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北御門二郎さんに会いに行った話②

北御門さんのお宅
集落から少し離れた山すそにあるお宅です。
評論家 小林秀雄が訪ねた折、その生活を羨ましがった、といいます。
手前は堆肥小屋。向かって左側が書斎になっています。


やっと会えた

 4月はずっと湯山にいるという連絡をもらい4月27日連休を利用して出かけることになった。西都から西米良に抜け湯前に着いた頃から緊張感を覚える。あと10kmあまり。

 市房ダムを左に見ながら進むと、眼前に新緑の市房山を背景に湯山の牧歌的な美しい風景が開けた。小さな橋を渡り集落に入ったところで道端にいた中年の女性に北御門さんの家を尋ねた。
 北御門さんと同じ山里に住み、何らかのかかわりを持って生活をしているというだけで、この女性に対して普段と違う言葉遣いをしている自分に気づいた。

 車というものは便利なものだと思うが、そのスピードとこちらの気持の歩調が合わないことがある。その後2,3人に道を尋ねながら集落から少し外れた山あいにある御宅にたどりついた時、心の準備をする余裕は全くなかった。

 『エーイこうなったら行くしかない』と玄関にまで進み、開いたドアから声をかけてみた。長男のすすぐさんの後から着物を着た坊主頭の北御門さんがニコニコして出てこられた。「よくいらっしゃいました。今村さんは手紙をもらって気心が知れているから、書斎に上がってください」と迎え入れてもらった。



続 やっと会えた

 さっそく書斎を拝見することになった。そこは一番南側に位置して、最も明るい部屋となっていた。掘り炬燵になっている机の上には、翻訳作業中のノートと「トルストイの書簡」の原書が置かれてあった。炬燵の左側の本棚には座右の書の論語や聖書などが並んでいて手を伸ばせばすぐに届くところにあった。その向かい側、右手の本棚には2,3段にわたりトルストイの何十冊かの原書が、出版された北御門さん訳本とともに立てられていた。その下には、ぎっしりと万年筆で書かれた翻訳ノートが、幅1mくらいにわたり並んでいた。

 炬燵に座って北御門さんの話を伺ってはいたものの、やっとたどり着いた安堵感も手伝い、夢を見ているような気持でいた。そして何度も「ああこの人が北御門さんなのだ」と言い聞かせていた。



北御門さんの談話より

 「私は先日、岩波新書でトルストイに関する本を出版することになり、原稿を東京の出版社に送った。そのあと東京に呼び出しがあったので、出かけていくと立派なホテルの一室に岩波の若い人たちに閉じ込められて原稿を訂正するよう迫られた。

 その中で、私は武者小路実篤の批判をしたのだった。彼はトルストイの理想郷を目指していたものの、結局戦争に加担してしまった。
 また、岩波文庫で米川正夫訳でトルストイの本を出しているが、その訳を読むと一つや二つの誤訳には目をつぶるけれども、全く読むに耐えないひどいものであった。それらのことについて記載した部分を削除するように言われた。

 岩波から本を出すことは多くの人に読んでもらえる魅力はあった。だから、彼らの申し入れについては一応保留にして熊本に帰ろうとしたが、帰りの飛行機の中で、絶対に訂正などしないことを決意した。」





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