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<芸術>の意味
「すでにリヒャルト・ワーグナーへの序文において、芸術は―道徳ではない―人間の本来形而上学的な活動であると主張されている。本文そのものの中には、世界の存在は美的現象としてのみ正当であるという皮肉な命題が繰り返し現れる」(Ⅲ1,11)。
ニーチェにとってヨーロッパ文化秩序全体を支配し世界を正当化している形而上学的=キリスト教的道徳の法則は「絶対的な尺度によって、たとえば神の誠実さのみによって、芸術を、あらゆる芸術を虚偽の国へ追放する」(Ⅲ1,12)。それに対してニーチェの哲学における世界は「仮象、妄想、誤謬、解釈、粉飾、芸術としての<錯覚>」(Ⅲ1,11ff)の世界である。道徳は芸術の一つの産物として現れる。キリスト教に対立する「純粋に美的な世界観や世界正当化」は、「虚偽を追放し」、「芸術を否定する」キリスト教とは逆に、「生の虚偽」を認める。ニーチェの言うように「生のすべてが仮象、芸術、錯覚、光学に、遠近法的なものと誤謬の必然性に基づく」(Ⅲ1,12)ならば、道徳が虚偽を排除するものである以上、「誤謬の必然性に基づく」生は本質的に「非道徳的」である。ところがキリスト教は、道徳の観点から此岸的生を非難し、否定する。ニーチェは「道徳的価値しか認めようとしないキリスト教の絶対的な意志」は徹底的なニヒリズム、生の否定に至らざるを得ないと考えている。
ニーチェは道徳から離反して芸術に向かっているのではなく、ソクラテス=キリスト教的道徳を克服すると共に、単なる虚偽としての芸術を乗り越えつつ生を肯定する世界正当化を考えていた。その「生の一つの原理的な対抗理論」をディオニュソス的なものと呼んだのである。ニーチェは世界のディオニュソス的肯定の説をニヒリズムの克服として理解しているとピヒトは指摘している*18。しかしニヒリズムの克服で重要な点は、それが単なる“生の弁証法”への転化ではないということである。ニーチェの世界正当化においては、主体の自己還帰的解放によって自由が自覚され、概念的に肯定されのりこえられたそれぞれの過程に必然的に意味が与え返されるということはあり得ない。「創造しうる為には、これまで与えられていた自由よりももっと大きな自由を、われわれが自ら自分に与えなければならない」(Ⅶ1,21〔6〕)とニーチェは言っている。創造とは“自由の自己贈与”*19である。
「私自身としては、美による正当化を試みた。そのさい確かなことは、醜いものは永遠に破壊されざるを得ないということだ。―私は、美への意志、同じ形式に固執しようとする意志を、一時的な自己保存の手段、治療手段だと捉えた。それについて、私から見て最も基本だと思われるものは、永遠に創造するものは、永遠に破壊せずにはおかないものであって、苦痛と結びついているということである。醜悪とは、無意味となった事物のなかに意味を、新しい意味を作り入れようとする意志によって事物を見るための形式のことだ。既存のものは根拠を失い、失敗であり、否定に値し、醜悪であると創造者に感じさせずにはおかぬ力の集積?」(Ⅷ1,2〔106〕)
ニーチェは「新しい意味を作り入れようとする意志」による創造一般のあらゆる形態を、<芸術>という名前で呼ぶ。そこで、芸術が、或る意味では、<学>の常に新しい形態における認識の可能性の条件、認識を可能とするものとして現れる。学問や真理は、すでに与えられているものを受け取ることでなく、認識のための枠組みを「創造」することのもとに初めて見えてくる。「学問を芸術家の光学のもとに、芸術を生の光学のもとに見る」(Ⅲ,1,8)ということは、ニーチェ的「光学」における「創造」することの優位性から言われているのである。
ニヒリズム克服の力としての芸術
ニーチェは「悲劇の誕生が芸術を信じている背景には、真理を持って生きることは不可能であり、<真理への意思>はすでに退廃の兆候である、という信念がある」(Ⅷ3,16〔40〕,7)というが、なぜ真理をもって生きることが「不可能」であるのか。それは逃避の真理の暴露と同時に、従来のすべての真理を決定してきた人間的生のパースペクティブに対する最初の洞察へと、われわれが強制されるからである。「真理は醜いものだ。真理のために破滅しないために、我々は芸術を持っている」(Ⅷ,3,16〔40〕6)。真理からの逃避に対する洞察は、「最も恐るべき真理」と、その克服としての芸術を、考えうる可能性の条件である。我々をして破滅的真理に耐えさせると同時にその真理を「軽やかで悦ばしいと感じる存在」へとわれわれ自身を解放し創造する力が芸術なので、生にとっての利害から決定される価値の意味で「芸術が真理より価値がある」(Ⅷ3,17〔3〕4)のである。ゆえに「学問を芸術家の光学のもとに、芸術を生の光学のもとに見る」(Ⅲ1,8)という課題が、真理それ自体を正しく認識するための啓蒙された方法論的原理として要請される。このような方法をもって、ニーチェは従来の学問知一般の地平から超出する。ニーチェにおけるニヒリズムの克服は、学問それ自体の超克によってなされるがゆえに、真理が問題となる。
ならば“真理への意志”はどうなるか。およそ“真理への意志”が誠実であり続けようとすれば、もはや「最も恐るべき真理」に真向かうしか道は残されていない。誠実で真実な生を生きようとすれば、逃避せずこれまでの虚偽を虚偽として認め新しい真理を意志しなければならない。「創造とは―精選し、精選されたものを仕上げることに他ならない。(あらゆる意志作用にあってはこのことこそ本質的なものである)」(WM662,P285)。ディオニュソス的な生の肯定を可能とするか不可能とするかで真理が選別されるということが取り消し不可能な形で顕わになる。誠実性への唯一の道を意志させてしまう、あるいは意志してしまう力、それが「既存のものは根拠を失い、失敗であり、否定に値し、醜悪であると創造者に感じさせずにはおかぬ力の集積?」(Ⅷ1,2〔106〕)とニーチェ自身によっても問われている“肯定するもの”である。ニーチェは「真理への意志が力への意志であるということ、なのだ」(Nietzsche Samtliche Werke, Kritische Studienausgabe, Verlag Gruyter,以下 KSAと略記、XI.25[470])といっている。“真理への意志”の問題は、“力への意志”の問題である。
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