うそ 0
ものがたり 0
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福井県 東尋坊 世界三大絶勝、溶岩によって出来た巨大な斜めの柱状の岩が海岸線に沿って約1km続く福井県 紫式部像石川県 兼六園の霞が池と唐崎松岐阜県 白川郷の合掌造りコロナ以前は年に一回位学会参加を兼ねて旅行していたが、コロナが蔓延してからはどこへも旅行したことがなく、ここ5~6年はどこにも旅行したことがなかった。北陸新幹線が開通し、福井あたりに行って見たい気持ちがあった。同級生3人が集まった時、旅行の話がでて、福井に行ってみたいねという話になり、「開通した新幹線で行こう」と提案したらある同級生の婿さんが運転上手ということで婿さんの運転で北陸、中部の旅をすることになった。土曜日に出発し月曜日に帰ってきた。甲府から中央高速に乗り、長野、富山を通って石川県能登の災害復興状態を視察をしてきた。輪島と珠洲市の分岐点では珠洲の被害も大きかったがとりあえず輪島の方に曲がって地震や水害の状況を観てきた。街の中心部では7階建てのビルが横倒しになっており、そのままの状態だった。各地に家屋が倒壊した跡があり、火災で焼けた朝市地方は広い範囲が平地となっており、復興はどこから手を付けたらよいか分からない状況だった。石破総理は災害省の設置を唱っているが、災害の予知、予防、復興と大変なことで、全知を集めて災害被害が最小で済むように制度化してもらいたいと思った。行き帰りの道路は何か所かは車線を変更しており、曲がりくねって凹凸があり、がったんごっとんする道が多かった。能登まで行って帰ってきたら思ったより時間がかかり、金沢駅近くのホテルに着いた時は予定より2時間くらい遅れて夜7時半頃だった。翌日はタクシーで金沢市内をまわり元遊郭だった東茶屋街、尾山神社、兼六園を見学した。その後福井県あわら温泉に向かったが途中で岐阜県の白川郷に寄った。外国人観光客が圧倒的に多かった。金沢の東茶屋や兼六園も外人観光客で一杯だった。そしてあわら温泉のホテルで荷物を降ろして東尋坊に行ってきた。遊覧船にも乗った。その夜は温泉に入り、翌日は紫式部公園をみて帰りは滋賀県の琵琶湖の一部を回って東名高速に入り、名古屋、静岡を経て中部横断道で甲府に帰ってきた。約700kmの行程を運転してくれた同級生のお婿さんにお礼を言って解散になった。運転手さんは大変だったと思うが、我々にとっては、色々見学したり学ぶことがあって楽しい旅だった。
2024.10.09
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影絵の森 藤城清治(99歳)月の砂漠影絵の森 藤城清治(99歳) 釣りの少年竹下夢二(1884~1934年)東京行進曲山下清(1922~1971年)ハチの巣仙娥滝前で見知らぬ外人から「3人一緒に撮りましょうか」と言われて撮って頂いた今年滋賀県内の大学建築学科を卒業して九州勤務になり今千葉県で研修を受けている孫が九州(熊本)勤務になる前に甲府を訪ねてくれた。昇仙峡にある藤城清治氏の影絵の森と昇仙峡の仙娥滝に行ってきた。影絵の森には竹下夢二さんの絵と山下清さんの絵も飾ってあったのでその写真も撮ってきた。仙娥滝では見知らぬ外人から「3人一緒に写真撮りましょうか」と言われて撮って頂いた。真ん中の人は随分痩せているのだなという印象を持った。
2023.08.06
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アメリカアイダホ州に住む孫達が今年も日本の学校に体験入学するためにやってきた。アメリカでは夏休みは約3か月間あるのに宿題は何もない。それなのに彼らは日本にきて毎日学校に行き毎日宿題をさせられている。昨年までは弟の方は毎朝日本の学校行くのは嫌だと泣いてごねていた。無理もない。アメリカのお友達は3か月間何の宿題もなく遊んでいるのに自分達だけこんな厳しいことをさせられてと思っていたと思う。でも次第に高学年になり、今年は朝出かける時泣かないか案じている。東京駅前で孫と婆さんと本日東京駅まで爺さんと婆さんで迎えに行きアメリカの学校では修学旅行で江の島、鎌倉に行けないので日本に来た時鎌倉に行こうということになり、高徳院の大仏と鶴岡八幡宮を見学してきた。約13.4mの鎌倉大仏子供達は長い飛行機旅で時差ボケもあったが若さで鎌倉観光の1万5千歩を平気で歩いていた。婆さんも元気で疲れは全く見られなかった。爺さんはへとへとだった。日頃病院勤めで、殆どがご高齢の患者さんとのお付き合いの環境から一歩外に出てみて、あまりの違いに目がくらんだ。皇居前広場や鎌倉の八幡宮の参道を歩いている人たちは皆さん若くて私のような高齢者はめったに見られなかった。中国を主体とする外国からの観光客や修学旅行の生徒たちが多かった。日本人では総じて若い女性が多く、颯爽としており、私のようにくたびれきった様子で歩いている人はいなかった。私は日ごろは家と病院の往復のみで外界に触れることもなく体を鍛えることもしてこなかったので今回自分のぶざまな姿を痛感したが、高齢になったからという面はもちろんあるが、高齢でも溌溂としている人もおり、もう少し外界に触れるようにしたり、体つくりに専心するようにしなくてはと思った。
2019.05.29
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アメリカのポートランドに住むМさんが昨日笛吹市にある我が病院を訪ねて来てくれた。仙台が実家で高校卒業するとすぐ単身でアメリアに渡り、もう約30年間アメリカで暮らしている。多くの人は外国に渡っても数年で帰国して自分のキャリアップとかステータスの一部として自慢したりしているがMさんは飲食店関係の仕事一筋に下積みの仕事から現在までづっと異国の地で暮らしてきた。さぞかし辛い思いもしてきたと思う。一般にアメリカは自由な国で多くの人が憧れてきた。しがらみがなく暮らしやすくて日本よりいい生活ができると思われてきた。実際Mさんがアメリカに渡った頃は辛いことはあったが日本より豊かな生活だったようだ。しかしその後日本の生活レベルは向上し今では日本の方が便利で生活しやすい環境になってきている印象とのことだった。アメリカも日本も地域によって異なるので一概に比較できないが渡航初期のころと今では大分違うとのことだった。仙台のお母さんもだんだんご高齢になってきているので近く日本に帰ってくることを考えているとのことだった。帰ってきたら日本で仕事を探さなければならない。日本は今空前の人手不足と言われているが、介護部門とか飲食業、建設関係の仕事、農業などの需要は高いが他の業種などについてはどうかよくわからない。それでも探せばきっと見つかると思うので私も「お母さんも喜ぶし日本に帰ってきた方がいいと思いますよ」と背中を押した。今日アメリカ大統領のトランプさんが国賓として来日した。トランプさんは浅薄なところのある大統領だが、来日を機に日本の良さも悪さも肌で感じて金のことだけでなく心の面でアメリカをもっともっと住みよい国になるよう頑張ってもらいたいと願っている。
2019.05.25
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孫達の日本の学校での勉強も後8日で、7月20日が修了式で21日には甲府を離れることになっている。山梨にいる間にどこかに連れて行ってやりたいと本日清里に行ってきた。標高1549メートルの美し森に上り、ロックで昼食を食べ、メリーゴーランドに乗り真実の口に手を入れて占いをしてもらい、清泉寮でソフトクリームを食べて帰ってきた。ロックも清泉寮も混んでいたが、清里駅前の商店街は閑散としていた。栄枯盛衰は世の習いというが、かっては日曜日など混み過ぎて歩けないくらいだったが、今は日曜の今日でさえ人影は殆どなかった。私は清里に限らず栄えていたお店などが潰れて無くなってしまうと悲しくなる質で、そこを通る度に悲しくなる。廃れてしまったのにはそれなりの原因があると思われるが、世の中には廃れると心苦しくなる人間がいるので、廃れないように工夫、努力を重ねてもらいたいと願う。Studying at the Japanese school of the grandchildren is just 8 days later,July 20 is the completion ceremony and it is supposed to leave Kofu on the21st. We went to Kiyosato today to take them somewhere while in Yamanashi.We went up Mt. Utsukusigamori with an altitude of 1,549 meters, ate lunch atRock, took a merry-go-round and put a hand in the mouth of the truth andtook fortune-telling, eating soft serve icecream at the Seisenryo and cameback.Rock and Seisenryo were crowded, but the shopping area in front ofKiyosato station was quiet. Although it is said that the ups and downs isgeneral in the world, it was crowded and it was hard to walk on Sunday inthe past, but now there were few people even on Sunday today.Not only Kiyosato but also the shops that were prosperous past, later werecrushed and disappeared make me sad, and I feel sad whenever I go throughit. Although it seems that there is a reason for it to be obsolete, thereare some people who have a hard time in the society, so we hope to deviseand effort so that they will not be lost.
2017.07.09
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今回のアメリカ旅行でボイジに住む婿殿が車で8時間位かかるイエローストーン国立公園に連れて行ってくれた。自然のままの広大な大地で温泉や湖が無数にあり、野生動物が自然のままに暮らしていた。道の真ん中にバイセン親子や鹿の親子が現れることもあった。熊の親子が何か食べているところも見ることができた。間欠泉で1-2時間ごとに10mも温泉を噴き上げる火山を観ることも出来た。狭い日本で病院という小さな世界で暮らしている人間にとっては心が広がるような体験であった。マンモス石前の子供達My son - in - law who lives in Boise on this trip to the USA took me toYellowstone National Park, which took about 8 hours by car. There werecountless hot springs and lakes in the vast land of nature, and wild animalslived in their natural state. In the middle of the road there were alsocases where bison parents and deer parents appeared. I could see where thebear parents eat something. We could also see a volcano with a geyser thatspurs hot springs as much as 10 meters every 1-2 hours. For people who livein a small world of hospitals in a narrow Japan it was an experience thatspreads my mind.写真の説明、上から順にバイソンと間欠泉、クマの親子、10メートルも吹き上げる間欠泉、エメラルド湖、道端を歩いているバイソン親子イエローストーン国立公園ワイオミング州北西部を中心とする、約8800kもの広さをもつイエローストーン国立公園はアメリカ最大のもので、ワイオミング州に96%、モンタナ州に3%、アイダホ州に1%かかっている。世界全体の半数に相当する1万例以上の地熱性の池などを有している。また地球上の3分の2に相当する300以上の間欠泉も有している。1872年に世界で最初に誕生した国立公園で、グリズリー熊やオオカミ、バイソン,エルク(大鹿)などの野生動物が生息していることでも有名である。Yellowstone National ParkThe vast natural forest of Yellowstone National Park covers nearly 9,000 km2; 96% of the park lies in Wyoming, 3% in Montana and 1% in Idaho.Yellowstone contains half of all the world's known geothermal features, withmore than 10,000 examples. It also has the world's largest concentration ofgeysers (more than 300 geysers, or two thirds of all those on the planet).Established in 1872, Yellowstone is equally known for its wildlife, such asgrizzly bears, wolves, bison and wapitis.
2017.05.15
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孫とミス・ワーナー先生家の庭に現れた野鹿ゴールデンウィークを利用してアメリカに行ってきた。アメリカは広大であり、地域によってそれぞれの地域で違いはあると思うが私が訪れたのはアイダホ州ボイジなので、ボイジ周辺で感じたことを述べる。まず道路や建物全てが広い。そのせいか運転者にも余裕があり、無理な追い越しはほとんどなく、他の道から入ろうとする人はゆっくり待って入れてあげる。日本では考えられない。スーパーに買い物に行くと殆ど全ての人がハーイと言ってにこにこ笑いながら挨拶してくれる。東洋人は珍しいからなのかもしれないが、とにかく人懐っこい。日本人は全く知らない人に手を振ったり笑いかけたりしない。日本人より楽天的で心が広いように感じた。小学校も見学したが、机の並び方もきちんとした列ではなく、いくつかのグループに分かれて雑然と置かれていた。日本は規律を重視するがアメリカでは基本的には自由である。中には学校に行かなくて自宅学習の生徒もいるという。しかし生活面を見るとウオッシュレットがどこの公共施設にも家庭にもない。貧しくて買えないのではなく、彼らはそれを必要としていないのである。シャワーも上から注ぐだけのもので日本のように手に取って体のどこにもかけられるものはない。レストランにいってもウェットティッシュを出してくれるところはなく、汚い手で平気でつまんで食べている。衛生観念が日本とは全く違うのである。彼らはおおらかで日本人は神経質との印象をもった。トランプ大統領は排他的政策を打ち出しているが住民は親切で付き合いやすいと思った。I went to the United States using Golden Week. The United States is verylarge and I think it may be different in each area by an area, but writehere what I felt around Boise because it is Boise, Idaho that I visited.At first, all the road and the buildings are wide. As the result, driversare able to afford, not to pass a car forcibly and the drivers are able towait a moment kindly to put the other car in their way. It is not thought inJapan. When I go to the supermarket for shopping, almost people say hellowith a smile. As an Oriental person may be rare there, but, anyway, they arevery friendly. We Japanese never wave our hand to a person who are not knownat all and does not smile. I felt that they are more optimistic and generousthan Japanese. I observed the elementary school, the desk were divided intosome groups, and the row of desks were put in disorder not a tidy row. Japan makes much of rules strictly, but the United States is basicallyfree.It is said that there are the students of the home schooling among them.However, neither public accommodation of any place nor the family has a washlet when I see an aspect of living. They are not so poor to buy it, they donot need it. They are using the showers which are only poured from the top,and they are not available to shower anywhere of the body, on the contrastJapanese ones are available.There are not the place where they give a wet tissue when we go to therestaurant and the visitors pick the foods up by a dirty hand and eat them.A hygiene idea is totally different from Japan. They are tolerant, and theJapanese have an impression with the nervous temperament. The PresidentTrump propose an exclusive policy, but the inhabitants are easy to gotogether with kindness.
2017.05.13
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昨年までは自治会の役員をしていたのでどこへも出かけることは出来なかったが今年は卒業したので旅行や映画その他で英気を養おうと思う。庭のシャクナゲUntil last year I was an executive at the local residence so I could not goanywhere but since I graduated this year, I will try to develop spirit bytraveling and movies and others.
2017.04.28
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今日は国民の勤労と生産物に対して感謝する日で休日である。少し時期的に遅かったが紅葉を観に河口湖に行ってきた。最も美しい時期の紅葉は見られなかったがおいしいスパゲッティのランチを食べて楽しかった。久しぶりに休養した。Today is to thank for Labor and products of nation and holiday. I drove tothe Kawaguchi Lake to see the coloring of leaves , although it was somewhatlate to see the most beautiful sights. But we enjoyed today to have nicelunch of tasty spaghetti. I took a rest for a long time.
2016.11.23
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明日と明後日の乳房X線読影講習および試験のために先ほど名古屋に着きました。名古屋駅の大きさ、人の流れ、名古屋市の大きさに驚いています。甲府市とは比べ物にならないと思いました。サークルKが山梨県にはないので映画「風に立つライオン」のチケットをインターネットで買ったけど無駄にしてしまったと思いましたが、名古屋にはあるということでサークルKを探して発券してもらう事ができました。後の問題は山梨県で「風に立つライオン」を上映しているかですが、上映していなければあきらめるか他県に行って観るかしようと思っています。今ホテルのパソコンで10分100円で200円入れたけどもうすぐ時間切れになりそうなのでこれで終わりにします。部屋に帰って受験勉強をしようと思います。さようなら。
2015.04.24
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新幹線の中から撮影した立山連山 国宝瑞龍寺の総門今富山から帰ってきた。そこは大変素晴らしいところだった。立山連山を富山駅からと新幹線の中から撮影した。雪に覆われており大変美しかった。昨日国宝瑞龍寺に行った。それは360年前に加賀藩第3代藩主前田利常によって第2代藩主前田利長の菩提を祈念するために360年前に建立されたものである。それは非常に荘厳で頑丈だった。屋根は鉛で造られていた。それは戦争の時には屋根が鉄砲の弾を防ぎ、寺が城の代わりに、防御に役立つと考えられていた。I came back from Toyama now. There was very nice place. I took a picture ofTateyama mountains from Toyama station and from the bullet train. That wascovered by snow and very beautiful.I visited the national treasure Zuiryuji yesterday. This temple was built byToshitune Maeda 360 years ago praying for the repose of Tosinaga Maeda. Thatwas very magnificent and strong, the roof was made of lead. It was thoughtthat the roof could be used for the bullets in case of war, and that thetemple could be used for protection instead of the castle.
2015.02.22
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札幌大通り公園で北海道旅行から帰ってきて12日位過ぎたが、旅行の主目的は同級会参加だったので同級会関係の記事を中心に旅行報告3として書かせていただく。同級生は85人いてそのうち14人はすでに亡くなっており、存命する71人中22人が出席した。同級生の中で3人女性がいたが、そのうちの一人が出席していた。45年ぶりにお会いして挨拶したら笑顔で「お元気そうで」と言い傍らの妻を見て「いい奥さんで」と付け加えた。後で妻は「一度会っただけでいいとか悪いとか分かる訳ないよね。それよりその方は小児科医で6人のお子さんを育てたとのことで、仕事と家庭を両立させてその方のほうがずっといい奥さんだよね」と言っていた。どちらの方がいい奥さんかは別としてわが奥さんのことを考えてみた。性格や好みの違いからよく喧嘩するし、不満もあるが、初対面の人が「いい奥さんで」と言ってくれたのはそのような雰囲気があったのだと思う。人から言われてそう思うのではなく、意見の違いは別として、いい奥さんには間違いないので感謝して大事にしなくてはと思った。神経の病気で口や手が動かなくなった人でも目の動きをキャッチして会話ができる機械を最初に発明した神経内科医の同級性にも45年ぶりに会った。彼曰く「後ろの方に座っていたのでホテルの人かと思った。本当にOO君なの?」「OO君は学生時代すごく真面目だったけど今もすごく真面目そうで銀行員みたいだ」と言われた。喜んでいいのか嘆いていいのか分からなかったが、昔も今も真面目そうだということを言いたかったのだと思う。そういう彼も学生時代とちっとも変っていなかった。二次会では少しはまじめでないところを見せようとして下手な歌を何曲も歌った。学生時代からは想像できないという声も聞こえた。札幌では昔よく行った大道り公園にも行った。テレビ塔の下でラーメンを食べたが値段の割に今一だった。学生時代下宿していた家の奥さんがすでに90歳を過ぎているが元気とのことで昔の記憶を頼りにタクシーに乗って尋ねたが尋ね当たらずタクシーの運転手が一軒一軒聞いてくれたのには申し訳なさでいっぱいになった。私の準備不足の結果で痛く反省した。懐かしい同級生達、国際的に有名になっている人もいたし、精神科医で評論も書いており、テレビや雑誌で活躍している人もいた。90歳の下宿のおばさんに会えなかったのは残念だったが色々学んできた楽しい旅行だった。
2014.10.25
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北海道大学の同級会に参加するためです。ブログはしばらくお休みします。明日、明後日の外来予約、かなり前から入っていた予約もあり事務の人が予約変更の電話をしてくれていました。本当に申し訳ないと思いました。数日休むのは大変なことです。外来もですが入院の方が大変です。今日「金、土と休ませてもらいます」と言いましたら90歳の女性入院患者さんから「私はどうしたらいいの」と言われてしましました。何かあったら他の内科の先生にお願いしてあるからと言っても不安そうでした。今週末は北海道、来週末は地域の文化祭の舞台回しや連絡係、その次の終末は神戸の学会に行く予定でしたがその次の終末も予定が入っているので、神戸の学会行きは中止にしようかと考えています。10月は5日の歌の発表会から始まって全ての日曜日が結構な業務で塞がっており、すごいプレッシャーを感じていました。でも「明日を思い煩うことなかれ」というキリストの言葉もありますので、思い煩うことなく1日1日をひたむきに生きて行こうと思います。今日病院の帰り際に病棟の看護師さんあから「お土産を待ってますからね」と言われました。どこの範囲まで買ってくればいいのか思い煩うことが加わりました。私のところにはくれなかったと言われるのもつらいし抱えきれないほど買ってくるのもつらいし、病院を休んで旅行に行くのは本当に大変だなと思っています。
2014.10.09
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清里に行った時ローマの休日に出てくる壁画の「真実の口」があった。口の中に手を入れると誠でない人は手をかまれて抜けなくなってしまうというあれである。一緒に行った7歳の女児と5歳の男児が手を入れたいという。100円入れて口の中に手を入れると何やら大声がして占いの結果が紙に印刷されて出てきた。下から光を当てて手相をコンピューターで読み取ってその人の運勢を教えてくれる装置である。5歳児は今までに、自分に気に入らないことがあったり、欲しいものをもらえなかったりやらせてもらえなかったり、注意されたりすると大声でわめきだし注意するとさらに暴れて物を投げたり大人に殴り掛かってきたりして手に負えなくなる事がしばしばあった。最近ではかなり少なくなったとのことだが我が家に来てからも2-3回は目にしてきた。その子の「真実の口」から出てきた占い結果は、健康や仕事運には恵まれているが、人の話を素直にきかないところがあり、それを直さないと出世や結婚にも差し支えると書かれていた。それを読んでもらって彼は「真実の口にバレバレだったか?」と反省したみたいだった。「結婚できなくなるんだって」とも言っていたし、「よく当たるなー」とも言っていた。そして今日、またほんのちょっとしたことで騒ぎ出し暴れそうになりかけたが、いつもなら注意すればするほど手がつけられなくなるが、今回は「真実の口が見ているよ!」と言うと自分の手を口の中に入れて泣きを抑えて普通の精神状態に戻った。真実の口の御利益はすごいと思った。これがどこまで続いてくれるか分からないが、少しでも長く、この状態が続いてくれと願っている。世の中には占いを信じる人と信じない人がいる。彼は典型的な前者だなと思った。
2014.07.01
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本日は日曜日で朝から清里に行ってきた。清里と言えば県内きっての観光地で日曜日や夏の期間は大勢の若者たちで混雑するところだが今日は夏日で日曜日、お客さんがほとんどいなくてシャッターが閉まっている店も多かった。あの混雑はどこに行ってしまったのだろうか?栄枯盛衰は世のならいとは言え、さびれて行くのを見るのはつらい。それでも萌木の村のレストラン ロックは混んでいた。そこでカレー等を食べて、その近くのメリーゴーランドに乗った。子供達は大喜びだった。でもお客は少なく、次に行った時なくなっていたら困ると思った。そのあとオルゴール博物館で世界一のオルゴールの演奏を聞いた。また穴のあいた紙テープを自分で回させてもらって実際に素晴らしい音色のオルゴールを聴かせてもらったりした。帰ってきてから家の近くの武田信玄の隠し湯といわれた要崖温泉に行ってきた。ここでも子供達は大喜びしてくれた。それからの夕食だったので普段はあまり食べないのに今夜は何でも沢山食べてくれて御馳走を作るのを好きな家内が大喜びしていた。
2014.06.29
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今東京から帰って来たところである。新宿駅から電車に乗る前に、自宅に連絡したいことがあったがあいにく携帯電話を忘れてきてしまったので公衆電話を探したがどこにもみつからなかった。指定券を取るために窓口に行った時に受付嬢に聞いたところ「改札を入ったらありますよ」と教えてくれたのでホームからホームとずっと捜し歩いたがどこにも見つからなかった。ホーム内の売店のご婦人に聞いたが分かりませんとのことだった。歩き疲れたが改札まで戻って改札のおじさんに聞いてみた。13番線の階段の脇にありますと教えてくれたので13番線の階段の所まで引き返して周囲を探したが見当たらなかった。半ばあきらめどなたかに携帯を借りようかとも思ったが、見知らぬ人に携帯を借りる勇気は中々湧 いてこなかった。それでもと13番線のホームを探して歩いていたらホームに一つ緑色の昔ながらの公衆電話がやっと見つかった。何千メートル歩いたか分からない。やっと通話することができたが、今や公衆電話はないものと思った方がよいと思った。昔はいっぱいあったが、今や携帯電話が普及し、公衆電話の利用者が激減し、採算が合わないとして撤去されてしまったのだと思う。携帯電話を持ってない人や忘れた人には死活の問題になることもあるが、採算性を考えたらやむおえないのかもしれない。さみしいことである。家に帰ったら私たちがよく日曜日などに行っていた中華料理店が潰れてしまったとの話を聞いた。お客さんが少ないので気の毒に思い努めて私たちはそこを利用することにしていたが、日曜日の昼なのに客はほとんど私たち老夫婦だけということがほとんどだった。おいしいのに接客態度や営業努力が足りなくて客足が遠のき遂に潰れてしまったのだと思う。さみしい限りである。もうあのおいしい中華料理が食べられなくなると思うと悲しい。公衆電話といい、なじみのお店といい、なくなっていくのはさみしい。自分もそのうちに亡くなっていくがそれは時代の流れでどうすることもできない。せめて潰れそうなお店には勇気をもってそれなりのアドバイスをしてやればよかったかなと思った。
2014.06.08
