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宇宙航海日誌
第一章(2)
「じきにここにも敵兵が来るわ。貴方はここから逃げてもいいのよ」
侍女は眉一つ動かさず、無表情のまま淡々と答えた。
「私はお嬢様のお傍に・・・」
この城内に住む生きた人間は魔女クラインと齢十六になるその娘、ミナレット=クラインの二人だけだった。あとは有象無象の感情のない人形ばかり。例え新たに国をつくったところで、何百年も前から畏怖の対象である魔女についてくる人間などいなかったのだ。
「お母様は何故こんな形だけの人間しかいない国なんて創ろうとしたのかしら・・・」
彼女は城内に残っていた僅かな骸骨兵が布切れのように騎士たちに倒されていくのをただ眺めた。最早敗北は決定的で、戦況を覆すことはできないだろう。
「私もきっと貴方たちと大して変わらないのね。こんな光景を見ても何とも思わないわ」
侍女たちと同様、彼女にとって死は何も意味しなかった。彼女は生まれた時からこの城の一角に住み、そこから出たことはなかった。なぜクラインが彼女を執拗に幽閉して表に出さなかったのかは解らないが、彼女にとってこの城は世界の全てで、敗北は即ち世界の崩壊だった。
「ここで待ちましょう。終わりの時を・・・」
彼女は出窓から優雅に飛び降りて、部屋の隅に設えられた小さな円卓の席に身を委ねた。窓ガラスに二、三滴の雫が張り付き、すぐに大雨が降り始めた。
騎士としては既に老年に達し、隠居も間近となったアルマイクは恐らく人生で騎士任命式以来の緊張の瞬間を迎えていた。彼は今、大魔術師、クラインが控えているであろう「玉座の間」の扉の前に立っている。城門から浸入して各階層を慎重に制圧し、殆ど何の障害もなくここまで辿り着いた。だが、十分に余力を残したクラインが残っていることを考えると、もしかしたらここまでは前哨戦にすぎないのかもしれない。クラインは何かを起こす、老兵アルマイクにはそんな予感があった。彼はここまでの戦いで十分に実力が認められると判断した上級騎士三名と腹心のコーネルと共に五人で目の前の部屋に踏み込んだ。味方の魔術師二人の内一人は部屋の外から五人の後方支援に回り、もう一人は他の棟に向かった別働隊の援護に付いているので今はいない。もしもの時に備えて魔術師が一人でも生き残るようにするためのアルマイクの判断だった。果たしてこれが吉と出るか凶と出るか・・・。扉を開けた瞬間に、右手を前方に突き出し魔法の詠唱の構えをしたクラインの姿が見えた。熱い空気の流れが揺らめき、騎士たちにも魔力の波動がはっきりと伝わってくる。
「ようこそ・・・我が至高の国へ!」
「をおおおおお!」
アルマイクたちは雄たけびを上げ、精神を高揚させ突撃する。対魔術師戦で騎士はこれ以外に取る道はない。魔術師相手に躊躇は無用、例え二、三人殺られようと一人が生き残って敵を倒せればいいのだ。味方の魔術師は、クライン相手に実力的に対抗魔法は無効と考え、すぐさま攻撃魔法の詠唱に入った。クラインは目前に迫る鬼気迫る騎士たちの突撃がまるで目に入らないかのように顔色一つ変えずに呪文の詠唱を続けた。
「逆賊クライン覚悟しろ!」
先頭に立った上級騎士が大刀の切っ先をクラインの肉体にめり込ませようと鋭い突きを放った瞬間、一瞬部屋が眩い白い光に満たされ、瞬く間に五人は爆炎に飲み込まれていった。アルマイク以外は全員即死、部屋の外にいた魔術師や待機していた騎士数名までもが絶命し、黒焦げになったばらばらの遺体がそこらじゅうに散乱した。燃え盛る炎の中、大魔術師クラインは不敵な笑みを浮かべながらこちらを見下ろしている。戦には似つかわしくない濃紺の飾り気のないシンプルなシルクのドレス、こちらに向けられた右手の中指には大粒のルビーの指輪、頭部に戴いた王族を示すクラウンには特殊な呪文の言葉がびっしりと刻み込まれており、炎の中揺らめくその姿は戦の女神のように見えた。
「こ、これ程までにクラインの魔力は強大なのか・・・」
アルマイクは右腕を吹き飛ばされた肩をかばいながら体勢を整え、クラインに向けて残っていたショートソードを構えた。この戦いの指揮官に任命された時に王から授かった純銀製の魔力の付与された特殊な剣であった。
「ほう・・・流石だな、アルマイク。貴様だけは生き残ったか。帝国一の剣士の名をもつだけあるな。だがその右腕ではもうあの剣技は見せられんだろう・・・。グリフォスも悲しむじゃろうな」
「クライン様・・・何故このようなことを・・・。何故グリフォス様を裏切ったのですか・・・」
「もう何も聞くな、アルマイク。私の命を取りに来たのであろう?人は誰しも生まれた時から死ぬことが定められた死刑囚じゃ。この私とて例外ではないのだろう。さあ、余力のある内に立ち上がれ!貴様以外に誰が我が肉体を滅することができるというのか!」
命令を待たずに残る騎士たちが玉座の間になだれ込んだ。アルマイクはショートソードを握った血だらけの左腕を広げて彼らを制止した。これ以上実力のない者がいくらクラインに挑もうと屍の山を築くだけだ。アルマイクは自らの血でできたぬかるみを越えて再びクラインに突撃した。クラインは悠然と掌をこちらに向けて呪文の詠唱を始める。せめてほんの少しでもここでダメージを与えておけば後続が倒すチャンスができると、刺し違える覚悟で、まともに構えることもできない左腕に力を込め、玉座の主人の心臓めがけて飛び込んだ。そして―
「うっ・・・見事だ・・・。貴様が私の死神か・・・」
「クライン・・・様?」
かつて帝国の右腕とも言われた大魔術師クラインはアルマイクに倒れこむようにして絶命した。
「何故だ・・・。いくら劣勢になろうとこの場にいる全員を道連れにするくらいできたはずだ。何か策があったわけではなかったのか・・・」
アルマイクはぐったりと力なく横たわるクラインの遺体を左腕で支えた。残る騎士たちが歓声を上げて飛び込んできた。
「アルマイク様万歳!」
「クラインは滅んだぞ!」
だが、喜びの余り飛び込んできた騎士たちの歓喜の顔は一瞬で凍りついた。アルマイクもそれに気付いた。ほんの僅かクラインの右手から漏れた黒い霧が瞬く間に玉座の間を覆い尽くしたのだ。騎士たちは死後に発動する魔法もあることを知っていたのだ。騎士たちは剣を構え、辺りを警戒し、クラインの遺体と負傷したアルマイクを急いで部屋の外へ連れ出した。
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