普通にならなくてもいい



特に親が健常者で、子どもが障害者と言う場合、親は「障害を軽くしたい、目立たなくしたい、できる限り普通に近づけたい」と思うようです。その結果子どもはありのままの自分ではだめだ、と親が立てた目標に向かって努力を続けます。幸い(といえるかどうかは疑問ですが)訓練が実を結んで、「健常者に近い障害者」あるいは「健常者をしのぐ能力を持った障害者」になったとしても、自己否定を繰り返してつらい訓練をしてきた結果、「じぶんらしさ」を失う結果になることがあります。

親は「子どものため」に愛情を持って子どもの療育に当たりますが、その訓練が「今のあなたでは到底愛せないから、愛されるに値する子どもになりなさい」という無言のメッセージを伝えていないか、考えて欲しいと思います。

私の母は、私の欠点を治すために、いろんなことをしてくれましたが、それは私のためになったというより、「私はだめだ」という自己否定を生み出しただけでした。しかしその体験は私が母親になって育児をする際にとても役に立ちました。しかる時には行った行為だけを叱るべきで、子どもの自己評価をさげるようなしかり方をすべきではないということを、身を持って知ることができたのですから。

自分と子どもが違う人格や体を持って生まれてくるのは当たり前のことだと思いますが、「子どもが普通ではない」というだけで親子の間に壁ができてしまうのはなぜなのかと思います。障害があろうとなかろうと親子なのだから、それこそ「普通に」親子関係を結べばいいと思いますが、親子というより訓練士と患者のような関係になってしまう、あるいはへルパーと利用者のような関係になってしまうのを見ていると、複雑な気持ちになります。


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