障害を持つ子の育ち 学習障害編 



朝起きることは自分でできても、朝の支度に手間取って仕方がない。先生が言うことが頭に入らないのだし、そもそも先生がしゃべっているときは話を聞かなければならないということ自体がわかっていない。

プリントはなくす、連絡帳にはみみずが這っている。時間割をあわせること自体が難問だ。カバンの底から出てきたくしゃくしゃのプリントや、連絡帳のみみずが何を意味するか必死に考え、「これは明日絵の具をもってこいってことじゃないの?」と確認しても、「それは違うって先生が言った。学校にあるって。」

本人を信用して学校にやる。やはり違っていたみたいで、帰宅した子はみんな手に絵の具カバンをい提げている。同じクラスの子に聞き出したら、「こないだプリントもらって、みんな注文したよ。今日もらったの。」と言う。先生に確認したらそのとおりで、「似たものをおうちで買って来てください」で済んだ。先生は「連絡帳に書かせてもプリント持たせても、Aちゃんには通じないんですね・・・困ったなあ。」と苦笑いをしていた。

文字がかなり読めるし、語彙が豊富なので、授業に集中できなくても、なんとか頭の貯金を駆使してこなしていたようだった。ただ答えがわかっていても、きちんとした人に読める文字が書けない。数字の6と9が書き分けられないし、7だか1だか4なのか、本人でもわからない。ひらがなにいたってはもう暗号で、文字の形になっていない。本人は必死に書くのだが、お手本を書き写すのならともかく、文字を思い浮かべて書くことはできない。

答えがわかっていても、書くことができなければ0点だ。先生が気にして面談をしてくれたので、こうお願いした。「不器用で、着替えや食事のときもうまくできない状態なので、文字だけうまく書くことはできないと思います。家でカラダや腕や手の使い方を教えて行きますので、文字の指導はもっとカラダがうまく使えるようになってからにしてください。」

先生はこの申し出を快く受け入れてくれた。「授業中に質問すると、わりと答えられるんですよね。あてずっぽうでなくて、きちんと考えている。ただ文字だけがネックなんですよね・・・他の子には内緒ですが、Aちゃんの回答は文字が正しくなくても○をつけておきます。」続いて先生はプリントを取り出し、「ここもAちゃんは6、8、7、のつもりで書いているんですよね。よほど気をつけないと読めないですけど。」

この先生の理解のおかげで、一年間は親も子も実に気楽でいられました。小学校生活の中で一番平和だった時期です。


© Rakuten Group, Inc.
X

Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: