希望の綴り

小学6年生


どの学年でも春は、教室へ行っていた。それから徐々に保健室になったり学校へ行かなかったりに変わっていく繰り返しを5年間してきた。(4年の時以外は)
6年生も一緒だった。
最初は、教室に行っていたが・・・
体育の授業でハードルをしていて 娘はつまづいて転んでしまった。
おそらく娘は、綺麗にちゃんと跳ぶぞ~と思っていたが いざやってみたら出来なかった(T_T) それが自分の中で受け入れられず、その場に 泣いてしゃがみ込んでしまったらしい?
そこで、担任が声をかけたら(正確な言葉は憶えていないが こんな風にしていては、いけないという様な内容だったような気がする?) それっきり教室へ行かなくなった。それ以来ハードルは嫌いになってしまった娘。
いまだに「○○(担任)のせいでハードルは恐怖になってしまった」と先生のせいにしている(*_*)
先生も気持ちに余裕がないから なかなか難しい対応だとは、思うが この時、先生が娘の気持ちを理解して、「ちゃんとやりたかったのに出来なくて悔しかったな~、今度頑張ろう!」という声かけをしていたら・・??娘の気持ちも少しは違っていたのかもしれない。
先生にそこまで要求するのは無理なのだろうな~??

これが、きっかけだったかは忘れたが、娘が学校を休みがちになって、私自身精神的に参ってしまった。
家の中でも 気持ちが荒れて子供達に当り散らし、頭痛や気持ちが悪くなったりした。
毎日の様に会っている養護の先生に、「お母さんお願いだから病院へ行って下さい。」と言われた。それだけ 私は他人から見ても疲れ果てていたのだと思う。
最初は、姉が飲んでいる安定剤を送ってもらってしのいでいた・・
薬に頼るのが、すごく嫌で飲んでいなかったが 頭痛も気持ち悪さもそれを飲むと スーッと消えていった。
今は、家の中では頼れる大人はいない(*_*) 私が倒れたら 子供達は路頭に迷ってしまう。薬に頼って、暮らしていくしかない?と思い。倒れる前に病院へ行く事にした。最初は、近くの総合病院の心療内科に行った。
一ヶ月に一度の診察だったが・・待ち時間が長く診てもらうのも次男を連れてだったので一苦労だった。
そこで、最終的にデパスという薬に落ち着いた。
鬱の薬ももらった事があったが・・副作用の吐き気に襲われて一晩飲んで止めてしまった。
途中から待ち時間が無くて済む精神科に替えて、約半年間病院へ通った。

娘は、休んだり行ったりの繰り返しをしていたかな?
それでもバスケットの練習のある日は、休まずに学校へ行っていた様な気がする。
6年生も陸上の選手に選ばれて この年の6月位から市の陸上にも行く様になったので、陸上の記録はたちまち伸びていった。
9月の陸上記録会では、予想外の記録を出した。リレーでは、郡大会にも行く事が出来た。頑張った!この時期が一番陸上で輝いていた時期かもしれない?
マラソン大会では、思っていたよりも順位が悪く 最後まで走ったものの・・・泣きはらしてそのまま保健室へ行ってしまった。
それが、6年生のとる態度では、ないと言われてしまえばそれまでだが・・いまいち自分の気持ちの表現方法が下手な娘!こういう時は、精神年齢が下がってしっていたのかな?でも、周りは6年生は6年生という目で見るから この子なんか変?と思って見ていたかもしれない。

駅伝の練習の時も、娘は女子の部で出たくても記録がおもわしくないので、混合の部で出る事になった。その時も、泣いて動かず連れて帰るまで1時間位かかった事もある。頑固で、思い通りにいかないと固まってしまう・・その気持ちを和らげる事が、とても難しい娘だった。
最終的には、混合の部で最後まで走ったので、良かったが 記録的にはパッとしなかった・・・ しかし、学校の代表で参加できた事だけでも良かったと思う。

この様に、娘自身が目標とするものがあると学校へは行けていた。
しかし、目標がなくなると行かなくなってしまう(T_T)

バスケの大会が終わり、6年生は引退となった2月。
ピタリと娘は、学校へ行かなくなった。何を言ってもダメ(T_T)
娘の学校へ行かないという気持ちが、固かった。
私が、心療内科へ行くようになると同時に サポートセンターの先生のカウンセリングを受ける様になっていた。
全く行かなくなった娘の事を相談したら・・
「黙って見守っていれば、そのうち行く様になるでしょう!どんな形でも卒業式は出してあげた方がよい、それが中学へのステップになるだろうから?」と言われた。

しかし、娘は学校へは、勿論最後の卒業式も行かなかった。
卒業式の後、一人で証書を貰いに行く事も拒否した。
娘が行かなくても、私だけは式にでようかな?と思っていた。
友達から ビデオカメラも借りて(後々娘が見るかな?と思って撮影しようと思った)準備していたが・・・ 
もしかしたら当日行くかな?という期待があったのだろう!当日になって行かない娘の態度にショックで、力がなくなってしまった。

その日は、友達が次男を預かってくれる事になっていた。
友達には、「行っても行かなくても、次男を連れてくるように」言われた。私の元気の無い声に、心配して学校へも電話してくれたようで・・養護の先生が電話を下さった。その電話のおかげで、私だけでも卒業式に行く事が出来た。担任の先生は、私の姿を見てホッとしたらしい?
そのせいか?先生は、子供達には、朝ごはんキチンと食べてくるんだよ!と言っていたみたいだが 自分は、食べて来なかったらしく 卒業生点呼の時、貧血で倒れそうになったみたいだ。(後で聞いた話だが)

式の後、外で卒業生が、在校生のアーチの中を退場するところまで ビデオに撮影した。いまだに娘は見てはいないが、いずれ見てくれる日がくるのだろうか?
私が、卒業証書を受け取り、娘は小学校を卒業した。
終わりは、悪かった様に見えるが、娘自身は後悔していない様なので、結果的には良かったのかな?

娘にとって、小学校は楽しくなかった場所だったのだろう(?_?)
お父さんを亡くした悲しい思い出も消したかったのかな~??
多分、娘にも解らないのだと思う。なぜあそこまで、学校を拒否したのか?
担任が嫌だったから・・と答える時もあるが それだけでは、ない様な気がする。担任のせいにするのが、一番当たり障りの無い事だから そう言っているのでは?と以前もカウンセラーに言われた事がある。

卒業式はでなかったが、中学はチャンといくぞ~という気持ちが、春休みの娘も様子から伝わってきた。

2005年11月28日

中学1年生 へ続く


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