俺が法律そのものだ、俺がお前の様な浮浪者は街に入るべきでないと判断したのだからそれに従え、と言い返す。
 ティーズルはランボーをパトカーに乗せ、市街地の外れへと追い出す。
 それでも来た道を戻り街へ入ろうとするランボーを、ティーズルは公務執行妨害とサバイバルナイフ所持で逮捕し警察署へと連行する。
 警察署の取調室に入れられたランボーに、ベトナム時代に囚われの身になった時の体験がフラッシュバックする。
 取調べに当たる保安官助手らは、沈黙してしまったランボーに対し、非協力的だと見なして態度を硬化させる。小突いたり、消防ホースからの噴流を浴びせたりする等、拷問じみた嫌がらせを行う。
 ランボーが首に掛けていたドッグタグから判明した名前を照会したところ、彼がベトナム帰還兵で、特殊部隊グリーンベレーに所属していた、という事実を知る。が、保安官助手の大半はベトナム帰還兵なんて赤ん坊を殺し捲っていただけだろう、とあざ笑い、ランボーを手荒く扱い続ける。
 保安官助手らがランボーの髭を剃ろうと羽交い絞めにし、シェービングクリームも付けずにその顔へ剃刀を近付けた瞬間、ランボーの脳裏にベトナムで受けた拷問の様子が鮮烈に蘇ってくる。
 ランボーは反射的にその場にいた保安官助手全員を素手で叩きのめし、サバイバルナイフを奪い返して山中へと逃走する。
 ティーズルは部下を率いて山狩りを開始し、絶壁まで追い詰める。
 しかし、ヘリに搭乗して追跡していた保安官助手が、数時間前に叩きのめされた腹いせに独断でランボーの射殺を図る。
 身を守ろうとしたランボーは、石ころを掴んでヘリに投げ付ける。
 石ころは風防ガラスを直撃。
 操縦士がそれに驚いた為ヘリは大きく傾き、保安官助手は転落。命を落としてしまう。
 ランボーも、これには流石に動揺し、崖の上のティーズル達に「これは事故だ、彼を殺すつもりは無かった」と投降の意思を示す。
 が、死んだ保安官助手の独走を知らないティーズル達は発砲で応じる。
 これをきっかけにランボーは反撃へと転じ、グリーンベレー仕込みのゲリラ戦で保安官助手らを1人ずつ無力化。最後に残ったティーズルの喉元にナイフを突き付けて「この山では俺が法律だ」と言い残し、山奥へと姿を消す。
 ティーズルは、負傷した部下を病院に送る為一旦麓へ戻る。
 事は大事になり、州警察と州兵が出動し、対策本部が設置される。
 そこに、国防総省から派遣されたサミュエル・トラウトマン大佐(リチャード・クレンナ)が現れる。自分はランボーのベトナム時代の上官だったと明かし、ゲリラ戦に於いてランボーがどれだけ優秀な兵士であるかを語る。被害を最小限に抑える為、一旦ランボーから手を引いて山から自ら下りる様促し、別の街へ移動して逃げ切ったと油断してガソリンスタンドかどこかで働いているところを改めて逮捕すればいい、と提案する。
 しかし、自身の管轄内で自身の手でランボーを捕える事にこだわるティーズルは、大佐の案を拒否。
 ランボーを説得する為、大佐はベトナム時代のコールサインを使って無線で呼び掛ける。
 応答したランボーは、ベトナム時代の戦友らが彼を除いて全員死んだと伝え、先に仕掛けてきた(first blood)のは保安官達だと告げ、投降の意思は無い、と述べた。
 夜が明け、追っ手に見付かったランボーは根倉にしていた廃坑に駆け込むが、州兵によって包囲される。
 銃撃戦が始まった。
 が、職業軍人でない為戦闘慣れしていない州兵らはランボーの戦闘力に恐怖を抱き、ティーズルの生け捕りにしろという連絡を無視し、坑道にロケット弾を撃ち込んでランボーを生き埋めにしてしまう。
 崩れ落ちた廃坑を見て、州兵、州警察、ティーズルは、ランボーは死んだと確信する。
 その夜、ティーズルは、トラウトマン大佐に対し、ランボーをこの手で捕らえる事が出来なかったのは残念だ、と語る。
 トラウトマン大佐は、お前らがやった事は野蛮で無責任だった、と抑制気味に批判する。
 ティーズルはそれに激怒。ではどうすれば良かったのか、ランボーがお前の前に現れてきたらどう対応していたのか、抱擁して温かく迎え入れたのか、と問い詰める。
 仮定の話には応じられない、とトラウトマン大佐は返事するだけだった。

