proud じゃぱねせ

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のんきとのその後1



私たちは毎日のように電話で話し、土曜、日曜は毎週一緒に出掛けた。
出掛ける度にのんきは、「昨日これを書いたんだ。」と私に手紙をくれた。
見かけによらずとっても綺麗な筆記体を書くもんで、笑ってしまった。

言い忘れたが、当時の私たちの会話は、日本語7割、英語3割程度だった。
のんきは日本語を勉強していて、話す事もある程度出来たが、
言っている事は9割近く理解していたと思う。
最初は嘘付いているんだと思って、私の言った事を理解したかどうか、
よく英語で繰返してもらった。

彼は自分の周りの多くの人が、日本人に対して、
「こいつ等馬鹿ばっかりだ。英語も話せやしない。ったくイライラするぜ。」
っと言うのをよく耳にして腹を立てていた。
「彼らは彼らの国にいて、奴等は人の国にいる。
自分が日本語を理解できないのを棚に上げて、
日本人が英語を話せない事を責めるのは間違ってる。」
っというのが彼の持論。
それ以来彼は「Japanese for busy people」という水色の表紙のテキストブックを、
繰り返し、繰り返し勉強した。
その本は今もここにあるが、もうボロボロのヨレヨレで、
ページの角が丸くなってしまっている。

初めてのんきのバラックスに遊びに行った時、
駅まで迎えに来てくれたのんきに促されるまま、部屋のドアを開けると、
バラの花束と、ヘリウムガスの入った風船の付いた熊のぬいぐるみが、
ちょこんと、ベッドの上に置いてあった。
その時その熊に付いていたカードは、今も私の財布に入っている。

私は今もその熊のぬいぐるみを持っているが、
その次に会った時に私がお返しにあげた犬のぬいぐるみは、
厚木の基地ののんきの部屋に置いてきぼりにされてしまった。

ある日曜日には、私の車で湘南海岸へドライブした。
帰り道、海岸線の道路(国道136だったか134号線)で渋滞にハマってしまった私たち。
私は近道をしようと、道のど真ん中でUターンをした。
その時、
「ドン」っと鈍い音がして、よく見ていなかったのだが、運転席側、
つまり私側のドアにバイクが衝突していた。
渋滞中だったのもあり、私も相手もスピードを出していなかったので、
大事には至らなかったが、
心配して、車を飛び降りてバイクに駆け寄り、声を掛けたのんきを見て、
東大生(後で判った)の彼の目はまさに『点』になっていた。
のんきは未だにこの事をネタにして私をからかう。

段々出発の時が近づいて来ていた、ある晴れた日曜日。
のんきと相模湖にドライブデートして、手漕ぎボートの上、
もうそろそろ留学計画の事を話さないといけないな、と思い、のんきに言った。
「9月から1年ほどアメリカに留学してくるよ。
もう手続きも全部済んでて、後は行くだけなんだ。」
のんきのオールを動かす手が止まった。
「僕の誕生日9月なんだよ。その前なのに行っちゃうの?」
「僕が教えてあげるよ、英語。だから止めなよ。」
「僕がいるのに1年も行っちゃうの?」

ここまで来るのに通って来た『棘の道』を考えると、
のんきとは一緒にいたいけど、
留学を留まる気は起きなかった。
「ごめんね、でも手紙とか電話とかでやり取りできるし、
たった1年だよ、すぐ帰って来るって。」
のんきは何か考える風で、返事もしなかった。

それからというもの、電話で話しても、何処かへ出掛けていても、
必ずその話になった。
「まだ行くつもり?その予定に変更はないの?」
「うん、どうしても行きたいから。」
そして、ここまでどういう過程でそうなったのかを説明した。

「そうなんだ。」と静かに言うと、黙ってしまった。
それ以来、引止めるような事は出来るだけ言わないようにしていたんだと思う。
態度でミエミエだったけど。。

出発の前日の夜遅くまで一緒に過ごし、しばしのお別れをして帰って来た。
姉ちゃんとその娘、弟、友達3人、母方の伯母とその娘夫婦(従姉妹夫婦)の総勢8人、
車2台での成田空港までのお見送りをしてくれる事になっていたので、
その段取りをしている時、
ふっと姉ちゃんが、「あんた、のんきは連れて行かないの?」と呟いた。
連れて行きたいのはやまやまだけど、伯母が黒人に対してどういう反応をするか判らなかったし、
わざわざ高速を降りてのんきを厚木の基地まで拾いに行ってもらうのは心苦しかった。
そう言うと、
「あんた馬鹿じゃないの?1年間会えないかもしれないんだよ?」と、
弟の部屋へ予定変更をしに消えた。
二人して戻ってきて、ひとしきり私をけなした後、弟も快く遠回りを引き受けてくれた。
私はこの二人のお陰で3X年の人生を最低限の後悔で生きていられるんだと思う。

のんきに電話をしてそう告げると、
「えっ?行ってもいいの?誘ってもらえなかったから、
僕は行ってはいけないんだと思ってた。」
私に聞く位の事すれば良かったのに、、、何も言わなかった私も私だけど、、
無意識のうちに傷つけてしまっていたんだと深く反省した。

そして出発の日、入国審査のゲートの前で一人一人にハグをして別れた。
のんきに、「ちゃんと、すぐ向こうから連絡するからね。」と言うと、
目にいっぱい涙を溜めてコクンと頷いた。

後から弟に聞いた話だが、のんき君、帰り道の車の中で、ずっと涙を流していたらしい。
姉ちゃんはもらい泣きをしていた。弟はのんきにハンカチを差し出した。
のんきはそのハンカチを受取ったがとっても恥ずかしかったそうだ。

私がアメリカに行ってしまった後も、のんきは私の姉、その娘、
私の友達に誘われ、東京ディズニーランドに行ったり、食事に誘われたりと、
しばらくは忙しく過ごしていた。

のんきとのその後2 に続く


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