「成立とデビュー」 ザ・スミスは1982年始め、2人のマンチェスター在住の青年が結成した。モリッシー(本名スティーブン・パトリック・モリッシー)は親と同居する無職のライターで、アメリカのパンクバンド、ニューヨーク・ドールズのファンクラブを作り会報を発行していた。ジョニー・マー(本名はジョン・マー John Maher だが、バズコックスの同名のドラマー、ジョン・メイヤー John Maher との混同を避け改名した)は既にいくつかのバンドに参加したことのある腕のいいギタリストで作曲の才能もあり、モリッシーの文章の読者でもあった。マーがモリッシーを誘い、モリッシーの作る歌詞に曲をあてることでザ・スミスが始まった。簡単なドラマーのオーディションを行い、マイク・ジョイスが加入した。デイル・ヒバートが当初ベースを担当し、サウンド・エンジニアとして働くスタジオの施設と機材を貸してデモテープを作ったが、2回のライブのあとベーシストはマーの友人アンディ・ルークに代えられた。マーとルークはかつてパリス・ヴァレンティノスというバンドを結成していた仲である(メンバーにはケヴィン・ケネディがいたが、後に彼はマンチェスターを舞台にしたモリッシーも偏愛する長寿テレビドラマ『コロネーション・ストリート』の人気俳優となった)。
ジョニー・マーは1989年、ニュー・オーダーのバーナード・サムナーとともにスーパーグループ「エレクトロニック(Electronic)」を結成して音楽界に復帰し、ペット・ショップ・ボーイズのニール・テナントらを迎えてシングルを出すほか1990年代に3枚のアルバムを発表した。彼は1989年から1993年までザ・ザのメンバーとなり2枚のアルバムに参加している。その他セッション・ミュージシャンとして、楽曲提供者として、プリテンダーズ、ペット・ショップ・ボーイズ、ビリー・ブラッグ、ブラック・グレープ、ベック、オアシスらと活動している。2000年には別のバンド、ジョニー・マー&ザ・ヒーラーズ(Johnny Marr & the Healers)を結成しているほか、プロデューサーとしても活動している。アメリカのオルタナティブバンド、モデスト・マウスのレコーディングに参加しアイザック・ブロックとも曲の共作を行ったことをきっかけに、2006年夏、彼はモデスト・マウスの正式メンバーになりライブにも参加することが発表された。さらに、2008年夏、クリブスに正式メンバーとして加入することが発表された。
【シングル(UK)】 ハンド・イン・グラヴ Hand In Glove -彼らのデビュー曲 ジス・チャーミング・マン This Charming Man -初のインディース・チャート1位 ホワット・ディファレンス・ダズ・イット・メイク ? What Difference Does It Make ? -ジャケットにテレンス・スタンプの写真を使い問題になる。詳細。 ヘヴン・ノウズ Heaven Knows I'm Miserable Now ウィリアム William, It Was Really Nothing ハウ・スーン・イズ・ナウ ? How Soon Is Now ? -彼らの代表曲。他のロックンロール的な曲とは違い、こちらはニュー・ウェイヴ的である。 シェイクスピアズ・シスター Shakespeare's Sister ザット・ジョーク・イズント・ファニー・エニモア That Joke Isn't Funny Anymore 心に茨を持つ少年 The Boy With The Thorn In His Side -ザ・スミスの作品で唯一邦題が付いている。 ビッグマウス・ストライクス・アゲイン Bigmouth Strikes Again -ジャケットはジェームス・ディーン。 パニック Panic -内容(後半部での、"Hang the DJ"-DJを吊るせ-と歌う箇所)が問題になる。もう1つの有名な曲。 アスク Ask -バックボーカルはカースティー・マッコール。 ショップリフターズ Shoplifters Of The World Unite -ジャケットはエルヴィス・プレスリー。モリッシーはこの曲を「スミスの曲でのお気に入り」と述べている。[要出典] シーラ・テイク・ア・バウ Sheila Take A Bow -モリッシーが初めて恋愛観について書いた曲。 ガールフレンド・イン・ア・コーマ Girlfriend In A Coma -レーベルEMIへの移籍が決まった時に発表した。その後、ジョニー・マーが脱退する。 アイ・スターテッド・サムシング I Started Something I Couldn't Finish サムバディ・ラヴド・ミー Last Night I Dreamt That Somebody Loved Me -活動中のラスト・シングル ジス・チャーミング・マン This Charming Man、ハウ・スーン・イズ・ナウ ? How Soon Is Now ? 、ゼア・イズ・ア・ライト There Is A Light That Never Goes Out -解散後の1992年、販売権のWEAへの移動とベスト盤の発売に伴い、シングル・カットされた。 アスク Ask -1995年に新しいベスト盤『Singles』の発売に伴い、シングル・カットされた。
【オリジナルアルバム】 ザ・スミス The Smiths (1984年) ミート・イズ・マーダーMeat Is Murder (1985年) クイーン・イズ・デッド The Queen Is Dead (1986年) ストレンジウェイズ・ヒア・ウィ・カム Strangeways, Here We Come (1987年)
【ライブ盤】 ランク Rank (1988年)
【編集盤】 ハットフル・オブ・ホロウ Hatful Of Hollow (1984年) ザ・ワールド・ウォント・リッスン The World Won't Listen (1987年) ラウダー・ザン・ボム Louder Than Bombs (1987年) ベスト Vol.1 BEST...1 (1992年) ベスト Vol.2 BEST...2 (1992年) ザ・スミス・ヒストリー Singles (1995年)
【備考】 「How Soon Is Now ?」(「ミート・イズ・マーダー」収録)はt.A.T.u.にカバーされている。 シングル曲「Ask」はSUEMITSU & THE SUEMITHにカバーされている。なお、SUEMITSU & THE SUEMITHというバンド名自体、ザ・スミスのもじり。 2ndアルバムのタイトル「ミート・イズ・マーダー」はジョークではなく実際モリッシーはヴェジタリアン。 ファンの中には歌詞の影響で自殺した人もいた (1986年 "The Queen is dead" 発表に合わせたインタビューでの記者のコメント。恐らくNMEの記事を Rockin' On が翻訳転載)。同インタビューで記者のコメントに対しモリッシーは「責任なんて感じない、本当に。彼らの人生の最後にスミスがあっただけでも幸せだったと思うよ」。 デビュー時メンバーは皆似たような髪型だったが、1984年頃からジョニー・マーの髪型はマッシュルームカット風になり、一際目立った。また、サングラスが似合っていた。 モリッシーのジーンズのヒップポケットに挿される花は概ねグラジオラス。 ザ・スミス活動中のモリッシーは概ねジーンズを着用していた。 コンサートでは演奏中にステージ上に駆け上がったファン達がモリッシーと抱き合うというシーンがよく見られ慣例化さえしていた。 モリッシーはタコ踊りと呼ばれる腰を曲げる動きが特徴だった。「ハウ・スーン・イズ・ナウ?」(1985年)のPVでその様子が見られる。ニュー・オーダーのバーナード・サムナーも同じ踊りをしている。 ザ・スミスとニュー・オーダーは同じマンチェスター出身のバンドだが、モリッシー自身はニュー・オーダーについて「全く興味がない」「僕の心に何も響かない」といった発言をしている。[要出典]これはライバル心等からではなく本当に興味の対象外であった故の発言のようだ。(ちなみに、ジョニー・マーはニュー・オーダーの曲を聞いていた) モリッシーとジョニー・マーの同性愛疑惑があるが、本人は否定している。[要出典] ジョニー・マーはその後、ニュー・オーダーのバーナード・サムナーとエレクトロニックを結成したり、ザ・ザのギタリストになったり、自らJohnny Marr & the Healersを結成したりしている。 Johnny Marr & the Healersは結成直後の2000年にFUJI ROCK FESTIVALに出演している。 モリッシーも同年のFUJI ROCK FESTIVALに出演予定だったが、開演数日前にモリッシー側の都合で出演がキャンセルされた。 アンディ・ルークは一時ドラッグの問題で脱退していた。 マイク・ジョイスは解散後の1989年にジュリアン・コープのツアーメンバーとして来日、日本の地を踏んだ最初のメンバーとなった(モリッシーの初来日公演は1991年、ジョニー・マーはザ・ザのメンバーとして1990年に初来日)。 いくつかのビデオクリップの監督はデレク・ジャーマンが務めている。