 死んだと思われていたランボーは、実は間一髪で坑道の奥に跳び込んで生き延びていた。坑道の中をひたすら進み、遂に出口を見付けて地上へと脱出する。通り掛かった州兵のトラックを強奪し、荷台にあったM60機関銃と弾薬を携え、夜陰に乗じて再び街へと姿を現す。
 ランボーは、ガソリンスタンドや鉄砲店を爆破する。
 街は一大パニックになり、保安官助手らはその対応に追われる。
 ガソリンスタンドや鉄砲店の爆破は単なる陽動作戦だ、ランボーの狙いは警察署と俺だ、と悟ったティーズルは、自動小銃を手に警察署の屋上に上がり、ランボーがやって来るのを単独で待ち構える。
 ランボーは、ティーズルの読み通り警察署に現れる。電源を断った後、、M60機関銃の連射を浴びせた上で警察署に忍び込む。
 ティーズルは屋上の天窓越しに、署内に踏み込んできたランボーを襲撃するが、返り討ちにされ、重傷を負って屋内に転落する。
 ティーズルに止めを刺そうとするランボーの前に、トラウトマン大佐が現れる。
「周囲は完全に包囲され、200丁のM16自動小銃がお前を狙ってる。もう助かる見込みは無い。投降しろ。戦いは終わった」と告げるトラウトマン大佐に、ランボーは「まだ終わっていない! 戦争は続いている!」と絶叫する。そしてその口から、戦争終結から7年経った現在でも続くトラウマと悲劇が語られる。
 ……ベトナムから帰還した直後に空港で戦争を知らない一般人から浴びせられた反戦デモの罵声。ベトナムの戦場には助け合える友人が大勢いたのに、祖国アメリカでは誰も助けの手を差し伸べてくれない。100万ドルの兵器を使いこなした歴戦の勇士にも拘わらず、祖国アメリカでは駐車場の警備員といった仕事にすら就けない。戦友が靴磨きを装って近付いた子供の自爆テロによって爆死した件も、今なお悪夢として自分を苛む。その戦友とは、戦争が終わったらラスベガスで愛車を乗り回して馬鹿騒ぎしようと約束していたが、もう永遠に果たせない。
 ランボーはベトナム戦争を回顧しながら、まるで子供の様に泣きじゃくる。
 凄惨な事件の背後にある悲劇を知ったトラウトマン大佐は、ただランボーを抱擁して受け入れるしか出来なかった。
 ランボーは投降し、救急車で搬送されるティーズルを横目にトラウトマン大佐により連行される。
 これで、事件は漸く終結する。



感想

 ランボー・シリーズの記念的な第1作。
 制作や公開の段階でランボーがシリーズ化され、ランボーがアクションヒーローの代名詞になるとは、スタローン自身予想出来ていなかったと思われる。
 本作が無かったら、アメリカのアクション映画はどうなっていたのか、スタローンは現在もハリウッドスターでいられたか、と思ってしまう。

 本作は原作小説をほぼ忠実に映像化しているが、最大の違いはラスト。
 原作小説ではランボーはティーズルの手により死んでしまい、続編の余地が無いものになってしまっている。
 が、本作ではランボーは最終的に投降するので、続編の可能性を残した。どういう経緯でこの判断が下されたのかは不明。制作が始まった時点では死なせるつもりだったが、死なせるには勿体無い、と誰かが言い出したのか。

