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いかにも逞しく頑丈そうな太い幹、そのてっぺんからは数本の巨大な枝を伸ばし、細長い形をした無数の葉を付けている。風が吹くと ゆさゆさ揺れて、今にも空へ飛び立ちそうだ。葉の付け根には、薄茶色の鳥の巣のようなものが見える。ビロードでもなく、艶のないスエードに近い風合いの花か稚葉か。大事にくるまれながらも、鮮やかな赤い色の顔がちらちら見え隠れする。初めて目にするそれに近づき覗いてみれば、何と枇杷の実に似た無数の卵、いや卵らしきものである。これはまさしく“たまご”に違いない。そういえば、太い幹には網の目が張り巡らされて鳥の足に似ている。大きな枝を天に向かって広げ、風を孕んで揺れるさまは正に鳥の羽そのまま。前世は鳥類であったか・・いや、鳥になる日を夢見て、ゆさゆさと大きな羽根を広げているのだろう。そして 風が吹くたびに 叫んでいるのだ。わたし もうぢき 鳥になる!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・蘇鉄(そてつ)鉄によって甦るといわれている。ソテツ門の植物は、シダ類の次に現れたもので、顕花植物の裸子植物亜部に属す。隠花植物と顕花植物との間に位置する特殊な存在で、前時代の生命を今まで持続してきた生きた標本である。雌花と雄花があり、ここに記したものは雌花。雄花は天に向かってまっすぐ伸びる花。
2007年01月31日
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中国文学者の第一人者であった 駒田信二先生は、「中国書人伝」というエッセーを、4年間雑誌に書かれたことがあった。(後年『中国書人伝』(芸術新聞社刊)に纏める)それは書法についての論評ではなく、書聖といわれた王羲之や鄭道昭など中国の代表的な書人を取り上げ、古くから言われる「書は人なり」との観点から書人を見つめたものである。「書は本来、彫るもの」であり、中国の書人たちの「書」がそれを教えてくれた、と言われる。「筆を動かして字の(あるいは字に似た)形を書いているだけのもの」は(日本の)書道かもしれないが「書」ではない、と。手厳しいが慧眼と言わざるを得ない。純文学の同人誌『まくた』の題字は、200号の記念に駒田信二先生が揮毫されたものである。さすがに墨は紙背を徹し、深みがあり、何よりも品がいい。厳しさとふくよかな優しさとを併せ持ち、頑固さとどこか可愛らしさをちらりと覗かせる。不遜をお赦しねがって分析を続けさせて戴くならば、唐様(からよう)つまり、中国の書法に則り、始筆は蔵鋒で重く送筆部は静か。慎重な筆遣いが随所に見られ、終筆からは、何事もきちんと対処される几帳面さが窺える。強靭な思想であるがゆえに多くのものを包容しうる、威厳と温かさと品格に満ちた中国文学者<駒田信二>そのままの「書」だと思う。以前、漢詩を編んだ著書を戴いたことがあるが、ページを繰るごとに私は息を飲んだ。誤植のすべてを、ルビの一つ一つまで、赤鉛筆で直されていたのである。地名の横には、東へ○○キロメートルなどと加筆されているものもあり,費やされた時間とエネルギー、その煩しさとを思うと胸が痛む。数年前、同人誌『まくた』が月刊から季刊に変る時表紙のデザインを担当させていただいた。先生の題字を横書きに変え、抽象的な図柄(心象)を下部に入れて一新した。おこがましくも、先生との合作ということになり、記念すべき仕事のひとつとなった。暮れに『まくた・紅柳忌増刊号』が届いた。「書きつづけて死ねばいいんです」との師 駒田信二の言葉そのままに、「まくた」の同人達は頑張って書き続けているようである。扉の、痩身の遺影は、あくまでも清々しく凛々しい。次ページにはタクラマカンの熱砂に咲く紅柳、その2葉の写真に、ウルムチからの帰朝報告会や、千駄木での葬儀を思い出す。あなたはフリーパスですから、と笑顔で出入りをお許しくださったものの、伺ったのはほんの僅かばかりであった。威厳があり、凛として近寄りがたい存在ながらも、その笑顔は実に親しみ深いものであった。結びに、もう落手する術なき先生からの賀状の最期の詩句を引く。「春来還發舊時花」ゆるぎない文字が認(したた)められてあった。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・新年おめでとうございます。お訪ね下さった多くの皆様、いつもいつも申訳ございません。更新ままならず、お詫び申し上げます。 2007年 元旦 raku-sa
2007年01月01日
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