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東京駅今日は日曜日だったので日帰りの東京旅行に行ってきた。コースはスカイツリー→築地場外市場→東京駅丸の内駅舎だった。スカイツリーではガイドさんが展望デッキ350mと450mでは展望の様子はあまり変わらないと言っていたが、最上階の展望デッキにも行ってきた。東京が一望できて素晴らしかった。団体でなかったら望遠鏡でもう少し詳しく見てみたいと思った。築地場外市場ではすしざんまい本陣でお寿司をたべ買い物をした。すしざんまいは3年連続で大間マグロを最高値で落札したところとして有名な寿司屋さんとのことでさすがにおいしかった。東京駅はすごかった。写真は天皇陛下のみが入る中央口である。一般人が通る中央口はすぐ隣にあった。南口には原敬首相が若い暴漢に刺されて死亡したところが示されていた。原内閣の強引な政治に反対して凶行に及んだとのことが書いてあった。ガイドさんの話だと地震があっても直撃を受けないように浮いているようになっているとのことだった。現場で説明してくれて土台と本体の間にローラーが入っていて地震がきても本体には影響がないように造ってあるとのことだった。よく見るとレンガや土台のコンクリートはつぎはぎだらけだったのでガイドさんに聞いたら、元の古いレンガや土台はできるだけそのまま使ってあるとのことだった。歴史的な古いものをできるだけ使って超最新鋭の建物を造った日本の建築技術は相当なもので、さすがだなと思った。
2014.05.18
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旅と言っても東京に行ってきただけだが、旅行はいいものだと思い、記事にした。昨日土曜日の午後4時頃から東京でグループ病院診療部の懇親会があるので、何とか2時頃までに外来を終わらせて車で石和温泉駅に駆けつけて2時半の電車に乗れればいいと思っていたが、外来を終わらせて駅に駆けつけてみたら2時半を過ぎていた。次の電車は3時半なので近くの喫茶店でコーヒーを飲み、ソーセージを食べて時間稼ぎした。その時までの精神状態は2時頃までには外来を終わらせたいとの気持ちがあったからか、いつも以上に慌ただしく、石和温泉駅に着いた時にはカサカサのすさんだ気持で、人様のことを思いやったり、親切にしようなどという気持ちも湧いてこなかった。しかし電車に乗って東京に着き、懇親会に出て一泊して日曜日の今日帰ってきて、ほんの少しの期間だったが旅行気分が味わえてカラカラに乾いた気持ちがリフレッシュされた。高島屋や東急ハンズで買い物をし、食事を食べて帰ってきたが、それらの部所で働いている人達をみて新鮮な感動を覚えた。ずっと立ちっぱなしで入り口のところで案内している人、売り場で立って売ったり、包装している人達、お茶や食事を運んで来てくれる人達、皆さん笑顔で親切で、プロフェッショナルに徹していると思われた。旅ではそのような人と人とのふれあいの他に、景色や事物とのふれあいもある。高島屋に1個1000円以上もするりんごやオレンジが売られていて、びっくりして見聞を広めることができた。旅は人の心を優しくしてくれるものなのだなと思われた。
2014.01.26
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世界遺産白川郷上高地の美しい景観10月20日(日)から23日(火)まで岐阜県の飛騨高山、世界文化遺産の白川郷と長野県の上高地に旅してきた。私は仕事中心人間で旅行を殆どしていなかったが家内の従姉妹がこの旅の計画をして、家内も誘われた。家内のかねてから行ってみたい所ばかりで、行きたいのは山々だが従姉妹夫婦に自分だけ加わって行くのは無理なので涙を飲もうとしていたので日頃苦労ばかりかけて何もしてやっていなかったので思い切って、勤めを月、火と休ませて頂いて自分も旅に加わることにした。飛騨高山では高山の匠の造った祭り屋台と陣屋を見てきた。陣屋は全国に惟一現存する江戸時代の代官所で、300年前の建物がそのまま残っていた。説明してくれる女性がいて約1時間各部屋について説明してくれた。感銘を受けたのは25代の代官の内、よくない代官の親子が治めた年代に百姓から年貢を60%も取立て、商人からは1.2%しか税を取らない政策に農民一揆を起し、江戸に直訴に行った農民代表6人は処刑され、悪代官は処刑された人達は代表ではなく、自分勝手な行動をした悪い人たちで、処刑されたのは当然とする代官からの同意書に署名捺印するように迫られた。処刑を恐れた農民達は、不本意ながら、それに同意したが18歳の善九郎のみは年貢を取り立てすぎる代官が悪く、それを代表6人が中央に訴えに行ったのであり、彼らが悪人だから処刑されたのでないとの信念をもっていたので、その同意書に署名しなかった。捉えられ処刑されたが処刑数日前の妻への手紙が展示されていたが、泣かされた。世界遺産白川郷では、藁葺き屋根による大型合掌作りの集落の代表的な民家和田家を見学してきた。観光バスが何台も来ていた。400年前の江戸時代初期の庶民の生活が偲ばれた。上高地ではその美しい景色と紅葉に圧倒された。大正池から河童橋まで約1時間梓川ヘり2kmの道のりを歩いたが、川に沿った美しい紅葉と穂高連峰の景観は壮観であった。帰ってきて今旅行のことをまとめてみたが、その感動を10分の1も表すことはできなかった。勤めを休まなければならないのは心苦しいが、たまには旅行に行くべきだと思った。
2013.10.22
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家内の従兄妹が年に一度集まるいとこ会に私も連れ合いとして毎年参加させて頂いてきたが、今年は9月8-9日で蓼科に行ってきた。その時見てきたのが上の写真の長野県南佐久郡佐久穂町の白駒の池である。2100m以上の高さにある池では日本最大の天然湖でその麓には地面に絨毯を敷き詰めたような苔が生えている原生林がある。池まではかなりの上り坂なので、ご年配の方や腰痛の方はホテルに残った。旅行もたまにはいいが、1日でも病院を空けると心配になる。10日からは山梨大の学生も研修に来るので8時までに行ってお世話しなければならなかった。今日は学生の研修終了日で反省会を行ってきた。高齢で認知症があったりする重症患者さんは苦しまないように見守ってやるのを第1に考えてきたが、前に書いた鈴木先生みたいな人は重病に苦しみながらも今まで触れ合った全ての人に感謝し、おかげで最高に幸せの人生を送らせて頂いたと常に言っていたとのことで、諸君も卒業して医師になり、重症患者を受け持ったりしたら、その人たちは何を考えているか推し量ることも大切だとの訓示を述べてきた。ところでまだ認知症を治す薬はない。あるのは進行を止める薬だけだと言われているが、私はアリセプト服用で劇的に良くなって普通の人のようになった一例を経験し、5年後の今も元気で外来に通院している。いま入院している2人も劇的とまではいかないが明るくなり笑顔を示してくれるようになり、かなり改善したことは明白である。将来はips細胞を使った方法や、今ある内服薬を改善した画期的な薬などによって認知症が治る時代がくるかも知れない。でもそれまでは認知症は治らないと一般に信じられているが、現在でも症例によってはアリセプトという薬で画期的に良くなる症例もあることを認識していただけたらと思う。
2013.09.13
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昨年8月20日シリアで銃撃戦に巻き込まれて死亡した山梨県都留市出身の戦場ジャーナリスト山本美香さんの縁の地を見たいと高知県からはるばる山梨県まで来た男がいる。それは私が医学部に入る前に在籍していた静岡大学の魁寮に入っていた時1学年下のN君だった。昨日そこへ行く途中で私の病院にちょっと寄ってくれた。30年以上逢ったことがなかったが、当時の面影そのままだった。彼も私のことを髪は薄くなったがそれを除けば全く昔のままだなと懐かしんでくれた。彼は教員をしていたが今は植木屋をしているとのことで、今年の夏は一際暑かったが幾つかの注文を受けて炎天下で剪定などの仕事を仕上げてからきたとのことだった。なぜ山本さんにそれほど惹かれたのか聞いてみた。「命の大切さ、はかなさかな」と言っていた。山本さんが書いた本(『中継されなかったバクダッド』)の一節に「私たちジャーナリストは死ぬために戦場を目指してはいない。誰かがそこへ行って目撃しなければならないし証拠を残していかなければならない。記録して外の世界に出さなければならない。だから私は戦場に向かう」がある。死ぬために戦場を目指していないが、それを覚悟の上での活動には間違いない。彼女は戦争の残虐さと悲惨さを報道する使命感に燃えていたのだと思う。その彼女が銃弾に倒れて死んでしまったので悲痛な思いと命のはかなさを思い、はるばる都留市まで来る決意をしたのだと思う。彼は子供の頃はカエルを八つ裂きにしたり投げ飛ばしたり平気で残酷なことをしていたが今はすごく反省しているとのことだった。虫や蟻や蜂が部屋の中に紛れ込んできても殺さないで部屋の外に出してやるとのことで、道端に毛虫が這っていても轢かれたり、踏みつけられないように草むらに移してやっているとのことだった。大きさや形態にかかわらずあらゆる命は尊く護ってやらなければならないと思っているとのことだった。それなのに戦争では人と人が殺し合いをしている。それを止めさせたいと体を張って活動していた山本さんに熱く共鳴していたN君、昨日は私と別れた後、山本さんの生家などを見に行くと言っていた。命を見つめる旅が実り多いものであるよう祈る。
2013.09.04
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今日も学会関連です。京都に行ってホテルに泊まり食事を食べたり買い物をしたりしました。至れり尽せりで恐縮しました。学会から帰ってきて病院で診察するとき、旅先で受けた親切をお返ししなくてはと思い、自堕落な気持ちを押さえ込んで、できるだけ親切に対応するように心がけました。今朝の「日本全国8時です」の担当は月尾嘉男さんでした。今日の話は観光についてで、世界産業の中で観光産業の占める割合は家電製品より上でパソコンなどのオフィス製品に次ぐ世界第二位の巨大産業とのことでした。しかし日本の観光産業は世界でも最下位の方で、金銭的にも、観光客数でも国民の人口比にすると非常に少ないとのことでした。それは日本には名勝地などの観光資源がないからでしょうか。それはあるとのことで10位前後に入っており、日本国内での移動の便利さも上位に入っていますが、日本にくる交通の便や日本での生活費や物価などが高くこれが最下位とのことでした。しかしお客をもてなす精神やその実践力はダントツ1位とのことでしたが総合力では物価高等があり、最下位でした。今回は京都旅行でしたが北海道に行った時も旅先で親切にしてもらい感銘を受けました。外国人もきっと同じように感じていると思いますが、観光客の数は世界最低とのこと。受け入れ態勢を充実させて日本の良さをアッピールして多くの外国人にきてもらい大いに日本を知ってもらいたいと思いました。
2013.05.16
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娘の嫁ぎ先のお父様が腹腔鏡下胆石摘出術を受けるため、はるばる姫路から当院まできてくれて無事手術が終了して本日朝、奥様が運転して姫路まで帰って行った。手術翌日昼食を奥様とご一緒した際不思議なめぐり合わせのお話を伺った。1昨年9月息子の住むアイダホ州ボイジにご夫婦で出かけたが旦那さんが先に帰り奥さんが一人で帰ってきた。ボイジ空港からサンフランシスコに出てそこから成田行に乗り換えるのだが空港が広くてどこで乗ったらいいかさっぱりわからなかった。日本人を探して聞こうと思ったが東洋系は殆ど中国人で途方にくれていたが、やっと日本人らしいハンサムの青年を見かけたので声をかけたら日本人で、自分も日本に帰るので搭乗口まで案内してくれて、時間があったので空港内の喫茶店でご馳走もしてくれた。今度結婚するのですと言って彼女へのお土産にいいものを教えて下さいと言われてフランスの化粧品をお勧めしたら「じゃあ、それに決めました」と買った。そしてしばらく話したあとお別れした。お名前とかどこにお住まいなのかはお聞きしなかった。旅の出来事で、ハンサムで親切な青年に会った思い出はあるけれど、この広い世界で再会、もしくはそれに近いことが起ころうとは夢にも思わなかった。昨年息子の嫁(私の娘)がボイジの体操教室で日本人女性を見かけて話をしたら、最近結婚したこと、旦那からプレゼントをもらったがそれは旦那がサンフランシスコ空港で買ってきたもの、空港で見知らぬ日本人と知り合った、というような話から「もしや?」と思ったが、まさかそんなことはないだろうと忘れていた。ある日スーパーでその女性とご主人が買い物しているところに出くわした。ご主人に自分たちの母親がサンフランシスコ空港でお世話になった日本人がいるのですよとその時の状況を話したら、「それは私です」と言われてびっくりしてしまった。まさかこの広い世界で偶然お会いした人が息子達と会って話をしたとはあまりに不思議だとお母様は言っていた。世の中には不思議なことがあるものだと思った。目に見えない糸があるという人がいるが、本当にそう言う糸があるのかなと思った。
2013.02.23
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鳴沢氷結滋賀県からお盆休みで息子夫婦が山梨の実家に来てくれた。お嫁さんが「山梨に行ったらテレビで観たので鳴沢氷結に行ってみたい」と言っていたとのことで10時頃家を出て富士山麓の鳴沢氷結に行ってきた。フジテレビで「今日の天気」のバック映像として1週間位この氷結を放映したとのことである。地元の人間にしてみればそれほどのところではなく、実際行ってみても洞窟の中に氷はあったがそれほど素晴らしいという景色ではなかった。ところがである。車を止めるところまで延々の列で愛知、大阪、神奈川、滋賀、栃木、埼玉、等々、全国からの車が延々と並んでいた。山梨ナンバーはなかった。普段なら殆ど混雑しないところなのに、テレビで放映した直後とのことで車の大渋滞がおこり、入場券を買ってからも延々の列でやっと入れても氷のトンネルを歩いたのは約10分くらいで、もっと続くのかなと思ったらすぐ出口で大したことはなかった。テレビの影響は凄いと思った。普段なら訪れる人もまばらなところでも人々に訴えるようにテレビで放映されると「行ってみたい」と思う人が全国から集まってきて大混雑をきたすことを目の当たりにした。改めてテレビの影響はすごいと思った。
2012.08.12
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家のアマリリス一般に外国語を学ぶのはその国の文化や技術を吸収したい気持ちから学ぶことが多い。最近ではビジネスがグローバル化して世界的ビジネス展開のために語学を学んでいるケースも多い。いずれにしても相手言語圏が自国より優れていると思えたり尊敬できると思えると学習意欲は増す。私の場合は日本に無差別攻撃を加え原爆まで落としたアメリカはとても尊敬できない。そのような国の言語を学んで何を得ようとするのか?得るものは何もない。医学にしたって我が国の方が上である。ではなぜ学んでいるのか?国際協力で医療活動したり、低レベルのアメリカに本当の精神文化を教えてあげたいためというのが大義名分だった。その結果、語学力は少しも上達しなかった。今度のアメリカ旅行で感じたことは、主に観光地の見学だったが時に買い物とか家の周りとかでアメリカ人に接して人柄の良さを感じた。大戦時の残虐さは到底許すことはできないが、一般庶民の人々から学ぶことは多いと思った。偉そうにアメリカに教えてやるために英語を学ぶのだの気持ちでは上達しなかったのは当たり前かもしれない。9日間の旅だったが相手国の文化にふれ相手国の良さを吸収したいという気持ちになった。そのせいか帰国後格段に英語力が進歩したように感じられる。確かに歴史認識も大切だが、もし外国語を学ぼうとするならば、その国を好きになり素直にその国から学ぼうとする気持ちが持てないとかなり困難であるということを実感した。
2012.05.25
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アイダホには溶岩が一面に広がったクレーターオブザムーンという月の表面のようなゴツゴツした地面が一面に広がるところがあった。小高い丘のようになった小山に登ったらすごい突風で今にも吹き飛ばされそうになったが根性で頂上までたどり着いた。それから洞窟のようになったところにも行った。いずれも溶岩で出来ていた。吹き飛ばされそうになりながら小山の頂上にたどり着いた所溶岩で出来た洞窟の中に入ったところ。
2012.05.16
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アイダホ州も広く、滝にも連れて行ってくれた。カナダとの国境にあるナイアガラの滝にも匹敵する見事なもので虹が出ていた。留守の間にひっそりと庭に咲いていた花も紹介させていただく。ツボサンゴ白蝶草ブルースターオオテマリ
2012.05.15
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ユタ州のGreat Salt Lakeにつれて行ってもらった。琵琶湖の9倍ある大きな湖で塩分の濃度が高く塩湖と名付けられれ塩が産出されている。その湖に出島のように伸びるさつまいもの形をしたアンテロープ島にも湖上に架かる橋を通って車で渡った。アンテロープという鹿がいることから島の名前はつけられたが、実際はアメリカバイソンで有名とのことだった。バイソンはアメリカ全土に数千万頭生息しており、アメリカ先住民の貴重な食料、衣服(皮、毛)だったが西部開拓の白人たちによって猟銃による殺戮によって激減し、1889年には541頭になり絶滅の危機に瀕していたがようやく近年保護策が取られるようになり、この島など数カ所に数万頭生息するまで回復したとのことである。車で通って真近で写真がとれる機会は少ないとのことだったが結構数回その機会があり、幸運だった。白人がバイソンを殺したのはインデアンの食料を奪いインデアンを追い詰めるためだったと言われており、現在のアメリカの繁栄の影に原住民たちの苦しみの姿が浮かんできた。アンテロープ(鹿)アメリカバイソン(野牛)島からソルトレイク(湖)を望む湖岸を散歩する老幼2人
2012.05.13
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アメリカに行ってアイダホ州のボイジーを拠点に娘婿のT君が4泊5日の旅程で毎時130Km位で4~5時間かけて様々な所につれて行ってくれた。UTAH州内が主だったが毎日5~600Kmの運転大変だったと思うがおかげで広大な大地と様々な自然の神秘を心ゆくまで味わわせて頂いた。中でも最も印象に残ったのはUtah州のアーチーズ国立公園だった。アーチーズ国立公園には,岩で出来た天然のアーチが大小2千個以上ある.厳しい気象条件のもと,150万年もの時間をかけて,砂岩から生まれた美しいアーチは,まさに自然の芸術品だった。公園内のアーチは絶えず侵食,崩落が起こっており,新しく出来たり,無くなったりしており,現在も変化し続けている.Utah州のシンボル的存在のデリケートアーチは時間の関係で見れなかったが、世界最大のランドスケープアーチ、映画の舞台にもなったダブルアーチその他様々なアーチや噂話の3人や今にも首が落ちそうなお地蔵さん、その他一杯鑑賞してきた。世界最大のランドスケープアーチ、最も細い所は1.8m位しかないというダブルアーチ風が強くて砂埃が舞うので孫たちはサングラスをかけていた。
2012.05.11