 原作小説に忠実な為、戦闘だけでなくサバイバルの描写(サバイバルナイフに備わっている方位磁石の多用、傷の応急手術、衣服の制作、松明作り、食料の為の狩り等々)、以降のシリーズ作ではあまり深堀されない部分も描かれているのが興味深いと言える。
 ランボーも、特殊な訓練を受けてはいるものの不死身の存在としては描かれてはおらず、結構負傷してその激痛に悶えるシーンが盛り込まれているのが特徴である。
 ランボーがどの程度優秀な特殊部隊員だったのかも疑問。
 本作では無数の敵を相手に戦いを挑んでいるが、全員が戦闘に於いては素人に毛が生えた程度。ロケット弾を使っていた州兵に至っては、こんな連中に兵器を持たせて大丈夫なのか、と疑ってしまうくらいの素人集団だった(「午後には薬剤師の仕事に戻らなきゃならないんだ」という台詞がある事から、パートタイム軍人らしい。州兵が当時も今もこの程度なのかは不明)。
 素人相手なので、ある程度の戦闘経験があれば一方的に負かせるのは当たり前で、元グリーンベレーという肩書が無い者でも務まったかも知れない。
 続編では冷酷に殺し捲るランボーだが、本作では誰も殺さずに終わっている(ヘリの保安官助手は勝手に転落死しただけ、と見なさなければならないが)。
 同胞のアメリカ人は殺さないが、それ以外は躊躇無く出来る、という事らしい。

 ストーリー展開の為に止むを得なかったのかも知れないが、何故ティーズルがランボーを街に踏み込ませない事にこだわったのかが分かり辛い。
 ベトナム帰還兵に対し偏見が当時はあったのだろうが、ランボーは単なる通りすがりで立ち寄っただけで、居付くつもりは無かったと読み取れた筈。食事を済ませて街を後にするのを黙って見守る事が何故出来なかったのか。
 この街は俺の縄張りで、俺で持っている、俺こそが法律だ、……の意識が強過ぎたのかも知れない。
 その奢りが今回の事件に発展したのだから、自業自得と言えなくもない。
 保安官としては自意識過剰だが、保安官であるが故にランボーの生け捕りにこだわり、射殺してしまった方が手っ取り早いと主張する部下や州兵らを制止する場面も多い。保安官として有能だったのか、無能だったのか。
 少なくとも、部下をしっかり統制出来ていない点を観ると、保安官としては二流だった様である。保安官助手らはランボーに対し拷問めいた暴力を勝手に振るうし、ヘリに搭乗した保安官助手はあくまでもランボーの居所を掴むに留めろと命令されていたのに無視して独断でランボーを狙撃しようとして転落死。治安組織として全く統制されていない。上司のティーズルが勝手な行動を繰り広げるから、部下等も勝手に行動するのは当たり前。保安官助手の中で唯一まともなのは新米の一人だけ。それもまだ他より腐敗し切っていないからだけで、もう少し場慣れしたら他と同様、勝手に行動を取る様になっていたと思われる。
 ティーズルを頂点とする治安組織は、ある意味町ヤクザそのもの。
 警察組織自体、昔の町ヤクザを合法化・制度化・肥大化していったものに過ぎない事を改めて認識させる。
 街の者に気さくに話し掛ける等、ティーズル本人は自分は街に愛され、人望があると信じ切っている様だが、実際にどこまで人望があるのかは疑問である。
 本作ではあまり言及されていないが、原作小説ではティーズルは朝鮮戦争での戦争経験がある、という設定になっている。ランボーと対峙している内に自身の朝鮮戦争での体験がフラッシュバックして、ベトナム戦争経験者のランボーとの対決に飢える様になり、トラウトマン大佐の提案も無視して戦いに挑む、という描写があるが、本作でそれがどの程度反映されているのかは不明。ラスト辺りはその要素は見受けられるが。
 ティーズルを好演したブライアン・デネヒーは、アメリカでは有名なバイプレーヤーで(本作でブレークしたと言える)、映画・テレビ・舞台で幅広く活動しており、高く評価され、様々な賞でノミネートされていた。が、惜しい事に賞とは無縁で、2020年に81歳で受賞歴の無いまま他界している。

 本作の原題で、原作小説のタイトルでもある「First Blood」は、「先に手を出す行為」「先制攻撃」という意味合いになり、ランボーの言い分に寄ると先に手を出したのはティーズルだ、という事になっている。
 ただ、ティーズルからすれば、厄介者を早めに街から追い出したかっただけで、高圧的な態度であったものの最初から危害を加えた訳ではない。
 街の外にまで送り出してやったのに、戻って来たのはランボーの方なので、「先に手を出した」と非難されても、という事になる。
 何故ランボーが執拗に街に入ろうとしたのかも不明。
 空腹だったのでただただ街で食事を取りたかっただけ、という事だったのかも知れないが、余所者を街全体で拒む雰囲気だったら、「お前に食わせる飯は無い」と店から叩き出されていた可能性だってある。
 ティーズルも、「俺なんかまだマシだ。街の連中はもっと排他的だぜ」という意味で「街に入るな」と忠告していた可能性も。
 ランボーは、ベトナムから帰還してから7年間であちこちで厄介者扱いされていたと思われ、今回の扱いも初めてではなかっただろう。街から追い出された時点で、「ここも俺みたいな奴を拒むのか。仕方ない。次へ行くか」と冷静に割り切る事が出来なかったのか、と思ってしまう。
 それで終わっていたら小説や映画にならないけど。

 州警察や州兵らが招集された時点で、トラウトマン大佐が派遣される。
 まるでこの瞬間を待っていたかの様に。
 トラウトマン大佐は元上官としてランボーの唯一の理解者、という設定になっているが、どこまでの理解者なのかね、と疑わざるを得ない。
 ランボーが帰還してから7年間、特に気に掛けていた様子は無い。
 ランボーが何度か連絡を入れようとしたが、忙しくて対応出来なかった、と認めているくらい。
 また、ランボーが帰還した他の仲間(同じくトラウトマン大佐の部下だったと思われる)は全員死んでいて、残っているのは自分一人だ、という報告に対し「それは知らなかった」とも答えている。全く知らなかったのが事実だとしたら「帰還した元部下らのその後の生活なんて知った事ではない」という事になってしまう。知っていたがランボーにはそう告げなかった可能性もあるが、遺族の態度からして特に何か配慮を示していた様子も無いので、矢張り「帰還した元部下らなんて知った事ではない」という事になる。
 トラウトマン大佐は殺人マシーンとしてのランボーしか知らず、帰還してから深く病んでいた人間ランボーは全く知らず、興味も無かった、としか言い様が無い。
 ランボーはそれでも元上官に信頼を寄せるが、本当に信頼に値する人物なのかね、と思ってしまう。

 本作ではランボーは身寄りが無く、帰還してから7年間彷徨い続けた、という事になっているが、第4作のラストでは実家に戻り、第5作では実家を舞台に戦闘を繰り広げている。
 帰還してから7年間、実家に立ち寄らなかったのか。
 立ち寄ったが馴染めず実家を後にして放浪していたのか。
 もし実家でじっとしている事が出来たら、こんな事件は起きていなかっただろうに。
 本作と第5作で、ランボーの家族構成の設定が変わってしまっただけかも知れないけど。

 本作が制作された1980年代前半は、ベトナム戦争の後遺症がまだ色濃く残っていて、米軍兵らに対する風当たりが最も強かった時代。
 作中でも述べられている様に、帰還兵らが人間扱いすらされない事も。
 この事実を下敷きに本作の様な映画が制作される事となるが、これを反省してか米軍もマスコミも現在は帰還兵らに敬意を以て接する様になっていて、帰還兵らの社会復帰の制度も手厚くなっている。
 それでも帰還兵らの戦争の後遺症は小さくは無く、時折社会問題に発展しているけれども。

 本作は、カーチェイスや、戦闘シーン等、アクションは満載だが、続編と比べると地味で、それ故にリアル。
 CGが一切使われない、古き良き時代のアクション映画である。
 そういったものをリアルタイムで観て育った鑑賞者からすると「これこそが本物のアクション映画だ」という事になるのだろうが、アクション映画といえばCG満載で複雑なカメラワークが当たり前、という世代からすると物足りないかも。

 本作でシルヴェスター・スタローンは主役を演じるだけでなく、脚本も書いている。
 もう一つの当たり役である「ロッキー」も脚本は彼自身によるものだから(ロッキーでは脚本を売り込む際、自分が主役を演じる事を条件としたらしい)、アクションスターとしてだけでなく、脚本家としても優れている事を意味する。

 ランボー・シリーズは、第2作からは完全に娯楽映画になってしまい、ランボーが抱えている筈のベトナム戦争帰還兵としてのトラウマは本作の様に掘り下げられる事は無くなってしまっている。
 寧ろ戦場に帰られて生き生きとしているくらい。
 ランボーが弱さも見せる人間だったのは本作限りで、以降は超人化する。
 シリーズ化されたキャラの宿命と言える。


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Last updated  2025.01.05 20:06:45
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