proud じゃぱねせ

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親父の正月


お正月というと思い出す、親父の正月。

親父は自分で会社を始めてから、つい最近まで、
正月の三が日以外は毎日朝6時に家を出て、自分の会社の持つ全ての現場を回った。
雨の日も、嵐の日も、日曜日でも、具合が悪くても、、、

だから正月の三が日は親父にとって特別な休日だった。
彼は子供達に大きな声を出して騒ぐ事を禁じた。
ちょっとでも姉弟喧嘩なんてしようものなら、いつもの2倍ぐらいの爆弾が落ちた。
喧嘩で騒ぐ事も我慢ならなきゃ、自分に大きな声を出させる子供達にも我慢ならなかった様だ。
365日の内に3日しか休まないんだから、ゆっくり休ませてあげれば良い様なものだと、
今になっては思うが、当時はそんな事お構いなしの子供達な私達だった。

親父はその三日間、一切刃物を使わない。縁起が悪いからだそうだ。
年の暮れにひげをそった後は、一月四日まで髭は伸び放題で、
いつもだったら一日中現場にいて夕方遅くに泥まみれになって帰ってくる親父が
一日中何処にも行かずに、髭ボウボウのままこたつで寛いでいる。
それは、私達子供にはとても不思議に映った。

元々親父は、縁起を担ぐ方で、
とはいっても自営業をしている人は多かれ少なかれそんなものだとは思うが、
親父は特に徹底していた。
仏滅には、靴下どころか新しいペンさえ下ろさず、仕事に関する会合は必ず大安か友引に組む人だった。
母ちゃんはものに頓着しない人だったので、大変だったと思う。
古い靴が駄目になってしまったので、仕方なく新しい靴を仏滅に事務所の玄関に出して、
従業員のいる前で配慮が足りない事を咎められ、その新しい靴で何度も叩かれたそうだ。

「正月早々...」は親父の口癖で、良い事をしても何も言われないのだが、
泣いたり、喧嘩したり、母ちゃんに怒られたりすると決まって、
「正月早々、、まったく。ロクな一年にならないぞ。」と怒られた。
縁起を担ぐ親父は、正月早々に何か悪い事があるとその一年が全て悪くなってしまうと、
本気で信じていた。そして今もきっと変わっていない。

だから三が日は一円も使わない。
三が日にお金を使うと浪費の一年になってしまうからだそうだ。
だから神社にお参りにも行かない。お賽銭を払う事になるからだ。
お年玉もいつも四日にもらった。
親戚の子供達は心得たもので、四日までは顔も出さない。
だから母ちゃんはいつも年の暮れになると近所の駄菓子やさんでしこたまお菓子を買ってくれた。
私たちは毎年恒例のそれが楽しみだった。
だって、子供達がまかり間違ってお菓子を食べたいからお金を頂戴なんて言おうものなら、
親父の怒りの鉄拳は子供達ではなく母ちゃんに振り下ろされる事になるからだ。

四日になると親父は、お年玉袋の置かれた仏壇に題目をあげた後、
そのお年玉袋を私達一人一人に、
「無駄遣いするなよ。」と言いながら手渡した。
特別多くもなく、少なくもない平均的な金額だった。
無駄遣いするなよ、と言うだけに、そのお金を遣わせてくれるかと思いきや、
私達姉弟に貰ったお年玉全てを、ほぼ強制的に貯金させる親父だった。

私が小学校5年生の時だったと思う。(確か姉ちゃんも小学生だったから)
正月の四日の日に子供達三人を居間に呼ぶと、親父は母ちゃんに目配せをした。
母ちゃんは奥にある、当時の私の背丈ほどもある金庫から帯の付いた一万円札の束を3つ出すと、
私達の前に一束ずつ置いた。
親父は、「今回のお年玉はお年玉袋には入らないぞ。三人とも数えてみろ。」と言った。
それは、全部ピン札の100万円の束だった。
母ちゃんは濡れたタオルを持ってきた。

姉ちゃんと私はなんども濡れたタオルで指を湿らせて、2回数えた。
弟は小さかったので、母ちゃんが数えた。
その間親父は終始満足そうに微笑んでいた。
そのお金はその場で回収されたが、親父の計らいで母ちゃんが銀行へ足を運んでくれたんだろう、
後日それぞれの貯金通帳に1の横に『0』の六つ付いた金額が印字されていた。

「自分が金で苦労をした分、子供達には絶対に金での苦労はさせない。」と、
常日頃から言っていた親父。
子供の教育的にはどうなん?っというをまったく無視すれば、
子供達に対する、親父の精いっぱいの愛情表現だったのだろうと思う。


親父の犬 に続く


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