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4月28日から5月7日まで娘達が暮らすアメリカのアイダホ州ボイジーを訪れそこからユタ州のソルトレイクシティやアーチーズ国立公園などを案内してもらったので9日間のアメリカ見聞録を書いてみたいと思う。まずボイジーだが、ボイジーはアイダホ州の南部に位置する州都で、政治と経済の中心地である。人口は約19万人でアイダホ州内で最大の街だが田舎の都市らしく、のんびりとした雰囲気を残した町である。1863年金採掘のために砦を築いたことに始まり、金鉱の衰退によりその後は農業や物流の中心として発展してきた。ボイジー市には電子メモリ等を制作するマイクロン社の本社がある。人々は温厚で皆親切だった。車の運転マナーが素晴らしく無理な追い越しなどは皆無であった。白人が90%以上を占めているとのことだった。大きなスーパーがこの程度の街にしてはずいぶん沢山あり、各お店はそれほどお客が混んでいなくて人口から考えても経営が成り立つのかと心配したが、いずれもそれほどあくせくしないでのんびり商売しているようだった。品物の値段は日本に比べるとかなり安かった。街の全景州議会議事堂、大理石で造られれていて実に立派なものだった。見学時他の団体観光客も内部を見学していた1900年代初期の鉄道の駅で現在は公園になっている。我々が行った時3組の結婚式グループが記念写真を写しにきていた。当時走っていた蒸気機関車である。そこの銅板に日本に輸出して天皇が行幸に使った機関車であると書いてあった。
2012.05.09
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3月のまだ寒い頃から咲いていたクリスマスローズである。クリスマスの頃咲く種類と春咲く種類があるらしい。明日から内科学会が京都のみやこめっせで開かれるので行ってくる。会期は13日から15日までの3日間だが、時間的余裕があったら京都見物もしてこようと思う。京都は新婚旅行に行ったところでもあり永遠の都である。
2012.04.12
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アイダホ州ボイジの州議事堂や、テーブルロックを見学に行ってきたとのメールがきた。来週の月曜日からはもう長女は幼稚園に通うという。長男の方はやはり来週から週2回保育園に通うという。まだおむつをしているけどいいのかなと思った。色々不自由なこともあると思われるので家内はもう送りものの準備をしていた。
2011.06.23
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ヤマアジサイ:アジサイ科、原産日本、花言葉;乙女の愛、切実な愛外資系の会社に勤めている義息が転勤で6月15日にアイダホ州ボイシに旅立った。4歳の女の子、2歳の男子をつれて一家で出かけた。子供達が慣れない土地でどのように暮らすのか案じられるが、案ずるよりも産むが易しで、きっと大人たち以上に早く現地に同化するのではないかと思う。親子ともども健康に留意して様々なことを学んできてもらいたいと思う。任務を終えて何か月後かにどんな姿で帰ってくるか楽しみである。
2011.06.21
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今忘年会から帰ってきたところである。忘年会で隣のとなりに座った先生から私がいつも飲んでいる山梨の地酒春鶯囀の名前の由来を教えて頂いた。春鶯囀と言うのは山梨県南巨摩郡増穂町で造っている酒で、清水のごとくさらさらして美味しく冷で毎晩コップ1~2杯飲んでいたが、その名前の由来は知らなかった。昭和8年10月、与謝野鉄幹、与謝野晶子のご夫婦は萬屋酒造の社長の弟の招きで山梨にきて、昇仙峡に一泊された翌日の夕刻、増穂に到着され、その印象を親しみを込めて「わが友の増穂の村の夜の草に くるまの触れてなつかしきかな」と詠われた。翌日は早朝より富士川周辺と酒蔵を散策され、「法隆寺など行く如し甲斐の御酒 春鶯囀のかもさるゝ蔵」と萬屋の酒の優雅な味と香りを讃えた。創業より「一力」の名で知られていたが、これを機に「春鶯囀」と改め今日に至ってるとのことで、与謝野晶子が名付け親だったのだ。新潟の「越しの寒梅」や「八開山」に似たさらりとしたお酒で私好みの酒だが、与謝野晶子命名のお酒となると、さらに一味加わった気がする。忘年会もいいものだ。隣に座った外科の先生からは、難しい手術に挑戦する時の気持やスタッフへの根回し等について話をしてもらった。忘年会は9時半頃にはお開きになり10時過ぎには家に帰れた。それで今ブログを書いている次第である。忘年会を有意義とするかつまらないものとするかは参加者一人一人の心構えによると思う。私は結構楽しんで帰ってくるので、成功の部類に入るのではないかと思う。
2010.12.08
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12月5日(日)9時25分から15時25分まで国立京都国際会館で行われる内科学会の第38回内科学の展望に参加してくる。テーマは難治性内科疾患の克服に向けてで、内容はパーキンソン病、下垂体疾患の現状と展望、特発性心筋症、肺高血圧症、ANCA関連血管炎、特発性造血障害、難治性ネフローゼ症候群の治療、劇症肝炎、と多彩、多量である。居眠りをしないで聴いてこれればいいと思う。全国から4~5千人が集まることが予想されている。おかげで明日の夜のホテルはかなり前にどこも一杯で予約が取れなかったので、滋賀県の親戚の家に泊めてもらうことにした。今、京都は紅葉の真っ盛りとのことである。内科学会は居眠りで、紅葉は目を覚まして見てきたということの無いように、勉強はきちんとして、紅葉もついでに見てきたということにしたいと思う。
2010.12.03
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家内のいとこが年に一回旅行を兼ねたいとこ会を行っているが今年は9月10-11日と東京で行われた。金、土は勤務があるので最初不参加のつもりだったが、東京港を船で見学したり、築地の魚市場の見学も入っているとのことで、外来担当者にお願いして、休ませて頂いて参加してきた。新東京丸に乗っての東京港見学は見分を広めることが出来てよかった。横浜港の方が有名だが貿易高では東京港の方が高いとのことだった。日本一は名古屋港で東京港は第2位。しかしコンテナ船では第一位とのことでコンテナ船があちこちに見られた。築地では市場見学の後「築地青空三代目本店」というお寿司屋で三〇〇〇円程度で最高に美味しいお寿司を食べることができた。この美味しさでこの値段、世界一だと思った。その後2011年完成予定の東京スカイツリーを見学してきた。634mが目標で、今400m位完成していた。完成すれば自立鉄塔として世界一、電波塔としても世界一になる。その後合羽橋の道具街で買い物をしてきた。今回の旅行は勝鬨橋を歩いたり、バスでの移動が殆どで、歩くことが多かったが有意義ないとこ会であった。来年の幹事が決まり、来年はどのような企画をしてくれるか楽しみである。
2010.09.11
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ホタルブクロ:キキョウ科ツリガネソウ属、原産 日本、朝鮮、中国、花言葉;誠実、愛らしさ本日医師会報を読んでいたら、次のような投稿記事があった。開業医のIさんが、国際線に乗っていた時、「急患が出ました、医師の方は乗っておられませんか」とアナウンスされたとのことである。医師が薬も聴診器も注射も縫合セット等何も持っていない丸腰の時は丘に上がったカッパと同じでなにも出来ないので自信がなく、誰か名乗りを上げるだろうと期待して、しばらくは下を向いて冷や汗を流しながら黙って成り行きをみていたとのことである。時間が経っても誰もいないので仕方なく自分が出て行ったが、大した病人ではなく良かったとのことだった。機内で放送された時出るべきか黙っているべきか迷った心の動きが詳細に書いてあったが、それは殆ど全ての医師の気持を代弁するものだと思った。まずどんな患者か分からない。自分の手に負える患者ならいいがそうでなければ恥をかき、おまけに助かるかもしれない患者を死なせてしまうかもしれない。飛行機を緊急着陸させなくてはならないかもしれない。責任重大である。黙って下を向いていた方が無難かもしれない。でも時間が経っても誰も出ていかなければ自分の心は自責の念で押しつぶされそうになる。途中で出ていけば出ていったで、「あの医者はなんで最初から出て行かなかったのでしょうね」などと乗客に陰口される。私は新幹線に乗っていた時同じ放送があり、自信が無かったが出向いていき患者さんを診たことがある。大したことでなくて良かったが、Iさんと同じような心境だった。後でJRから礼状と1冊の全国汽車の時間表を送って頂いた。出ていかなければだんだん苦しくなって自分が病気になる。誰か出るだろうと思って様子をみていて途中から出ていくと「何で今頃出てきたのでしょね」と非難される。それなら自信のあるなしにかかわらず最初から出て行こうかなと思っている。
2010.06.08
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椿:ツバキ科ツバキ属、原産 日本、花言葉;高潔な理性、家内が孫が生まれたのを記念して植えたものである。土曜日は勤務だったので昨日から5日までの4日間が連休である。昨日は家内の実家の両親のお墓が信州の茅野市にあるので、お墓参りをして、その帰りに蓼科にあるナマステというカレー屋さんでカレーを食べてきた。おいしかった。今日は当番で病院にいってきた。院外の先生に当直はお願いしてあるが、常勤医が交代で病棟回診することになっており、今帰ってきたところである。日本は休日大国で世界でも有数の祝日、休日の多い国である。連休も多く、家族つれなどの旅行も多くなり、行楽地や高速道路は大変混雑する。スーパーやデパートなどで働く人やホテル従業員などは休めない。病棟勤務の職員なども休めない。昨夜転倒して骨折した人や状態が急変した人がいたが、休日勤務の人達、対応お疲れ様でした。国家としては、日頃の働きに感謝して、たまには休んで下さいと連休等が設定されているのだと思うが、実際には日頃過重労働の人達にはその恩恵は殆どなく、大企業や公務員などで、時間的余裕のある人たちには大きな恩恵になっている傾向がある。休みになると郵便関係はストップしてしまう。病院、医院も休みになってしまう。行楽に行くしか機能しない町になってしまう。かって日本人は働きすぎだと批判され、休みを多くするように外圧を受けて、祝日が多くなり、土曜日も休みになったところが多い。休みを多くすることは必ずしも幸せにつながらない。毎日の仕事そのもの中に喜びを見いだせることが幸せだと思う。私は、少し休日が多すぎて、しかも恩恵が不公平なように思うが、各自で休日を有効に使って、明日の活力にしてもらいたいと思う。
2010.05.03
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美瑛町(びえいちょう)は北海道上川支庁管内のほぼ中央、上川郡にある町。世界遺産白川郷のある岐阜県白川村、黒川温泉のある熊本県南小国町などと共に「日本で最も美しい村連合」に加盟しており、その事務局が美瑛町に置かれている。隣の富良野町と並んで観光名所として名高い所である。ケンとメリーの木、親子の木、セブンスターの木、マイルドセブンの丘、バフィーの木、などロケ地になってそのゆかりの名前が付いている名所も多い。先日中学校時代の同級生から美瑛街を水彩画で描いた絵を送ってくれた。名所のどの名前がついた場所かは分からないが、奇麗なところだと思ったので、ブログで紹介させて頂く。私は北海道大学に在籍していたが、学生時代は金もなかったし、勉強も忙しかったので札幌以外の北海道は殆ど知らない。美瑛の読み方も絵を送ってくれた友人に聞いた次第である。それで3年前退職記念に家内と2泊3日で北海道旅行してきた。知床や網走刑務所、富良野、洞爺湖、摩周湖などに行ってきた。6月だったが一面の牧草地など印象深く感銘深い旅行であった。その後忙しくてどこにも旅行に行っていないが、友人の北海道の絵を見たからか、今日出勤途中でいくら忙しくても、3か月先、4か月先なら外来患者さんの予約を外すことも可能なので、2日か3日休みをもらって何処かに旅行に行きたいなと思った。患者さんのお役にたてることはうれしいが、自分自身の休養とか、旅行とかが全くできないのも詰まらない人生だと思い、今後何とか工夫していこうと思った。
2010.03.04
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トムウラシ山遭難ツアーは55~69歳の男女15人とガイド3人という構成だった。15日にヒサゴ沼避難小屋を出発する時は激しい風雨で出発を中止した方がいいと申し出たツアー客もいたがガイドは午後から天候は回復すると判断して午前5時30分頃出発した。昼前に山頂に近い北沼付近で女性一人が低体温症で歩行困難になった時そこに客5人ガイド2人の計7人を残して本体は一人のガイドと共に頂上を目指した。残された7人のうち4人が凍死した。ガイド3人で話し合って進むか退くかを決めたのだと思うが、先に進みたい客と引き返した方がいいと思っていた客がいたと思われる。ガイドとしてどう判断するかは一番体力のない人を基準に判断すべきだと思われるが、今回の判断では一番体力のある人を基準に判断していたように思われる。3人のガイドもそれぞれ考えが違ったと思われるが3人の内最も発言力が強くて強引な人の意見に従ったものと思われる。その人はこんな大惨事が起きるとは夢にも思っていなかったと思われ、これしきの天候で音を上げるとは、山男、山女として恥ずかしい位にしか思っていなかったのではなかろうか?或いは本社と連絡をとって指示をあおいでいたのであろうか?自分はガイドでレベルは高いが、一般客のレベルはまちまちである。各人のレベルを把握しながらリーダーシップをとっていれば今回の惨事はなかったものと思われ、リーダーの役割、思いやりの大切さを改めて痛感した。
2009.07.20
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滋賀県に住んでいる孫がこの4月に小学校に上がるので、そのお祝いに土曜日の午後出かけて月曜日に休みをもらって二泊三日で滋賀、京都に行ってきた。息子が案内してくれた石山寺は紫式部が源氏物語を書いたところとのことで紫式部像があった。絵本源氏物語も売っていたので買ってきたら家内が帰りの新幹線と身延線の中で読んでしまった。源氏物語を書いたと伝えられる源氏の間(滋賀県石山寺)紫式部像(石山寺)京都では小野小町ゆかりの隋心院に行ってきた。深草少将が小町を慕って雨の日も風の日も小町のもとに通い続けたが、小町は振り向いてくれなくて99日目の夜、降る雪と病気のために亡くなってしまった。通い続けていた時来たことを印すために榧の実を一つずつ持参していたので、それが後に芽を出し大木になっているとのことである。小野小町(京都隋心院) 片思いで亡くなってしまった深草少将が持参した榧の実(隋心院)小野小町が顔を洗ったり化粧する時に用いていた井戸(隋心院)
2009.03.09
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五色唐辛子:ナス科トウガラシ属 原産:中南米、花言葉「生命力」「旧友」「嫉妬」今日は仕事上のスキルアップのために東京、永田町にセミナーを受けに行ってきた。内容が素晴らしく、大変勉強になり有意義な研修会であった。乗り継ぎのために東京の新宿駅に降り立ったら様々な人が歩いていた。様々な服装で様々な顔をしていた。絵になる人ばかりだったが、一歩その人たちの中に入れば自分と同様、様々な悩み等があるのかな?と想像した。それにしても色々な人がいるものだなと思った。急いでいる人もいれば、友達と楽しそうに話している女性もいた。子供を抱いている人もいれば、耳にイヤホーンを入れて何か聴いている人もいた。人間社会の一面で、それぞれ自信に溢れ、特色を出し、元気いっぱいの様子だったが、家に帰った時はどんなかな?とも思った。大勢の人ごみの中で、自分もその人ごみの中の一員だと気がついた。それぞれの目的をもって皆さん新宿駅を歩いていたのだと思うが、自分はセミナーを受けるという目的のために歩いていた。私にとってはその目的が満足の形で満たされ幸せだったが、他の人たちの目的は幸せに達成できたのかなと思いをはせた。新宿駅で出会った人たち全ての幸せを祈らせて頂く。
2008.10.05
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土曜日の外来業務終了後茨城県日立市十全にある国民宿舎「鵜の岬」に従姉妹会(家内のいとこ)で行ってきた。19年連続利用率日本一で予約を取るのがきわめて難しいということで有名な所だが、幹事が粘って80倍の難関を乗り越えて見事予約を取ってくれたとのことだった。海に面しており、潮騒が聞こえる極めて風光明媚な所だが、風光明媚なところは日本中には一杯ある。これほどの人気にしたのは支配人始め職員の営業努力と、もてないしの心にあると言われている。利用率が低い時代には最寄りの駅に行ってパンフレットを配布したり、客が食事中に靴を磨いておくなど他がしてないことでサービスを印象づけるようにした。それらが評判に評判を呼び現在の興隆(年間利用率96%)をもたらしたものと思われるが、全館にもてなしの心が行き渡っているのを感じた。全国一になれば慢心も生ずるものだがそれは微塵も感じられなかった。私が前に務めていたY健康管理センターでは職員教育として、全体講習会を月に一回位行っていた。その内のある講習会ではFホテルの相談役の方に「もてなしの心」についてご講演をいただいた。ホテル人はお客さんに満足していただくためにどれだけ心を砕いているかのお話だったが、その基本はもてなしの心で、お客さん一人一人に対して心からもてなし、尽くす気持が大事でそれがなければいくら表面的につくろっても駄目である。とのお話で、健診センターで日々健診受診者に対応しているスタッフの心構えに大変参考になった。ホテル人はすべからくこのもてなしの心を研修しているとのことだったので、日本中のホテル(国民宿舎も含めて)はみな最高のもてなしの心を心がけていることとと思うが、結果としてこれほどの差が出ているのはどこに原因があるのであろうか。中心者の一念だと思う。中心者のゆるぎない本格的なもてなしの心が従業員に行き渡っているのだと思う。益々のご発展をお祈り申しあげる。そこは日本で唯一の鵜の捕獲風景を見ることが出来る所とのことだったが、幹事の日程表に入っていなかったので、みることができなくて残念だった。その代り、岡倉天心が岸壁に建ててそこで思索にふけったという六角堂を見学してきた。4畳半位の狭い部屋で、インドの詩人でノーベル賞受賞者タゴールも天心をしのんで訪れたことのある建物とのことだったが、「アジアは一なり」で有名な岡倉天心の心に僅かに触れることができた。本日(日曜日)の夕方5時50分位には自宅に帰ることができて有意義な旅行だったと思う。
2008.08.31
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出雲中央クリニックの宮脇先生が大腸鏡が上手とのことで、見学させてもらおうと思い立ち、日曜日に出雲まで行って一泊して、昨日の月曜日に大腸鏡を見学させて頂き、その夜、夜行列車に乗って冨士で乗り換え、身延線の普通列車で今朝8時5分に甲府駅に帰ってきた。研修の様子は別に書くとしてまず旅行について書く。土曜日に相手方に連絡して月曜日の研修OKの返事をもらったので、そんなに急では飛行機の切符もとれないので全て電車にした。宿泊はインターネットで、出雲スーパーホテルに予約できた。一泊4980円だった。入浴はすぐ隣にらんぷ湯という本格温泉があり、入浴料600円が宿泊客は500円に割引してくれ、本格温泉なのにお湯も出たりシャワーもあってすごく快適で、しかも安いと思った。東北旅行の時やはり本格温泉に行ったがそこではお湯もないしシャワーもなく、本格温泉はそんなものかと思ったが、ちゃんとシャワーもある本格温泉があってよかった。朝食はバイキングでとても美味しくてそれも4980円の中に含まれているとのことだった。目的のクリニックの約束時間は11時だったので、それまでの間に出雲大社と島根大医学部に行ってきた。出雲大社は大国主神を祭る神社で、全国出雲神社の総本山、縁結びの大神様としても知られている。古代の神社建築を純粋に伝えており、厳かな空気を感じた。でも月曜日だったからか人影が殆どなく、こんな素晴らしい名所旧跡(国宝)をもっと多くの人にみて貰いたいと思った。島根県などめったに来ることはないと思ったので北里大学時代一緒に働いていたことある小林祥泰先生が出世して島根大医学部の病院長をしていることを知っていたので、大学病院を訪ねて山梨のおみやげ信玄餅を渡した。「何でまた島根に」と怪訝な顔をしていたので、大腸鏡の勉強に来たと答えた。それから本番の見学研修を受け、研修終了後、夜6時55分発サイライズ出雲という寝台車で帰ってきた。寝台車は個室でこんな豪華な空間が電車の中にあるのかと驚き、大変リッチな気分になったが、電車の振動と、朝5時9分には冨士で乗り換えなければならないことも気になって、1時間半~2時間位しか眠れず、どうせ眠れないからと、殆ど寝ないで本を読んでいた。流石に今日は眠かったが、そんなことには代えられない楽しい旅行と研修であった。山陰地方は落ち着いた田園風景が素晴らしく、心なごむが、過疎で、観光客もあまりいなくてもったいないとしみじみ思った。神話の故郷、出雲をもっと大勢の人で盛り上げてもらいたいと思った。
2008.06.03
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東北旅行の最後に岩手県平泉の中尊寺に行ってきました。平泉には東北地方の王者で三代のおごりを誇った藤原氏の城跡があります。藤原氏は源義経をかくまったということで、源頼朝に滅ぼされてしまいましたが、280年ほど前、俳人芭蕉がこの城跡を訪れて、夏草が生い茂り、何もない古戦場をみて様々なことが思われ、なつくさや つわものどもが ゆめのあとと詠んでいます。それから城跡の高台を下りて、中尊寺に向かいました。そして金色堂(光り堂)を見たのです。全体が金箔で覆われ正に藤原氏の権勢そのままを伝えており、芭蕉も感動したのではないかと思います。そこでさみだれの ふりのこしてや 光り堂と詠んでいます。さみだれの中を歩いてきたと思われますが、金色堂のあまりの素晴らしさにさみだれのことを忘れてしまったという句ではないかと思います。あるいは金色堂全体が覆堂(さやどう)の中に入れられ保護されていたので、さみだれの影響を受けていなかったという意味かも知れません。境内にこの句と共に芭蕉の銅像が建っていましたので、並んで写真を撮ってもらいました。そこで私も1句わかばもゆ みちのくたびに 芭蕉像
2008.05.18
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宮城県は日本三景の一つ松島に行ってきた。松島は宮城県中部松島湾一帯の景勝地で松島丘陵が沈水後、波食によってかっての高所が島として残り、湾内に260余の島々が景観を呈している。白い岩肌と松が調和して美しく、平安朝の歌集によく詠まれていた歌名所でもある。あいにく、もやがかかり、島々全てを見渡すことは出来なかったが、幾つかの島がもやの中に浮き上がって見えたのはこれはこれで幻想的でよかった。何故か浦島太郎の世界にいるような気になった。
2008.05.15
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秋田県の田沢湖と角館にも行ってきた。田沢湖は秋田県東部にある円形のカルデラ湖。標高249m、深さ423.4mで日本一深い。濃濫色で透明度7.2m。タツ子姫と呼ばれる竜神伝説がある澄み切った綺麗な湖であった。湖岸のホテルで湖を見ながらおいしいコーヒーを飲んだ。角館町は田沢湖に近い秋田県東部仙北群の町。芦名氏、佐竹氏の城下町として発達、武家屋敷や古い商家が戦災を免れて残っており、小京都と呼ばれている。写真は佐竹北家の家臣の石黒家の屋敷だが、約300年前の屋敷がほぼそのままの形で残っており、当時の生活様式がしのばれた。中には医学を学んでいた武士もおり、解体新書(1774年刊、杉田玄白、前野良沢、中川淳庵、らの協力で出来た日本最初の西洋解剖学訳述書、本文4巻と序・図1巻からなる)の図も展示してあった。その図を描いたのは江戸中期の画家で、秋田藩角館北家の家臣小田野直武が描いたとのことだが、原著ターヘルアナトミアの図を模写したとしてもレントゲンもなかったその昔にこんなに正確で見事な人体解剖図が描かれていたとは驚きであった。角館は樹齢何百年のしだれ桜が当時の武家屋敷の道の両側に植えられており、桜の季節には壮観を呈するとのことだが、時期的に咲き終わった後だった。
2008.05.12
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東北旅行で、岩手県花巻市の宮沢賢治記念館に行ってきた。賢治は多くの論説や詩、童話などを発表しているが何れも難解で、初期の作品を自費出版したが世間からは殆ど注目されなかった。唯一「雨ニモマケズ」は分かり易く、この作品を通じて宮沢賢治を知った人が多いと思う。昭和6年、東北砕石工場の嘱託をしていた35歳の賢治は壁材セールスで上京したが、病に倒れて(肺炎と書いてあるが結核だったのではないかと思う)花巻の実家に戻って闘病中に持っていた黒い手帳に書かれていたのがこの雨ニモマケズである。11月3日の日付がある。賢治はその2年後に肺炎(結核と思われる)で亡くなっている。手帳は死後家族が遺品整理をしていた中から見出され、今では日本中知らない人はいない位有名で、外国でも翻訳されて多くの人に読まれている。賢治の思想の奥底には「一人でもこの世に不幸な人がいるなら自分は幸せではない」があり、多くの作品はそのことを述べているが、何しろ盛岡高等農林(今の岩手大学農学部)に主席で入学したくらいの秀才で学がありすぎて一般の人には理解しずらい。ところが何気なく手帳に書いて、世間に発表するつもりもなかったこの詩は気取りや飾りがなく、分かり易い文章である。賢治はいつも難しいことばかり書いていたが、本音はこの雨ニモマケズにあり、この詩が賢治の全てであり、この詩の中に賢治の魂が込められていると考えてよいと思う。最後は「ソウイウ人ニ私ハナリタイ」で結ばれているが、常に人間性の向上を目指し、努力していた賢治の姿が浮かんでくる。岩手山と賢治、これは花巻いや岩手県の心の故郷だと思う。
2008.05.08
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連休に岩手、秋田、宮城等、東北3県を旅行してきました。写真はNHKの朝ドラ「どんと晴れ」に何回も登場し、宮沢賢治が14歳(中学2年)の時、初登山して、その魅力にとりつかれ、その後何回も登山した岩手山です。実物を真のあたりにするとその素晴らしい雄姿に圧倒されました。標高は2038メートル、富士山に似ているところから、南部富士、片富士とも呼ばれています。広い裾野の一部に1719年に噴出した焼走りと呼ばれる溶岩流が一面に広がっています。290年経った今もほぼそのままの溶岩をみることが出来、麓に宮沢賢治が詠んだ歌碑が建っています。「どんと晴れ」でも多くの人がこの山に励まされていましたが、東北地方の人々はこの山を見て育ち、この山と共に悲しみ、喜び、勇気づけられてきたのだなと思いました。宮沢賢治の思想を育んだのもこの山なのかなと思いました。これから何回か東北旅行のこと、宮沢賢治のことなどを紹介させて頂こうと思います。
2008.05.07
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安曇野のわさび田の写真を撮ってきたが、まず日の目をみる(ブログに掲載される)ことはないだろうと思っていたが、響き煙さんから、安曇野にはわさび田があっただろうとのコメントを頂いたので、予定を変更して本日のブログのテーマ写真にすることにした。安曇野には北アルプスの湧き水を利用した安曇野わさび田湧き水群があり、その中で一番大きな大王わさび農場を見学しってきた。上の写真はその一部である。わさびはきれいな水でないと育たないとのことで、綺麗な湧き水が得られる当地にわさび栽培が発展したのだと思う。大王わさび農場には1日12万トンの湧き水があり、栽培面積は15ヘクタールで、世界一の大農場だ。東京ドームが何個も入ってしまうとのことである。近くに水車小屋があり、黒沢明監督の映画「夢」のロケ地としても知られている。わさびを3本買ってきた。
2007.10.23
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