わたし 出会い 発見

モザイク1


―― 此処な此処なと、あきらめない、この祓え ――
at 2003 07/06

一年を振り返って。。。。
こんな単純な書き出しに憧れもします(笑)。


 一年間関わってきたこの【広場】でアタシは【幸せの】【創造】を提唱してきたつもりだ。
とりとめない日常や、たわいもない家族との会話を織り交ぜながら・・・・。
前回述べたように、理論構成で、知識中心で、【人権】をクドクド書いても「感性に働きかけるどころか、情緒にとどまる傾向がある」のは先に「読めた」ことだからだ。
しかし、この広場では(ここではカフェと狭い意味で使用しています)、「それどころか知識がない」、あったとしても「想像力が足りない気づかない」人が大半ばかりか、「読まないわからない」(爆)という難敵も多くいた(笑)。
しかも「匿名性」に安住した掃き溜めのような態様に、にアタシは常にがっかりし、辟易もしてきたのが偽らざる心境だ。
また、振り返ってみて、こうも思う。
アタシの人生の圧倒的な【負の部分】を綴っていけば、誰かの胸に響いたかもしれない。
しかし、繰り返すが、情緒でとどまるものに「生まれ変わる」ものなどない。
●教え込み、で意識は育たない。
●思いやりなどの共感で変革はない。
●参加して体験なくして学び、などはない。
その入口のファシリテーターたりえていたかどうかは、自身では考えおよびつかない。
―書くことで癒される―。。。。。。アタシの友人はこう表した。
アタシもそのとおりの心情だ。しかし、アタシはそれだけでは物足らない(笑)。
―読んでもらえることで、救われる―心境だからだ。
おもしろおかしく、文体もそれこそ多様に(笑)駆使してきたが、これからは従来の格調高く(笑)、もっと問題点を強調して【意識】をもってもらえるよう心がけたい(笑)。

しかし、アタシが、この広場で、この、【幸せの扉へ誘う】のもあとわずかだ。

一年もかけて、【出会いの情動】のみを泉として書いてきたのだ。

もう、自分の気ままな書きたいこと(まだあったんかいっ!(爆))を書いていきたいから。

 さて、そのものずばり、あなたの意識を自己診断させていただきたい。
―差別―を知る、知っているうえでの意識調査についてだ。
3つの項目を自分にあてはめてみて欲しい。

①差別は厳しい
②差別はなくなりつつある
③自分も差別してきた、またはしそうになる
④自分には関係ない
⑤自分に身近な問題だ
⑥差別をなくするのに何をすればよいのか
⑦差別された人は悔しいだろう
⑧差別をされた人はかわいそうだ
⑨差別とは何かよくわからない
⑩私が差別されている
⑪差別をなくするために学んでいきたい
⑫差別をなくするために行動している

どうです?
ある程度、小学校から大学まで人権教育や同和教育を少しでも学んできた方なら、程度の差や個人の受け止め方はあろうが、3つは埋めることができるはずだ。
回答はそれぞれ自己のなかで検証してもらい、ここでアタシはとやかく申さない。

なぜ、この意識調査かといえば、これまでの半世紀の人権教育の反省でもあるのだ。
―みんな、知識はある。
しかし知識に留まっている。
あるいは情緒に留まっている。―
結論からいえば、こういうことだ。

―中世の身分制度から近代、とくに江戸時代に固定的な身分制度が作られ、現在では
いわれのない差別問題だ。日本国憲法では、自由・平等が保障されている。
地球規模の問題でもある。国連の行動計画なども聞いたことがある。
だから、差別はいけません。私もしないよう心がけています―
だいたいこんなところだろう。
あなたの人権意識なんてしょせんそんな程度なんです。
これが差別の解消にいっこうにつながらない大いなる問題点だ。


今日は「あなたが問題」だと、いい逃げしたように終えましょうか(笑)。

もちろん続きます(笑)。

「わたし」が「出会い」、「発見」していくーということ
at 2003 07/08


―あなたの問題点―


 それは、「自分の意識のマイナス面に気づいた、あるいは気づかされた段階で自己保全のみに走りがちで、学習回避傾向が強まる」ということだ。

ほら、はやくも逃げようとするでしょ?

―わざわざ、そんなこと教えられなくても、私らの周りにはないで!差別なんか!―
―そんなん、時代がちゃうねん、ほっとけばそのうちなくなるねん―
いわゆる「寝た子を起こすな」の論法だ。
いくらこちらが心を開いても、素直に内容を受け止めようとしないのだ。
そして、こちらが意識をもって話しても「自身が差別しない」自覚があるのなら、いくら教えられても全然かまわなく、むしろ積極的に自身も語れるはずなのに、そうではないということは、『気づかされることに自分のなかに変な意識が芽生えてくる』ということだ。

―そうそう、差別はあかんで。そんなん子供でも知ってるで!―
そうなのだ、誰もが差別はいけないという意識はあるのだ。カスのようなね(笑。
しかし、自己愛=他者排斥=差別意識のない人間がまた逆にほぼいないだろうというのが、人権意識の構造であろうと思う。
あれ?さんざん自尊感情と言ってきたのに自己愛は排斥、差別に繋がるの??
これを内的葛藤という。
自己の心のなかに差別があることを否定しようとする抑圧、――それは、【自分の醜い】部分を見ないようにする考えだ。
これが保身のような自己愛だ。
【幸せの旅路】=【人権感覚を身につける】ことに取り組むか否かの葛藤が「寝た子を起こすな論」なのである。

 一応、あなたは自己とのせめぎ合いのなかで、これらの葛藤をクリアしたとしよう。
次に自分のこととして取り組もうと思うが方法を知らない、あるいは少しだけ齧ったのみなのに関わらず、

―そんなん言うけど、されるほうにも責任あるんちゃうの!?―
―やり方がおかしいんや―
―逆差別もあるんやないの?!―
取り組み方を理由にして、自分が取り組まないことを正当化しようとするのだ。
この3つを解消するには、あなたが自分のことと捉えきることができれば、なんなく解消できうる問題だ。
これらの考え方を整理できれば、行動を妨げるものはなにもない。 

次なる問題点は「時間がない」である。
今年1月、大阪教育大学での研修セミナーに参加した内容をこの【幸せ帳】で紹介したことがある。ご記憶の方もあろう。
――当時の手帳は【一瞬のまたたき】と題して、宇宙の誕生から人類の現在までを1ケ月駆け足で紹介しながら、【熱と光に導かれて】人権啓発をからめた内容だった。
大変時間も費やした。いつか本になると思っている――。
で、そのセミナーの主催である助教授から、以前別の機会に東京での講演に参加して聴講したことがある。
先生は講演のなかで、こんなことを仰っていた。
「――私は何人ものとんでもない学生をみてきました。
 大学でラグビーのキャプテンをやり、寮ではNGOのサークルを主催し、夏休みは海外にでかけ、冬休みと春休みは子ども学習会に参加し、家業を手伝い、家族の介護をしながら指導者になり、やがて教師になった。
そんな学生を何人も見届けてきました。
時間がない、というのは問題ではないのです。
もし、自分にとって差別問題や人権啓発が重要であるのだったら、時間は作るわけです。
時間がないとか、やりたいことが別にあるというのは、ようするに自分のこととは関係ないで終わっている、ようは自分の問題だと感じていないわけです―――」
そうなのである。【時間は作る】ものなのだ。
理由づけなど、大した問題ではないのだ。
 次にあげる問題提示をするあなたなら、アタシはしめたものだ。

―人間なんて所詮醜いねん。差別なんか人間の本性や!―
これはある意味では学習の成果だ。
そこにしか【逃げる】ところがないのだから。
そして、ほぼ間違いなく自分自身が悪い醜い体験をしてきたのだから。
そういうあなたはコロリと変わるはずだ。
理屈でなく体感してきた人は、逆に差別をなくする存在に一番近いのだから――。


あなたの問題点、あなたが検証してみてください。




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