ありがとうのホームページです

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子どもたちとともに

じいさんとばあさん

じいちゃんとばあちゃん。子どもたちはこの二人に
育てられたと言っていい。二人は我が家から歩いて
5分ほどのところに住んでおり、中学、高校の息子
たちは部活で遅くなったといっては帰りに寄って夕
ご飯を食べて帰ったり、泊まって二人と一緒に枕を
並べて寝たりしている。息子たちも、ぼくたちも
どんなに助かっていることか。


嫌いな言葉

 ぼくの大好きな「神との対話」には、『子育てをするには父母には若すぎる。
もっと人生経験の豊かな祖父母の代がするとよい』と書いてあります。余裕を持
って子どもに接することができるからでしょう。

 子どもが生れた瞬間から、私たちは、親になりその教育から、食べさせること
から何から何まで、全ての責任を負うことになります。それは大学の教育学部を
卒業してすぐに教職に就くということとわけが違います。何もかも初めての経験
ですから、悪戦苦闘のはじまりです。

 子どもに接するとき、親が使う嫌いな言葉があります。「それは理想だ、現実
はそうではない」とか「世間にはそんなことは通用しない」というものです。

 そんなときはこういうふうに言い直して欲しい。「それは理想だから、真っ直
ぐに進みなさい。私たち親が人の目を気にしながら、言いたいことも言えず、や
りたいこともやらず、暗黙の中で互いに牽制しながらこんな現実を作ってしまい
ました。自分も応援するから、どうか理想を現実のものにしてほしい」と。

 『世間』とか『現実』というのは、それぞれの大人が選択した一つの消極的な
社会の状況をいうのであって、自分で物を見て考えることを放棄した人の言葉だ
と思います。逆に言えば、人の数ほど異なった現実があると思うのです。

 こんなことを書きながらも、その思いと行動が一致しないことも多く、実際は
子どもからたくさんのことを学んでいる、という情けない親をやっています。

 ぼくが息子たちに願うことは、いつの瞬間も、生き生きと生きていることです
。いのちが輝いていることです。これは自分自身に対する願いでもあります。

 『子育て』という言葉がありますが、子どもは育てるのではなく育つものである、と信じています。

 ぼくたちは何度も何度も人間に生まれ変わってそれなりの体験をしてきている
のですから、今生は、余計なことを言わずに、子どもを見守っていればいいとは
思うのですが、これがなかなか・・・・・いつも余計なことを言っては反省して
います。




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