proud じゃぱねせ

proud じゃぱねせ

まさか早産?


治療室からモニター付きで病室に移動。
どっと疲れて、極度の緊張とは裏腹に朦朧とする意識の中で、
のんきは今何処にいるんだろう?とか考えてた。

看護婦さんが点滴の準備をしながらいろいろ説明してくれた。
トイレに行く時以外は出来るだけ起きあがらない事。
トイレに行く時は、点滴のスタンド持参で、モニターからコードを抜いて、
そのコードを首から下げて(反対側の先がお腹に貼ってあるから)行く事。
お風呂は暫く駄目。
何か必要な時のボタン操作の仕方、電話の外線の使い方などなど。
説明を聞きながら、ああ、本当に入院するんだな、なんて、
ぼぉ~っとする頭で思った。

何時間かした頃、のんきがひょっこり顔を出した。
とっても心配そうな顔をしていた。
のんきはレントゲンを取ったり、外傷のチェックをされた後、
特に異常が見つからなかったために帰されたんだとか。
その後すぐに産婦人科の窓口に行って私の行方を捜していたらしい。

事情を看護婦さんから聞いて、
のんきは後ろ髪を引かれるように、一旦荷物を取りに家に帰った。

どうやらグラフの陣痛の波はどんどん大きくなっていたが、
私には痛みどころか筋肉の収縮さえ感じなかった。
事故当日が一番やばかったようで、早産の可能性を考えて、
ステロイドを打たれた。(肺の発達を促すため)
分娩室の手配もされた。

お願いっ。まだ産まれて来ないで。
せめてもう1ヶ月はお腹にいて。
たくさんのコードに繋がれて、ベッドでじっと天井を見つめながら、
私は何度も何度もお腹の赤ちゃんに話しかけた。

タイミングが悪い事に、
丁度その週の終わり(っといっても事故ったのが木曜日か金曜日だったはず)に、
私達は子供が生まれるって事で、同じアパート内の、
今住んでいる部屋(1ベッドルーム)から、2ベッドルームに引っ越す事になっていた。
翌週にその1ベッドルームに住む人も引っ越してくる事になっていたので、
今更予定を変更する事はどう考えても不可能だった。

のんきは荷物を持って戻ってきて、それ以降私が退院するまで、
私の隣の簡易ベッドで寝て、そこから仕事に行き、
一度うちに帰って猫に餌をやって、風呂に入って、また病院に戻って来て寝る、
と言う生活を続けた。

その間に引越しの期限もあったので、
のんきは一人ですべてを2ベッドルームの新しい部屋へ動かした。
毎日病院に来て、私にいるもの、いらないものを聞きながら、、、
その時に日本の『雑誌』は捨てても良いって言ったのに、
雑誌と同じ大きさの、私が昔から大切に使っていた料理の本もほとんど捨てしまったけど、
文句は言えないよな、やっぱり。

最初の2,3日は、看護婦さんが入れ代り立ち代りグラフをチェックしに来た。
1週間もすると陣痛が収まってきた様だ。
私は2日目には既に精神的には元気を取り戻していたので、
やっとか、と言った所だったが、、、
看護婦さんも顔を出してくれる間隔がだんだん開いてきたし、
来るといろいろ雑談をしていって、
「うち(この病院)で産めばいいのに。これも何かの縁だし。。」
と散々勧められた。
この次子供が出来たらここで産んでもいいな、と思える位、
設備の整った良い部屋だったし、看護婦さんもプロ意識の高い素敵な人が多かった。

10日目に無事退院。
体の事を考えてこのまま産休に入ってしまおうと思ったが、
ボスからのお願いでもう1ヶ月(普通の妊婦が産休に入る時期まで)働く事になった。
まぁいいか。体はもう良いんだし、お金は入ってくるし、
何より当時の仕事はやり甲斐もあって大好きだったし。
のんきはちょっと心配していたが、、、

という事で私は残りの時間を、
私の代わりに新しく営業業務に雇われた子のトレーニングに費やして、
1ヵ月後に無事(笑)産休に入った。


© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: