Precious love

Precious love

失った自分の半分



小学生の中~高学年ごろだったか、私は私自身の半分を失いました。
原因はいじめでした。
自己嫌悪感が強くなったのも、おそらくこの頃からでしょう。
なぜか、今でも覚えている。忘れることが、出来ないのです。
その瞬間に、自分を抑えるようになっていました。
学校という小さく、そして残酷な社会で、
自分を出すことはすなわち、猛烈な嫌がらせをされることに
繋がってしまうのだと。たとえばテストでも、
高得点の人の数が少ない中でそれをとってしまうと、
仲間数の少ない、孤立している人間が僻まれることを知ったのです。
それで、劣等感に苛まれる・・・。
その内に、だんだん人が怖くなっていったのも事実です。
出かける時も、誰かに見つかりたくない一心でした。
そしてその癖は、中学生になっても変わりませんでした。
中学になれば、いじめといういじめも殆どなくなりましたが、
自分自身を出すのがとても怖かったのです。
しかし、それではやっていけないからと、機会があれば人前で話を
することを選びました。それが、学校祭で発表した作文でした。
出来る限り、書きたいことを書くようにしました。何かが伝わることを
祈って。でもやはり、怖かったです。誰かに引かれることよりも、
またいじめられていたときのように戻ってしまうことが。
そんな日々を過ごしているうちに、だんだん自分自身が壊れていくように
思い、恐怖すら感じました。その大きな原因に、担任との人間関係
がありました。差別用語を平気で使ってくる。何度クビにしようと
思ったか分かりません。そんな追い詰められた日常の中で、
大きな先生との出会いもありました。その先生と話している時だけは、
不思議と気分が落ち着いていました。
高校に入ってからは、環境も地域も全く変わりました。
誰も自分を知る人がいない中で、ゼロから始めたいと思ったのです。
全てを、やり直したかったというのが一つ、大きな理由です。
そしてどうせなら、自分の住みたいと思った、大好きな場所で。
しかし全て、とまでは変わりませんでした。一つだけ変わらないのは、
人見知りでした。話しかけられれば話せても、そうでなければ
何も出来ないのです。それ以外は、殆どが見違えるように
変わりました。たとえば、学校にしても、徐々に自分を
開放することが出来るようになっていきました。
以前なら、自分の部屋で勉強することすらも辛かったのです。
だから全くしなかった。勉強といえば、自分の好きで読んでいる本
ぐらいでした。他は全くといっていいほどしませんでした。
今になってやっと、それらもすることが出来るようになりました。
そして現在、自己嫌悪感というのはまだありますが、以前よりは
本来の自分を取り戻しつつあります。


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