すべて伽哉のうち迷い道日記

すべて伽哉のうち迷い道日記

聖エルーアさまと驍宗さま


波紋も多かったけど、自分的にはある点に関する伏線的なものとも考えています。(後述)

まあ、それはともかく、ある日のこと
「自分人望ないんだけど、どうしたらいい?」と、驍宗さまに訊かれた麾下のわたくし

(人望あるじゃん~てかホンモノの驍宗さまだったら聞かないけど・・・ホホホ)と思いつつ、こう答えたい。

「主上は十分人望がおありになると思いますが、もしもっと人望をとお望みなら
​広く民の間に入って、クシエルの遺産​の聖エルーアさまの教えの“汝、涸れるまで愛せ”を実践したらいかがでしょうか?」​​

以下、ネタバレあります。



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わたしがブログをせっせと書いてた10年以上前に刊行されたこのクシエルの遺産というシリーズ、その1巻がちょうど職場の休憩室に置いてあって、読んでみたらハマリ

どんな話かというと、宮廷の陰謀あり戦争あり愛憎ありの異色ファンタジー

舞台は現ヨーロッパの地図をそのまま当てはめ、ちょうどフランスに当たるテールダンジュという架空の国 他にもイギリスやスペイン、ドイツ等に当てはまる隣国も出てきます。
元々舞台となるテールダンジュ国は天使国と呼ばれ、その国民は天使国人と呼ばれ、聖なるエルーアとその仲間の堕天使の子孫である。

唯一の神の御子であるユーシフの子イェシュアが十字架に架けられて亡くなった後、地に落ちたその血が聖女マグダレーナの涙と交わり、母なる大地によって再生させられ、生を受けたのが聖エルーアさま。
しかし祖父に当たる唯一の神に拒絶され、地に落ちてエルーアさまは放浪する。お供となる8柱の堕天使と大地をさまよい、幾年もの放浪の後に、エルーアさまと天使たちは後にテールダンジュとなる土地の者たちから歓迎され、天使国が生まれる。

お供の8天使とは、ナーマー、アナエル、アザ、シュマゼ、カマエル、カシエル、エシュト、クシエル。

エルーアさまは、テールダンジュ王家の祖となり、国中方々をさすらって気ままに民と愛を交わし、“汝、涸れるまで愛せ”の教えを国中に広める。
お供の天使たちも、カシエルさま以外は、その教えにならって子孫をもうけ、それぞれ領土を定めて根を下ろした。

のちにエルーアさまと8天使たちは西の楽園に去るが、この天使たちの直系子孫である各侯爵家と精神的系譜がテールダンジュの王家を支え、国の礎となる。

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クシエルの物語は、この天使国建国から1000年後。あまり詳しく書いても終わらないので、このくらいにしようと思うけど、キリスト教の禁忌から真逆な世界観ベースで物語は進みます。

話を戻して、今回の白銀を読むと、宗教的要素が象徴的に描かれている場面が出てきます。

また驍宗さま自身が、宗教家か出家者のような考え方なんだなと感じるところも多かったです。この部分は風海のころから感じてたものですが。
もちろん将軍であり、戴の重臣でもあり、政務面でもあくまでも実務的な思考を持った人ですが、その素の部分を見ると、まるで出家する人みたいだなと驚くところがあります。


   驍宗は計都を愛おしげに撫でる。もうあの怖い笑みは消えていた。
  「これはわたしが捕らえて手懐けた。剣とこれとが、私の宝です」 (風の海)

この時は、すでに中日ご無事された後、泰麒が2度目に驍宗さまと会った場面。すでに戴を去る決意をしていた驍宗さまの言葉です。

戴を去り下野するときに持っていくものは計都と寒玉のみ(たぶんそう)
あとは、すべて置いていく。集めて育てた優秀な人材も築き上げた地位も。長い時間をかけて獲得してきたであろうすべてを置いて、身一つ(と騶虞と愛剣と)で去っていくという。
正直なひとだなと思うし、かつ無欲なひとだなと驚いちゃいます("゚д゚)ウム

で、自分が驍宗さまに惹かれるのは、こういう想定外な考え方というか、志向というか。
規格外(あくまでもわたし自身の矮小な規格に比してなんだけど)なところを見せられて、それはどこからくるんだろうか、知りたい、確かめてみたいと思わされる。

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人望とは、他人から寄せられる信頼・崇拝・期待の念
人望とは、信頼できる人物として、人々から慕い仰がれること

信頼とは、ある人や物を高く評価して、すべて任せられるという気持ちをいだくこと
信頼とは、対象を高く評価し、任せられるという気持を抱く意を表す
崇拝とは、崇め敬うこと。信仰すること
期待とは、よい結果や状態を予期して、その実現を待ち望むこと

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人望→ある人に対して、世間の人が尊敬や信頼や期待の気持を寄せること。人々が慕い仰ぐこと。

⑴ 結果を出すことで信頼を集め、人々から慕い仰がれること、すなわち人望がある。
⑵ 結果を出すから人々が付いてくる。ただし慕い仰がれているわけではない。
通常は、⑴の流れです。なのに、驍宗さまの思考はブツ切れの⑵

「自分には人望がない」
驍宗さまほど人望を集めている者もいない。この驍宗さまの言葉に李斎はビツクリします。

どうしてこうも違ってくるのか。この驍宗さまの発言の前後を見ると、登極直後の驍宗さまの政策が早急すぎるという批判に対して、民の安寧のために、急いで結果を出したい心情を李斎に告げています。

しかも驍宗さま自身が別に人望を欲しているわけではない。
人柄がそれぞれ味があったり、愛嬌があったり、機知に富んでいたりと、自分の麾下の特徴もよく把握して人となりも見ている。その上で、そういう人柄によって人が集まることを「人望」だと思ってる節がある。
で、自分のことを顧みると、面白みも可愛げもない=それによって人柄に惹かれて人が集まるということ(人望)もないのだが、別にそれでいいと驍宗さまは思っている。

     「特にそれを恥じてはいない。世の中には私のように面白みのない者もいる、ということだ」   驍宗(白銀)

自分が出す結果に人が付いてくることを「人望」といえばそうかもしれないとも語っているが、そこでぶつ切りになってしまう。

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もう一度まとめてみると、まず
登極直後の驍宗さまの政策が性急であると言われてることに対しての驍宗さま自身の答えとは

常に結果を求め、その結果を出し続けることで人がついてくる。それは人望ではない。(と驍宗さまは思っている)
民の安寧のため、急いで結果を出そうしている。性急なのは、自分の性分である。(民の犠牲を早めに減らしたい)

ポイントは2つ

別に「人望→人々から慕い仰がれること」を求めていない。
結果を出す=民に安寧をもたらすために行っている。それも急いで。

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この驍宗さまと他の人々との温度差はいったいどういうことなのか。

驍宗さまにとって、人々=自分以外の人というのは、どういう認識なのか。

驍宗さまにとって、自分以外の人、他人とは個々それぞれに違う人という認識に加えて、自己に相対する、大きくひっくるめての集団としての民=他者という認識がある。

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人望のあるなしで自分を計ってはいない。
自分が生まれながらに持っている高スペックなものに対しても、同様である。端正な容姿とか剣術の天賦の才とか。
驍宗さまの宝である計都と愛剣は自分の努力で勝ち取ったもの=結果によって手に入れてきたものとして、自身の評価とする。

阿選の視線についての言及にもあるように、他者を自分がこうあるべきという自己の進むべき道標としては取り入れてはいる。
しかし、驍宗さまは他者の評価や人望、自分に与えられている高スペックなものに、そもそも依存していない。

ここで思い出すのが、阿選の乱について
この驍宗さまの突然ともいえる「人望ない」発言は、驍宗さまがいくら考えてもわからなかった点について、他者の評価に苦しめられた阿選との対照的な存在として、答えを提示してるものに思えます。

どちらかの優劣を決めているものでもなく、阿選の反応もよく分かる、驍宗さまの特異性というか、非常に独自な考え方も伝わる。

この驍宗さまの考え方はどこから来たのか。
たぶん育ってきた環境かなとも思います。幼くして戴の厳しい現状を見せられたり、精神的な支えとなる師との出会いがあったとか、宗教的な環境で育てられたとか。
その宗教的環境で請願を立てたのかなとも。
いずれにしても早い頃から国や民のためになんとかしたいという思いでやってきたのだろうなと思います。
ただ驍宗さまの出自については出身地くらいしか記述がないけれど

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あと驍宗さまに関しては、天の並々ならない執着を感じる。
天意の器である麒麟の泰麒が視点の風海が出発点となり、白銀でも驍宗さまに関して、変わらずに細やかな外見描写があるし

まあ驍宗さまが、他人から寄せられるいろいろな感情に石とかザル状態であったとは思えません。いろいろあっただろうけど、書かれてないだけだよねと(゚д゚)(。_。)ウン

自分が他人に与える影響については、物心ついたころから自覚はしていたと思います。
でも中日ご無事後、大切な麾下も置いて、戴を出て行こうと思った驍宗さまは、さまざまな絆や情以上に、戴の国や民に対しての思いを優先しているんだなと思います。

驍宗さまに情がない、というわけではない。
他者の人柄や性格、能力を見極めて、適材適所に登用もする。麾下の名前を覚えるというのは、その麾下の人となりを把握することでもあったろう。
戴の重臣であり、有用な人材を育て登用してきた驍宗さまなので、風海で実質的に初対面だった李斎のことも知ってて李斎自身を驚かせたが、有用な人材、優れた人物として李斎のこともあらかじめ知っていたのだろう。

人柄をよく見て受け入れるのは、見る側に客観的な視点と相手の性格を把握できる度量と、なによりも根本にそのひとを理解しようとする情が動かなくてはできないことだと思います。
だからこそ、驍宗さまが不明となったときも、麾下が離れずにいたのだと。

泰麒との関係はまた違うけれど、この後本編??に書く予定です。
驍宗さまから泰麒への視点の根本は、泰麒は麒麟であること。それは蓬山での邂逅のときから白銀の終わりまで一貫して変わってないなと思っています。

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  驍宗にとって巌趙は絶対的に信頼できる兄のような存在だったのだと思う。同時に巌趙にとって驍宗は自慢の弟だった。自ら仕え、主と仰いで寸毫も悔やまない。驍宗を支えることが巌趙の喜びだったし、その結果驍宗が極みない地位まで登り詰めたことを心の底から喜んでいた。            白銀3巻

麾下との間で特別な絆として書かれているのは、驍宗さまと巌趙との関係。
上記以外に、白銀4巻の驍宗さまの回想で、一時驍宗さま下野したときに、巌趙が付いてきてくれたとも書いてあります。
2度も巌趙について書くのは、後々の伏線かなとも思ったりもします。
短編でこの辺りが描かれるのかは、ちょと不明ですが


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